山陽一帯の平定に向かって飛信隊や豹騎隊、王賁玉鳳隊に蒙恬楽華隊が新千人部隊として華々しい戦果を挙げている頃、最前線となる国境近辺からやや外れた行路のひとつ。
「さあ、これが最後だ。持ち上げるぞ」
そこに朱錐はいた。
「応ッ」と返した複数人の屈強な漢たちが破城槌に使われるほどに頑強でおのれの背丈ほどの長さもある材木を担ぎ上げるために手を添える。
「いち、にの、参ッ」
朱錐の掛け声とともに後方から「うオオオッ」と挙がる屈強な漢たちの声ととも丸太が浮き上がっていく。その様を帰還の途中に見て取った馮はおもわず言った。
「……いや、軍長のお前がなんで運搬作業をしているんだよ。指揮をとれよ、指揮を」と。
そう、軍長である朱錐が一本の破城槌を思わせる丸太を軍中の力自慢たちを伴い担ぎ上げて設置場所まで移動させてしていたからであった。
「おう、馮か。これは鍛錬の一環に良いと思ってな」
と朱錐は足を止めて平時のように言葉を発していたが、その後ろでは丸太を支える力自慢たちの顔は真っ赤に色づいて、だんだんと苦悶の表情が焼き付き始めていた。
「……もういい。後ろがやばそうだからまずはその丸太を置いて来い。俺は天幕の所で待ってるわ」
しばしのあと、自軍の天幕に戻った朱錐は中に入ると待機していた馮に声をかけた。
「馮。待たせたな」
「おう。終わったのか。まあ、これでも飲め」
と馮は腰に携えていた水の入った瓢箪でつくられた筒を手に取ると掲げた。朱錐は礼を述べて受けとると栓を開けて口に含んだ。
「うまいな。それで、なにか新しい報告はあるか」
「ここらの大きな話はないな。他の戦線なら一昨日か、微子にある景城に侵攻してきた魏を追い返したと聞いたぞ」
「微子の景城なら李豹たちも入っていたのではないか」
「ああ。なんでも魏は、陳城の城主が自ら軍を率いていたそうだが、それを李豹の豹騎と飛信隊とが協力し合って討ち取ったって話だ」
「それは大手柄だな。これは山陽一帯の平定がいよいよ見えてきたな」
それからひと月ほど過ぎた頃。
山陽城に一帯に展開していた主だった部隊の参集が行われるとともに黒衣同色の甲冑を身に纏った旅団が入城することになった。
黒衣甲冑を纏う者の正体は、秦国朝廷直属の特殊護衛部隊である。つまりは、旅団の主が秦国中央における重鎮である証であった。
件の特殊護衛部隊に護られて悠然と姿を見せたのは二人の漢であった。
場所は城郭の内にある大広間。
その壇上となる上段広場から下方を見渡せば、整然と並ぶ屈強で秦国の武威を担うべく立つ将兵たちの無数の目が佇んでいる。
そんな秦国の武威を担う彼らが壇上に姿を見せた薄い藤色の外衣の漢にむけてゴクリと唾をのんだのは、その人物の威風によるものか、はたまた、大本営にて戦略を預かるほどの大人物であると気づいたからなのか。
大広間は静とした静寂の波に飲み込まれていった。
この場の注目を一身浴びた漢は、泰然と、力強く声を張り上げた。
「いま、この刻をもって山陽は名を改めることになる。これより先、山陽は山陽にあらず。秦国東群であると宣言するッ」
言葉の主は、秦国総司令昌平君であった。
「それにともない他の城邑より秦人一万を集めて移住させる」
これは、異例の措置であった。
なぜなら、この時代の戦争とは、国土の奪い合いに終始していたからである。例え、大軍を起こし侵略して奪った地であったとしても、数年のうちには、獲られた側による反撃や他の隣国によって攻め込まれ、すぐにまた奪われるといった具合に重要地の奪い合いが繰り返されていたからだ。さらに各国の情勢はよっては割譲や返還、放棄もあった。
だからこそ奪った地に自国民を入植させるという行為がいかに異例な措置であったかが理解できるだろう。
昌平君は徐々に語気を強めていく。
「よって、これより先、この東群はーーー」
そして全兵士に向けて秦国の方針を高らかに宣言した。
「我らが命を賭して護るべき秦国土そのものになった。その旨、とくと頭に焼き付けよ」
これは、「この地を絶対に手放すことはない。」という秦国中枢による強い意志の表れであり、つまるところ、この山陽改め東群宣言は、現秦国中枢の思惑が領土拡大であることを中華全土にむけてはっきりと宣言したも同然の形であった。
「さらに行政の長に李斯を据える。これより、この地は秦国の法こそが導となって民を治める」
おもむろに昌平君の後方から歩み出た呂氏四柱李斯は簡潔且つ明確に言葉を発した。
「李斯だ。私が来たからには、これよりさき一切の容赦なく秦国の法が敷かれると覚悟せよ。承服できぬ者は、即座に退去させる。以上だ」
この李斯の言により、元山陽の民は選択を迫られることとなった。
それがどれほど憎き敵国であろうとも住み慣れた家を、土地を、容易に捨てさることは難しいものである。それでも、他の地に寄るべのある民は断腸の思いを胸に城をあとにし、寄るべのない民であっても秦人と同義とされる地に住んでなるものかと布地の袋に家財を詰め込み、ただの身一つで住み慣れた城を捨てて流民と化す者たちも多くでることになった。
秦国東群宣言がなされた城下では、水面におちた水滴が波紋を広げるようにひとびとは街路を慌ただしく駆け抜けていき、各所では事のあらましを声高に叫ぶひとを囲う塊うまれ聡いものから順に家路を急いでは家財を荷車に乗せる姿が目立つようになっていった。
その様を信は蒙恬と城壁の上から眺めていた。
「なあ、蒙恬。どこもかしも大慌てって感じだな」
「まあ当然といえば当然だな。この一帯に住んでる人からすれば、生きてる間に一度あるかないかの一大事だ。まさかの東群宣言だよ。まったく」
と、そうお道化るように語る蒙恬に信は顔を向けると「やっぱ、そんなにすげえ大事なんだな」と声をかけた。それに蒙恬は「もう特大も特大さ」と頭を振った。
「信はいまいちぴんときていないみたいだけど、山陽東群宣言ってのは、ある意味、六国を揺るがすほどにおおきな動きなんだ」
と蒙恬がいまだに事の重大さを理解していないの信のためにこんこんと説明を始めた所で、二人の人物が揃って城壁の上に繋がる階段から姿を見せた。
「あれ? 王賁。それに李豹じゃないか。二人は知り合いだったのか」
「少しだが戦線が重なったことがある。ここには同時に着いた。それだけだ。それよりも、だ」
と王賁は横にいた信を一瞥して状況を理解すると「そこの馬鹿の相手をする暇があるなら、俺の質問にさきに答えろ」と発言した。
これには信も李豹に向かって「よっ」と挙げようとしていた手を止めて王賁に視線を向けると「誰が馬鹿だと、王賁てめこらァ」とチンピラが威圧するように言葉を投げかけた。
「うるさい黙れ下僕。貴様に用はない」
とにべもない態度をとる王賁に向けて「なんだとこの根暗つり目野郎がッ」怒りが頂点に達しそうな信を見かねた李豹が二人の間に躰を滑り込ませて距離をとらせた。
「信はすこし落ち着け。王賁も無暗に煽る必要はないだろう」
李豹の正論に、信は「ック」と漏らし、王賁は顔を背けて「ッチ」と軽く舌打ち体を向き直り腕組んだ。その状況に蒙恬は面白いもの見たばかりに声を漏らした。
「へぇ。素直にひくなんて認めるんだね、王賁。李豹のことを」
「フンッ そこの馬鹿と違って李豹には確かな実力がある。そのうえ機を見定める目には見張る物があったからな、そこのうすら馬鹿と違って」
「王賁てめえッ 二度も言いやがーーー」と信が李豹によって抑えられた感情を爆発させようとしたところで、今度は蒙恬が場の流れを変えるように声を掛けた。
「まあまあ信はおさえて抑えて、ね。王賁もそんなことをしに俺の所に来たわけじゃないでしょう」
「……当然だ。秦があのような宣言をすれば周辺国家が黙っているはずがない。ようやく一帯を平定してとはいえ大戦を終えたばかりだ。なぜ今なんだ、理解に苦しむ。そこでお前だ。総司令のもとで学んだ身のお前ならなにかをしっているのではないか」
と鋭い視線を投げかけてくる王賁に蒙恬は「だよねぇ」と少しおどけてみせて同様の考えを持っていたことを暗に示した。
「俺もそう思ってさ。先生の所に顔をだしたんだよね。そうしたら、一言だけだけど返事をもらったよ」
「ふむ。総司令はなんと」
「先生曰く、今は中華の戦を活性化させる刻。だってさ。これは俺が思うに、敢えて周辺国家に派手に宣戦布告することで戦局を流動化させる狙いがあるんじゃないか思う」
「……なるほどな。各国がそれぞれの思惑のもとに軍備を増強すれば、戦が起こる。強いては、兵力に偏りがうまれて隙がうまれる、か。となれば、大本営には各国は出し抜く算段があるということ」
「んー。さあ、どうだろう。俺にもそこまでのことはわからないな」
そうして両者が思案にふけはじめたところで李豹は妙な雰囲気の信に気付いて「どうかしたのか」と声を掛けた。
「お、俺は、間違ってねえとおもう。住民を無理やり追い出すっては本当にやっていい事なのかはわからねえけど、これで戦は活発になるんだろう。ってことは政の全部の国を平らげるっつうどでかい目標に早く近づけるってことだよな。なあ、豹」
「そうだな。それが我らの大王様が目指す路であり、俺たちが大将軍になるという夢にも繋がっているのは間違いない」
「ん。ちょっとまて。大王の目指す路とはなんだ。そもそもなぜそんなことをお前たちが知っている」
そう疑問を投げかけたのは王賁であった。横にいた蒙恬も同様に声を挙げた。
「俺も気になるなあ。王宮で権力争いの真っ最中な我らの大王様がどんな路を描いているのか」と。
信はふたりに話した。あの山界の出来事、山の王楊端和と大王嬴政が語らった一幕を。
「この中華を……」「統一する?」
そう王賁、蒙恬が驚愕と困惑を綯い交ぜにした表情を浮かべる中で李豹が続けた。
「大王様は本気で中華を統一する気だ。国の境を失くして、全てを一つに」
「その口調。李豹。貴様も今代の大王となんらかの面識があるということだな」
「詳細は口にすることはできないが」と断りながらもこくんと頷くことで肯定とした。
そして蒙恬は「はは」と乾いた声を漏らすと続けた。
「中華を統一する、ねぇ。壮大すぎて霞の中で雲をつかむよな話に聴こえるよねえ」
「ンなことはねえッ」
そう信は叫ぶ。
「政は絶対に諦めねえでやり遂げるつもりだ。俺だってそうだ。この戦いのさきで必ず天下に名を轟かす大将軍になってやる」
そう拳を握って奮起する信の姿を煩わしいとばかりに王賁は言葉を発した。
「……分をわきまえろ下僕。いまは貴様の夢の話などどうでもいい。大王にしてもそうだ。中華統一などと世迷言を口にする前に王宮内を一つにするほうがさきではないのか」
「俺もそう思うなあ。中華統一。成し遂げられれば歴史に名を残す大業だけど、いまだ地に足が付いているとは思えないな」
と口した段になって蒙恬は「けど、そうなると先生はいったい……」と別の視点に思考を移した。それにたいして王賁は早々に見切りをつけて言葉を発した。
「もういい。大本営の目的は知れた。俺は行く」
と踵を返して歩き出し、城壁下に続く階段へと姿を消した。蒙恬もそれにならい「それもそうか、じゃあ俺も行くかな」と声を発すると歩き出した。けれど、階段に差し掛かる手前で「おっと、そうだ」と足をとめると振り返った。
「李豹。うちの弟がお世話になることになったけど迷惑じゃなかったかな」
「いや、そんなことはないな。蒙毅の助言はどれも的確で、とても助かっている。俺は、もう豹騎隊に欠かせない人物だと思っている」
その李豹の言に「そっか、よかった」と蒙恬は満足したように笑みを浮かべ続けた。
「李豹。弟のこと頼んだよ~。信もまたね」
「ああ」「おう、またな蒙恬」
そうして城壁の上にいるのは李豹と信のふたりになった。
「そういえば飛信隊にも軍師が加わったそうだな」
「おう。貂っっていうんだけどよーーー」と信は出会いからいまに至るまでのことを語った。李豹もまた、あの日から今日にたどり着くまでのことを話した。
「豹に……そんなことがあったんだな」
「ああ。さすがに死んだと思ったぞ。あの日朱錐様に見つけてもらえなければ、俺は間違いなく死んでいただろうな」
「そうか。そういう話なら俺もあるぜ。これは尾倒のやつもだけど、馬陽の戦いのときだ。龐煖ってのとやり合ってボロボロなところに趙軍の奇襲があった。それで俺の三百人隊のやつらも大勢死んじまった。俺も龐煖にやられて気を失ってた。気づいたら尾倒に背負われててよ。隊のやつらはちりぢりになったって聞いた。そのあと朱錐のおっさんの副官で虎豹って人に助けられたんだ。俺も尾倒もあの時はまじで危なかったぜ」
「……なあ、信。俺たちはずっと自分のために必死に努力して鍛えてきた。それで得た力があったからこそここまでやってこれた。それと同時に、俺たちはいつも誰かに助けられてきたと思わないか」
「ああ、言いたいことはわかってる。こっからだ。こっからめちゃくちゃに強くなって、今度は俺たちがみんなを助けてやるようになってやろうぜ。そんでもってゆくゆくはふたり揃って天下最強の大将軍だ」
そして李豹と信は互いに向き合うと右腕同士でガッと胸の前で組み目を合わて誓いあった。
「そのときまで勝手に死ぬんじゃないぞ、信」
「お前こそな、豹。大将軍まで突っ走ろうぜ」
こうしてふたりが幼し日に交わした約束を決意へと昇華させていた頃、遠く離れた趙国の王都邯鄲では、おおきく床に拡げられた戦略図に向かい立ち鋭い視線を注いで思案する李牧の姿があった。
「秦趙同盟を促した張本人として、私も動かねばなりませんね」
第90話でした。
アニメのキングダム五期よかったですね。飛信隊の面々の活躍に、羌瘣、劉冬の問答。金毛の男気など見所はたくさんありました。
そして実写映画『キングダム~大将軍の帰還~』の予告映像もワクワクする内容でした。公開がたのしみです。