だからお守りをあげるね、はい。
雲が点々と存在する青空。雲間を縫って陽射しが差し込むが、真夏のようには眩しくはない。
だけれども、陽光がもたらしてくれる暖かさと冬ならではの寒々しいそよ風の組み合わせは、こちらに程よい体温を与えてくれていた。
心なしか、それぞれ二歳、一歳に差しかかろうとしていたシアトルスルーとジョンヘンリーも、心地よさそうに目を瞑る。
有馬記念を経てから幾数日。あれからというもの、牧場には様々なものが舞い込んできた。
様々なものといっても、人とかではなく、馬なのだが。
まず始めに、一頭の種牡馬がこの牧場で繋養されることとなった。
そう、その種牡馬こそが、菊花賞の際に北見さんから購入を持ちかけられた天皇賞馬メジロアサマである。
有馬記念の数日後、今日より三日ほど前にメジロアサマは輸送され、こちらに到着した。もちろん、北見さんから提示された金額である一億円を支払ってのことだ。
北見さんからは去り際に、無念そうに「お願いします」と消え入りそうなほど小さく震えた声で告げられた。胸の奥底では申し訳なさが募るばかりだった。
だがその後、事態はまさかの方向へと転がっていった。
突如として、何かを載せた馬運車がこの牧場に停まる。
何事かと尋ねると、なにやら、こちらに繁殖牝馬を輸送してきたとのことだった。
馬運車から降ろされた牝馬は、思わず驚嘆してしまうぐらいに艶やかな鹿毛であった。
慌てて牧場スタッフが駆け寄り、こちらに呼びかけてきた。
スタッフが肩で息をしながら、俺に手紙を手渡す。
驚くことに、差出人は北見さんからだった。
恐る恐る手紙を開封すると、中には牝馬の血統書と北見さんからの直筆のメッセージが添えられていた。
曰く、繁殖牝馬の名はシェリル。フランス出身の牝馬だという。
曰く、メジロアサマのおまけのようなものという。
曰く、できればシェリルとメジロアサマの仔が見てみたかったという無念。
熱くなっていく目頭を片手で抑え、手紙を握りしめる。
――1977年にシェリルにメジロアサマをつけよう。もし史実と同じように、あの馬が誕生するとするなら。それに一縷の望みを託そう。
北見さんの想いを受け止め、天を見上げると、薄暗い雲間から一筋の光が差しかかった。
その光は、馬運車から降り立ったシェリルを照らし出すスポットライトのようだった。
必ず、1978年にあの名馬を産ませてみせよう。拳を握り直し、俺はそう誓った。
そんなさなかに、また馬運車がやってきたのだ。
混乱を通り越して困惑する俺は、数秒を経たあとにようやくその意味を思い出す。
メジロアサマを購入したならば、種付けするために繁殖牝馬が必要だった。
シェリルが輸送されたことに動揺しまくっていたからか、その繁殖牝馬がその日に到着するという予定を完全に頭からすっ飛ばしてしまっていたのだ。
こちらの購入した繁殖牝馬もまた、全体的に美しく整った鹿毛のべっぴんさんだった。
見つめると、『モンテオーカン』という馬名がその牝馬の頭上に表示される。
そう――史実では『太陽の帝王』、『賢弟』と称された名馬たちを産むであろう牝馬を購入することができたのだ。
もちろん、それらの名馬たちを誕生させるのもひとつの目的だが、メジロアサマをつける繁殖牝馬の入手も不可欠だった。
結果的にはまさかのシェリルという名牝がやってきてしまったため、主目的を見失いつつあるが。
とにもかくにも、一頭の種牡馬と二頭の繁殖牝馬が牧場で繋養されることとなったのだ。厩舎も拡張せねばなるまい。
身だしなみを整えながら、そう決意する。
スーツに身を包み、気合いを入れるため頬を叩く。
今から向かう先は、ホースマンにとっての名誉のひとつを授けられる場所なのだから。
会場に入ると、そこはホースマンだらけの聖域であった。
馬主、調教師、騎手やらの日本競馬関係者が一斉に集うこの場こそ、そう、年度表彰だ。
年末に行われるそれは、その年の年度代表馬だったり、リーディングジョッキーだったり、リーディングトレーナーだったりを発表し、表彰していくというもの。
今回は伊坂先生のお誘いもあり、この場に足を運ぶことと相なった。
しばらく会場をうろついていると、ひとりの男性と目が会い、声をかけられる。日頃からお世話になっている伊坂先生だった。
「オーナー! 探しましたよ!」
そう言って肩を竦めつつも、伊坂先生は笑顔のまま。
「あっ、伊坂先生。もしかして表彰、終わりました?」
「まだまだですよ。あと五、六分後ぐらいですね。ですが、年度代表馬はもう察している方が多いようですが」
「本当ですか? どの馬でしょうね……?」
「はははっ、どうですかね」
互いにニヤけて、その時を待ち侘びる。
「今年はいい競馬を見れましたか? 伊坂先生」
「ええ、最高の競馬を見れましたとも」
「伊坂先生と同じ気持ちの馬主がいるようですが、その方に何か一言」
「もっと馬を預けてください、と言っておきますね」
「その馬主ですが、どうやら先生の厩舎に新しく二歳になる牡馬を預けようとしているようですよ」
伊坂先生がこちらに振り向き、目を見開く。
俺は人差し指を立てて、口元にかざす。
「……よろしくお願いします」
伊坂先生が驚愕しているさなかであるが、間もなく表彰式が始まりを告げる。
遂にその時が訪れる。もはや心の弾みは止まらなかった。
『これより、1975年の競馬を賑わせてくれたスターホースたち、ホースマンたちを表彰する、年度末の表彰式を開会致します
まず、最優秀馬主賞、最優秀生産者賞は――』
最優秀馬主賞と最優秀生産者賞から始まり、次々とリーディングジョッキー、リーディングトレーナーが発表されていく。
それからが競走馬たちの表彰だった。
『最優秀二歳牡馬は、テンポイントでございます!』
その馬名に思わず耳が傾く。来年にグリーングラスと相対することになるだろう強敵の名を、しっかりとこの場で覚えておくとしよう。
『最優秀三歳牡馬は、カブラヤオーでございます!』
拍手の嵐が巻き起こる。ガッチガチに固まったままの身体で、ぎこちない礼をしてしまい、顔を赤く染めてしまう。
しばらく時が流れ、遂に年度代表馬の発表にまで行き着く。
会場が一瞬、静まり返る。
『年度代表馬は…………なんと三百票満票でございます! 無敗四冠馬カブラヤオーでございます!』
一段と拍手で鳴り響く音が大きくなる。
カブラヤオーが年度代表馬、それも満票での。
俺は両腕を掲げ、思わず喜びを露わにする。
「おめでとうございます! オーナー!」
伊坂先生の一声が、こちらの耳に響き渡ると同時に。
おめでとうございます、という声が会場のあちらこちらからあがり始める。
満票で年度代表馬になるということはあまりにも至難。そこまで認められたカブラヤオーには、本当に頭が上がらない。
表彰式を終え、会場から牧場へ戻ると、空は薄暗い茜色に染まっていた。
何もないのに自然と言葉が零れた。
――ありがとう。来年もまた、と。
目指せ、二年連続の年度代表馬。