「一度矛を置いて出直してきなさい」
朱錐は昌文君が文官としての道を歩む決断をしたことで、副官の任を解かれて王騎の下へ送り出された。けれど、王騎は今の迷いを抱えたままの朱錐では、すぐに死ぬだけだと任には付かせなかった。
朱錐は、その言に従って鬼の面を外すと、軍務から完全に離れて一人、旅を始めた。
「といっても、行く当てがあるわけでもない。一度この国を巡ってみるのもいいかもしれないな」
ふと口にした言葉に沿うように、時に人の往来が盛んな街道を通り、時に人の気配がそぼろな獣道を歩き、時に踏み入る人など皆無であろう辺境を探索した。
往来のある街道は、多くの商人や作物を運ぶ荷車が所狭しと目的地に向けて走り、明るい話題が胸に染みた。翻って人の気配がそぼろな獣道では、民草の暖かさを踏みにじる輩との遭遇に心を痛めた。そして、踏み入る人がいない辺境には、心打たれる自然の営みに人の小ささを知った。
そして、今は、灯りを頼りに近づいた集落にて、民草の暖かさを踏みにじる輩、野盗と対峙していた。
山間にある小さな集落を襲った野盗は、住民を皆殺しにするとそこで酒宴を開いて、戦利品を誇らしげに掲げていた。
「素直に出すもんをださねぇから、こいつらは殺した」
十人程度を従えた野盗の頭は、集落の住民が必死にためていたであろう食料をむさぼりながら吐き捨てた。
「………そうか」
「こんなところに何しにきたかは知らねぇが、俺様は今、気分がいい。持ってるもんを全部おいていけば命だけは助けてやる」
「奪うことにためらいはないのか」
「あん?この俺と問答でもしようってのか。ハンっ いいだろう。答えてやる。答えは、ない。だ。強い奴が弱い奴から奪い取る。どこでもやってんだろうが。国から奪われるか、俺様から奪われるかの違いだけだろうが」
「少なくても国は民を守っている」
「馬鹿かてめぇ。そういうのは、ちゃんとした野郎がいる所だけに決まってんだろうが。現に俺達はそういうやつらから奪われたんだよ。 ………ッチ 他所者になに話してんだ俺は」
「誰にだ」
「誰じゃねぇんだよ。御貴族様に役人どもの気分一つで俺達みたいなのが生まれてるんだよ」
「そうか………。投降するつもりはないか」
「捕まれば縛り首になることくらい知ってる。もういい。この野郎をバラしちまえ」
野盗の頭の言葉で周囲いた男たちは手に持っている錆びた剣や槍、鍬などを持って一斉に朱錐へと襲い掛かった。
「やむを得ない、か」
愛用の棍棒は信頼できる者に預けてあるため、護身用に持ち歩いていた木製の槍で襲い掛かったものを叩き伏せた。朱錐の放った一撃は重く、先頭にいた男が地に埋まるように叩きつけれて動かなくなったことで、彼らは怯みを立ち止まった。一人、野盗の頭のみがその様子を冷静に見つめながら言葉を吐いた。
「ッハ こんな山奥でてめえみたいな化け物に遭遇するとは、俺の運もつきたようだな」
「投降するなら殺しはしない」
「結果は同じだろうが。おい 孟。お前は餓鬼どもの面倒を見ろ」
その声に奥の大木の影に隠れていた少年が顔を出すと走り去っていった。
「あの子はなんだ」
「戯れに拾った孤児だ。まさか野盗に育てられた子どもまで殺すとはいわねぇよなぁ」
「確約はできないな」
「正直なことで。まあだから信用ができるともいうが………。さて、野郎どもこいつを殺さねえと俺たちに明日はねぇぞ。おらッ 殺るぞ野郎どもっ」
その言葉に戦意を取り戻した男たちは、再び朱錐へと殺到していく。けれど、数にものを言わせてただ突っ込んでくるだけの農民あがりの野盗に負ける道理もなく全員が叩きのめされた。
「全員あの世送りとは、容赦がないねぇ、ああ?この野郎」
「………」
「難儀なやつだな。縛り首になるくらいなら、一瞬であの世へってか。だが、この俺様はそうはいかないぜ」
野盗の頭は腰に携えていた剣を取りだすと構えた。
「その槍、ただの木製の槍じゃないんだろう。ああ、そうだ冥途の見上げにあんたの名を聞かせてもらっていいか」
「朱錐という」
朱錐はそう言葉を発すると、近くに落ちていた集落の家に飾られていたであろう魔除けの面を手に取った。
「あん?魔よけの面なんかとってどう…す……」
男はなにかに気付いたように驚き、そして納得したような表情をした。
「お前が秦国の鬼面の朱錐か。あの介子坊と打ち合って生き残ったっていう」
「ただ打ち合っただけだ。噂になるような話でないに、詳しいな」
「そりゃそうだ。俺はもとは趙の人間だからな。糞にちょっと諫言しただけで、家族は皆殺し、運よく……いや悪くか。外にでていた俺は追っ手に追われてこのざまだ。所詮この世には奪うか奪われるかしかないって悟ったね」
「承知した。もう何も言うまい」
朱錐は魔除けの面で顔を隠して構えた。その瞬間から放たれた威に、野盗の頭から全身の汗が噴き出した。
「やべえなおめえ。だが、行かずとも死ぬなら行くしかないわなぁあああっ」
覚悟を決めた特攻は己のすべてを込めた上段からの振り下ろしであった。
朱錐は、それを槍の横腹で受け止め、同時に剣を跳ね挙げて体勢を崩すと躰を回転。渾身の力で突きを放っていた。
「がハっ 悪かねぇ、な」
朱錐の膂力で突かれた槍は男を貫き、絶命させた。