趙将万極は、対峙している一軍を殲滅するために守備陣形に歪をうませて狩場に誘い込もうとしていた。
「か、狩場にて、敵がは、はいったらほ、包囲を解いて、しゅ、周辺の兵をあ、集めよ」
万極は罠を張ったうえで、すでに倍近い兵数の差あれど、念には念を入れて増員する判断を下した。そうしているうちに、対峙している一軍が全軍で突撃してくる姿を確認した。
「よ、よし。て、手筈通りに、しろ」
趙軍は、あたかも突撃に崩されたように隊列を割って、一軍を目的の場所まで誘導した。秦軍が突破したと勘違いさせた先には、守備大隊が現れて脚を止めさせた。
「よ、よくきた。秦の犬ども、よ。し、屍をさ、さらすがい、い」
一方その頃、その様子を身を隠して山を下りて付近まできていた羌瘣は、悪態をついていた。
「あの軍の将は馬鹿なのか。この数の差で無策に突撃するなんて無謀すぎる」
羌瘣の言はもっともであり、奇襲をするわけでもなくおよそ五千に三千に満たない数で突撃しており、さらには山を包囲している兵はその倍はくだらないからだ。
「どうすれば。私があそこにいる趙将を無理にでも討つべきか。けど呼吸が持つかの賭けになる………」
羌瘣は冷静に自身状態と五千の指揮を執っている将との距離を測って先に討てるかどうかを思案していた。
「きょ、羌瘣。や、やっぱり無茶だったんだよ。ふ、麓の軍の突撃に併せて脱出するなんて」
「うるさいだまれ。あの将がもう少しまともなら機会はあったんだ」
麓の一軍を突撃させたまともじゃないと評された朱錐は、敵の狩場に入ると冷静に号令をかけていた。
「円陣を組め。敵の侵入を許せば一気に瓦解するぞッ」
盾隊を円状に展開させその後ろに弩兵、槍兵と配置させた。
「来るぞ。弩兵構え、盾用意。射ッ」
趙軍は前後左右から突撃を開始した。
「秦兵を殺せぇぇえッ」
趙兵は狩場に嵌った愚かな秦兵を勢いのまま討ち取るために、我先に突撃していた。が、突然秦前列の盾が斜に傾くと弩兵が現れて、一斉に矢を撃ちだした。
「構うなッ 弩兵はすぐに二射目は撃てない。敵は少数であるぞ討ち取れぇぇえ」
趙軍は弩兵により前列の多くが倒されたと言えど、二射目を撃ちだす隙をあたえないように屍を踏み越えていった。
「見よ、弩兵が下がった、ぞ」
その時、趙兵は頭上から自身に向かって飛来した槍を目視して、絶命した。
屍を踏み越えた前列が秦軍の盾隊と衝突した直後、押しつぶせとばかりに詰め寄った後方部隊には、手槍が投げ込まれていた。こうなると中心に密集するように突撃をしていることがアダとなり、趙軍は、投げられた槍に面白いように突き刺されていった。
「怯むなッ 無数に槍があるわけがない。構わず突撃を続けよ」
だが、槍は途切れることなく勢いを殺すように絶妙な間で投げられ続けた。前列は秦軍盾隊を突破しようともみくちゃになりながらも押し込もうとして、かたや突撃を支援するはずの後方部隊は降り注ぐ槍に、躊躇する兵の姿が見られるようになっていた。また、敵中央から甲高い音が響くたびに、部隊指揮者付近の護衛の躰が鎧ごと穿たれる事態に、指揮者の動きも鈍り始めていた。
「あ、慌てるな。じ、じっくりとせ、攻めたて、ろ」
万極は予想外の反撃にも冷静に、敵一軍の包囲とともに付近に配置していた兵も集結させて、攻勢にでる時期を窺っていた。
「て、敵のしゅ、守備は堅い。が包囲したわ、我らのゆ、優位はゆ、ゆるがない。やつらのめ、命運はき、決まってい、る」
そして、ついにその時はやってきた。飛来していた槍が途切れたのだ。万極はこの機を逃さずに全軍に攻勢にでるように号令を発した。
「お、圧し潰せッ」
羌瘣は敵将を討つにはこの機しかないと判断して「私が行く。他は隠れていろ」と言葉を残すと、万極に単身で向かった。羌瘣は自身の存在に気付かれる前にすこしでも先に進むため、他には目もくれずに直走った。
「なに、も………」
羌瘣はそのまま直線上にいた趙兵に、誰何する暇を与えずに首を刎ねていく。だが、敵将の姿がはっきりするほどに、趙兵の密度も上がっていく。それはつまり
「し、侵入者だぁああ。万極様をお守りしろッ」
当然のように気づかれることになった。
「ッチ」 と羌瘣は小さく舌打ちしながら、すぐさま今はいる場所から趙将の位置までを逆算しても、己の巫舞で届く距離とは言い難かった。
「トーン タンタン」「トーン タンタン」
だが、羌瘣は考えている暇はないと判断して、賭けに出た。
「トーン タンタン」「トーン タンタン」
拍を刻みながら趙将に迫る羌瘣。
「トーン タンタン」「トーン タンタン」
遮る趙兵の首を一瞬にして刎ねていく。
「トーン タンタン」「トーン タンタン」
そして、趙将万極にあと一歩と迫ったところで、呼吸が限界を迎えた。
「トーン タンタ ぐふッ」
趙兵は、飛ぶように舞っていた正体不明の侵入者が突如地に膝をついたことで、その姿を視認すると一気に群がっていった。
「妙な動きをする前にそやつを仕留めよッ」
羌瘣は群がる敵兵の隙間に見えた万極に向けて呼吸を振り絞り拍をとった。
「まだうごけ、る」
手前いた趙兵を刎ねるとさらに万極に向けて剣を振り切った。
しかし「ま、万極様ッ」と、身を挺して万極を馬から押し落とすように被さった側近が代わりに剣を受けたことで羌瘣の奇襲は失敗に終わった。
羌瘣はそのまま地に落ちると地に伏せ、立ち上がることすらできなくなっていた。動かなくなったとはいえ、容易に近づくことが躊躇われた。そこに落馬したものの、軽傷で済んだ万極が立ち上がると命令した。
「き、切り刻んでこ、ころせ」
万極が位置する場所から山頂に目を向けると、そこには、虎豹たち精鋭三百の姿があった。
「悪くない。何かあったかはわからないが後方の陣形が乱れたままだ」
そこから戦況の全体を見渡した虎豹は号令を発した。
「今より趙将万極の首を獲る。全軍突撃だッ」
虎豹率いる騎馬隊は高所の理を存分に発揮して、万極軍後方の乱れた守備陣形を一気に切り裂いていく。すでに羌瘣の決死の突撃によって綻びが生まれていたことも味方していた。
対して、万極は先の羌瘣の襲撃により警戒心が増しており、この状況こそが己を討ち取るためのものであると瞬時に察すると脱出を試みた。
「に、逃げる、ぞ。う、馬だ」
万極は倒れ伏している羌瘣を無視して馬に跨ると、正面から向かって右に馬を走らせた。
「や、やつらはひ、左からし、少数で、侵入し、た。すでにあ、穴は塞がれてい、る。こちら敵はい、いない」
虎豹は駆け出した趙将を追うように馬首をそちらに向けたが、万極が念を入れて集めていた軍が壁となり追撃の速度を緩めざるをえなかった。
「ック さすがに鋭いな。象ッ」
「行ってみるけど、期待しな………なッ。嘘。ッごめん、姉さん」
玄象は視界の隅に移った倒れ伏す見慣れた羌族の衣装に目を奪われていた。そして、追撃部隊から離れると倒れ伏している妹の姿を確認した。
「瘣。あんたなんでこんなところに………」
そうして玄象は、倒れ伏す羌瘣を護るようにその場から動かずに佇んでいた。
一方、虎豹は玄象の離脱によって万極を討ち取ることが困難であると即座に判断すると、追撃を断念。そこから、朱錐たちを包囲していたために、退却の銅鑼に遅れて下がる趙兵の殲滅に切り替えた。
「趙将万極はすでに恐れをなして逃げたした。残りは烏合の衆だ。殲滅しろッ」
虎豹の檄に応えるように、精兵三百は敵を大いに討った。また、守勢に回っていた朱錐は、趙軍の退却する方角を確認すると、その反対側の盾を退かせて武器を振るって道を拓いた。
「こちら側から追撃に入るぞ。皆の者続けッ」
朱錐はまず反対側をこじ開けることで、趙兵の背後をとると追撃に入らせた。
その結果、朱錐は二百ほどの損失に対して、趙軍には千を超える損害を与えることに成功した。