彼の者の盾はどこへ向かうのか。   作:mukurobone

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幕間 夫婦と姉妹になります。


幕間 夫婦と姉妹

「私は朱錐殿の使いの者です。これを夏様にお渡し頂きたい」

 

虎の面を被った武官風の者は、懐から取り出した書簡を二人いる門兵の一人に手渡した。

「しばしの間、お待ちください」

書簡を受け取った門兵の一人は、そう言葉を残すと門の中へと消えた。

 

「咸陽は随分と変ったものだな」

虎の面は辺りを見渡すと言葉をこぼした。

「あなたにとってはそうかもしれませんねぇ」

言葉を返したのは龍の面を被った大きな漢であった。

「………あっという間のようで、そうでもなかったようにも感じます」

「十年です。短いはずはありませんよ。それに、あなたも私も随分と立場が変わっていますでしょうに」

と応えて「ココココ」と笑った。

「フフ 確かにそうですね」

門兵の一人は、二人の和やかな会話に聞き耳を立てながらも、龍の面の漢を知っているような、そんな既視感を覚えていた。

 

そこで怪しまれないように二人に対して「名をお聞きしてもよろしいでしょうか」と声を掛けた。

 

「ん?私は、朱錐の副官の虎豹だ。こちらは、作戦参謀の青騎になる。それがどうかしたのか」

門兵は「虎豹殿に青騎殿ですか」とこぼすと真意を話した。

「いえ、申し訳ありません。青騎殿とどこかでお会いしたような気がしましたので、お伺いさせて頂きました」

「おや。ンフフ それは残念でしたねぇ。私は咸陽にはめったに訪れませんので、人違いでしょう。ついでなので私からも一つーーー」

と、王騎は疑問に感じていたことを尋ねようとしてたが、書簡を渡した門兵が戻って声を掛けたことで中断を余儀なくされた。

 

「夏様はお会いになられます。私の後に続いて下さい」

 

そうして二人は、門の中に踏み入れることになったのだが、屋敷の内にも複数の兵の姿があり、ある種の物々しさすら感じさせてた。

 

兵から屋敷の者に取り次ぎが行われると「こちらでお待ちください」と一室に案内された二人。しばしの刻のあと、昌文君の妻である夏が姿をみせた。

 

「朱錐殿の使いで参りました虎豹と申します。こちらは、青騎です」

夏は拱手をする二人の様子を眺めると笑みを浮かべて言葉を発した。

「ウフフ 虎豹殿に青騎殿ね。皆は出て頂戴。私は彼らと重要な話がありますので」

その言葉に慌てたように声を掛けたのは、夏の後ろに控えていた護衛の一人であった。

「お待ちください。我々は護衛として夏様お一人だけにするわけにはいーーー」

という言を、夏は予想していたかのように言葉を被せた。

「あら、それじゃぁ 孟には残ってもらうわ。それでいいわね」

「ハッ 失礼致しました」

と孟を残して他の者が退出すると、部屋に夏と護衛の孟、それに、虎豹と青騎になった。

 

「離れに移動しましょう。孟、許可あるまで誰も近づけないように徹底して頂戴」

 

「ハッ 周知させます」

 

虎豹と青騎は夏に連れられるままに屋敷の離れに移動した。

 

「さて、と。もういいんじゃない」

と、夏の視線は虎豹の瞳をまっすぐに射抜いていた。

 

「フフ やっぱりバレてたか」

虎豹は徐に面を外した。

 

「あらあら、ひさしぶりねぇ。キョウちゃん」

 

「フフフ 夏様もお変わりないようで安心しました」

 

夏とキョウの関係は、王騎とキョウが結ばれたことで生まれていた。摎とキョウの繋がりは極一部の者しかしらないことであり、さらには、キョウには家の者と呼べる身内がいなかった。そのため、キョウは夫人という立場への理解は乏しいのではないか、と心配していたじいこと昌文君のお節介により、夏とキョウの交流は始まることになった。

 

「それに王騎様も朱錐ちゃんみたいに面を被ってどうなされたのかしら」

「ンフフ 流石ですねぇ」

と青騎も仮面を外すと「随分と妻が世話になったようで、感謝申し上げます、夫人」と声を掛けた。

「ウフフ 私にとってキョウちゃんは娘みたなものよ。私は娘のお世話をしただけ、楽しかったわ」

「夏様………」

 

「ほら、こっちにきなさい」

と夏はキョウをやさしく抱擁した。

 

「ウフフ 懐かしいわ。朱錐ちゃんにも小さい頃はよくこうしてあげていたわね」

「フフ 朱錐にですか」

「そうよ。手のかからない子だったけど、ずっと鍛錬を続けるような無茶をするから、こうでもしてやめさせないといけなかったの」

 

「「ウフフ」「フフ」」

 

と二人がほほ笑み合う姿を王騎はしばし眺めたあと、声を掛けた。

 

「夫人。一つお聞きしたいことがあります。門兵を含めて随分と屈強な者たちが多く配置されているようですが、なにか、不穏なことでも」

 

「あら、そうじゃないのよ。いつだったかしら、朱錐ちゃんから提案があったそうなの。大王様の万が一に備えておくべきではないですか、って」

 

夏は大王暗殺事件があった当時のことを簡潔に話した。

 

「確かに、その通りですねぇ」

王騎自身も王弟成蟜と丞相竭氏の乱の際に、昌文君の私兵と一戦を交えていたこともあって、実情はよく理解していた。

 

「今は外にいる孟を中心に、朱錐ちゃんが見込んだ者が百人位かしら」

 

「朱錐が見込んだ者………、王騎様、それって」

「なるほど、錐の調練の姿を浮かべれば察しはつきますねぇ」

 

奇しくも、二人が浮かべた兵士像は一致していたという。

 

 

舞台は変わり、同日の夜。

咸陽近くの山中には、焚火を囲う二つの影があった。

 

「ほら、焼けたよ。たべな」

差し出された手には、櫛代わりに小枝を刺されたウサギの素焼きがあった。羌瘣はそれを受け取ると、口に運びながら言葉をこぼした。

「………、象姉とこうしていたのが、もう遠い昔のことみたい」

「遠い昔っていうほどでもないだろう。………まあ、オバアと遠出した日が最後だから、それなりには経ってる、か」

「そう。祭の直前だった。でも、単純に楽しかったから良い思い出。………あとの、祭は最悪だったけど」

羌瘣は、その時のことが胸中に浮かんだのか、言葉を綴ると俯いた。

 

祭とは、蚩尤を名乗るにふさわしい者を選りすぐるための儀式であり、その中身とは、現蚩尤の死が確認されるたびに各氏族の代表が二人ずつ集められて行われる殺し合いのことであった。

 

「祭、か。私らの代は、結局、幽連のやつが勝ち残ったんだってね」

 

蚩尤族の名は、それぞれ、族名に名という形であり、羌瘣は、羌族の瘣であり、幽連とは、幽族の連のことである。

 

「そう。幽連。象姉の仇」

「待て、私を勝手に殺すんじゃないよ」

「死んだって聞いたから、仇は仇。………だけど、正直、わからなくなった。何に変えてでも幽連を殺すつもりで里を出たけど、こうして生きてる象姉に再会できたから、気持ちの整理がつかない」

 

「私は生きてるんだから、仇討ちもなにもないだろうが」

 

「わかってる。わかってるけど………」

羌瘣は行き場のない感情を持て余すように言葉を続けた。

「千年の掟なんて不確かなもののために、象姉が殺されたと知ったあの刻を、なかったことになんて私にはできない」

 

「結果をみなよ、結果を。私は生きてる。まあ逃げだしただけなんだけどさ………」

「象姉………」

 

言葉のあとに少し俯いた玄象であったが、顔を上げると意を決したように言葉を発した。

 

「言っとくけど、私はあの時の判断に後悔なんてしてない。生きたかったから、逃げたんだ。それの何が悪いっていうんだ。あと、ついでだから言うけどさ、瘣だってそう。私の仇を討ちたいっていう心意気はうれしくは思うけどさ、自由に生きていいんだぞ。私は、そんなこと望んでない」

「………」

「あんたには言ったことあるけど、私はさ、どうしても、外の世界に踏み出したかったんだ。だから、死にたくなかった。まぁ、さ。里の者からしたら私は許されない存在だろうけど、そんなことは、もうどうでもいいんだ。里がすべてじゃないって知ったからさ。自分はなんてちっぽけな世界に生きてたんだって心底思ったし、そんなもんなんだよ、実際。あんただって蚩尤って名にも羌族の里にも、興味なんてないし、戻りたいとも思ってないだろ」

「思ってない、かな。バアはよくしてくれたけど、あとはどうでもいい」

「識と礼は」

「あっ………忘れてた。あれも一応大事」

「一応って、あんたは、もう………。あえては止めないけどさ、あんたが幽連を討てば、祭はまた始まるってことは頭に入れときな」

 

「わかってる。でも………」

羌瘣はあの日のあげた慟哭の置き場が見つけられずに心を彷徨わせていた。

 

「まぁよく考えなよ。っと、ほら、あんたが変に執着するから焦げちゃったじゃないか」

「………それは象姉のせい」

と羌瘣は焦げていない方の肉を素早く手に取るとかぶりついた。

「あッ、瘣。それは私のだろうが」

「早い者勝ち」

と、澄まし顔の羌瘣に象は呆れを多分に含んだ顔をして言葉を発した。

 

「あんたは食い意地だけははっきりしてるんだから………、他のこともちゃんとやりなよ」

「象姉………、それは負け惜しみ」

「なんだとぉッ」

 

妹の余計な一言は、容易に姉妹喧嘩を勃発させた。

 

けれど、焚火に写し出された二人の影は、じゃれつくように楽し気に揺らめいていた。

 

 


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