月は落ち、陽は昇る。
そして、長い戦いの旅となった魏国山陽一帯攻略戦の四日目。
流尹平野の戦い。
この四日目は、早朝から各戦場において大小様々は出来事から始まった。
まず一つ目は、魏軍白亀西本陣丘の後方で、それは起こった。
「貴様らそこで止まれッ。ここは我ら魏国軍の本陣である。何用か申せっ」
本陣後方を見張る守備兵は、森の隙間から姿を見せた数人の男たちに向けて、そう声を張り上げた。
「えー、と。なんだっけ。あーーう、ん?」
彼らの風体は、先頭のよくいえば人畜無害そうで、悪く言えば馬鹿っぽい男を除けば盗賊然としており、とてもではないが友好的な使者にみることはできない。しかし、その先頭の男の風貌が髪を三方向にだけ巻き上げて伸ばし、上半身は裸。さらに胸元に妙な文様をあしらい、そのうえで丸腰の男のせいで、高い緊張性や警戒感を持つには、どうにも理由が乏しかった。
「さっさと言え」と急かす守備兵に慌てる素振りをみせた先頭の男であったが、言葉は出てこない。そうして焦らされること、しばし。
先頭の男は「あっ」と声を挙げると、いかにも思い出しましたという感をまる出しにしてしゃべりだした。
「ここらは、我ら大(オオ)ギコ盗賊団の縄張りだ。そっこく退去するかもしくは、貢物をだせ。さもなくば、われらと戦いとなるぞ。だ」
「お、大ギコ盗賊団? なんだそれは、耳にかすったこともないぞ。誰ぞ知っている者はいるかッ」
唐突に現れた嘘か真か、大ギコ盗賊団なる闖入者の登場とその要求に、守備兵は困惑の色を強めながらも周囲に確認を求め、さらに念のため「本営にも一報を入れろ」と伝者を走らせた。
バタバタと慌ただしくなる守備兵らを尻目に、当の大ギコ盗賊団は「オギコ、ちゃんと言えた。ギャカ。褒めて」「オギコ エライ」とまったく緊張感のない会話を繰り広げていた。
それらを見ていた守備兵は、オギコの名に耳をとめると声を掛けた。
「おい。まさか、そこにいるのが大ギコ盗賊団とかいう集団の頭なのか」
そう視線を向けるのは、オギコその人であった。
「? そうだよ。大ギコ盗賊団はオギコが大頭(オオカシラ)だよ」
彼らの疑問に対して純粋に返答したオギコを守備兵は品定めをするようにつま先から順に上へと見定めると侮蔑するように声を挙げて嗤った。
「ブッ、ブハハハッ。盗賊団なぞとじゃべりおるから警戒してみれば、貴様のような馬鹿な恰好をした奴が頭だと。笑わせよるわ。ハハハハッ」
「? おかしい? オギコおかしくないし、間違ってないよ」
「ブハハッ なんだ言葉もよく理解もできんのか。貴様らは盗賊団ではない。ただの馬鹿どもの集団だ。なぜならそんな馬鹿そうな頭を担いでいるのだからな。なあ、皆な」
とオギコを指さし嗤う守備兵は侮っていた。オギコの見た目やその言動から大した輩ではない、と。ゆえに気づかなかった。傍らでブチ切れている側近の姿に。
「バンシ ツグエ」
片言の言葉を紡いだ瞬の間に間合いを詰めて両剣を抜き放った側近は、眼前で侮蔑していた守備兵の肘から先を切り落とし、さらに悲鳴を上げる間を与えることなくくの字型に曲がった曲剣を首筋に添えていっきに引き落とした。
当の守備兵の視点は「ハハ、は、は?」と何が起こったのか理解できない表情のまま傾き、そのまま視界は暗転。ポロッと零れた首から先はゴロりと地面を転がり、躰は糸の切れた人形のようにドサッと音を立てて倒れて骸と化した。
そこに、さきほどまであった嗤いの声ない。ただこの一帯に魂を喪失した物言わぬ屍ような静寂が漂うのみである。
そのシンとした空気を破るように「ギャカ、凄い。凄いよ」とはしゃぐオギコの姿に我に返った魏軍守備兵たちは、一斉に声を挙げた。
「お、大ギコ盗賊団なる者どもを殺せ。仲間の仇をとれぇッ」
大ギコ盗賊団を名乗る者たちを殺そうと武器を掲げて迫る魏守備兵に対して、オギコは慌てることなくどこかに向けて声を張り上げた。
「おーい皆、出番だよーッ」
すると、魏軍後方の木々の隙間から、ぞろり、ぞろりと現れる大ギコ盗賊団の姿が。それらの山林の奥にも複数の部隊が蠢く兆候が見えはじめ……。
「なな、て、て敵襲だ。す、すごい数だぞ。ほ、本営に、本営に応援の要請をッ」
そうして、静寂の朝は混沌の渦へと飲み込まれていった。
慌ただしくて騒がしい。そんな魏軍本陣後方の様子をその丘上から愉し気に見据える集団があった。
「大ギコ盗賊団て……。それじゃあ名前がギコになるじゃないですか。というか、単純ですがオギコ大盗賊団でよかったんじゃないですか」
と丸みを帯びた似非紳士がひとり。
「知るかよ。オギコの好きにやらせておけ」
とは艶やかな黒髪を後ろで束ねた魅惑の美丈夫。
「いいじゃないか。大ギコ盗賊団って名前。私は好きだぞ」
というのは、ちょっと変わったモノが好みな弓を背負いし女戦士であった。
「そんじゃまお前ら、オオカシラのオギコ様が戦ってるうちに、さっさといくぞ」
そうして、不敵な笑みが見据えるのは丘の頂上部で風にはためく魏国旗のある場所であった。
大ギコ盗賊団の騒ぎを皮切りにして、次は魏軍右翼姜燕のもとで、それは起きた。
「なに。その報告に間違いはないのか」
と眉を少しあげて僅かばかりの驚きを露わにしているのは、魏右軍の将姜燕であった。
「間違いありません。夜明けとともに異変に気付いて各方面に向けて斥候を放ちましたが、まだどこからも……」
四日目の戦いはすでに各戦場で始まっていたが、姜燕はいまだ本陣から動けずにいた。
それいうのも、昨日まで対峙していた王翦軍が忽然とその姿を消したからである。そのため、この状況が何らかの策ではないかと警戒の色を強めた魏右翼軍は、思いがけない足止めを強いられていたのだ。
「……ふむ。ならば我々に気取られるこなく、昨夜のうちに全軍を退かせたということか」
「はい。そうとしか考えられません。姜燕様。如何いたしましょう。敵の姿がない以上は、このまま進軍するべきかと愚考致します」
この急激な状況の変化に、姜燕は口をいったん噤むと戦況を鑑みながらこれからの動きを思案することになった。そこから瞑目すること、しばしの間。思案をまとめおえた姜燕は言葉を発した。
「いましばらく、ここで斥候の報告を待つ。王翦軍は警戒に値する敵だ。昨日の戦い、我らの進軍を経路を読んだ伏兵に加えて、味方すら躊躇なく踏みつぶして進む非情なまでの突撃戦法。そのどちらも、不意を突かれて行われれば大打撃になりかねない。したがってまずは索敵を徹底させよ。そののち進軍を開始する」
「ハハッ」と姜燕の命令を受諾した声が魏右翼本陣に響いた。
ところかわって相対峙していた王翦はというと。
「王翦様。姜燕はすぐに追ってくるでしょうか」
そう声を発したのは王翦軍の将亜光であった。
「奴がすぐに動くことはない。そのための種は、すでに蒔いてある」
この言葉ですべてを察した亜光は、かすかに笑みを浮かべると言葉を返した。
「流石は王翦様。それならばこの戦い、温存されるはずでした我らが動いた甲斐がありましたな」
仮面の奥で視線を亜光に向けた王翦であったがその眼はすでに、ここではなく次に向かっていた。
「いくぞ。こちらの思惑に気付かれる前にことを終えておく必要がある」
そうして馬を駆る王翦の鋭い眼光は、この戦いの行く末を見据えていた。
そして最後は、蒙驁の本陣丘の後方で、それは起こった。
「蒙驁ぉーーーぅッ 儂、自らが来てやったぞ。さっさと姿をみせんか。逃げ腰蒙驁よッ」
それは、廉頗来襲の報せであった。
「フォフォフォ。いじり方が変わっておらんわ。……のぅ廉頗よ」
蒙驁は弱腰になりそうになる内心を押し殺して動揺が走っている守備兵たちに向けて声を挙げて語り掛けた。
「皆の者ッ 廉頗が現れようとも慌てるでないぞ。この事態はすでに想定済みじゃ。そなたらは、我が命を受けた各守備隊長の指示通りに行動すればよい。そして、この本陣は絶対におちぬ。皆よ、粛々と戦え。さすれば自ずと我らが勝つ。これは、そういう戦いじゃ」
そして最後に蒙驁は、大きく息を吸い込み胸を膨らませるとこの戦場全体に向かって叫んだ。
「儂はここにおるぞ、廉頗よ。この儂の首、易くはないぞ。欲しければのぼってみよ。逆に貴様を討ちこの戦いに終止符を打ってくれるわッ 総員、戦の準備に取り掛かれッ」
蒙驁の檄は本陣守備兵の心に火を点した。三大天廉頗なにするものぞ、と高まった士気そのままに練り込まれた防御陣が次々に設置されていった。
「蒙驁の分際で吠えおるわ。フンッ いいだろう。うぬのすべてを打ち砕いてその首、野に晒してやるわ」
これらの出来事が複雑に絡まり合い、戦いは遂に終局を迎えることになった。
第77話でした。
誤字脱字、感想、評価、メッセージ。ありがとうございます。
キングダム一億部を突破するそうです。一億部、途方もない数字ですね。続巻は11月ということですので、楽しみです。