彼の者の盾はどこへ向かうのか。   作:mukurobone

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第72話になります。


第72話

今、蒙恬の目に映るのは戦場の中央に縦長に配置された敵軍の姿とその後方から出撃したであろう歩兵部隊の姿。そしてその敵歩兵部隊が自身のいる場所である左軍左方に向かってきている姿であった。

 

「ここは重装盾隊と信たち飛信隊の遊撃でしばらくはもつ、か」

 

蒙恬は戦況を鑑みて乱美迫隊の足止めから敵歩兵部隊の迎撃へと舵を切った。

 

「よし、俺たちは向かってくる敵歩兵部隊の迎撃に移るぞ。遮るものがない平地の戦いなら楽華の騎馬隊で敵歩兵を一気に刈り取れる。この機を逃さずに一気に叩く。行くぞ、楽華隊」

 

 この蒙恬の判断は的確で平地を移動する歩兵を騎馬隊で攻撃できる状況は、騎馬の特性がもっとも活かされる場面であった。

 まず馬というものは、一度駆け出してしまえばそれだけで強力な武器に変わる。馬の持って生まれた馬体からくる重量然り、人の何倍もの速さで駆けられる脚の速さ然り、速度に乗った馬というものは人間にとってそれだけで脅威といえた。さらには平地で、なおかつ障害物のない戦いならばその攻撃力がもっとも発揮される場面である。また、敵歩兵はただっ広い平地を移動していることもあり、騎馬の機動力を用いれば四方どの方角からでも攻撃可能であった。

 つまりは、敵が守備陣形を築いたあとに方向転換して脆い場所から攻撃を仕掛けてもよいし、部隊を二つに分けて挟み込んでもよい、という攻める側にとって圧倒的に有利な状況なのである。

 

そうして楽華隊が敵歩兵部隊に接近、攻撃を開始しようと狙いを定めたとき蒙恬は、一つの違和感を覚えた。

 

 「妙だな。敵に守る素振りが視られない。俺たちが攻撃してくることが分かっているはずなのに、対応しようとしないのはなぜだ」

 

 蒙恬の言葉が示す通り、敵歩兵部隊は接近している蒙恬たち楽華隊に見向きもせず、いっそ存在自体に気づいてはいないかのように、ただ目的に向けて邁進しているように見えていた。

 

 そんな蒙恬がいわゆる思考の引っ掛かりに気を取られていた所に突然、側近より慌てた声が掛かる。

「も、蒙恬様。新たに出現した敵騎馬隊が我らに向かってきております」

この味方の声に思考から現実に復帰した蒙恬は状況を把握すべく視線を周囲に向ける。

 

「あれか……。まずいな、俺たちは誘い出されたのかもしれない」

 

視点は、新たに現れた敵騎馬隊に移る。

 

「我が軍の歩兵部隊に攻撃を仕掛けようとしていた騎馬隊が転進を始めました」

視線の先には急いで転進してその場を離れようとしている秦の騎馬隊の姿があった。

「ほう。平地の歩兵に素早く狙いをつけられる視野の広さに危機を察知してから転進までの速さ。ふむ。有利な状況であっても固執せずに離れる判断も悪くない。旗の名は『蒙』か。あの蒙驁の孫にしてはなかなかどうして、的確な上に判断も早いようだ」

と騎馬隊を率いる優男は微塵も表情を揺るがすことなく呟いた。

「追いますか」

それは彼の側近が放った抗戦的な言葉であったが、優男はとくに感情を見せることなく、放っておけと小さく応えた。

「しかし、それでは後々我が部隊のまわりに張り付かれませんか」

そう問う声にも何の心配もいらないと込めるように優男は一言を返した。

「ほんの一時の事だ」

そのまま魏の騎馬隊は転進して離れていく秦の騎馬隊に見向きをせずに乱美迫隊が戦う戦場へと向かう。そうすることで先に出た歩兵部隊に追いつき、彼らを追い越して先に騎馬隊が突入していく。

 この騎馬隊が先に突撃することによって乱戦上の空白を作り出し、遅れて着く歩兵部隊が戦線の腰となる指揮所の土台を作り上げていく。

 そうして出来上がった土台に乱美迫を呼び寄せることで指揮所は完成することになる、のだが。 

 

「周鉱」

 

と名を呼ばれた漢は「承知しています」と拱手をして返しすのだが、その間にも

「でるぞ、乱美迫」

と戦場の息吹を深く吸い、満たされぬ空腹に喘ぐ野獣のごとき呼吸音を奏でる乱美迫を先頭に部隊はすぐにこの指揮所にをあとにしていく。

 

 この一連の動きは、一切の滞りをおこさずに行われ、敵を引き離すために転進して距離をとっていた蒙恬やこの場でつかず離れずの戦いを繰り広げていた信たち飛信隊、そして戦場の壁となっている馮たち重装盾隊にも敵部隊が何を狙っているのかを把握する機会と時間を与えなかった。

 というもの、敵の指揮所が形成されていく段階で彼らは、敵はこの戦場に対して本格的な攻略を仕掛けてくると身構えてしまったことで各部隊の動きにある種の緊張による固さがうまれていた。であるのに、その形成された指揮所はすぐに解体され、同時に別の敵騎馬隊がこの場に出現したことで指揮所を中心として整理されそうであった戦線は、彼らの思考を押し流す激流となって一気に流れ出したからだ。

 目まぐるしく動く戦況は彼らの思考と脚を止めさせ、動き出した乱美迫隊の初動を捕捉することを困難にさせた。

 

「まさか敵の狙いはーーー」

蒙恬は戦線から距離を空けていために、この戦いの全体像が掴みやすい位置にいた。そのため敵の本当の狙いにいち早く気づけたのだが、距離をとっていたがゆえに、標的に向けて走りだした乱美迫隊の背をただ眺めるだけしかできなかった。

 

「ッ迷っている暇ない!」

 

「も、蒙恬様お待ちを!!」

と叫ぶ隊員を背に蒙恬は戦場に向けて駆け出した。

 

 

 蓋を開けるなら、魏が仕掛けた策は極めて単純であり、中央後方から合計で三千の兵を順に、歩兵、騎馬、騎馬とこの場に派遣しただけである。

 

 ただしそこには、進行速度の差を用いたからくりがあった。

 

 先に歩兵隊をだし、その進行速度に合わせて騎馬隊を出撃させ、あとに出た騎馬隊が歩兵隊を追い越すことで騎馬隊による最初の突撃をする。

 これによって戦場に敵の少ない空間が生まれることになり、あとに到着した歩兵隊は敵の妨害を受けることなく指揮所の基礎を完成させていく。

 そして突撃前、歩兵隊を追い越す段階で歩兵に合流していた霊凰がその中に納まることで指揮所を機能させ乱美迫を招集することで守備を万全にする。そこから、次の機を作るために旗を掲げて合図を出し、さらなる騎馬隊の乱入を促した、という流れであった。

 

 一連の流れには、これらは別に隠された狙いが存在していたのだが、ここでは割愛する。

 

 

 霊凰は至極当然に戦場でおおくの経験を有した王騎のような存在たちをただ一つの策で倒し切ることは難しい、と理解していた。それゆえに素性を隠した王騎の存在を知ったときから戦の全体像を書き換えていき、そこにいたる瞬間を作り出すべくいくつもの策を弄していた。

 

 それは単純で明快な論理。個を討つなら数という基本戦術。

 

そのために霊凰は、まず敵の正確な陣容の把握に乗り出したのである。

 

それが戦に介入して陣編成を変更した日のことであり、連携を視野に入れない単純な突撃を繰り返したのは、敵部隊の個体差を測っていたのだ。

 そこからさらに高い反応を示してくる部隊位置を面として捉えて軍の境目を見定めると秦の両二軍の編成差を見て取ることに成功していた。

 

 そこから霊凰の思考は飛翔していく。

 

 それは単純な立場的の違いからの差ともえるものでもあるが、蒙恬や王賁、信たちが隊として捉えていた思考を霊凰は、戦場全体に対して常に思考しており、それこそが彼らとの明確な差を生み出す要因になっていた。

 

 乱美迫の左軍左方側面への突撃から、横陣の中央を貫くような突撃、密集した縦長の陣形。そして、小分けにした三千の兵。

 

 そのすべてがこの刻のために施された策略であり、中央の戦いの趨勢を決定づける一手であった。

 

「ど、土、門将軍……ーーー」

戦場の風に揺れていた馬の鬣に媚びれ付いていく鮮血の色。

「ど、どもんしょうぐん、が……」

 

 そこには朱く染まりゆく鬣に力なく預けられた躰と空しく握られまま鈍く光る矛の姿があった。

 

 

すべての事の起こりは、蒙驁からの伝令であった。

 

 左軍の将である土門が左軍後方でその奮闘を見守っていたときの事。

「土門将軍」

名を呼ばれた土門は、視線を声のした方角に向けた。

「蒙驁様より敵兵一千ほどの歩兵隊が中央から左軍の後方を移動しているゆえ、今後は敵

後方の動きにも注意されたし、とのことです」

 

それは蒙驁が本営の丘の上から出した指示であった。

 

「中央から歩兵が一千。敵後方の動き……」

と土門が考えを纏めるように呟き、秦と魏が戦う戦線の先に視線を飛ばしてみれば、確かに部隊が動いている兆候を感じ取ることができた。

 

「うむ。相分かった」

 

これにより土門の意識は、中央の戦況を鑑みながらも左軍の左方側面に加えて、戦線の後方にも向けられることになる。

 

「土門様。敵後方に新たな砂塵です。動きの早さからみて騎馬隊、同じく左方に向かっている模様です」

 

「なに。さらに騎馬隊だと……。もしや敵の本当の狙いは」

 

この報告は土門に、敵は左軍左方側面を早期攻略して秦軍を横から崩すことにあるのではと思案させた。

「土門様。すでに歩兵が一千、それに今、騎馬隊が一千です。すぐに左方へ兵を送るべきではありませんか」

そう進言した側近に対して土門は分かっていると頷くとすぐに行動に移した。

 

それは、左方側面の戦線が崩壊したとしてもすぐに対応できる位置へ自隊を動かす真っ当な選択であった。

 

 土門が戦線を維持するためにした選択。それが、霊凰よって用意され、答えを誘導されたものとも知らずに……

 

 こうして左方に寄る形になった土門がのちにそのことを悟ったのは、自身が斬られる寸前のことであった。

 

 それは、苦戦の最中には自らが先陣を切り部隊を鼓舞する土門の気質すら読んだ策略。

 

 そう、霊凰の狙いは、左軍の将軍土門を早々にかつ効率的に討ち取ることで秦の左軍を崩壊へと導き、その流れのままに、右軍すらも本日中に討ち滅ぼすという算段であった。

 

あとは、その道筋にむけて少しばかりその背を押してやればいい。

 

「秦将の首を晒して敵の戦意を挫く」

 

 秦将の首を晒し敵左軍が右往左往する隙に、正面と側面、そして自らがいる後方の三方から攻めたててやれば、兵士の逃げ場は自然と右方に限られる。そして戦場で戦意を失くした兵士ほど厄介な存在はいない。ただ必死に生き延びようと逃げる彼らが勝手に味方右軍の隊列を乱して混乱を招き、その混乱は右軍の戦意を奪っていく。そうして崩壊へと動き出した歯車は、もはや何者であっても止めることはできない。

 

「決着の刻だ」

 

霊凰の命に従うべく魏兵がゆっくりと馬の鬣にうなだれたまま動きをみせない秦将に近づいていく。

 

「王騎よ。この戦いの敗因は、私と同等の視点を持った貴様がその私と同じ立場に立っていなかったことにある。王騎、それに鬼面の屍を晒して、戦に華でも添えてみようか」

 

 ここまでほぼすべての流れは霊凰の思惑通りに進んでいた。

 

 

土門将軍の力なく動かぬ姿は側近であった者たちの思考する力を失わせ、ただ「将、ぐん……」と呆然とうなだれる案山子にさせていた。

 

 

が。

 

 その時、ひとつの影が魏兵の騎馬が乱立する隙間を縫うように駆け抜けた。  

 

その影が土門の首を挙げるために近づいていた魏兵に肉薄した瞬間、その魏兵の躰は糸の切れた人形のように馬上から崩れ落ちることになった。

 

そうして現れた影は叫ぶ。

 

「何を呆けている。顔を挙げろ秦国の兵たちよ」

 

その高く凛とした声は、うなだれるだけで動きを止めていた秦兵の顔を挙げさせた。

 

 そして声の方角にむければ佇むのは美しい一人の女戦士の姿。

 

女は、そこから跳躍して馬上で伏せる土門の背後に降り立つとさらに続けた。

「将軍はまだ死んではいない。矛を握りしめているのがその証拠だ。お前たちの将軍はいまだ命の狭間で戦っているんだぞ」

 

そう叫んだ女戦士は、羌族として培った知識と呼吸法を頼りに強制的な目覚めを促すべく強引なまでの賭けにでるのであった。

 

「戦いはまだ終わっていないッ」

 

 それは、李豹を救うために禁術を使い、生死の狭間から連れ戻した玄象だからこそ感じ取れた命の機微であった。

「刮目せよッ」

 そうして剣を収めて「一か八か……」と小さく息を吐き、意識を、気を、集中させて解き放った。

 

 

 

 

 




第72話でした。
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