「さあ、反抗の機です。今こそ力のすべてをこの王騎に託して付き従いなさい」
王騎は、敵軍が陣容を変形させる隙を逃さなかった。敢えて、自軍の守陣を崩しながら敵陣容に流れを作り出すと、李牧による後方の陣容変更の流れに戸惑い薄くなった継ぎ目を見極めると、力技での突撃を敢行した。
一方、その守陣を指揮していた朱錐は、重装盾隊を端から控えさせていた騎馬隊に同乗させると、退かせる間を稼ぐために奮戦していた。
「李豹は退避する部隊を掩護をッ 馮隊は私とともに殿だ」
「アレの相手は良いのか」
馮の視線の先には沈黙した龐煖の姿があった。
「動かないのならば、好都合。馮、今なら奴に一撃を入れるぞ」
会話の最中も薙ぎ払われる棍棒に鎧を砕かれ、吹き飛ばれていく趙兵たちと
「真っ二つになる先しか見えんわ」
と近づいてきた趙兵を矛で確実に仕留める馮の姿があった。
「何かは判らないが、己と向き合っているのではないか」
龐煖は、幾度かの突破を図ろうとしたのちに、構えを解いて動きを止めると、立ち尽くしていた。
「戦場でなにしてんだよ………」
「実際の所はわからんさ。さあ、今の内に逃げるとしようか」
朱錐たちは李豹たちの退避を見届けると馬首を翻して退却を開始した。
「敵増援が現れました。その数三千から四千ッ」
物見からの報告を受けた李牧は、敵の狙いを読み解きながら言葉を発した。
「想定より少ない………。騎馬のみで先行しましたか、賢明ですね」
敵騎馬隊を戦場から締め出すために出した三千の追撃部隊の奮戦もあり、ここにきて趙軍に時間的な猶予を齎していた。
「結果的にですが、先に出した追撃部隊に時間を取られたようですね。代償はありましたが、七割方の準備が叶いました」
李牧が口にした代償とは王騎本軍のことであった。
「示し合わせるとまではいかなかったようですが、こちらが動けない隙を見事に突かれました」
当初、李牧は、王騎本軍は守勢を堅持させたまま、徐々にだが、確実に削り取る計画であった。しかし、敵増援の影を掴んだことで、早急に全体図を書き換える必要に迫られていた。そのため、王騎本軍と当たる前線は維持したままで、中盤から後方部隊のみで隊列の変更が行われていた。だが、急な陣容の変更は、本陣に近いほど早く完遂され、遠くなるほど、その動きは緩慢になっていく。前線と中盤の継ぎ目となる箇所では特に顕著であり、王騎はそこを正確に突いていた。
つまり、李牧が言葉にした代償とは、趙本陣が一時的に指揮不全に陥ったことで、王騎本軍によって崩される部隊を取り繕うことができずに守勢から攻勢に出られたことであった。
「こちらに向かっているようですが、如何いたしますか」
「向かってくるのなら迎え撃つまでです。カイネ、抜かれた部隊は無理には追わせず、蓋をするよう伝えてください」
「李牧殿。それでは敵増援と挟撃される形になりませぬか」
「その通りです。今の段階では、中盤に至るまでは陣形が整っていないため抜かれるのは、この際、致し方ありません。ですが、それ以降にぬかりはありません。ここで圧殺します。魏加殿は王騎の隙を作っていただきたい」
「なるほど、任されよう」
李牧は最後に龐煖のここまでの動向について尋ねたが、「沈黙して佇んでいる」と返答を受けると「………矛盾ですね。陥りましたか」とこぼした。そして、しばし思考を重ねると言葉を発した。
「龐煖はそのままで構いません。問題は王騎です。どこからこちらの存在に気付いて、この増援を仕込んでいたのかはわかりませんが、ここで討つという目的に変わりはありません。まずは敵増援を受け止めます。それまでは、王騎の足止めを行います。北真(ホクシン)、北歴(ホクレキ)、関斗(カント)を要の配置に付けてください。侵入してきたら動きに併せて分断します」
カイネは李牧の言葉を理解すると驚くように口を開いた。
「待ってください、李牧様。いまからでは間に合わないのではないですか」
李牧はカイネの言葉は正しいと頷き肯定しながらも、本当の目的はそこではないと告げた。
「完全である必要はありません。その先に大きな『策』があると匂わせるだけで十分です」
「匂わせる、ですか」
「ええ、それだけで王騎は足を緩ませざるを得ない」
その頃、王騎は力技でこじ開けた道の先頭を駆けていた。
「どうやら、ここから先は易々と行かせてはくださらないようですねぇ」
先程までのどこか曖昧な動きをしていた敵とはことなり、はっきりとした意思を持っていることが遠目からでも窺い知れた。それでもさらに、少し踏み入れると、こちらを誘い絡めとるよなねっとりとした気配を漂わせはじめたことで、警戒心を嫌でも刺激されることになった。
王騎が軍の脚を緩めると、すでに突撃して崩してきた後方の陣形は修復されて、容易には抜け出せなくなっていた。
「やりますねぇ。この私が先手を取られ続けています。ンフフ。ですが、私に気を取らてばかりではあっと言う間に貫かれますよ」
「これより敵本陣に突撃を開始する。全軍ッ 私に続けッ」
騰騎馬隊を追っていた敵兵を蹴散した虎豹率いる四千は、勢いそのままに突撃を開始した。
「騰は王騎様のもとに、私はこの戦いを描いた者の顔を見に行く」
「ご武運を………摎様」
周りの者に聞こえないほどの声色でそう告げた騰に、虎豹は仮面の奥で笑みを浮かべた。
「ッフ。私は虎豹だ、騰。王騎様のこと、頼んだぞ」
「ハッ」
そして、合流を果たしていた騰騎馬隊は突入後に二手に分かれた。
「り、李牧様」
焦るように声を出したのはカイネであった。
「ッ、何者ですか、虎豹とは………」
李牧は、この地に増援の可能性があると思い浮かべた時、初日に渉孟、四日目夜には、奇襲により万国を狙った虎豹が現れると読んでいた。というのも、五日目朝から、この戦の最中に二度も決定的な役割を担った者の姿が一度も確認されていなかったことからである。そこで、李牧は彼の者の武に疑う余地はないことを想定した上で、他国の大将軍級の攻勢であろうとも十分に受け止められる陣容を整えていた。
だが、虎豹はその予測をはるかに上回り、整えられた陣容を切り裂き続けた。
虎豹は李牧が配した要となる守将や部隊を瞬時に見極めると、隊を小出しに走れせて排除、或いは隊列に亀裂を入れて乱しては、的確に突いて瓦解させていた。
「李牧様は後方にお下がり下さい。私たちが時間を稼ぎます」
「それはできません。この本陣を下げては、大きな策がないことを王騎に見抜かれます。それでは、挟撃を受ける羽目になりかねません。そうなるくらいならば、ここに留まり迎え撃つべきです」
「ですが李牧様ーーー」
カイネはなんとか李牧だけでもと説得を続けようとしたが、刻がそれを許さなかった。
「来ますよ。カイネ」
虎の面を付けた将は、最後の守陣を貫いたあと、静かに趙指揮官を見据えた。
「虎豹だ。貴殿がこの軍の指揮官で相違ないな」
「李牧です。まだあなたのような勇将が控えていたとは、思いもよりませんでしたよ」
「今は時間がおしい。その首もらい受ける」
李牧はどのような言葉をもってしてもこの状況からは逃れられないと覚悟を決めると「致し方ありませんね」と呟き、佩いていた剣を抜くと構えた。
「あなたに私を討てますか」
ここに、趙三大天李牧と第六軍副官虎豹が激突した。
二人が激しい剣戟を交わしはじめた横でも、一つの戦いが始まろうとしていた。
「り、李牧様ッ 今行きます」
カイネは少しでも李牧の力になりたいと剣戟を交わす二人と距離を詰めようとした、が
「そうはさせないよ」
言葉を示すように、カイネの前に立ちふさがる影が一つ。
「ック そこをどけ、女ッ」
カイネの目には、女の肩越しに映る李牧と虎豹の剣戟に、技量の差は感じられなかった。
「お前も女だろうが。玄象という。お前は?」
「ツ、カイネだ」
「李牧とかいう奴を助けに行きたいなら、私を倒すんだな」
玄象の挑発を交えた言葉に、焦りの隠せないカイネは双剣を抜くと構えた。
「誰であっても私の邪魔をするなら斬るぞッ」
「はっきり言ってやる。お前に私は斬れないよ」
こうして、側近同士、女同士の剣戟が開始された。