秦趙同盟が結ばれたことで、対趙国に向けて配備されていた部隊は、最低限の軍力を残して配置転換がなされていた。
「この同盟で、対魏国戦線に部隊の多くが転地となったようですね」
第六軍軍長を務める朱錐である。
「秦趙同盟か、李牧は思い切ったものだな」
副官虎豹の言葉に応えたのは青騎であった。
「趙には燕という目の敵がいますからねぇ。匈奴を大敗させた今、この機を利用して、そちらの領土を大きく削り取るつもりなのでしょう」
三者は馬首を揃えて、練兵の様子を窺いながらも現況の確認をしていた。その後ろには、朱錐を傍で支えてきた二つの影があった。
「馮………普通に話されているがあれはいいのか」
三者の後ろに控えていた馮に声を掛けたのは濯であった。
「俺にきくなよ」
「けどよ、俺達はどうしたらいいんだ」
青騎の加入に馮と濯の二人が困惑しているのも無理はなった。なぜなら、この状況は朱錐からしても、寝耳に水の事態であったのだから。
加入表明後、当然のように三者での話し合いが行われた結果、青騎は参謀という形に収まることなっていた。
「一武官に立ち戻って戦場を駆けてみたくなりましたので」
と、朱錐に向ける視線に容赦はなかった。
「でも、あまり目立たれるとすぐに目を付けれませんか」
それに虎豹は気づかずに、純粋に他のことを心配していた。
「ええ、虎豹の言はもっともです。ですので、私は裏方に徹しようかと考えています」
と凄みを利かせた笑みを見せてから「そういうことでよろしいですね? 朱錐殿」と言葉を発した青騎の姿に、朱錐は最後まで沈黙で応えたという。
こうして第六軍は、軍長朱錐、副官虎豹、副官付き玄象、そして参謀青騎と相成った。また、秦趙同盟が結ばれたことで、秦の大本営は対魏大戦略に向けて「各将校は兵力を増強せよ」という通達を出すに至り、物資が拠出された。
それにより第六軍は、兵二千を追加、さらに、青騎が新たに発足させた弓騎兵三百を加えて、総勢七千三百となった。
「全軍中より選りすぐりましたが、さすがに三百が限界でしたねぇ」
青騎は、弓騎兵を発足させることを決断すると、元王騎軍中から馬上弓に秀でた者を見つけだして、根こそぎ引き抜いていた。
「人員もそうですが、八千の予定も変更せざるをえませんでしたよ」
朱錐の言葉は、弓騎兵の発足にあたり、馬、弓、鎧と必要物資が増加したことで、残りの七百を増員できなかったことを指していた。
「そう文句は言うな。それ以上の戦果は期待できるのだからな」
養護するように言葉を紡いだのは虎豹であった。その言葉通り、機動力をもった弓兵の存在は、敵軍にとっては大きな脅威となる存在である。ただし、数が揃えられればの話ではあるが。
「間合いの外から攻撃しては、退く。数は少なくとも囮になり、攪乱にも大きな効果が期待できますよ」
別の場所では、いずれ始まる対魏大戦略を内々に知ることことができた若武者たちが、躍動しはじめていた。
飛信隊は、戦場で玉鳳隊の王賁と遭遇したことで、農工夫と貴士族との差を叩きつけられていた。
玉鳳隊は貴士族で構成されており、彼らの騎馬を従えて甲冑を着こなす洗練された姿は、農工夫の自分たちからすれば、憧れるほどに立派な姿であった。この明らかな生まれの差には、意気消沈する隊員が多く存在した。けれど、信は「貴士族だがなんだだかしらねえが、やつらにデカい面させねぇほどの武功を俺達で獲りにいくぞッ」と檄を飛ばすことで隊に闘志を灯すと、誰もが取らないような戦法を用いることで危険な任務を熟し、必死に食らいついて武功を挙げていた。
対する玉鳳隊の王賁は、はっきりと対抗する意思は見せずに、着実に功を積み上げていた。
飛信隊と玉鳳隊の二隊が競うように武功を挙げている頃、別の場所では、大きな武功を挙げる二つの部隊があった。
「へぇ、やるねぇ。全部取るつもりだったけど、向こう側は持っていかれちゃったみたいみたいだ」
と蒙恬は言葉をこぼすと馬脚を緩めた。
その視線の先には、歓声を上げる味方の将兵の姿があった。
「蒙恬様。隣でもっとも武功を挙げたのは豹騎隊なる隊だそうですぞ」
言葉を発したのは、楽華隊副長兼お目付け役である胡漸(コゼン)であった。
「豹騎隊?最近ちょくちょく聞くようになったけど、どこかの直系なの」
「どこかの血筋というわけではないようです。隊長は蒙恬様と同じくらいの若者で、名を李豹。もともとは王騎軍第六軍所属である、と聞き申しております」
「ふ~ん、元王騎大将軍の所属ねぇ」
蒙恬は気のない返事をしながらも、思考を回転させていた。
「ねえ、第六軍って対趙戦で名を挙げた虎豹がいるところだよね」
「そうです。確か副官ですな」
「だよね、じゃぁ隊長…軍長ってだれなの」
「軍長は鬼面の朱錐ですな」
蒙恬は鬼面?と疑問符を持ちながらもはっきりと答えたじィに、面識がありそうだなぁと軽く考えながら訊いた。
「じいはその鬼面?の朱錐殿は知ってるの」
じいは心なしか胸を張ると言葉を発した。
「私も若かりし頃は白老様と轡を並べておりましたからな。当時は昌文君の副官でしたが、何度か戦場を共にした経験があります」
「へーぇ、じゃ、強いの?」
「強さで言えば間違いなく。はて………、そういえば最近になるまで噂にもあがることがありませんでしたな」
蒙恬は会話を重ねながら新たに見聞きした名の人物の情報を纏めていたが、これ以上訊いても仕方がないと思考を切り替えると言葉を発した。
「まあ、いいや。一先ずは挨拶がてら、豹騎隊の李豹の顔でも見に行こうか」
「李豹殿 バンザーイ 万歳ッ バンザーイっ」
そこには、勝鬨を挙げる千を超える将兵の姿があった。
「ふぅ。まさかこんなことになるとは」
と、李豹はため息一つと本音をこぼした。
「くくくっ、お前はよくやった。結果は上の上だ。それでいいだろう」
そんな李豹に言葉を掛けたのは、副官として帯同している朱錐の側近の1人であった洪であった。
「洪さん、絶対面白がっているでしょう」
「そりゃあそうだろ。ただの三百人将が千人以上を率いて、さらにはこの地を平定させる活躍しちまうんだからな。これは笑うしかないだろうが」
それは、この地に赴いていた三千人将の一人が敵の術中に嵌り、敢え無く戦死したことから始まった。
この将の戦死は、結果として戦線を大きく乱すことになる。
「ここは要の地である。なんとしても死守せよ」
と厳命を受けていた三千人将であったが、敵大将が少数の側付きと姿を見せた上で「こうして、わずかな手勢しかつれていない私が姿を見せたというのに、秦国の下等な猿は、陣に縮こまっているぞ。秦の猿は臆病者でもあるようだ」などと挑発したことで事態は動くことになった。
最初こそ我慢していた三千人将であったが「あの調子に乗っている糞どもを討ち取って戦を終わらせてやる」と制止を振り切って出陣してしまう。挑発に乗せられるがままに突撃を開始して結果、当然のように伏兵に襲われてあえなく戦死。敵大将は、将を失って混乱冷めやらぬ秦軍を蹴散らすと、速やかに軍を進めて、これを占拠した。
敵軍は、この日を決戦の刻と定めていたのだ。
敵軍は、要所である交差路に布陣すると、迅速に強襲部隊を編制して各所に出撃させることになる。
対して、秦軍は、突如として現れた強襲部隊に自軍の横、或いは、後方から攻撃を受ける形になるのだが、これらに、間一髪ながらも気づいて交戦に入れる部隊もあれば、息を付く間もなく首級を挙げられる将も存在していた。
そして、李豹がいた地の将は後者であり、指揮していた三千人将を失った軍は大混乱に陥っていた。
「おいおいおい。やばいぞ李豹。ここは退くべきだ」
洪はこの場に留まることは得策ではないと進言したが、李豹は別の考えを示した。
「これはここだけの話ではないはずだッ 我らはここに留まり敵を迎撃する」
李豹は出現した敵兵の方角から、事態は最悪に限りなく近づいていると察していた。
「そうかよッ それで俺達になにをさせる」
洪は李豹の判断の速さに舌を巻きながらも、その考えを支持した。
「この乱戦は、我らの好機になる。一息に敵将の首を挙げるぞッ」
「「「応ッ」」」
豹騎隊は、朱錐軍の新兵の一人として李豹が参加した練兵時からの者たちで構成されていた。彼らは一様に李豹の輝きに魅せられた若者であり、李豹のもとにで戦いたいと志願した者たちである。それゆえに、常に士気は高く、わずかな年月とはいえ、練度は精兵に迫るとまで言われていた。
余談を許さない状況であると迷いなく駆け抜ける李豹を隊長に、経験豊富な副官の洪、そして、短期間で精兵の迫るほどに躰を苛め抜く覚悟を持った豹騎隊三百は、乱戦によって乱れた隊列のすき間を縫うように駆け抜けると、首級を挙げてで束の間の喜びに浸る敵兵を押しのけて、将の首をさもあっさりと刈り取ることに成功した。
李豹が敵首級を挙げるまでの時間は、敵強襲の混乱すら利用した電光石火の一幕であった。
「敵将はこの豹騎隊隊長李豹が落としたッ いまこそ逆撃の機だ。立ち上がれ秦の兵よッ」
李豹の檄は、敗戦の空気が漂う戦場を一変させた。
「うおおおおおおおぉお」
李豹は、檄に応えるように挙がる歓声に、将を討たれた衝撃で動きを止めていた敵兵の怯えを見逃さなかった。
「もはや、敵は烏合の衆である。私に続けぇッ この劣勢を一気に覆すぞッ」
その後、さらに勢いの増した李豹たちは、その場の敵兵を退却に追い込むのと同時に、敵大将本陣への強襲に移ることになる。
李豹は、規模が三百からおよそ二千程に膨れ上がった隊の先頭を堂々たる姿で駆け抜けた。
この奮戦は、各所で戦っていた秦軍を大いに盛り上げることになる。
豹騎隊が敵大将本陣を強襲したことで、指揮系統が麻痺に陥ると、各所の隊は、敵軍を大きく押し返した。
「退却の銅鑼を鳴らせ」
本陣強襲から始まった劣勢を正しく把握していた参謀の判断は素早かった。それに待ったを掛けたのは敵大将を務める者であった。
「お待ちを。まだ粘れば巻き返しは可能です」
「確かに、この劣勢を巻き返すことは可能だ。俺にはその策がいくつも浮かんでいる。だが、変えのきかない将兵を損耗させてまで固執する地ではない」
「ですが、それではあなた様の名に傷がーーー」
「黙れ。俺を退き時を見誤るような愚か者にするつもりか」
「ッ、申し訳ありません。すぐに行わせます」
参謀は戦場に鳴り響く退却の銅鑼に背を向けるとつぶやくように言葉を発した。
「今回は譲ってやる。豹騎隊の李豹。その名は、忘れんぞ………」
こうして、劣勢を大きく覆した豹騎隊李豹の名は、中華に薄っすらと、だが、確実に響くことになった。