万太は元々、セイガイハシティ周辺海域に住むマンタインであった。
少し他の個体よりも大きく、群れの仲間からは頼られることが多かった。
彼の密かな楽しみは、透明な筒の中を通る人間をゆっくりと眺めることだった。
『わぁ、綺麗!』
『マンタインか。ホエルオー来ないかな』
『お、ブルンゲル〜。わっせ楽しそうに泳いどるったい』
『…………』
水の中というのは外よりも音が伝わりやすく、筒の中で話した内容は自分達に筒抜けである。
それを知ってか知らずか、好き勝手なことを喋り掛けてくる人間を無心で観察するのが巨軀のマンタインの心の癒し方だった。
ある夜のこと。いつものように透明な筒を見た帰りに、マンタインはセイガイハの桟橋で蹲る青年を見つけた。
マンタインはこの青年に見覚えがあった。青い髪の男と共に筒の中にいたのを見たことがあったのだ。
何をしているのだろうと、マンタインはいつも透明な筒にやる様に、観察を始めようとすると———
『何だテメェ。ガン垂れてんじゃねぇぞ』
荒波のような殺気が飛んできて、マンタインは思わず怯んでしまう。
近海の主のブルンゲルやトドゼルガに気圧された経験はあれど、人間に気圧されたのはこれが初めてだった。
『まだそこにいるってんなら
そのまま泳ぎ去るのが、本来なら野生のポケモンとしての賢明な判断である。
自分は海中で、相手は陸に住まう人間。海の底まで追いかけることなど不可能。ポケモントレーナーであっても、海深くの指示など届かない場所へ逃げてしまえば良い。
けれども、微塵も逃げられる気がしない。
戦わなければ殺される。そう直感したマンタインは、夜凪の海から空へと"とびはねる"。マンタインの自慢の両ヒレは群れの中で最も長い滑空時間を誇る。浜の青年の体を吹き飛ばすには十分だろう。
『カカカ、いいぜ。自然淘汰、生存競争。
肉食獣を思わせる笑みを浮かべながら、青年は地面を舐められるほどに低い体勢をとった。直後のマンタインの突進をスレスレでかわし、すれ違いざまにナイフでヒレの付け根を切り付けた。
『マァァ!?』
『残心が甘ェ』
青年はマンタインの血が付いたままのナイフを慣れた手つきで投げつけてくる。まだ皮膚の硬い背中側で受けたのでダメージは少ないが、これを繰り返されればマンタインの命があるか怪しい。
『壁内投げナイフ大会一位ナメんじゃねぇぞ』
吐き捨てるように言った青年は、懐から別のナイフを取り出してマンタインが次にどんな行動を取るか注視している。これほどに凝視されているのであれば、
『ッ……! "あやしいひかり"、逃げられたか』
生来身につけていた発光する力で目をくらませて、その間に全速力で逃げた。
それが最初の邂逅。マンタインはひどい相手に出会ったものだと思ったが、自分の視線に気がつく前の疲れ切ったような表情、そして戦っている間の猛獣のような表情だけがいつまでも頭に残っていた。
◇
その次に彼に出会ったのは、あの夜から一年ほど経った冬のサザナミ湾だった。
鎧のような殻を纏ったポケモンに乗った青年は、以前見た猛獣のような貌とは異なる、穏やかな雰囲気を醸し出していた。
今度は観察ではなく危険な相手に対する警戒の目で見ていると、あの夜の焼き直しのように青年は巨躯のマンタインの存在に気がついて近づいてくる。
いつでも逃げられるように"こうそくいどう"の準備をしつつ、青年の出方を見る。
『誰がこちらを見ているかと思えば、いつぞやのマンタインですか』
あの時の青年がここまで穏やかな物腰を身につけていることに驚きつつも、"こうそくいどう"の構えは絶やさない。
『あの日はご迷惑を掛けましたね。その上で、続きを所望なら
マンタインは頭を横に振る。あの後血の匂いに釣られた肉食ポケモンたちに襲われ、生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだ。
『そうですか。では謝罪の証としてきのみでも———』
バッグを漁っていた青年が、急に明後日の方向を向く。水中にいるマンタインには、そちらの方角から近海の主であるトドゼルガが泳いで来るのが見えた。
いつもは悠然と泳いでいるのだが、今日はなぜか猛っており、進路にいる同族以外を轢くように泳いでいる。端的に言えばブチギレている。
後に聞いた話では、彼の縄張りに巨大な船が停泊して、その乗員が何かやらかしたそうだ。
そのため警戒度がMAXの状態、タマザラシ族以外を排除して安全を確保することしか頭になく、説得も回避も不可能な状態であった。
全く傍迷惑な話だが、この時の彼らには戦うか死ぬかの選択肢しかなかった。
『速度では負けますね。戦うしかありませんか』
そう言って青年は小さな筒のようなもの(マイクロ・アクアラングという水中呼吸のための道具らしい)を口につけて海に飛び込んだ。
『マンタイン。レベル差でトドゼルガの方が貴方よりも速いです。僕の指示で共に戦って勝つか、トドゼルガが一対一を2回繰り返して死ぬか。選んでください』
ここでマンタインが逃げればおそらく一瞬でこの人間と虫ポケモンはやられ、すぐに自分も倒される。逆に、マンタインを囮にして逃げればこの人間も同様に殺される。
生き残るためには過去の禍根を気にしていられない。青年を背にすることで共闘の意志を示すと、青年は獰猛な笑みではなく穏やかな笑みを浮かべて水中ゴーグルを着けた。
『ではヌシ戦と参りましょう。ソク、マンタイン』
◇
「万太、"くろいきり"です」
その日から巨躯のマンタインは万太として、あの時の青年と共に戦っている。
ヌシと戦った日に芽生えたのは人間とポケモンの原初の関係性。人間の指示によって自分よりも強い相手にチームで勝つ。
生身で戦うことで自分自身の戦闘力の強さを、ヌシへの勝利によってチームのリーダーとしての強さを示した男に従うのはポケモンとして当然のことだった。
「ここよ、シャッターチャンス! "ぼうふう"で吹き飛ばしなさい!」
普段は他のポケモンの代わりに被弾するか、相手の速度を削ぐか、"ミラーコート"で攻撃を跳ね返すかの役割をこなしており、今回のようにアタッカーとして戦う経験は少なかった。
ハトウはそれも含めて
「万太、下がってください!」
これは大会前の打ち合わせで相談してある流れ。試合の中盤で距離が空いたら、相手が"ちょうのまい"で能力を上昇させてくる。そこを"くろいきり"で能力変化を打ち消すのを隠れ蓑に、地上からの視界を塞ぐ。
霧を消す手段は風しかない。その起こした風に"こごえるかぜ"を混ぜ込み、相手の技の威力に氷属性を上乗せして送り返す。
地上からもビビヨンからも霧に遮られて万太が見えず、試合前に仕込みが終わっている以上相手のトレーナーもハトウの機敏からそれを察することはできない。
完全なる詰み。これこそが自分達の協調関係だと、万太は胸を張る。
『ビビヨン戦闘不能! ハトウ選手の勝利!』
黒い嵐が晴れた後に堕ちるはマゼンタの羽。残るは濃紺のヒレ。
地上に降り立ち、バッジを受け取った
ジムバッジをケースにしまったハトウは、体の調子を軽く診る。
「変調はなさそうですね。では恒例のあれ、やりましょうか」
どうも我らがリーダーは慣習にこだわる節があると思いつつ、自分も無いと無いで収まりが悪いとハトウの近くに寄る。
「カロスリーグへのまた一歩。バグバッジ獲得です!」
「まぁああ!」
まあ、今日も勝利を収めた。負けたとしても対策を練っていずれ勝つだろう。
過去はネーミングセンス以外水に流して、リーダーに従おう。そう、万太は改めて思った。
次回更新こそは8/26の夜のつもりです