「ふむ。魏・軍師八師、か」
秦による山陽城の占拠から始まった周辺一帯の平定戦は、先手を打った魏が里井の奪取のために兵力を傾けた矢先に、若手軍師である蒙毅、河了貂両名による作戦によって逆にこれを破ることに成功した。
「師匠のご期待に添えませんでしたか」
これによって一時的に指揮系統が麻痺した里井一帯は、組織的な抵抗をする術をなくすことになった。
「もとよりさほどの期待はしていない」
「それは、大戦を任せられる者はいない。ということでしょうか」
その間隙を縫うように素早く進発した李豹豹騎隊が敵の残存兵力を悉く撃破、退却させたことで、魏軍は里井一帯から完全に撤退することになった。
「フフ。逆に、お前はどう考えている。鳳明」
また里井奪取のために兵力を傾けた魏軍は、各戦線を支える予備兵の不足を招くことになり徐々に劣勢へと追いやられていくことになる。
「あの氷鬼という男、生来の高慢な性をうまく包み隠す術を持つ程度に頭は回るようですが、評するなら箱庭の軍師と言ったところかと」
「箱庭の、か。面白い評ではないか」
「はい。時におおきな変化に富むことがある大戦を任せるに難がありますが、舞台なる戦場から敵軍までをしっかりと下調べをさせ上での中規模の戦いにおいてなら、と考えます」
霊凰は、弟子の呉鳳明を一瞥し、ふむ。としてから続けた。
「……最早、早期の山陽奪還は難しかろう。もとより、先の大戦における敵の力を理解していたのなら、本腰をいれずにやり遂けられようはずもないのだがな。その辺りを把握できておらぬ大臣どもが差配を主導し、自ら失脚していく様は悪くない。いずれにせよ、これでやりやすくなった」
「そうですね。我らにとっては確かに好都合です。それに、対秦において警戒すべき将の名も粗方を知れました」
「そうだな。王翦に桓騎、鬼面の朱錐に虎の虎豹。加えて龍面の王騎か。まったく、隠れた傑物に加えて厄介な奴らが戦場に舞い戻ったものだな」
「はい。さらに、秦はいま若輩とはいえあらたに頭角をしめす者たちの姿が目立ちます」
そして、これまで不調とみられていた王賁玉鳳隊が急速に力を発揮し始めたことでその流れは完全に秦に傾くことになる。
「賁様。この番陽、本日より玉鳳隊に復帰を致しますぞ」
言葉の主は番陽。応じるは玉鳳隊隊長王賁であった。
「副長としての復帰を認める。これからも変わらぬ働きを期待する」
王賁の言葉の返しに番陽は「ハハッ」と手の平を包み込んでいる拳を強くした。
「この身が朽ち果てるまでお仕えいたしますぞ」
王賁は番陽の淀みない言葉、滞りのない所作を前に「そうか」とこぼし周囲にわからぬ程度に口角を少し上げてた。
「さっさくだが、お前に副長補佐として黒金を付ける。これまで実戦で幾度か編制をし直して試したが、黒金が最も周囲に冷静な目を配れていた」
「おや、賁様それはもしや……」
「お前の言に一考の価値があると判断したまでだ。俺の玉鳳隊は、これから必ず大きくなる。そのとき隊の大きな力となるように番陽。お前が導け」
「賁様。承知いたしましたぞ。この番陽にお任せ下され」
王賁はひとつ頷くと言った。
「よし。すぐに出る準備だ。業腹ではあるが、飛信隊ならびに豹騎隊の活躍によって各戦線に歪がうまれているこの好機を逃す手はない。玉鳳、出るぞ」
先頭を勇ましく駈け出した王賁の姿に付き従うように番陽は声を挙げた。
「皆の者。賁様に続けぇえッ」
ここから玉鳳千人隊はさきごろまでの不調が嘘であったかのように快進撃を始めた。それは、三百人隊から千人隊になったことで起きていた隊員それぞれがもつ共通の認識や感覚のわずかな差異、そこから生じる連携の乱れや遅延による拍の間の空白、その隙を解消したことに他ならなかった。
「これは……圧巻ですな。千人のすべてが賁様の手足であるかように自在な動きをみせておりますぞ」
そして、それが玉鳳が一つの宝珠としてあらたな輝きを放ちはじめた瞬間でもあった。
「まだまだだ。玉鳳の、俺の目指すべき頂には程遠い」
王賁は槍を強く握りしめた。
「見つけたぞ。あれが敵の本隊だッ。一気に叩く。ついて来い」
こうして敵前線を荒らして回る王賁玉鳳隊の躍動は、前線に立つ兵士たちの士気をおおいに高めるのであった。
「目立つ、といえば鳳明。直接指揮を執ってはいないとはいえ、お前の策を打ち破った者がいたそうだな」
「はい。全体の編成にまで関わってはおりませんが、基礎となる作戦の流れを組みました。ですので、私自身も戦場に立ち経過を見守っていたのですが、あえなく、敗走致しました」
「作戦に何か不備が」
「……不備、というほどの綻びはなく、敵の要所を守る将を討つところまですべてが順調でした。もし、ある。とするとしたら、敵の将を討った瞬間の気の緩み。そして、名もない部隊の長の英断、でしょうか」
霊凰は瞬時に当時目を通した戦況報告からの所感を述べた。
「こちらの将を討ち、尚且つ、要所を守らず攻めに転ずる大胆さは、機を見るに敏。育てば厄介な敵になるであろうな」
本来の戦線に復帰した豹騎隊は独立遊軍として土門将軍らの奮戦によって膠着した戦線を縦横無尽に突き崩したかと思えば、ときに、囮となって陽動に徹するなど、形に囚われない意表をつく部隊運用で敵を翻弄した。
「蒙毅が軍師として加わってくれたおかげで、戦場を別の視点から見えるようになった気がする。ありがとう」
「うん。戦場は広いからね。僕にしても、この李豹豹騎隊で戦術盤だけでは得られない経験を積ませてもらっているから、これはお互い様かな」
「そうか、君にも利があるというならよかった」
李豹は少しの沈黙のあと訊いた。
「これは答えられるならで構わないのだが、訊きたいことがある。なぜ、この豹騎隊に加わろうと考えた」
「それには理由が二つあります。ひとつは、大本営に玄峰先生が招かれたことです」
「玄峰……先生?」
蒙毅は
「彼のお方は大変な軍略家であられるのですが、元とはいえ秦の怨敵である趙国の大人物ということもあって、上層部からすると直接的な軍事作戦に携わさせるにことに不安がある、ということで、教えを乞う。という形で参加して頂いています」
「そうはいっても不安があるのは事実ではないのか」
「それは祖国の趙や廉頗将軍らといまだに繋がりがあるではないかという疑いのことですね」
李豹はコクリと頷いた。
「その疑いを持つのはもっともだとおもいます。ですので、私も昌平君先生より玄峰様の付き人を申し付けられて、ここ最近までずっと張り付くことになりました」
「……それで疑いは晴れた、と」
「完璧に、とはいきません。あの御歳になるまで軍略に携われた方ですので、その老獪さは私に推し量れるほど浅くはないでしょうからね。そこは、軍総司令を信じて頂くことになります」
「……御仁が招聘されたことで手が空いた、と。それで二つ目は」
「二つめは、僕が目指す父や兄の力になれる軍師になるという目的のためです。これまで、先生のもとで軍略の知を積んできましたが、先生は、実践に勝るものはないとも仰られていました。そして、機となる出来事、大本営に玄峰先生が参画されたことで、僕の役割に変化……、いえ、戦場に出よ。と勧められた。というのが正しいのかもしれません」
「ちょっと待ってくれ。それは、戦場に出た理由であって、我が隊を選んだ理由ではないだろう」
「ええ。これは気を悪くするかもしれませんが、端的にいうと、僕にとって豹騎隊がちょうどよかったのです」
「ちょうどよかった。とはどういう意味だ」
「まず、僕に戦場で誇れるような実績はありません。そのため、自分の力を示せる場が必要でした。ですので、すでに形として出来上がっている隊は望ましくなかった。つぎに、僕も早死にしたいわけではありませんので、元々の実力は高い方がよい考えた。つまりは、僕の入り込める余地があって苦境にある隊。それがこの豹騎隊だったのです」
李豹は蒙毅と視線を交え、少しの間をおくと応えた。
「……なるほど。納得はできるし、だからといって気を悪くもしない。蒙毅の加入は千人隊をうまく回すことに精一杯だった立場からすれば、まさに渡りに船だったからな。だが」
とふいに狕面の奥にある眼光が鋭さを増した。
「それがすべてじゃない」
そうだろう。と李豹は確信をもって蒙毅を見据える。蒙毅はひとつゆっくりとまばたきをしてから応えた。
「はい。豹騎隊が選ばれたのには明確な意図があります」
蒙毅は李豹の眼をまっすぐに見据えて続けた。
「それが僕が前線に出るにあたって課せられた任務の一つでもあるからです。原則として、任務の内容の口外は禁じられています。が同時に、任務に支障が生じる場合に限り、僕の判断で明かすことの許可も得ていますので、あなたが望むのであれば、お教えすることもできますよ」
今度は李豹が狕面の裏でひと拍の瞑目ののちに応えた。
「いや、明かす必要ない。俺にはさきほど蒙毅の言葉は真からでたものだと感じた。だから俺たち豹騎隊とって害にならないのならいい」
蒙毅はふふっ。と微笑みを浮かべると応えた。
「当り前です。先生は、つねに秦国全体の事を考えられていますから自国の不利になるようなことはなさられませんよ」
「わかった。蒙毅、これからもよろしく頼む」
「はい。新たな任を授かるその刻までともに戦いましょう」
奇しくも不調とみられていた三つの部隊が時期を同じくして躍動し始めたことで、魏軍は山陽奪還作戦を放棄せざるを得なくなるほどに撃退されることになり国境付近まで引き返すことになった。
第89話でした。