彼の者の盾はどこへ向かうのか。   作:mukurobone

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第64話になります。


第64話

新たな戦いの揺らぎが中央の戦場で起ころうとしている頃、秦軍右翼の戦いも、大きく動き出そうとしていた。

 

「ーーーこんなもんだろ」

 

そこには、赤く黒い汚れが染み出した大きな袋がいくつも並べられていた。

 

「ケケッ 軍略家だか、なんだか知らねぇが俺達にやられっぱなしのただのジジイじゃねぇか」

 

赤黒い染みの入った大きな袋は、停めてある荷馬車の荷台に一つ、また一つと乗せられては、一つの目的に向けて発進していく。

 

「…………」

走り去っていく荷車を遠目に、ただ静かに木々が生い茂る山々を見据える漢に声が掛かる。

 

「山なんか見つめて、どうしたんですかい、お頭ぁ」

手下の男が漢の視線の先に顔を向けても視界に映るのは、空と山と生い茂る木々のみであった。

 

「フッ なんもねえよ。いくぞ」

 

 

所変わって、魏軍左翼。

 

「ま、またです。こ、こんどはめ、眼、がお、送られてきております」

と、青白くした表情そのままに、おぞましき敵の所業を報告しているのは、魏左翼軍幕僚の一人であった。また、そこには、その報告を眉一動かさずに受け取り、黙々と戦略図に印をつけている老将の姿があった。

 

「フンッ 何じゃお主らはッ まだ一日やそこらの話じゃ。お主らときたら嬲られた躰の一部が送られた程度で青臭い童のように動揺をしよってからに。儂らは戦をしておるのじゃ。この程度のことは、常、戦場の些事と捉えぬかッ」

 

玄峰の一喝に静まりかえる魏左翼本陣。

 

「も、も申し訳ありません」

参謀の謝罪の言葉だけが響いた。

 

殊更、戦乱の世で名を馳せた玄峰にしてみれば、死体を弄ぶ敵の所業は、程度こそは目に余るほどではあるとはいえ、似た行為が行われた事例など、いくつでも思い浮かべられるものであった。

「で、ですが、このような行為を続けられては、とても………」

しかしながら、それは、戦場を盤として捉えて策を弄する玄峰の感覚であり、一般兵や多少の策を用いる程度の経験の浅い者たちにとっては、脅威と映って差しさわりはなかった。

 

「ひよっこどもが狼狽えおって、儂の足を引っ張るでないぞ」

 

本来、敵の死体を嬲るという行為は、為された側に怒りを点す場合が多い。それは、魏軍にしても同じであり、最初こそは怒りに満ちて、打倒秦国と士気の高まりを齎していた。しかし、嬲られた部位が間を置かずに次から次へと、休む間もなく送り届いてくる様は、おおよそ、常人としての感覚を持ち合す者たちにとっては、奇異であり、それが、忌避へと変わるまで、さほどの時間を擁しなかった。

 

沈黙という名の帳を下ろす本陣の様相は、秦右翼の将桓騎の策が着実に魏軍の士気を削ぎはじめている証左でもあった。

 

だが、魏左翼本陣の沈黙を破るように本陣後方から現れる集団がいた。

 

「玄峰よ」

廉頗である。

「………なんじゃお主、こちら側にきておったのか」

それは、当初の右翼を攻めあがるという計画に支障がでたのかという確認の言葉でもあった。

「少しばかりしくじっての。おかげで、この戦の絵図を一度すべて破棄する羽目になったわ」

その言葉に、玄峰はため息一つを吐き出すと苦言を呈するように言葉を発した。

「主は、せっかちでいかん。初日にしてもそうじゃ。策には、十分に時間を掛けよと教えたであろうが。………まったく、藺相如なんぞに毒されおって」

 

藺相如とは、刎頸の契りを交わした廉頗の友であり、軍略に長ける天才であった。けれど、二人の在り方には大きな違いあった。廉頗が戦いの前に緻密な策謀を巡らすことで戦場を操るのに対して、 藺相如は、その戦場の在り方を肌で感じとることで、まったく新たなる策謀を戦地で巡らせることができる天才であった。

 

「ヌハハ まあそういうな、玄峰。こうして、儂に説教を垂れるのは、もはや、ヌシだけで寂しい限りであるとはいえ、の」

 

そう言葉を発した廉頗の表情に特別な変化があったわけではない。

 

「………戦場に余計なものを持ち込む出ないわ。この未熟者が」

 

だが、長い付き合いである玄峰には、内心を推し量ることは容易であった。

 

「ヌハハハッ! この儂がまだまだ未熟者か」

玄峰の言葉が琴線に触れたのか、言葉の後にも愉快に笑い声を挙げる廉頗の姿がそこにはあった。

「ハア、まったく、何を笑ろうておるか。まあよい。そこが、主の良い所じゃろうて」

いまだに、声を挙げて豪快に笑う廉頗の姿は、沈黙の帳に遮られた魏軍左翼本陣に穏やかな風を送り込んでいた。

 

そうして、一頻り挙げていた笑い声を収めると、姿勢を正して本題に入った。

 

「それで、こちらの首尾はどうじゃ」

 

「桓騎、か。儂の撒いた餌に、馬鹿の一つ覚えのように襲撃を仕掛けてきよってな。おかげで、ネズミどもの巣の特定は簡単じゃったわい」

と、玄峰は戦略図のとある一点を指さすと「ここじゃ」と静かに告げた。

「うまく隠したようじゃが、これを見る限りでは、儂も、そう読む。しかし、随分と奥に陣を張ったものじゃのう」

廉頗の言葉通り、示しだされた桓騎本陣の位置は、こちらが想定していた場所、それよりもさらに奥にあった。これは、魏左翼軍が桓騎本陣に攻め込めんでしまうと他の戦場への介入が難しいギリギリの距離であると言えた。

「こちらの索敵を躱し、最悪、単体での戦いに落とし込む狙いもあったのであろうが、自ら居場所をさらしてくるような阿呆じゃ。気に掛けるほどではなかろうて」

この玄峰の言葉の中に、ある種の兆し、巡らされた策の匂いとも呼べるものを敏感に感じ取った廉頗は「ふむ」と声を漏らすと、言葉を続けた。

 

「で、あれば良いが。………玄峰よ。襲撃を仕掛けるのにあたって、儂から二つほど注文がある」

 

その内容を告げたあと、廉頗と玄峰は、しばしの間、無言のまま視線で会話を交わすように睨み合っていたが、玄峰は先に視線をはずすと、言葉を紡いだ。

 

「ようかろう」

 

 

その頃、魏軍本陣から出陣した霊凰の姿は、中央の戦場、介子坊本陣にあった。

 

介子坊は、霊凰の姿を認めると恭しく拱手をして出迎えるて言葉を発した。

 

「これは、霊凰殿。我が本陣に何用ですかな」

霊凰は、介子坊の用意されていたような言葉に、軽く鼻を鳴らすと応じるように言葉を返した

「ッフ 白々しいものだ。用件は言わずとも理解できているのであろう」

介子坊は、暗にすべて承知している。という霊凰の言に、感服したように言葉を発した。

「なるほど、流石ですな。確かに、殿より承っております。魏火龍七師が一人、大軍師霊凰殿」

霊凰は、仰々しい名称をだしてきた介子坊の意図を読み取り、興味はない。と断じた。

「気遣いは無用だ。私は長い間、だた囚われていただけのつまらない漢の一人に過ぎない」

霊凰が吐く自虐の言葉とは裏腹に、漂わせはじめた気配は一介の将にあらず。

「ご謙遜を」

介子坊は、廉頗から密かに『ヌシからみて、霊凰が使い物にならぬ』と判断したならば、従う必要はない。との言を受けていた。その介子坊からみて、霊凰の『持つ者特有のソレ』に一切の虚飾は感じ取れなかった。

「ならば、これより、前線の指揮は私が預かるが、問題はないな?」

 

「ご随意のままに。右翼にいる輪虎も同じ命を受けておりますゆえ、存分に」

 

「廉頗か。随分と用意の良いことだ。まあいい。言葉通り、好きにさせてもらう」

霊凰は、介子坊の受け答えに満足すると己の鉞である乱美迫の名とともに命を出した。

 

「征け。乱美迫」

 

乱美迫が「フウッー」と咆哮に見紛う呼吸音を出したあと、精兵千と共に駆け去るのを見届けると言葉を発した。

 

「少しはやるようだが、さて、乱美迫を受け止められる程度の力量は備えているのか、確かめさせてもらおう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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