もうすぐ、新刊68巻発売ですね。
「フウウウウウウッ」
霊凰の号令によって動きだした乱美迫という名の鉞は、魏軍にまとわりついた敵部隊の命運を容赦なく刈り取っていく。
「ヴァルッ」
ひとたび矛を振れば、首が飛び、両断される敵兵の躰だったものが残骸となって横たわっていく。
「ヒイッ 来るなぁああああッ」
乱美迫の暴威を前にして留めるられる者はなく、纏わり付くは、亡き者になった者たちの朱き血のみ。
「フウウウウ」
粗方、眼前にいた手頃な獲物を片づけた乱美迫が一息吐いたあと、次に、血走らせた眼で捉えたのは、秦軍中央右軍の前線を指揮する将兵であった。
「フウウッ!!!」
乱美迫は、視界に獲物を捉えると本能のままに馬の腹を蹴りこみ、突進していく。
「むッ、旗だ。旗を掲げよ。皆の者ッこれより、乱美迫様は敵前線部隊に突撃為さる」
と、声を挙げたのは、この、おおよそ知性を感じさせない狂人ともとれる乱美迫の副官を務める鉄仮面の漢。
「乱美迫様に続けッ 解らない者は、この魚燕(ギョエン)の背を追うて来い。敵は前にありだッ」
この魚燕という漢は、脳筋的な思考を持ちながらも声を用いない乱美迫の意を汲み、尚且つ、それを戦術として行使できる者であった。
「者ども続けぇええッ」
「急報ッ突如として魏軍後方より強引に割って入ってきた新たな騎馬隊より、味方部隊が壊滅的な被害を受けたとのことッ」
「ッな!?」
急転を告げる伝令に、驚きの声を挙げたのは、将である濯であった。
「馬鹿な。さっきまで押しまくっ」
と、濯が内心をそのままに言葉を発しようとしていた所に控えていた後方から声を被せたのは、馬首を揃えるように進み出ていた青騎であった。
「報告、ご苦労様です。下がってよいですよ」
青騎は、伝令が下がるのを見届けると私見を述べた。
「濯、あなたは落ち着きなさい。後方から騎馬隊が割って入るのは視えていました。ただ、ここまでの強軍を強引に投入してくる。というのは、こういった時に、慎重に行動する介子坊さんらしくない大胆な戦術です。と、いうことはーーー」
その時、青騎の言葉の先を示すように、急報を携えた伝令が姿を見せた。
「ッ前線を突破した敵騎馬隊が、こちらに向かってきます。また、左翼側にも別の敵騎馬部隊が突撃を開始した模様です」
伝令の背後にある戦場には、『乱』の文字を旗に掲げた騎馬隊の姿があった。
「おや、そちらがでましたか。濯、あなたは部隊を後方に下げる準備をなさい」
「了。あなたは何を」
「私ですか。もちろん、足止め、ですよ。ンフフフ」
「乱美迫隊。敵右翼前線を突破後、前線指揮官を強襲。同じく、敵左翼に味方騎馬隊が突撃を開始した模様です」
魏中央軍を預かった霊凰の元には、逐一最新の情報が齎されていた。
「報告しますッ」
「乱美迫様ッ青騎なる者と一騎討に入った模様ですッ」
霊凰は、馬上で今しがた受けた報告に対して、関心を示すように、ほうっと息を吐くと言葉を続けた。
「乱美迫を留める者が鬼面の他にもいたか」
そして、元から組んでいた腕の片方を持ち上げて手で口元を隠すように添えると、数瞬、何事かを思案したのちに、さらに、言葉を発した。
「なるほど、廉頗の側近が手を焼くわけだ。上から見ていた限り、対峙する前線指揮官の戦術理解度は相当に高い。さらには、乱美迫と張り合えるほどの武を備えている将も複数いる、か」
仮に、霊凰が凡百(ボンピャク)の将であったならば、必殺の鉞となる乱美迫という存在が必殺には足りえず、尚且つ、そのような敵が複数も現れたと知れば、狼狽の一つでもしたくなるであろう。
「厄介な相手になりそうだ」
だが、秦六将時代、魏国随一の軍師として名を馳せていた霊凰にとって、敵に想定以上の猛者が現れることなど、幾度と経験してきた程度のことであり、特別な感情を露わにすることはなかった。
「とはいえ、私のやることに変わりがあるわけではないがな」
そう言葉を発したあと、視線を戦場に向けた霊凰は、新たな命令を発した。
「乱美迫に本陣まで後退するように伝令を出せ」
「霊凰様」
と、そこで声を発したのは、この戦に参陣するために、急遽、魏王の要請によってつけられた随分と年若い幕僚の一人であった。
「あと、もう少しでも待てば、乱美迫様が青騎なる者を討ち取って、それが、前線を押し上げるきっかけとなるのではありませんか」と。
すると、霊凰はその者に視線を向けると、己の側近の名を呼んだ。
「周鉱」
と、名を呼ばれたのは、霊凰側近の武官であり、応じるように言葉を発した。
「ハッ この者は、王よりつけられました若手の有望株とのことです」
霊凰は「ふむ」と一拍思考すると、物怖じせずに発言をしたその者に、私見を述べた。
「敵が愚鈍であるならば、それでも良い。だが、生憎、そうではない。敵が私の想定している通りの力を持っている。とするならば、今、特出している乱美迫など、絶好の狩り刻であろう。私なら強力な部隊で後方を遮断しに掛かり、確実に仕留める」
つまりは、この者の年齢や経験、それらがこの大戦に参集された者としては、敵の力量の値踏み、それに、戦の流れに対する読みも浅く、圧倒的な経験不足を感じさせるものであった。けれど、そのことで、霊凰は別の視点から今の状況を鑑みることができ、ある一つの事実に行き当たることになる。
「なるほど、そういうことか」
それは、この戦いに自身が帯同することになった経緯にあった。
基本として、魏王は戦に関することで何かを強く要望することは、これまでほとんどなかった。それが、今回に限っては、敵増援の報を受けてから、霊凰を軍に帯同させること、また、王自身が持つ有望な若者を側近として、こちらに付けてくるなど、普段とは違う迅速な行動が目立っていた。
ということは、答えは一つ。
「鳳明め。私をも利用するつもりであったか」
霊凰は、強かな弟子の思惑に思い至り、自らの師すら活用しようとする貪欲な姿勢が、いずれ魏を牽引する者に成長するであろうと胸に抱かせるのであった。
そして、先に放った霊凰の言葉は、預言となり現実となって魏軍に齎されようとしていた。
「見よ。僅かにだが、敵軍後方から砂塵が舞っている。あとは、わかるな」
この時、霊凰はこの者を付けた魏王、いやこの者を付けさせた者の思惑すら掬い上げていた。
「ッ、急いで霊凰様の命を乱美迫様に届けなさいッ」
若すぎる幕僚の姿を横目に、霊凰は言葉を漏らした。
「まったく、師であるこの私を扱き使おうとは、何たる弟子か。だが、まあいい。それくらいでなくては、この戦乱の世に呑みこまれるだけだ」
激闘の地となった秦前線部。
「ンフッ」
青騎が外衣に隠されていた矛を膂力を込めて存分に振えば
「フウヅ ヴぁアルッ」
乱美迫は矛を撓らせながら受け止めると、青騎の膂力の倍に比するかのように己の全霊を込めた一刀を素早く返す。
「ンンっ フウッ」
青騎も当然のようにそれを受け止め、次には、命脈を断つべく矛を差し込む。
「ンフ フフッ フフフッ ンフフフフフッ」
一手を打てば強烈な一手が返り、二手目を打てば、素早い二手目が差し込まれる応酬は、止まずに、剣戟となり完全なる一騎討の態を為して、戦場という舞台を彩ることになった。
「ヴァルヴヴウッ ウウツ ウウヴぁルヅ」
最早、二人の舞台であるかのような戦場で、副官魚燕は驚きの声を挙げていた。
「馬鹿な。乱美迫様と互角だとッ いや、まさか、僅かだが、乱美迫様が押されているようにも………」
魚燕は視界に二人の壮絶な打ち合いを収めながらも副官として周囲の状況の確認を怠ってはいなかった。
「ムッ、乱美迫様ッ 敵後方に砂塵がアリ。あれは、我が部隊の退路を断つ気やもしれませぬ。後退の下知をッ」
乱美迫は、魚燕の声が聴こえているのかいないのか、数息吐き出し、仮面の下でニィと青騎という強者の存在に壮絶な笑みを浮かべると再び斬り掛かっていく。
「フウーっ フウーっフウヴアッル!!」
より強く。
「ヴァッ!」
より速く。
「ッッㇽル!!」
狂ったように矛を振りかざして襲い掛かる様は、正に狂戦士と渾名される乱美迫という人物の真骨頂とも呼べる姿であった。
「乱美迫様ッ。ック 霊凰様に至急伝令だッ」
けれど、それはつまり、生半可なことでは、乱美迫の行動を留めることができないことをも意味していた。
「ンフフッ フッ フフッ」
「フウッウウヴァるッッ」
副官魚燕の心配を他所に、乱美迫の眼は青騎のみを捉えており、二人の激突は留まるところを知らずに続いていく。
「お聞きください、乱美迫様ッ! 乱美迫様ッ!!」
だが、副官の必死な呼び声が届くことはなく、空しく響くばかりであった。
「………ムぅ、致し方ない。我は退路の確保に動く。お前たちは乱美迫様から決して離れるなッ」
このまま呼び掛けても主である乱美迫に声が届くことないと判断した副官は、退路の確保に動き出そうとしたその時。
「霊凰様より伝令ッ 本陣まで後退せよ。との命令です」
との、報が届いた。
「ヴァァァッル!!!!」
一際大きな矛同士の激突によって開いた両者の距離。
「乱美迫様。お聞きになりましたかッ 霊凰様より後退の指示ですぞ」
「フウぅ フゥぅ フゥー」
敵に向けて眼(マナコ)を剥きだし、ギチギチと強く握りしめられた矛の音がそれを拒否するかのように響いた。が。
「フゥウ!!」
乱美迫は、躰に滾る熱を吐息として大きく吐き出すと馬首を翻して、駆け出した。
「皆ッ退くぞぉぉおッ」
青騎は、隊列を組み素早く撤退していく敵を追撃することなく、乱美迫隊が撤退していく先、魏中央軍である介子坊、輪虎両軍の中央に昇り立った火龍旗『霊』の旗を見据えていた。
「魏火龍霊凰。流石に、衰えてはいないようですねぇ」
と矛をゆっくりと下した青騎。
「ええ。乱美迫の突撃に併せて、前線を一つの軍として編成し直したようです」
と隣に並び立ったのは、青騎の伝令を受けて乱美迫の裏を遮断しようと駆けていた虎豹であった。
「彼の者がこの場を動かす。ということは、現在の廉頗さんの動向を知る術がなくなったことを意味します。そして、困ったことに、あの方は、神出鬼没。さて、どうしたものか」
という言葉とは裏腹に、龍面の下にある表情は実に愉し気であった。
「懸念されていることはもっともですが、今は、目の前の敵に集中する刻ではないですか」
「確かに、あなたの言う通りです。視えぬ敵にばかり目を向けていては、足元は疎かになりますからね」
と、青騎はその言葉に肯定を示しながらも、虎豹のわずかな変化を見逃さずに声を掛けた。
「虎豹、どうかしましたか」
「あの、こうしてまた、同じ………あ、いえ、なんでもありません」
と口を噤んだ虎豹の言葉の先、それを汲み取るように青騎は応じた。
「私も、気持ちは同じですよ。ーー」
「はいっ 私もですッ」
ふとした拍子に二人が重ねたのは、決して、他の誰かには伝わることのないものであり、お互いだけに共有できる心からの言葉であった。
「さあ、私は濯と合流します。あなたも隊列に戻り、次の戦いに備えなさい」
「はい。ご武運を」
「ええ、あなたの武運を祈ります。なにせ、ここからが正念場ですからね」
流尹平野の戦いは、次の幕、終幕へと移ろうとしていた。