遠征に出ていた呂氏が帰還すると、竭氏の反乱など、なにも無かったように王宮は動きはじめていた。
「竭氏残党の処分は、主要な者たちを除けば、従わない者だけになる予定じゃ」
乱の結末まで把握しているはずの右丞相呂不韋は、権力を二分して争っていた左丞相竭氏が死去した報にも、その残党のことにも不気味なほどに興味を示さなかった。そうして、乱などなかったかのように、ただ粛々とことを収めていく呂氏陣営に対して、昌文君を筆頭する大王派は、竭氏残党の処断と取り込みに忙しない毎日を過ごしていた。
「それでは、処分が甘すぎるのではありませんかッ」
昌文君から聞かされた内容に、納得がいかないと嚙みつくように発言したのは、左慈から受けた傷もいまだ完治していない壁であった。
「そなたの言い分はよくわかる。だが、今のままでは呂氏陣営と戦うことすらままならんのだ。儂らには、そうするしかない。それにこれは、大王様も承知のうえじゃ」
「しかしッ そッ!………いえ、申し訳ありません」
壁はさらに言葉を続けようとして、こちら見定めるような昌文君の鋭い視線に気づくと冷静さを取り戻し、己の発言を恥じるように謝罪の言葉を口にした。
「よい。じゃが、感情のままに発言していては、いつ揚げ足を取られるかわからんぞ 壁よ」
昌文君の言はもっともであり、壁は己の未熟さが足を引っ張らないように、さらなる研鑽を誓った。
その頃、王騎が治める城塞都市でも一つの出来事が起きていた。
朱錐は竭氏の反乱騒動が落ち着いた頃、王騎から呼び出しを受けていた。そこで一つの指示を受けることになった。その内容を簡単にいうと、先の昌文君と王騎軍がぶつかったときに出した損害は、あなたのせいで大きくなったのだから、その穴埋めをしなさい。ということであった。
「あとは、ん、………。」
王騎という人物は頭の回転が非常に早く言い淀むことなどこれまでなった。それを目の当たりにした朱錐はなにかあったと考えて、次の言葉に意識を傾けた。
「………入りなさい。」
王騎の言葉に従い入室してきたのは、一人。それは、虎を模した面を被り素性を隠した人物で、王騎の後ろに並ぶように立った。
隠せてはいる。たしかに素性を隠せているのだが、朱錐が見間違うことはなく、王騎の真意をはかりかねていた。
「あの………、王騎様?」
「無用な問答をするつもりはありません。あなたに預けますので存分に使ってあげなさい。」
王騎の言葉に、もはや、可以外の返答はない。と感じ取った朱錐。
「………よろしくお願いします」
上官となる朱錐ではあるが、この虎の面をした人物に対して、なんと声を掛けるべきなのか数拍悩んだ末に、これまで通りの対応でいくことにした。
「よろしくな 朱錐」
その後、虎の面の人物から事情を聞くと、自分の中に残っている悔いを失くしたい。という言葉が返ってきた。そして、それを叶えるためには、王騎では近く、昌文君では遠いうえに、さらには文官。ちょうどいい距離として白羽の矢が立ったのが朱錐であった。ということらしい。
隊の編制にあたり、昔馴染みに声を掛けると快諾が得られ、隊の骨格が出来上がることになった。
大将軍が率いる軍にはそれぞれに特色がある。それは一軍を率いる将の呼び名にあらわれていた。あるところでは第1軍将、第2軍将であり、また別の所では第1将、第2将と呼ばれることもある。王騎軍では各将を軍長と呼ぶことになっていた。現在は第1から第5軍長まで編成されていて、新たに創設された第6軍長に朱錐は付くことになった。
そして現在。部屋の中には第6軍長とそれを支える面々が揃っていた。
軍長は朱錐。副長には虎の面こと虎豹(コヒョウ)。将として、馮、濯、洪の三人。さらに、副長付きという形で、玄象という者が付いた。王騎軍における正規兵五百を本体として、二千人まで編成するようにとのことであった。
「いきなり新参者の私に付かされた者たちだ。まずは、信を得る所からか」
正規兵五百ですら他の軍長より百ずつ譲り受ける形であるため、実質、一人一人の練度は高いがまとまりはないバラバラの軍と言えた。
「朱錐。その辺はある程度は問題ないぞ」
そう声を発した虎の面こと虎豹は、そのまま続けざまに言葉を発した。
「古参の者ほど朱錐を良く知っていることもあって、乗り気の者は多い。それに」
虎豹はそこで言葉を止めると馮にその先を語るように視線で促した。
「朱錐殿は知っているであろうが、昌文君は文官になるご決断をなされた際に、ご自身の私兵団の大半を解散させました。その中で武に長けた者の多くは王騎様の元へ送り出されましたので、軍中には今でも元昌文君隊の者はそれなりに多く、今回、その者たちが中心にこちらにきています」
「あとは、生前の私の元にいた者たちだ。素性は明かしてはいないが、選りすぐりだぞ。あと、録嗚未には文句を言われたから、謝っておいてくれ」
録嗚未とは、第一軍長を務める勇将である。いや、猛将かもしれない。がその実力は王騎軍中でみても上から三番目の実力者で、朱錐とは昌文君隊の頃から交流があった。交流ときくと友好的なものを想像しがちであるが、中身は、主に、立ち会え。的なものである。それは、多様な人材を揃える王騎軍であっても、朱錐ほどに優れた膂力を用いた戦い方をする者がいなかったことに起因していた。そのため、わざわざ腕試しをするために挑発しにきた録嗚未に対して、昌文君が「近しい世代の実力を知るのにちょうど良い」と承諾して以来、互いの時間が空いた時にぶつかっている仲である。
「録嗚未ですか。顔を出しておきます」
一度目の激突は、朱錐の膂力の程を誤って認識していたこともあり、一撃目で転がるようにぶっ飛んだ録嗚未が気絶して、あっけなく幕を下ろした。しかし、若さの分だけ気性の荒かった録嗚未がそのまま黙って敗北を受け入れるわけもなく、目覚めるとすぐに「あの野郎ッ」と叫び再び朱錐に挑みかかった。そして、驚くべきことに、二度目には朱錐の膂力から繰り出される一撃を、見事に受け止めてみせたのだ。といっても二撃目は受け止めきれずに再びぶっ飛ばされていったのだが………。
「そうしてくれ。文句があるなら朱錐に言えと宣言しておいた。そのうち」
ドタドタと足音が響いたかと思えば、件の第一軍長がさっそく姿を現した。
「朱錐ツ! 貴様俺の軍から目ぼしい奴ばかり引き抜きやがっていい度胸だな。 こっちにこいッ!!」
当たり前だが、録嗚未怒り心頭である。
「がんばってこい」
虎豹は手をひらひらさせると非常に気楽に朱錐を生贄とした。
「………」
朱錐は無言で恨みがましい視線をぶつけると、あきらめたよう部屋をあとにした。朱錐が去り、沈黙が支配する一室で声を発したのは、玄象であった。
「姉さん。いまのは酷いと思うんだけど」
「いいんだよ 玄象。あの二人はいつもあんな感じだから」
「そう、なの?」
その視線はこの場にいる馮、濯、洪に向けられたが、虎豹の視線に気づくと沈黙を貫いた。
「な、みんな納得してるから何も言わないよ」
「そうなの、かなぁ」
ところかわって、修練場では録嗚未と対峙する朱錐の姿があった。
録嗚未、隆国、鱗坊、干央、同金に続いて、第6軍長朱錐が誕生。
副長には虎豹。
副長付きには玄象。
側近馮、濯、洪。
昭王時代、昌文君は将軍位に付いていたのだろうか?という疑問が生じたため探してみたけど、表記は見つからない。ので、将軍位には付いていたことにします。将軍の位は持っているけど単独機動をする特殊部隊という特性上、将軍という呼称よりも生粋の武人や英傑という表現をされるようになったということにします。