「呼び出してすまなかったな」
そう声を出した郭備の躰は包帯が厚く巻かれ、その傷が重度のものであったことを物語っていた。
「郭備様。ご無事で何よりです」
郭備は寝台に腰かけおり、眼前で片膝をつけて拱手の状態で応えたのは郭備隊副隊長の楚水であった。
「ああ。ありがとう。お前には随分と心配を掛けた」
「いえ。郭備様なら必ずご生還されると信じておりました」
そう言葉を発した楚水の目には喜びの色が浮いていた。
「ふふ、そうか。俺は、お前の期待を裏切らなかったことを素直にうれしく思うぞ」
そうして郭備は輪虎に胴体を斬られて生死の境を彷徨っていたあの夜を浮かべた。
「……今にして思い返してみても本当なら俺は死んでいたのだろうな……。出血により意識は途切れ、覚醒したかと認識した場所は、この世ではなかったように感じている。何もない。けれどどこかに引き寄せられるような魔訶不思議な空間だった。あのままよるべき導もなく歩き続けていたならば、お前とまたこうして話せる日は来なかったであろうな」
「導、ですか……。郭備様、それはどういったものだったのでしょうか」
郭備はおぼろげながらも魂に刻まれている境目の記憶を語る。
「うん。そうだな、なんと言えばいいかのか、そう。何か、いや、何者かに、俺は引き留められたのだ」
自分はどこかに向かって歩いていた。うまく表現することはできないけれど、往くべきだと。
「引き留められた、ですか」
漠然とした、けれど、決められていた路であった気がする。
「そうだ。そっちいくな、と。俺は引き留められた。そして……」
郭備は言葉の最後を口に中に留めると、瞑目した。
「どうされました、郭備様」
そこで郭備はフッと息を漏らして笑みを浮かべると楚水にはっきりと宣言した。
「今日をもって郭備隊は解散だ」
それは楚水にとって青天の霹靂とも言える宣言であった。
「か、解散。か、郭備隊をですか。な、なぜッ」
郭備は楚水の心の底から驚いているとわかる表情に向けて言葉を続けた。
「俺の怪我の具合、お前もわかっているのだろう」
そう言った郭備は、輪虎に斬られ落馬した際に、地面に激しく打ち付け機能不全に陥った部位を擦った。
「それはッ……勿論、承知しています。ですが、我らが隊ならば郭備様が前線に出られずとも後方から指揮して頂くだけでその手足となって十全な活躍をしてみせます」
郭備は楚水のその本心からなる言葉を受けとめて「ふふ。嬉しいことを言ってくれる」と頬を緩めた。しかし次に郭備の口から出た音は肯定しない言葉であった。
「そうだな、いまはそれで機能するかもしれない。けれど、隊が千から二千、二千から三千になったときはどうだ。俺はその位に足るほどの智謀を持ち得ていると言えるか。前線には出ず、知略のみを活かして万の敵を打ち破れる将になれると言えるか」
「ッ………」 と口を噤んだ楚水の表情は、理解、つぎに苦悩が順に浮かび上がっていた。
「楚水。お前なら言わずともわかるはずだ。ひとは、俺を智勇兼備の将だと持て囃してはくれるが、俺は智と勇を兼ねていたからこそ、俺たりえていたと考えている。勇陰れば智活きず、智曇らば勇日を見ず。どちらかを欠いては、もう俺ではない」
「そ、そんなことは」
「本当にそう言えるか」
郭備は楚水に苦渋の言葉を吐かせることを申し訳なくおもいながらも口調を強めた。
「俺と、お前の間にそれほどの差があると、断言できるか」
「ある……とは、申せません」
「そうだ。お前は実直で真っすぐな漢だ。俺とお前に大きな差などない。そして、郭備隊が破竹の勢いで千人隊に駆け上がれたのは間違いなく、楚水。お前が俺をいままで支えてくれたからだ。ありがとう」
郭備の言葉に、交えた目に、楚水は知った。郭備の意思はすでに固まっていることを。
「私には、もったいなきお言葉です」
郭備は見て取った。相棒とも呼べる友の目に理解の色が映るのを。
「楚水。それでは、改めて宣言するぞ。いまこの刻をもって郭備隊は解散とする」
楚水は静かに頭を垂れ拱手すると言った。
「……承知いたしました。私は貴方にお仕えできた日々を誇りに思います」
郭備もまた鈍く弱弱しい左腕を挙げて右拳を包みこむ拱手をみせた。
「ふっ それは俺もだ、楚水。よく俺に仕えてくれた。心よりの感謝を」
そうして視線を交えることしばし。郭備は、楚水が「皆にはいつ話されますか」と隊の者たちのことを案じ始めたところで、すべての種明かしをするように朗らかに語り始めた。
「ふふ。実はな、この話をするのはお前で最後なのだ。他の皆にはすでにしてある」
郭備は自身の言葉に一瞬呆けて驚きの表情を見せた楚水に考える間を与えることなく続けた。
「さらにな。彼らはそうであるならば飛信隊にとの要望を受けてな、隊長の信にもすでに話は通してある。そして、決めるのはもちろんお前次第ではあるが、どうする。飛信隊の信はまだまだ粗削りだ。だからこそ、お前のような漢が必要であると俺は思うのだが、どう思う」と。
この郭備のすべてを知った上で提案してみせる姿に、楚水は己のうちにあった想いのまま、心の赴くままに判断をしようと決意を固めるのであった。
「あなた云う人は……。本当に、敵いませんね」
「フフ、そうだろう。これであとの憂いもなくなり、俺とお前の間には上下もなくなったな。さあ。ゆっくりと、友として語らおうか」
「……そうしよう」
この日、二人はながく時を忘れて語らうのであった。
続いて、ある屋敷の一室にて書物に注釈を加えていた漢のもとに訪問者を報せる声が掛かった。
「若君。こちらに下僕のような装いの少年が、若君の知己であると参っておりまするが如何為されますかな」
「私にか……。その少年の名は」
「城戸村の信と。にわかには信じられませんが若と同じ千人将であるとも申しておりました」
「ふむ。わかった。その者は私の知り合いだ。元々は昌文君様が連れてこられた者でもある。失礼のないように客間に案内を。私もすぐに行く」
「畏まりました」と屋敷の者が部屋を去る背を壁は一瞥した。
「信が私の屋敷に……。うむ、一体何の用であろうか」
壁は幾ばくかの思案ののち立ち上がると客間に向かった。壁が姿を見せると信は相好を崩して声を挙げた。
「よっ、壁のあんちゃん。あんちゃん、いいとこに住んでんだな。びっくりしたぜ」
壁は良家である壁家の敷居をまたいでもなお、いつもと何ら変わらない様子の信の肝の太さに少しばかり感心を覚えた。
「おう。よくきたな、信。というか、どうやってここにたどり着いた」
「ん、知ってそうな奴に片っ端から声を掛けた。そしたらそのうちひとりが壁のあんちゃんの知り合いだっつってここを教えてくれた」
「お前はなんというか、型破りだな。そういうことなら渕に言えばすぐに繋がったであろうに」
「あぁ……忘れたぜ。渕さんはもともとはそうだったな」
壁は「フッ」と笑みをみせると言葉を続けた。
「それほどに渕は飛信隊に馴染んでいるということだろう」
「ああ。渕さんは俺たち飛信隊に欠かせない大事な存在だぜ」
「そうか。渕は頑張っているんだな。よかったよ。それで、今日は俺に何の用なんだ」
「そうだった。俺が今日来たのは、戦術ってやつを教えてほしいって思ったからなんだ」
「ほう、戦術をか……」と壁は信の申し出に少しばかり目を見開き驚きを浮かべた。
「ふむ。なんというか意外であるな。だが、考えればたしかに今回の論功行賞で信も千人将になったからには、いままでよりも、もっと全体の事を考えなくてはならなくなるのだから当然かもしれんな」
壁の言葉に信は、流尹平野で行われていた数々の戦いの流れを浮かべて言った。
「この間の戦いで知ったよ……。俺たちは、いままで自分たちの事だけを考えて戦ってこられていたんだって。だから敵がどうこうっていうよりかは、敵が他の奴らに気を取られている隙に突破したり裏に廻ったりして手柄を立てられた。でも千人将っていうのはそういうんのだけじゃないだろう」
「ああ。その通りだ。もちろん信がいま言ったような戦いをすることもある。けれど千人将になれば、それを自分の隊だけで完遂する任務も出てくる。そうならば当然隙を突くために隊を二つ、あるいは三つに分けることもあるだろう。そうなった時でも全体を視て明確な意思のもとに動けていなければ、逆に、敵に各個撃破されて壊滅する危険性がある」
「だよな。だからこう今日明日とは言わねえけどパパっと身に着ける方法とかないのかとおもってよ」
壁は「はァ……」とため息をついてから信に言った。
「お前なぁ、そんな簡単に身に着けられるはずがないだろう。俺であっても幼少の頃より指導官からの教えを受け学び続けていまがあるのだぞ。それを一か月やそこら学んで実践できるほど戦術は甘いものでないぞ。信」
「やっぱりそうだよな……」とガシガシと頭をかく信に向けて壁は、代案になるかも、とふと気づいたことを言葉にした。
「たしか、信の飛信隊には郭備千人将の隊がそのまま加入することになっていたのではないのか」
「ああ、そうだぜ。郭備千人将が治療に専念するってことで隊は解散になって、隊員についてはよければ、そのまま飛信隊として認めてやってほしいってことで、もちろん、喜んで受け入れたんだけど……」
「だけど、どうした。郭備隊ならば戦術が分かる者が一人くらいはいるだろう」
「いや、それが実はさーーー」
そこから信が語ったのは、郭備隊は郭備千人将がおもに戦術を楚水副隊長が戦術補佐および後方支援などを兼務していて、他の者は門外漢であるという事実であった。
それらをきいた壁は、ふむ、と思案すると言った。
「そういった隊があっても不思議ではないぞ。それほどに全体の戦術を理解して実践できる者は貴重なのだ。隊長が頭脳の役割を担い、後方の支援、つまりは兵站などを副隊長が行うことでうまくまわしていたのであろうな。しかし、そうなると後手っ取り早いのは外部から招くという手段しかないぞ」
「外部、隊の外から……か」
壁は信の表情にどうにも納得しかねると浮かび上がっているのを感じとって、さらに言葉を綴った。
「うむ。飛信隊も結成からもうそれなりに長い。そして隊というものは、年月を重ねて結束を強めていく傾向がある。それゆえに外部から加入してくる者に抵抗があるのはわからいではない。けどな、信。これからお前が大将軍の道を目指すのであれば、それこそ多くの、さまざまな考えを持った者たちを一手に纏めていかなければならないのだぞ。ならばこそ、これはお前たちに与えられた試練のひとつとして、考えておくことではないか」
壁は「………」と沈黙して少し俯く信に向けて言葉を続けた。
「信。すぐに納得できなくてもいい。だが、これはいずれかならず必要になることだぞ」
「……考えておく」
「フッそうか。さぁ、それはそれとして、いまどの道あての一つもない状況だ。ならば一先ずはできることからはじめようか」
「できること、ってなんだよ」
「外部の者を頼りたくないというのであれば、お前が身に付けるしかあるまい」
「俺が、戦術を」
「そうだ。いまならとなりの部屋に戦術盤が設置してある。ついて来い。まずは、いまのお前の実力を確かめてやろう」
「えっ。い、いいのかよ。壁のあんちゃん」
「ああ来い。俺とお前の仲だ。それに、ちょうど俺ひとりでやるには味気ないと感じていた所だ。相手をしてやる」
そうして壁は信を連れて先程まで戦術について検討をしていた部屋に移動した。
そこで壁と信が戦術盤で対峙することしばし……。
「ど、どうだ。そんなに悪くはねえだろ」
壁は頭を抱えていた。そして、普段とは違い自信なさげな信に視線を移すと言葉を発した。
「………信。俺とて戦術に明るいとまでは言わぬが、これは酷いぞ。どういえばいいのか……。致命的に向いてない者でももう少しましだったぞ」と。
この結果に壁は早急になんらかの手を打たなければ大変なことになると確信を抱いていた。
「……まずは基本の『き』を叩きこむ。そこからだな」
壁は信に基本的な隊の連携を繰り返し教えながらも手のかかる弟のような信の助力となる術が何かないか昌文君に訊ねようと心にとどめるのであった。
第81話でした。