カブラヤオーが無敗のまま三冠を達成したという情報は、日本競馬界を激震させた。
あのシンザン以来の三冠馬が誕生したのだ。日本競馬界が沸かないわけがなかった。
菊花賞での大歓声は耳が割れんばかりの凄まじいものだった。それでカブラヤオーが驚かないか心配していたが、案外そんなことはなく、杞憂だったようだ。
ウィナーズサークルに向かおうとして席を立った際、他の馬主からは恐ろしいぐらいに祝福されたが、今思い返すと、次は勝つという意思表示だったのかもしれない。馬主業にもまだまだ慣れねばなるまい。
そんなシンザン以来、いや、シンザンも成し得なかった無敗の三冠馬が次走として選択したレースは、GⅠ有馬記念。
舞台は暮れの中山の芝2500m。ファン投票により選出された優駿たちが集う、日本競馬の総決算とされる大レースだ。
カブラヤオーにとって、初めて古馬とも相対するレースとなる。だが問題はそこだけではない。
馬主席に座り込み、出走馬表を見つめる。
カブラヤオーは十四頭中の十四番――菊花賞に続き、まさかの大外である。史実ではとある名手が騎乗する馬がいつものように大外枠を引き、あえなく撃沈することが風物詩とされていたことがあったが、いざ自身の馬が大外枠となってしまったときの立場は心苦しいものがある。
中山の芝2500mで大外枠というのは、天皇賞(秋)での一番人気は勝てないというジンクスと同じぐらいに厄介だ。それにカブラヤオーは逃げ馬であり、スッと前に持ち出して内に着けなければ追いつかれ、瞬く間に囲まれてしまうだろう。
それから、出走馬も豪華メンバーが勢揃いである。
二冠馬キタノカチドキ、カブラヤオーと同世代の実力馬イシノアラシやら。だがそんな中でも群を抜いて警戒したい馬がいる。
――フジノパーシア。今年の秋の天皇賞馬であり、重馬場巧者としても知られ、直線一気に放つ豪脚は侮れない。
今回はフジノパーシアが大得意とする重馬場ではなく良馬場であったため幸いだが、それでもカブラヤオーに迫り得る最有力馬の一角だろう。
大外枠にどう対応するか、フジノパーシアの豪脚をどう凌ぐか。間違いなく鞍上の倉田さんの腕が要求される場面となる。
返し馬としてターフ上を疾走するカブラヤオーに、場内から歓声があがる。
自身の持ち馬がこうも人気になると、馬主としては嬉しくなってしまい、ついつい微笑みを浮かべてしまう。
カブラヤオーは見るまでもなく絶好調。伊坂先生が「最高の仕上がりです。これなら勝てますよ」と言及してくれるだけある。
そういえば伊坂先生で思い出したが、有馬記念の前日にグリーングラスがデビュー戦の中山の芝2000mを勝利で飾ってくれた。
好位に着けると、最終直線で馬群を割り、あとは抜け出すだけ。そういう競馬で圧勝してくれたため、先行きは明るい。鞍上を務めてくれた的田弘さんの騎乗も上手かった。
伊坂先生も的田さんも口を揃えて予想以上の馬と評してくれているので、グリーングラスの今後にも期待が膨らむ。
改めてターフの方を見向くと、ゲート入りは既に始まっていた。
倉田さんがカブラヤオーの首元をポンポンと叩き、手綱を握りしめる。
どうやら、覚悟は決まったようだった。
他馬が次々とゲート入りしていく中、最後にカブラヤオーが係員に引かれ、すんなりとゲートインを完了させる。
場内が静寂に包まれ、緊迫感が高まった瞬間だった。
――戦いは、ガシャンという音と共に火蓋を切った。
『スタートしましたっ! 早速カブラヤオーがいったカブラヤオーがいった! 場内、歓声が沸いております! おっとカブラヤオーが最内へ切り込んでいく! カブラヤオーが最内に位置取って逃げる逃げる! イシノアラシも積極策で二番手。二番人気の秋の天皇賞馬フジノパーシアは前方から数えて九番手の位置。キタノカチドキはやや内を通って五番手。
さあ、三冠馬がいったぞ! 無敗の三冠馬が逃げ切り態勢! 鞍上倉田隆景、手綱を緩くして逃げさせた。二番手イシノアラシとは五馬身差。やはり大逃げだ、カブラヤオー!』
カブラヤオーが大逃げを炸裂させ、みるみるペースが速まっていく。
このペースだと下手をすれば、1000mをスプリント戦のようなタイムで駆け抜けるのではないだろうか。
だがそれでも、倉田さんの表情にはどこか余裕が見え隠れしているように見えた。
これはカブラヤオーだからこそできる芸当であるからなのだろうか。
1000mを通過していく頃には、やはり力尽きて垂れていく馬が現れ始めた。
それもそのはず、この超ハイペースはもはや2500mのものではなく、1200mのものなのだから。
カブラヤオーが『狂気の逃げ馬』と称されるのが、このような超ハイペースを展開すること。そしてそんな中でも耐え抜き、逃げ切ってしまうこと。
とてつもなく恐ろしい逃げ馬だと再認識させられる。
『2000mを通過して、間もなく最終コーナー。カブラヤオーがまだまだ粘る! フジノパーシアが大外をぶん回して上がってきている! イシノアラシ、キタノカチドキは後退! 人気馬二頭のマッチレースだ!
残り300m! フジノパーシアが来た! フジノパーシアが来た! いやカブラヤオーが逃げ粘る! カブラヤオーが差を離した! 早々に大勢は決した! カブラヤオーが逃げて差した! カブラヤオー、どんどん離していく! 倉田隆景は持ったまま! 後ろからはなんにも来ない! フジノパーシア、懸命に追うがもはや届きそうにない! これだ、これだ、刮目せよ、瞠目せよ! これこそが、三冠馬の実力だァッ!
カブラヤオーが一着! カブラヤオーが一着! 二着フジノパーシア! 三着はようやくイシノアラシ! カブラヤオーとフジノパーシアの差は、なんと九馬身差! やはり強かった! 無敗の三冠馬が強かった! 倉田隆景が観客席に向かって手を振っております! カブラヤオー、強い! これで四冠目! 最強馬の誕生でありますッ!』
強すぎて、言葉を失ってしまった。それほどに鮮烈な勝ち方だった。
フジノパーシアも、イシノアラシも、キタノカチドキも、どの馬もカブラヤオーには近づくことすらできなかった。
最終直線では常識など鼻で笑えるぐらいに伸びており、タイムに関してはとんでもないレコードタイムを叩き出していた。
ウィナーズサークルに駆け込むと、カブラヤオーがケロッとした様子でこちらを見つめていた。
一方、倉田さんを含め、伊坂先生ですら未だに唖然としていた。
「……勝ち、ましたね」
伊坂先生がカブラヤオーの方を振り向いて、ようやく口を開く。
「え、ええ、勝ちましたが……あんな勝ち方して大丈夫ですか?」
「カブラヤオーは疲れてもいない様子なので大丈夫と思います。倉田くんは鞭を最初の二、三発ぐらいしか入れていませんでしたし……」
「まあ、とにかく勝利を喜びましょう!」
こうして、俺たちの一年が締めくくられた。
有馬記念という大舞台を勝利し、四冠目を手にしての年越しとなった。
【1975年有馬記念 結果
一着 カブラヤオー 2:29:6(日本レコード)
二着 フジノパーシア 九馬身
三着 イシノアラシ 大差(十一馬身)】
フジノパーシアしゅき。