河了貂は信や政たちともに歩んでいくために、羌瘣からの推薦をもととして、軍師になるべく昌平君が携わる秦国随一の軍師育成機関にきていた。
「なぜ蚩尤ではなく、あなたがここにいるのですか」
まずはじめに口を開いたのは、奥に座っていた三人のうちの一人、蒙毅という少年であった。
「おれが羌瘣に頼んだ。それでこれを渡せって」
河了貂は懐から書状を取りだすと案内についていた者に手渡した。「拝見します」と書状を開くと、独特な字体に首をひねりながらも、「読み上げよ」という昌平君の言葉に従った。
「天才を送る故軍師に育てよ。その者になにかあれば殺しに行く。その者の名は河了貂也」
およそ推薦状とも紹介状とも呼べぬ内容に、この場にいる軍師を目指す者たちは憤懣やるかたないままに怒りの声を挙げた。が、昌平君は河了貂という名に覚えがあり「蒙毅、隣の部屋をその子に」入寮を許可した。
さらに、河了貂が「あと、蔡沢っていう人いる?」と声をだすと「蔡沢様になんという口の利き方かっ」と怒鳴る者もいたが、当の本人は「童よ、儂に何か用かの」と問うた。河了貂は懐からもう一枚の封書を取り出すと、それを蔡沢に渡すように案内に託した。
「さて、中身はなんであろうかの」
蔡沢は品定めするように中身を改めたると「ヒョッヒョッヒョッ」笑い、昌平君に一言だけ告げた。
「童は大事に扱え。でなければ鬼がきよるわい」
愉快気な蔡沢に昌平君は物珍しものを見るように言葉を返した。
「鬼、ですか」
「ああ、ああ、そうじゃ。あれは鬼じゃよ ヒョッヒョッヒョッ」
それ以上は何かを話すような素振りを見せない蔡沢。
「ふむ。蒙毅」
「はい。先生。言われずとも承知しています」
これにて、この場はお開きとなった。一人部屋と戻った昌平君は、先程の蔡沢の言葉の意味を吟味していた。
「蔡沢様があのような申し入れをされることは、珍しい。鬼とは何かの隠語であろうか」
鬼にまつわる何かしらの出来事を思考してしばらく、ふといつ頃からだったか、魔除けとして鬼の面が流通し始めたことに思い至った。
「地方発祥の民間宗教の一つであろうと気にもとめなかった事柄ではあるが、蔡沢様が仰られるくらいならば、なにかあるのか」
その頃、河了貂は、自室となる部屋に案内役となった蒙毅とともにいた。
「ここが河了貂、君の部屋になる僕の隣の部屋だ。何か聞いておきたいことはあるかな」
河了貂は大人ばかりがいるこの育成機関のなかで、歳の近い蒙毅に少し親近感を持ち始めていた。
「いや、いまはべつになにもにない、かな」
「まあなにかあったら隣にいるから気軽に寄ってくれればいいよ。それじゃ僕の方から一つ。大王側の君がなぜここに?」
蒙毅からは先ほどまであった親しみのある表情は消え失せ、河了貂の一挙手一投足を見逃さないとばかりに静かに見据えた。
「!? な、なんでそれをっ」
「僕たちを舐めないでほしい。それくらいは承知の上さ。大王様を逃がした黒卑村の河了貂。それと、今握っている吹き矢なら僕には当たらないからあきらめた方が良いよ」
河了貂は自身のことがここまでバレていることに、焦りを覚えると、それでも隙あらばと吹き矢を強く握りしめた。対して蒙毅はそんな河了貂をここまでじっくりと観察して早々に結論をだした。
「うん。やっぱり君は何も知らずに此処にきてしまったようだね」
と言葉を発すると、張り詰めていた空気を霧散させると「ああ、大丈夫。危害は加えるようなことはないよ」と続けた。
河了貂はその言葉に自分が試されていたことを知った。
「ごめんね。こちらにも事情があるからそこは割り切ってほしい。でも軍師になりたいのなら、ここに来たことは正解だよ。ここはそういう場所としては、秦国一だからね。先生は、先ほど壇上の中心にいた昌平君で、軍司令でもあられるお方なのだから」
河了貂は「でも、四柱なんだろ」と中央にいた整った顔立ちで艶のある長い髪した偉丈夫を思い浮かべた。
「先生は確かに呂丞相の四柱であらせられるが、ここはそういった公務とは完全に別。純粋に軍師を目指すものたちの集まりさ。さて、そろそろいいかな。河了貂。僕の新しい兄弟弟子。いや妹弟子かな」
「なっ!」
「仕草を見れば分かるさ。そうだ。最後に一つ聴きたいんだけど、蔡沢様に渡した封書はだれからもらったのかな。ああ、無理にとは言わないよ」
「………、文官のスイって人から」
蒙毅は「文官のスイ?」と河了貂からでたスイなる人物を脳内で探してはみたものの、該当する文官はいなかった。「まあ、おいおいでいいか」と中断すると声を掛けた。
「ようこそ昌平君の軍師学校へ。河了貂。僕は蒙毅という。よろしくね」
ところ変わって、王騎が治める城塞都市。その中、大浴場では、王騎を含めた王騎軍中の者たちとともに、湯船につかる信と壁より信との連絡係として遣わされた淵のすがたあった。
「ココココ いきなりきて、この私に修行を付けてほしいだなんて浅慮がすぎますよ 童信」
王騎は、信を見据えるとやんわりと否と回答した。
「そうだ。失せろガキが。将軍は貴様の相手をするほどお暇ではないのだ。それに昌文君がいるだろうが、お前には昌文君がよぉ」
と録嗚未が何考えてんだこのガキはとばかりに捲し立てた。
「昌文君のおっさんじゃだめだ。俺は天下の大将軍に稽古をつけてほしいんだ」
「「「……………」」」
たかだが百人将に上がっただけの十四、五の少年が、ちょこっと話したことがあるだけの天下の大将軍の居城にまで上がり込んで、稽古をつけてほしいと言い放つ傍若無人ぷりに、一同が唖然するのも無理はなかった。
当然正気に戻った王騎軍中の者は「駄々こねてんじゃねぇ」「調子に乗ってじゃねえぞ」「失せろ餓鬼が」と騒がしくなった。
「おバカは一度死なないと治らないようですねぇ。いいでしょう。支度をしたら午後から私についてきなさい」
宣言通りに王騎は、午後になると信たちを連れてとある場所へとむかっていた。
「そういえば、李豹ってやつがいなかったけど、どこにいるんだ」
「李豹なら朱錐さんのもとで指揮を学んでいる頃でしょうかね。ねぇ騰」
「ハッ 光るものがありますので、磨けばよい指揮官となれるでしょう」
「ッチ 俺だって学んで一気に将軍になってやるぜ」
王騎は「ココココ」と笑うと「まったく、威勢だけは将軍級ですね」と言葉を吐く。すると「ハッ 威勢だけは大将軍級です」と騰は続けた。
そうこうするうちに目的地に着くと、王騎は信にその覚悟を問うた。それに対して信は「どんな過酷な修行でも乗り越えてみせる」と意気込みを語って見せた。その言葉を聞いた王騎は「そうですか」理解したと頷くと、横のそびえていた崖から信を蹴り落とした。当たり前だが、下が地面なら即死であろうが、ちょうど川の浸水の深いところに落ちたことで大怪我を免れていた。信と一緒にきていた淵は王騎に抗議するが、「今、童信が立っている場所こそが修行の地である」と告げた。
そこは、戦乱の続く中華の中で逃げる場所を失ったものたちが集まり、狭い覇権を狙って争い続けている超小国家群が割拠している地であった。
「中華最強の大将軍を目指すのなら、まずはこの地を平定してみせよ」
王騎流の過酷な修行はこうしてはじまりを告げた。信はここで費やした時間の分だけ、少数による戦い方を学ぶのであった。
時を同じくして、朱錐隊では元いた二千の兵に加えて、さらに千名を新たに募り、その訓練に勤しんでいた。
「ここにきてさらに増員せよとは、穏やかではないな」
「ああ そうだな。戦の気配があるのしれないな」
第6軍長朱錐と副官虎豹は練兵の風景を眺めながら、先のことを考えていた。
「新しく加わった千名に関して李豹と玄象に任せてよかったのか」
「大将軍になるというのだ。李豹にはそれくらいはやってもらわないとな。玄象に関しては申し入れがあったので補佐に付けることにした。まあ濯と洪が脇を固めているから問題はないだろう」
「それなら安心だな。ところで馮はどうしたんだ」
「馮には、前回の募兵で集まった攻を司る九百名に戦の術を叩きこませているところになる。残りの者たちには私がこれから守を叩きこむ予定をしている」
馮、濯、洪はそれぞれ、朱錐と同じく元昌文君隊の烈士で戦歴も長く、戦を良く知る者たちである。
「朱錐が叩きこむのか………」
虎豹は、朱錐が行う守の訓練を浮かべて、苦笑いをした。文字通り、朱錐が叩き込むのだから、盾を持った人が空を飛ぶ光景が拡がることだろう。
「虎豹には全体の指揮をお願いしたい。精兵五百を使って全体の調練の底上げを図ってもらいたい」
こうして、朱錐隊は三千人の部隊となった。
大まかな内訳としては、主に攻を司る者が千五百、どちらもこなせる者が千、守を司るものが五百となった。