よかったら、読んでってください……。
無理矢理一話にまとめてるため、かなり短めです。
IF もし追随なき快速少女を所有していたら
所有馬が初出走してからたった一年半で、わけのわからない出来事が起こっていた。
この目に映るは――所有馬に騎乗している騎手が四本の指を立てている光景。
涙を滴らせつつ、笑みを湛えて。
騎手――倉田隆景さんは目元を拭ったのち、大きく右腕を突き上げる。
その騎乗馬も大歓声に沸く観衆を見据えながら、栄光の証明としてウイニングランを行う。
ただただ信じられなかった。
顎が閉じない。それを手で無理矢理押し戻して。
雨がしとしとと降り落ちる。ハンカチで顔面を覆い。
感情の限界の域を超え――言葉を失った。
愛らしい桃色のメンコで覆われてはいたが、そこから垣間見える愛馬の表情は恐らく誇らしげなものだった。
それはたぶん、俺という馬主へ向けた、最大限の愛情だったのかもしれない。
――1975年GⅠエリザベス女王杯。
この日の芝2200mは、まるであっという間に決着がつく電撃戦のようだった。
あり得ない出来事というのは、俺について回っているのだろうか。
黒鹿毛の仔馬をブラッシングしつつ。この仔馬と出会った経緯を思い返してみる。
この仔馬は当歳セリに出されていた。こう聞くだけならば、なんの変哲もない仔馬だろう。
しかし――もし、本来なら当歳セリには出ないような馬であったなら。
史実を知り得ているからこそ、この出来事の異常さがわかってしまう。
そんな出来事に遭ったのなら信じられるが、史実を知っているならなおさら信じないようなことだ。
仔馬に視線を注ぐ。
どうしてか、仔馬もこちらに目を合わせてくれる。とても可愛いのだから、またもや人参を与えてしまった。
――仔馬の頭上に『☆テスコガビー』という馬名が表示される。
そう――なぜだかはわからないが、彼女がたまたま訪れた当歳セリに売りに出されていたのだ。
テスコガビーという名牝は、良血かつ馬体も整っていた。
本来なら庭先取引ぐらいでしか入手できないだろうレベルなのだが。
だがこの世界ではなぜかセリに登場した。
馬名を視認した時には、驚愕のあまり腰を抜かしかけてしまった。
まるで唐突に金属バットで殴られたぐらいの衝撃。
身体中に電撃が迸り、心臓がますます拍動していった。
あんまりにも衝撃的すぎたせいで。
それでもなんとか競り落とせたことは、幸運中の幸運だろう。
この仔馬はいずれ、超大物になる。
それがこの時から待ち遠しかったが、まさかあそこまでいくとは。
俺どころか関係者ですら、予測不可能だった。
馬運車からテスコガビーが降ろされる。
レースを終えて休養に入るというわけではない。
彼女は既に、ラストランを駆け抜けた身だ。
テスコガビーがヒヒンとこちらを呼びかける。
それに応じて、俺は彼女の頭部を散々に撫でてやる。
競走生活を一言でまとめるなら、テスコガビーを止められる馬は誰もいなかった。
阪神ジュベナイルフィリーズ(芝1600m)を十二馬身で圧勝して、周囲を震え上がらせ。
桜花賞(芝1600m)、オークス(芝2400m)、秋華賞(芝2000m)でそれぞれ十八馬身、十七馬身、十九馬身という着差を叩き出して。
エリザベス女王杯(芝2200m)でも十四馬身で圧勝。
年度代表馬にも選出されたが、なおも彼女は止まらなかった。
四歳になると、GⅠ大阪杯(芝2000m)、ヴィクトリアマイル(芝1600m)、GⅠ宝塚記念(芝2200m)、GⅠ天皇賞(秋)(芝2000m)を連勝して。
フィナーレにジャパンカップ(芝2400m)で海外の強豪馬もTTGもまとめて蹂躙した。
もはや最強という言葉以外は見つからなかった。
俺にとっての最強馬は、文句なしにテスコガビーだろう。
「……厩舎が寂しくなりますね」
俺たちと共にテスコガビーに別れを告げるため、わざわざ牧場にまで足を運んでくれた人物――伊坂周二先生がそう呟く。
「俺にとってガビーという馬は、あまりにも鮮烈すぎました」
涙声で言うのは、全戦に渡ってテスコガビーに騎乗し続けてくれた騎手である、倉田隆景さんだ。
倉田さんの初重賞勝利はテスコガビー、初GⅠ勝利もテスコガビー、さらには牝馬三冠を達成したとあらば、もう彼女のことしか考えられなくなるのは必然だったのかもしれない。
陣営のスタッフが次々とテスコガビーに感謝を告げていく。
そうしてやっと、倉田さんの番となった。
「……っ……ありがとう……俺なんかを乗せてくれて……本当に……ありがとう……」
遂に倉田さんの涙腺が崩れてしまう。
それを心配してか、テスコガビーが鼻先で倉田さんの肘を突く。
まるで「しっかりしなさいな」とでも言っているようで、微笑ましかった。
テスコガビーとの記憶は、倉田さんにとって永遠の思い出となってくれるだろう。
最後に伊坂先生テスコガビーの前に出る。
伊坂先生はテスコガビーの頭部に額をくっつけ、ただ一言。
「――ありがとう」
テスコガビーは目を瞑る。
今までの記憶を巡らすように。
楽しかったことも、苦しかったことも。彼女は噛みしめているようだった。
テスコガビーは現役を退き、繁殖牝馬となる。
史実とは違って、彼女の仔が駆け抜けるところを、いつかこの目で。
これは――きっとあり得ないだろう出来事があり得てしまったからこそ、出会えた物語。
どこまでも果てしなく、駆け抜けて。
それはきっと、あり得ないことだから。
需要があったらこのIFのテスコガビーのレース描写も書きまっせ。