第56話
始皇五年(紀元前242年)
秦国に端を発した魏国山陽一帯攻略戦が開始されてから二ヶ月と少し。
ついに、決戦地となる流尹平野に両国本軍が到着を果たすことになった。
「久しぶりじゃの、廉頗よ。この戦いに勝ち、最後に笑うのはこの儂じゃ」
蒙驁は、幾度となく辛酸をなめることになった廉頗との対戦の過去の清算を目論見、廉頗は、敵総大将であり、出来の悪い古馴染みに引導を渡すついでに、その両腕と称される王翦、桓騎という傑物を見極めようとしていた。
「蒙驁よ。貴様に用はないが、再び儂の前に立ったことが間違いであったと、あの世で反省するがいい」
両者は、届くことのない言葉を戦場となる流尹平野に残すと、それぞれの思惑を胸に本営となる陣に着陣した。
だが、ここで一つの大きな事実が判明することになり、両陣営に衝撃が走ることになる。
「魏国総大将は廉頗にあらずッ 廉頗にあらずッ 敵総大将は白亀西なりッ」
この報は、秦軍に大きな衝撃をもたらしたが、それは、魏軍にいる廉頗四天王の面々も同じであった。
「魏国に亡命を果たしてから三年、儂は魏王の信任を得られなかったことになっておる。それゆえに、儂が総大将では、魏軍の士気を大きく上げることはできん。それならば、別の者を仕立てた裏で、儂が操るほうが効率が良いという判断からじゃ」
廉頗は、遠い祖国に目を向けると言葉を続けた。
「まあ、他にも理由がないわけがないがな………」
とは、四天王に向けたの廉頗の言であった。
そうして、両軍の将が各所で配置に着いたことが確認されると、ついに、開戦への火ぶたが、切って落とされようとしていた。
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「先鋒隊は前ぇッ」
「我は将軍土門也。大秦国に連なる兵どもよ。今こそ老将廉頗に引導を渡し、この地を平定する刻だッ」
第一陣八千を指揮する土門将軍は、高らかに振り上げた矛を振り下ろすと同時に号令を発した。
「第一陣は我に続けッ 全軍ッ突撃だっ」
一方、対峙しる魏軍第一陣を指揮する輪虎は、自軍の士気の高まりを確認すると気負いなく第一陣八千に号令を発した。
「用意はいいね。先鋒隊」
「「「応ッ」」」」
「うん。いいね」
輪虎は、腰に佩いた一刀を引き抜くと天に掲げた。
「これから秦国を撃滅する。先鋒隊を突撃さえて」
と、振り下ろされた一刀と同時に、輪虎側近より「突撃だッ」号令が発せられると、魏軍第一陣が突撃を開始した。
断崖に左右を守られた蒙驁本陣前方には、本陣を護る最後の盾として、配置され第六軍面々の姿があった。
「どうやら序盤は我ら秦国が優勢のようですね」
第六軍軍長朱錐である。
「そのようだな。土門将軍か、名を轟かしているわけではないが、本軍第一陣を任されるだけのことはある」
言葉を返したのは、副官である虎面の虎豹。
「ええ、まずまずの出だしですねぇ。とはいっても、序盤も序盤です。廉頗さんのことですから、このままということは、まずないでしょうねぇ」
二人の言葉に肯定を示しながらも、廉頗を深く知る青騎は、これから戦場は荒れると口にした。さらに、現状を確認するように言葉を続けた。
「どうやら、敵右翼には姜燕、敵左翼には介子坊が配置されているようですねぇ」
と、斥候からの報告を青騎が言葉にすると反応を示したのは、虎豹であった。
「姜燕か………」
「ンフ あなたはやはり姜燕の名が気になりますか」
「はい。私も奴も互いに攻めに偏重していましたから、毎回、万の死者を出す激戦になりました。ですので、気にならないといえば、嘘になります」
「ンフフ そうでしょうねぇ。ですが、今回対峙することはないでしょう。私たちは中央本軍から、遠く離れるわけにはいきませんから」
虎豹は、青騎の言葉に「確かに」と呟き頷くと過去の戦いの記憶を隅に置いた。
「そうなると、こちらの左翼である蒙驁大将軍麾下王翦将軍の実力が気になりますね」
二人の会話の切れ目に投じられた朱錐の問いに、青騎は簡潔に応えた。
「ンフ どうでしょうねぇ。王翦将軍の実力は承知していますが、左翼は山々に囲まれた地であり、これを主戦場にしている限りは、姜燕の攻めを受け止め続けるのは非常に困難と言えます。なにせ、あの方は、弓矢の音を使って部隊を動かしますから、視界の遮られた地形では、どうあっても、一手遅れるのは避けられません。そういう意味では、彼の将軍がどのように戦うのかは、非常に興味深いとも言えます」
「では敵左翼はどうでしょうか」
という朱錐の言葉に反応するように虎豹は言葉を返した。
「ッフ 敵左翼の介子坊と言えば、朱錐とは因縁があったな」
「因縁、というほどではない。互いに戦場で会敵したのだから、戦うのは当然であろう」
それは、とある戦場でのこと。
総大将摎を補佐する形で昌文君が戦場を駆ける傍らで、その麾下であった朱錐は、いち早く敵影に気付くと自隊を転進。迎撃に向かった先にいたのが、介子坊率いる本陣強襲部隊であった。
「そうか? 朱錐に足止めされたことで、退却に追い込まれたのだから、向こうはそうは考えてはいないのではないか」
その時、介子坊は迫る敵部隊を勢いよく粉砕してから敵本陣を壊滅させる目論見そのままに猛進した。
「退却というよりは、機を逸した上で、自軍本営の危機を知って踵を返した。という方が正しいでしょう」
だが、結果は粉砕することは叶わず、大いに足止めを受けることになった。
時を同じくして、廉頗が敵本陣強襲を狙って介子坊を送り出したように、総大将であった摎もまた自らが先頭に立って廉頗本陣の強襲を敢行していた。
そのため、介子坊は六将摎による自軍本陣強襲の報せ受けて転進した過去があった。
この出来事に対して、どのような見方をするかは、当事者たちにとっても異なっており、結論の出ないやり取りでもあった。
そこに、戦場を俯瞰するように眺めていた青騎から言葉が掛かった。
「二人ともその辺しておきなさい。そろそろ動きがありそうですよ」
戦場では、青騎の言葉を示すように、早々に千人将二人が討ち取られたという報が駆け巡っていた。
「フフっ、統率された隊とそうじゃない隊は、少し見定めるだけですぐにわかる」
輪虎は、近利関城では襲撃者として千人将の多くを討ち取っていた。
これには、明確な狙いがあり、それが今収穫の時を迎えていた。
「前者は強く、後者は驚くほどに弱い。今の、君の千人隊みたいにね」
千人隊とは、戦を動かすほどの力を持っている反面、隊の意思疎通や連携如何によっては、ただ千という人の集まりになり下がってしまう難しさがあった。
「さらには、僕の隊は前者だ。君たちでいう六将全盛期時代から戦い抜いた精鋭中の精鋭。趙三大天廉頗直下兵の輪虎隊だ。相手が悪かったと思って、逝くといいよ」
ましてや、急造千人隊というこの状況では、細かな連携などできるわけもなく、中核となる部隊とのズレは顕著であった。
「フン 俺の千人隊の動きが多少鈍かろうと貴様を討てれば、なんの問題もない。俺が相手をしてやるから掛かってこい」
と挑発するように槍を構えてみせたのは、玉鳳隊隊長王賁であった。
王賁は、先鋒隊の一員として戦ったことで、急造千人隊の難しさを正しく理解していた。それゆえに、隊としての戦いではなく、個としての戦いに持ち込んだうえで敵将を討ち取り、隊を立て直す算段をしていた。
だが、輪虎は敵の狙いを見透かすように言葉を発した。
「一騎討ちを所望かい? 素直に求められるのも悪くはないけど、バラバラの隊を率いる名もない将に、興味はないね。さっさと殲滅して、次に行くとするよ」
輪虎は一騎討ちを拒否すると殲滅を指示した。
「い、いかん。ほ、賁様を護れッ」
声を挙げたのは玉鳳隊副官番陽であった。
「ははっ 精々守ってみなよ」
輪虎の意を汲むように動き出した兵たちは、王賁率いる玉鳳隊を目掛けて突撃を開始した。対して、王賁は群がるように殺到してくる敵兵を弛まぬ鍛錬のもとで練り上げた槍捌きで一蹴すると号令を発した。
「俺に護りは必要ないッ 隊の指揮を執れ、番陽。俺はこいつを倒して、さらなる高みを目指す」
王賁の力量と気概に触れた輪虎は「仕方がないなぁ」と呟きながら二刀目を抜くと言葉を続けた。
「君がそこそこやるようなのは、一目みたときから察しはついていたけど………」
輪虎は言葉を一旦そこで止めると、殺気を解放するように言葉を続けた。
「時期が悪かったね。今の僕には一分の隙も期待できないよ」
「ぬかせ。俺の槍で貴様を貫いてやるから覚悟しろ」
こうして、廉頗四天王輪虎と玉鳳隊王賁が激突した。