「旦那。私に頼みたいことってなんだい」
そう女性はもとより備わる気風の良い雰囲気そのままに、椅子に座して茶を啜っている御仁に声を掛けた。
「おや。これははるばるようこそ。まずは、そこにお座りなさい」
御仁は女性と視線を合わせると対面にある椅子を指し示した。
「これでも、色々忙しんですよ。私は」
女性の苦言に御仁は朗らかな笑みをみせた。
「ンフフ もちろん存じています。なにせ、私が雇い主ですからねえ」
「わかっているならいいですよ。それで、今日はわざわざ城にまで呼び出して、私になにをさせるおつもりですか」
「ふむ。では、率直に。あなたに頼みたいことは二つあります。一つは、私の噂を国内にそれとなく流しておいてください」
「旦那の噂を、内側だけにか。それくらいなら、うちの者を使えば難しい話じゃないね。すぐにでも取り掛かれそうだ。ちなみに、内だけでいいのかい。なんなら国外でも構わないよ」
「いえいえ。国内だけでというより、どのみち、どこの国にも余計な草は生えています。ただ抜くよりも、薬草のように有用に扱えるものは、この際ですから使って差し上げましょう」
「なるほど。さすがに旦那は意地が悪いね。それでもう一つは何だい」
「んふ 褒め言葉として頂いておきます。もう一つは、ある人物の捜索です。先日、私が放っている諜報のひとりから目撃情報が上がりましてね。まず、ない、とは思いますが敵性の意思を備えていた場合、どれほどの人的被害が出るかわからない危険人物でもあります。なので、先んず発見したとしても近寄らず、監視に留めておいてください」
「旦那ァ。そんなに危ない奴なら私なんかじゃなくて、軍なりなんなりを動かして拘束に動いたほうがいいじゃないかい」
「それには及びません。もし仮に、そういった意思をもった敵であった場合、発見の報告よりも先に、被害が出ていますから」
「それはそれでどうなんだろうね。私らからしたらまったく信用できない話なんだけど。あとは、そこまで旦那に言わせる人物っての興味が湧いてくるね」
「あなたには馴染みのある名だとおもいますよ」
それから幾月日。いまにも降り出しそうな曇天模様ななか、山里にある集落からさらに山深い集落へとつながる山懐な峠道の一つで、小柄な男の道を遮るように立つ三人の男の姿があった。
「やいやいやい。そこのお前、止まれぇ。いまなら身ぐるみ全部置いていくなら命だけは助けてやるぞ」
そう言葉を発したのは、薄汚れた兵装姿に刃先が所々掛けた剣を手にした男であった。それは、脱走兵の成れの果て、山賊、盗賊、野盗の類に身をやつした姿そのものあった。
「やっぱり、こういう輩はどこにでもいて、変わりがないかァ」
常人なら武器を手にした三人もの男たちに囲まれたこの状況は、窮地といって差しさわりなかった。しかし、この小柄な男に気負いなど一切なくただ、面倒だなァ、とさらにこぼすのみであった。
「なに余裕ぶっこいてやがる。まさかおめえ殺されねえとか考えてんじゃねえだろうな」
そう男の一人が声を挙げると抜き身の剣をその男に向けた。さらに、残りの二人も武器を構えると「グへへッ」と威嚇するように距離を詰めていった。
そんなとき剣先をその男に向けていた兵士崩れは、その男が佩いている剣に目を止めた。
「ん、なんだおまえ。餓鬼みてえななりのくせに、みたこともねえいい剣をぶらさげてんじゃねえか。おら、ちょっとその剣をよこせ」
兵士崩れの男がその男の剣に手を伸ばした瞬間であった。唐突に小柄な男から立ち昇った濃密な殺気に当てられた兵士崩れの男は、ひィ、とか細い悲鳴をあげて地面に腰をつくはめになった。
このとき、兵士崩れの心の内は「はなれなければにげなければこのおとこからいっぽでもとおくにッ」と悲鳴にも似た声をあげていた。しかし、肝心の躰はというとまったくと言っていいほどにうまく動かすことができずに、ただ地面をじたばたと腰ををひきずりながらにじり下がるだけで精一杯であった。のこりのふたりも同様で、恐怖に全身が震えてしまい、まるで地に足を縛り付けられたように一歩も動くことが出なかった。ただ口元だけはひたすらに歯をがちがちと音を鳴らす機械のように動かすのみであった。
「僕に剣を向けたうえに、殿から授かったこの宝刀を奪おうとするなんてね。その愚かさは、死んで噛みしめるいい」
小柄な男は、眼前の男の首を滑らかな剣筋でスッと刎ねると返す刀でもう一人を同様に刎ねた。ごろんごろんと転がる顔に浮かぶのは眼球が飛び出さんばかりに見開かれた恐怖に彩られた表情であった。
その光景は残るひとりに躰を動かすための正気を束の間にだが取り戻させた。けれど逃げ出そうとして躰を翻しては転び、立ち上がろうとしては前のめりに顔面を地面に打ち付け、それでも男は、うまく回らぬ足をばたばたと動かしなんとか逃げ出そうとしていた。
「は、はわ、わわわぁァあああ」
それは、いっそ哀れな感情を抱きかねないほどにみっともない姿をさらしていたが男が逃げ切ることはなかった。
「逃がさないよ」
男が最後に見た景色は「ドスッ」という音ともに走った痛みのさき、胸から生えるぼろぼろの槍であった。槍に貫かれた男は口から朱い血をゴボっとこぼすと崩れ落ち、絶命した。
「あぁあもう、降り出す前にしのげるところを探すつもりだったのに、ほんとに無駄な時間をつかっちゃったなァ」
小柄な男が空を見上げると曇天はしとしと降りだす雨模様へと移り変わって、あたりを濡らし始めていた。
「まあ、いいや。どこに向かうでもないあてのない旅だし……」と小柄な男は鞘に剣を納めようとして動き止めた。そして視線を少し離れた茂みに向けると声を張り上げた。
「いい加減出てきたらどうだい」
しかし、それに何らかの反応がしめされることはなかった。ただ峠道から聞こえくるのは、今しがた降り出した雨が木々を打つ音だけであった。
「そう。そういうつもりなら、余さず死んでもらうことになるよ」
そう小柄な男が口にしたかと思えば、先程の殺気など稚児が発していたのかと見まがうほどに強烈な、もはや狂気とも呼べる代物があたり一帯に立ち込めた。
その瞬間であった。
「がさっ」という音とともに木々の間の茂みから姿を現す者がいた。
「ま、まって、てきい、は、ないっ」
小柄な男はその者を見咎めるとある種の確信を抱いて口を開いた。
「おや。君、もしかしてーーーと同郷だったりする?」
「ーーーを、しっ、ている、の。よかっ、た」
知っている名を口にしたこの男に、その者が安堵の息を吐いたのもつかの間であった。
「ふむふむ。なるほどねえ。僕が手を下すまでもないけど、これも天のお導きかな」
そう小柄な男は自己完結するように数度頷くと結論を口にした。
「よし。君に恨みはないけど死んでもらうよ」
そして、小柄な男は天に剣を掲げるとその者に振り下ろした。
場面は変わり、秦趙国境付近。
そこには、畦道を並んであるく姉妹の姿があった。
「じゃあ私はここまでだから、十分に気を付けていくんだよ」
そう肩をならべて歩いていたうちのひとりが立ち止まると言った。
「わかってる」とその数歩先で背中をみせたままの少女は応えた。
「祭を……、祭をくぐりぬけ、蚩尤となった幽連の強さは、もうわたしたちが想像する域を超えているかもしれないよ」
「大丈夫。私の巫舞は絶対に負けない。象姉だって知っているはず」
いっしょに姉妹として育った羌瘣の言葉に姉である象は苦言を呈した。
「あんたねえ。そういうのは慢心っていうんだよ。いまの敵の力量もわからないんだ。それに幽連は、私を嵌めるくらいに狡猾だぞ。慎重にこしたことはない」
「……そう、だった。慢心はしない。でも、幽連と向き合えたら、私の勝ちは揺るがない。私の最深の巫舞は、最強だ。確実に殺せる。いや、殺す」
この羌瘣の言葉に象はわからないなとため息を吐いてから続けた。
「フゥ。どうしてそう執着するのかね。私がしなくていいって言ってるんだから、あんたはもう関わる必要はないんだよ」
それに羌瘣は拒絶を示す言葉を並べた。
「それはできない。ここに来るまで何度も言ったけど、私は象姉を陥れて蚩尤となった幽連をどうしても赦すことはできない。本当の勝負だったなら、絶対に象姉が勝ってたんだ。それを私が証明する」
そして、はっきりと宣言した。
「象姉は負け犬なんかじゃないっ」
瞬間、象のこめかみに力がはいった。そしてあげる怒声。
「だれが負け犬だっ。このダメ妹がっ」
象は拳骨を振り上げた。
が、しかし。象はその拳骨を落とすさずに留めて羌瘣と視線を合わせた。そうして、妹、瘣の姿を目におさめること数拍のとき。
さきに声を発したのは羌瘣であった。
「……じゃあ、行ってくる。待ってて象姉。羌族が最強だって証明してくるから」
それは、出立の言葉。苛烈な戦いとなるであろう旅のはじまりを告げる言葉であった。象はふり挙げていた拳を開いて羌瘣の頭に乗せるといとおしそうに数度撫ぜてから言った。
「ちゃんと……生きて帰ってくるんだよ。もうあんたを待ってるやつは私ひとりだけじゃない。ほかにもいっぱいいるんだろ」
「……うん。絶対、生きて帰るよ」
幕間 天の計らいでした。
投稿日から大筋に変わりはありませんが、ちょこちょこと口調などに変更を加えました。
ちょっとしたところで印象が変わってしまうなあと試行錯誤しています。