「君は、これが大いなる勝利のためだとしても、秦国の仲間をだしにした策略を使う僕のことを非情だと思うかい」
と言葉を発したのは、露草色に似た青を基調とした衣装を身に纏った青年であった。
「それがこの一帯の劣勢を覆すために必要な策略であるなら、そうするべきだと俺はおもう。それに、そのだしになっているのは、そんなヤワな奴じゃない。どんな状況でも絶対に諦めない。そういう奴だ」
そう応えたのは、中国神話に登場する狕の面で素性を露わにしていない漢であった。
「……彼のことを随分と信じているみたいだけど、ここは戦場だ。まあ、その彼を死地に置いた策を為そうしている僕がいうのは気が引けるけど、もし、少しでも戦う意思を保つことができずに挫けてしまっていたら、最悪、全滅をしていたとしてもおかしくないよ」
青年は、物言いこそ非情な面を覗かせているが犠牲をいたずらに増やしたいわけではない。けれど、敵が秦軍のもっとも戦況の悪いこの戦線に注力し始めたことを逆手にとって、各戦線全体を押し返す方策を巡らせた結果であった。
「もしそうだったとしたら、その程度だった。それだけだ。だが、俺の知っているアイツなら、どんなに苦しい状況だったとしても決して諦めずに戦い、死中のなかにでも活路を求めて剣を振るい続けているはずだ」
「なるほどね。彼とは顔見知り程度かと考えていたけど、彼と君には、なにか特別な繋がりがあるみたいだ」
「それは昔に……すこしな」
「君たちの過去に若干の興味はあるけれど、話してくれなくても問題はないよ。僕としては両隊の隊長二人が相互に協力しあえる関係なら、今後についてもやりやすいかなってだけだから。それに、ちょうど僕の妹分もいるからね」
ふとして湧いたひとときの会話。注視していた丘にかざされた旗に気付いて青年は声だした。
「……っと、合図だ。うまくやったみたいだね。河了貂」
同じ頃。最前線の攻防は最後の局面を迎えようとしていた。
「皆の者。将軍より総攻撃の号令がかかったぞ。一兵たりとも見逃すなッ」
魏の精兵千人の指揮官道清の声に、いよいよ待ちかねたとばかりに魏兵たちの意気は盛り上がって攻勢は激しさを増した。
「征けぇええ。秦の糞ども皆殺せぇッ」
「わっはっは。ここまで道清の声が響いて来おるわ」
「フフ。将軍直下の精兵も加わりましたので、すぐにでも飛信隊の殲滅も時間の問題でしょう」
それは魏軍里井攻防を指揮する将軍間永と軍略を補佐する魏軍師八師氷鬼であった。
「氷鬼よ。ここを完全に占拠した後の計画に抜かりはないであろうな」
「お任せください。里井攻略を皮きりに隣接する戦線各所に部隊を派遣します。拙速を尊びますので、将軍には他戦線から集結させた部隊の速やかな編成を行って頂きます」
「うむうむ。儂に任せ……ん。なんだ」
間永は耳で音を拾い気に掛けた。
「ん。後方からですので、他の戦線からの増援で、しょ、将軍……ッ」
「ど、道清様ッ。ほほ、本隊が強襲されていますぅ」
「……は。なにを言っ……、ッ馬鹿な。敵はどこから現れたというのだ。こうしてはおれん。ただちに救出に向かーーー」
本隊の危急を受けて、即座に道清は馬首を回して駈け出すところで突如掛かった声に動きを止めた。
「待ちやがれッ。てめえの相手はこの俺だ」
そこにいたのは完全に包囲していたはずの敵部隊の隊長であった。
「な、貴様ァ。あの包囲をどうやって抜けてきた」
「ァア゛ ハァ。ハァ……、んなもん。見たまんまだろうがッ」
その言葉の通り、敵部隊隊長の背中の先には、包囲網の一部が貫かれている様が見て取れた。
「……敵の力量を見誤っていたかのか、俺は」
ここまで彼らが知り得ていた飛信隊の姿は、山陽戦での急造千人隊の姿あり、そして、この里井の攻防で窺い知れたものは兵数千を相手取って兵一千で守る力であった。また彼らは、飛信隊の本質的な強さが『守』ではなく『攻』に偏っていることを知り得えなかった。
さらに彼らは、ここまでの戦いが終始優勢に進められたことで、包囲攻撃で起こる一地点の密度の低下、それによって突破される危険を憂慮していなかった。
いや、そうさせなかったのだ。
「ッグ。だが、包囲をすり抜けられたのは、すでに消耗しきった貴様ただ一人ではないか」
道清は矛を強く握りしめて馬腹を蹴ったのちに吼えた。
「邪魔をッ、するなァあッ。糞餓鬼が一撃で屠ってくれるッ」
それは戦いの経験が薄い者であるなら思わず怯むほどに激しく気迫のこもった雄たけびであった。それに相対峙する漢もまた「フゥ」と一息吐き出すことで呼吸の乱れを整えると馬腹を蹴ったのちに応えるように声を挙げた。
「うるせえぞ。魏の雑魚すけが調子に乗ってるんじゃねえッ」
そうして、対峙する両名は馳せた。
「死ねえ。薄汚い秦人の餓鬼がァッ」
一瞬の勝負であった。
「うらァあああッ」
矛と剣。二頭が馳せて交錯。矛は空を切り、剣は身をとらえた。
「グフッ」
さきほどまで血気盛んに声を上げていた頽れる躰が一つ。交差した先には勝者の姿があった。
「飛信隊の信が、敵を討ちとったぞッ」
飛信隊隊長信が高らかに掲げた剣先と勝利を宣言する雄たけびは、劣勢の戦いの最中にあった隊員たちにも届いて鬨の声をあげさせた。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
疲労困憊。信の躰は大小いくもの傷から血が滲んで、流れ落ちる汗が肌を刺激していた。
それは、飛信隊軍師河了貂が仕掛けた罠。
手の内のすべてを曝け出すことで敵軍師の意識を欺く策略であった。
「一点突破。まじでぎりぎりだったぜ。貂」
信が敵のなかでもっとも勢いのあった指揮官を討ったことで拡がった動揺、さらに秦国の別動隊による本隊制圧の一報が加わったことで、魏軍は、いまだ兵数こそ優位であったが、戦いを放棄し遁走を開始するにいたるのであった。
その様を別動隊としてのひと仕事、本隊の制圧を完遂させて観ている者たちがいた。
「初めの予定通りに追撃は行わないでね。李豹」
「わかっている。いまは、この地の平定が先だ。それに信もうまくやったみたいだしな」
李豹の視線のさきには、馬上で剣を掲げる信と喜びを表すように騒がしい飛信隊の姿があった。
「……あれが飛信隊の信殿か。正直、あれだけの包囲陣だ。僕としては、河了貂の策が功を奏するのか不安なところがあったけど、きっちりとやり遂げてきたね」
「だから言っただろう。あいつは絶対に諦めない、と」
「ふふ、そうだね。君の言ったことは正しかったみたいだ」
李豹は視線を移して訊いた。
「それで、捕らえたこの二人の魏国の将校はどうする」
「この二人は土門将軍のもとにーーー」
と敵本隊を奇襲、制圧した千人部隊豹騎隊隊長李豹とその軍師となった蒙恬の弟である蒙毅が会話を重ねていると馬蹄の音とともに声が掛かった。
「李豹ぉッ。お前、怪我はもうよくなったのかよ」
信であった。
「信か。あの近利関の夜以来だな。あれから何か月経ったと思っている。もう完治しているさ」
「ハッ。そうかよ。つうか貂の言ってた別動隊ってのは、お前のことだったんだな。驚いたぜ」
と信は李豹の隣で拱手をする人物に気が付いて訊いた。
「んで、そっちの奴は誰なんだ」
「はじめまして。僕の名は蒙毅。君と戦場をともにした蒙恬は、僕の兄にあたります」
「ってことは蒙恬の……へえ、そうなのか。俺は信。千人部隊飛信隊隊長の信だ」
「あなたのことは兄から聞いています。勇猛さが際立つ将であると」
「フッ。勇猛が際立つ、将か。なあ、信」
「あ、なんだよ豹」
「将、なんだぞ。なにひとつ持っていなかった俺やお前が千人の将。一角の部将として戦場で戦っているなんて、凄い事だとおもわないか」
「あん。たしかにそうかもしれねえけど、忘れてねえか。俺が、俺たちが目指してんのは天下の大将軍だぞ。こんなところで、まだまだ満足なんてしてられっかよ」
李豹は面の奥で笑み零した。なに一つの翳りもなくただ純粋に邁進する信という相棒の変わらぬ姿に。
そして李豹は言った。
「フッ。変わらないな、信。だけど、先に大将軍になるのは俺だ。お前は俺の後をゆっくりとついてくればいい」と。
火種であった。
「ァァ˝。ふざけんなよ。大将軍にさきになるのはこの俺だ。お前があとからついてこい」
「いいや、俺が先だ」
「俺に決まってんだろうが」
「お前は後だ」
「お前があとだッ」
そうして、馬上でお互いに譲らずに意地を張り合う様子をいっそ微笑ましく眺めていた蒙毅に聞き覚えのある高い声が掛かった。
「ねえ蒙毅。勝ったのにあのふたりはなんで言い争っているの」
飛信隊軍師河了貂であった。
「河了貂。すぐにこっちに降り来ていたんだね。あれは、高い志があるふたりにとってとても重要なこと、かな。それより、よくやったね」
「うん。ありがと。オレのっていうか皆のおかげかな。オレのことより、この場の戦いだけで考えていたオレと違って蒙毅の策は、戦場を大きくみていて凄いよ」
河了貂の視界に映るのは李豹たちに捕えられ、縄で縛られた状態で地面に座す魏軍の将軍間永と軍師氷鬼であった。
「そうかな。でもね、河了貂。これは僕の策に君の策が合わさったからこそ想定していたよりも迅速に推移した結果でもある。だから謙遜しなくていいよ」
「え、そ、そうかな」
「そうだよ。一部隊、一戦線だけで為しえないことは沢山ある。だからこそ、広域な目をもてる僕らのような軍師が必要なんだ」
そう蒙毅が言葉を口にしたところで噛みつくような声が足下から挙がる。
「軍師、軍師だとふざけるなァッ。お前らのような子どもが軍師などど笑わせるッ」と。
声の主は捕虜となった氷鬼であった。
「戦場は貴様たちのような子どもの遊び場じゃないぞッ。何をしたのか本当にわかっているのか」
蒙毅は応えた。
「もちろんですよ。僕や河了貂がその覚悟をしていないとでも」
「ッならば教えてやる。とくにお前だ。飛信隊の軍師ッ。お前はうまくやったと考えているのかもしれないが、自分の隊を孤立無援の窮地に追い込むなぞ、常人のすることではない。我ら精強部隊を引き寄せるためにどれだけの犠牲を払った。言ってみろ餓鬼がッ」
「……それはーーー」
と答えようとした河了貂に蒙毅は名を呼び遮るように続けた。
「河了貂。なにも答える必要はないよ。それと、魏・軍師八師の氷鬼殿」
「ッ。……私を知っていたのか」
「当然でしょう。敵の陣容を知ることは戦いを知ることに繋がるのですから。そして、私が貴方に伝えることは一つです。今この状況こそが、すべて。そうではありませんか、氷鬼殿」
その言葉で氷鬼はあげていた顔をさげて「……ギリッ」と歯噛みした。
「その、通り、だ」
「わかって頂けたようで何よりです。さあ、李豹」
李豹は向き合っていた信から視線を移すと言った。
「ああ。そろそろ出発しよう。信。この捕縛した二人の身柄はお前に預ける。俺たちはすぐに戻らねばならないからな」
「ん。手柄はいいのかのよ」
「そのことについては、こちらの軍師蒙毅と河了貂と間で話はついている。俺たちが得る戦果は、ここからさきにあるからな。なにより、この作戦は信たち飛信隊の働きがあったからこそ、俺たち豹騎隊の損耗は最小限で済んだことは大きい。あと付け加えるなら、俺たちはこの作戦のために隣の戦線に穴をあけてきた。だから、いまから敵の目ぼしい戦力を削った流れでそのまま戻ることになる。ちゃんと話は通しているが、土門将軍はかんかんだったからな」
「隣は土門のおっさんかよ。すぐ怒るだろ、あのおっさん」
「……たしかに少しばかり血気が盛な方ではあるけれど、俺たちの話をちゃんと聞いてくださるぞ」
「そうかよ」
李豹は信と視線を一拍交えた。
「じゃあな。信」
「おう。またな豹」
李豹は手綱を引き声を挙げた。
「豹騎隊。行くぞ」
豹騎隊は李豹を先頭に元居た戦線に向かって駈け出した。その最中、蒙毅は馬の脚を止めると言葉を発した。
「あまり気に病むんじゃないよ河了貂。それと、もし本当に無理だと判断したのなら、必ず戦場を離れること、いいね。それじゃあ僕も行くよ」
河了貂は拍の間顔に陰りを揺らせ言葉を返した。
「……うん。ありがとう蒙毅。またね。何かあったら、教えてよね」
蒙毅は頷くとすでにさきを駈けている豹騎隊の後を追った。
「貂。いまのは」
「ん、なんでもないよ。ただオレの問題っていうだけ。それよりも、だ。信。急いで皆の状況を確認しよう。負傷者の手当を急がせて。あと、山陽にこの一帯の戦果の報告をして、守備兵の増員をお願いをしよう」
第88話でした。
アニメキングダム五期。
黒羊丘戦が盛り上がってきましたね。副長の男気が光る!!誇らしげな渕さんポーズもよかったです。
最後に、おおくの原作者様方に大きな敬意と感謝を。