二日目、開戦時、魏中央軍は、魏左軍介子坊兵一万八千、魏右軍輪虎兵二万二千という形で別々の指揮権の元に軍事行動をしていた。
そこから陽が昇り、中天に差し掛かる頃。
霊凰が魏中央両軍前線部の指揮権を掌握する形で参戦した。霊凰がまず行ったのは、魏軍にまとわりつく秦兵の排除であった。それには、乱美迫を含む強軍の二部隊を用いることで一気呵成に殲滅した。また、迅速な殲滅がなされたことで、戦意が大いに高まった二部隊を今度は秦中央軍の隊列を乱す目的で突撃させた。この強軍二部隊の攻撃は激しく秦中央軍はその対応に追われることになった。その隙を突く形で、霊凰は前線部の隊列を大きく編制し直し、前線部を完全に掌握した。それにより、霊凰麾下となった前線部は兵二万三千で横陣を展開、その中央のやや後方に霊凰本陣。展開された横陣の後方左右に介子坊兵五千、輪虎兵五千がそれぞれ配置する構図になった。対する秦軍は、全体で三千の損失があるものの秦左軍に土門兵一万六千。秦右軍に朱錐一万四千の二軍計三万となり、兵数だけを見れば、僅かにその差は縮まっていた。
「乱美迫隊が帰還しました」
敵前線から帰還を果たした乱美迫であったが、その様は、いまだ敵陣の最中のように殺気だっており、強く握りしめられた矛は、まるで唸り声を上げるかのように小刻みに震えていた。
「フヴウーッ フヴウーッ フヴウーッ」
霊凰は、常よりも激しさを増した乱美迫が、眼で「すぐにでも再度の突撃を命じろ」とばかりにこちらを凝視し続ける姿に疑問を覚えると、乱美迫の副官魚燕に声を掛けた。
「随分と猛っているようだが、何があった」
「ハッ 一騎討となった敵将、これと対峙、切り結んだことが一因である、かと………」
と、そこで言葉を留めた魚燕は、一度、徐に視線を霊凰に合わせると何かを含むように再び視線を外した。
「どうした。歯切れが悪いな。それとも、私に報告できないことでもあるのか」
「ハッ ありますぞ。ですが、語れぬ理由もまたあり申す」
などとハッキリとこの先を語ることはできない。と宣言する魚燕の様子に、霊凰は、何を思慮しての事かを読み解くと言葉を掛け始めた。
「確かに、私は虚飾を好まない。それは、多分に脚色されたお前たちの主観による情報を鵜吞みをする愚を犯さぬためだ。だがーーー」
「フヴウーッ」
霊凰は乱美迫が出す音にも耳を傾けながら思考を回転させていた。
戦とは生き物だ。頭を獲れば、そこで終わる。だが、敵の頭を切り落とすその瞬間に、自らの手足が十全に動かないようでは、いい笑い者だ。だからこそ、部隊を任される者は、常に敵、味方両方の状況把握に努めなければならない。特に今回のような大戦であるならば、なおさらだ。本来なら、何かがあると感じ取れた事柄などは、私自身の目で確かめるべきことではある。が。
「今この時、尋常ではない乱美迫の様をこのままにしておくことは上策とは思えん」
私の鉞でもある乱美迫は、狂戦士と揶揄されるほどに気性に難はあるが馬鹿ではない。その乱美迫が、ここまで猛々しい様を維持したまま訴えかける事態など、実はそう多くはない。あるとすれば、今まさに敵を殲滅するために矛を振るっている最中か或いは………。
それらを勘案した霊凰は、言外に、どのように不確か情報でも構わないので話すようにと申し付けた。
「魚燕。お前は何を見た」
「ハッ それでは報告致します。顔は龍の面、躰には全身を覆い隠す外衣。それ故、確信を持てずにおりまするが、青騎なるこの者、この私、魚燕の目には王騎にみえ申したッ」
と、その瞬間、まるでその言葉を肯定するように、乱美迫から「ヴウウッ」と吐き出された音が響いた。
「乱美迫………。王騎か」
と霊凰は視線を乱美迫に向けると呟き、そして、その可能性を言葉にして現した。
「ふむ。お前の言が正しければ、奴が素性を隠してこの戦場に舞い降りたということか………」
霊凰は、乱美迫と視線を混じり合せながら、魏国の都大梁にて各国に潜らせた諜報員から吸い上げて得ていた情報の中から鬼面の朱錐についてのものを精査し直していた。
ここ幾年月の消息は不明ではあったが、趙国馬陽戦では王騎軍麾下の将としていくつかの戦功を挙げたと報告にあった。消息が不明であった時期、というのも気にはなるが、問題は王騎軍麾下の将という点だ。趙国馬陽の戦いにて、王騎自身は李牧の策に嵌り、重傷を負った上で敗走した。その責を取る形で大将軍位を返還、軍を騰に引き継ぎ、奴自身は、前線から完全に姿を消したとされていた。が。
「秦の怪鳥。とはよく言ったものだな。あれが早々に前線から身を退くような漢であろうかと考えてはいたが………。なるほど。これは、方策を練り直す必要がありそうだ」
二日目、中天を跨いだ陽がわずかに傾き出した流尹平野中央の戦いの最中に、魏中央軍に火龍旗が昇り立ったことで齎された変化は、魏に巻き起こる大歓声であった。それすなわち、かつての魏国大将軍であった火龍という存在が、いまだに健在であるという証と秦軍に受け止めらることとなった。
それ故に、対廉頗のみを想定していた蒙驁本陣の動揺は如何ばかりか。総大将蒙驁は、霊凰出現の急報に慌てだした幕僚を横目に、己の内心を抑えると「急ぎ警戒を強めよ」と前線の将兵に向けて命を飛ばした。それよって、前線の将兵たちは警戒心を高めて、敵のあらゆる動きに対応するべく万全の備えをみせた。だが、対する魏軍は、それをあざ笑うかのように、大きな動きをみせることなく、場所や規模を変えながらも単調で、連携など皆無な突撃を繰り返すことになる。これには、対峙する誰もが呆気にとられたのは言うまでもなかった。
やがて陽は傾き、夕の刻に焼ける流尹平野。刻々と迫る闇は、自然と戦士たちに戦いの休息を促した。
此処は、秦左翼軍本陣。
そこに到着する馬の影が一つ。
「王翦様。中央に潜らせた田里弥より早馬です」
王翦は、到着した使者から渡された竹簡を静かに検めると言葉を発した。
「やはりか、ご苦労であった。田里弥には、戦況を鑑みて適宜必要な行動を取るように伝えよ」
「御意」
王翦は、翻り去っていく使者を尻目に、初日、二日目と姜燕を囲地に誘い込むべく後退していた現状を大きく変更することを決めた。
「全隊に命令を出す」
別の野営地。
「なあ、魏火龍ってどんなやつらなんだ」
飛信隊の信である。
「魏火龍ですか。私も噂程度でしか知りませんが、彼らは魏国が誇る七人の大将軍の称号であったはずです。ただ、彼らはすでに亡くなっている、と………」
と信の言葉に応えたのは、前日夜に、意気消沈する彼らを叱咤激励した楚水であった。
「はァ!? じゃあ今日の騒ぎはなんだったんだよ」
「………詳しいことは私にも」
そんな、困惑の表情を浮かべる二人に、声を掛ける者がいた。
「ならば、実際の生死はともかくとして、魏の火龍について、儂が知っていることを語るとしようか」
と声を出したのは、飛信隊最年長であり、多くの戦いの歴史を知る魯延じいであった。
「まず一つ、魏火龍霊凰とは、ただの魏国の大将軍にあらず。当時、儂が伝えきいた霊凰といえば、魏国一と謳われたほどの大軍師じゃ。さらに、秦国六大将軍であらせられた王騎将軍らと、幾度となく戦ったとされる大人物のはずじゃ」
「ッな!? お、王騎将軍とッ じゃあ霊凰っていうのは、今戦ってる廉頗みたいな奴だっていうのかよ。そんな奴がもう一人なんて、やべぇなんてもんじゃねえじゃねえか」
そう驚きを露わにする信の姿を横目に、魯延は霊凰の出現における秦軍全体の影響についても触れた。
「その通りじゃ。死んでいなかったというその事実一つで今日の騒ぎじゃ。本陣はまさに蜂の巣をつついた状況じゃろうなあ」
という魯延の言葉が浸透するにつれて、狼狽えるようにざわつき始める飛信隊の面々。
「嘘だろ おい」 「廉頗級の火龍ってなんだよ」 「おらは絶対に生きて帰って幼馴染と結婚するだ………」
などと各々が不安を口している最中に、馬を操り颯爽と姿を見せる若者の姿があった。その者は、周囲から漏れ聞こえる声を拾いあげると言葉を発した。
「あれ? せっかく良い情報を仕入れたから、信にも教えてやろうかと思ったのに、この様子だと、もう知っちゃった感じ?」
と声を掛けたのは、蒙驁将軍の孫にあたる蒙恬であった。
「あッ、お前は蒙恬。霊凰の話ならもう聞いた。魏国の大将軍なんだろ。つってもよぉ 話の割には、今日の所は全然大したことなかったじゃねえか。攻めだって単発で単調だったしよ。大軍師なんて名ばかりじゃねえのか」
「あぁ、それは俺も気になってたんだよねぇ」
と蒙恬は軽い口調で言葉を漏らしながらも、胸の内では「ただ、もしかしたら………」と考えを巡らせ、次に起こり得る事態を想定していた。が、さすがに憶測が過ぎると頭を振ると付随する別の内容へと話を切り替えるのであった。
「そっか。なら、その霊凰が従える狂戦士の話は知ってるか、信」
「狂戦士だぁ、なんだよそりゃぁよ」
「狂戦士乱美迫。霊凰の戦いでは常に先陣を切る猛将で信にも解りやすく言うとだな、王騎将軍たちが手を焼くほどの豪傑ってこと。それと、今日も前線の部隊を殲滅して、朱錐軍の青騎ってのと激しい一騎討をしたって話だ」
これは、昨日、介子坊によって散々にしてやられた信、そして、延いては飛信隊に注意を促すための言葉であったのだが。
「ッは! 上等じゃねえか。そんな強え奴がいるってんなら、是が非でも、この俺が叩き斬ってやるぜっ」
と早々に息巻く信の言葉に、蒙恬は「初日に惨敗したわりには強気だなぁ」と軽く冷や水を浴びせる一言添えながらも「でも、その立ち直りの早さは、お前の良い所かもな」とその心の強さを讃えた。
「ぁったりめえだ。俺は大将軍になる漢だぞ。いつまでグズグズしてる暇なんてねぇんだよっ。それに………」
と、普段の信なら威勢よく締める言葉の尻がわずかに萎んだことで蒙恬は「そういえば」と納得したように声を漏らすと言葉を続けた。
「ぁあ、あれだ。最低でも条件を満たさないと事実上の解散だったな」
その言葉に反応した信は、不退転の決意を口にする。
「男に二言はねぇ。絶っッてぇにやりとげてやるッ」
信の清々しい決意の言葉に蒙恬は頬緩ませながらも、実現できなかった場合の処分ついて、一応ながらも触れることにした。
「ははっ、二言もなにも、じい様そういう所は厳しいから、達成できなければ、間違いなく降格、解散まったなしだから」
「ッな。そこはお前、お前がなんかこううまいこと言ってーーー」
「無理、無理。その時は諦めて出直せ」
「ッチ 使えねえなぁ」
「あッ、お前ちょっと図太くなったんじゃないか」
「俺はこいつらと大将軍まで駆け上がらなくちゃならねえんだ。だから、使えるもんは、お前だろうが何だろうが使うに決まってんだろうが」
悪ぶりもせず言い放った信に、蒙恬は口を開いた。
「………いやほんと、図々しいっていうか。知り合ったばかりの大将軍の孫に、その態度がとれるお前に、俺は、逆に感心するよ」
と呆れた表情と仕草をみせる蒙恬であったが、よく観察すれば、僅かに上がっている口元にその本心は現れていた。
蒙恬にとって蒙驁は、秦国の大将軍であり、自身を可愛がってくれた大事な祖父でもあった。そして、父蒙武もまた豪傑としてその名を広めており、当然、その偉大な家系に生まれた蒙恬に取り入ることで、蒙家と関わりを持とうとする輩は数多く存在した。
そのため、自然とそういった者を見極める目が養われた蒙恬には、気の置けないほど友を作ることは容易ではなかった。
その点、信は下僕上がりという出世には明らかに不利な立場でありながらも、ある種の権力を有する自身に気に入られようなどという下心を見せることは微塵もなく、ましてや、大将軍の孫である事実を明かした今でも、はっきりと利用してやると公言するほどであった。この裏表のない真っすぐな信の在り方を蒙恬が気に入るのは自然なことと言えた。
「フッ じゃあな、信。俺はまだ行くところがあるから、行くよ」
そして、この流尹平野において、最大の戦いとなる三日目の朝を迎えた。
第66話でした。
GWですね。
皆さんのご予定はいかがでしょうか。
予定がない方に向けて私から一つ。
今なら、金沢21世紀美術館市民ギャラリーAにて、『キングダム展』が開催中ですよ。
一原作ファンとして、正直、良かったです。
こういった原作展は初めてだったですが、作画が拡大されていることで、より臨場感がでますね。