今年も四月が終わりを告げ、五月を迎えて。
日本競馬の春のGⅠ戦線がさらに熾烈となっていく中のことだ。
五月の始め。五月末まで所有馬がレースに出走する予定もなく、繁殖牝馬への種付けも終えたため、暇ができ始めてきた頃。
昨年に米国でジョンヘンリーを購入したことを思い返していると、どうしてだろうか、もう一度米国に渡りたくなってきたのだ。
どう足掻いても、どう抵抗しても、自分の欲望に組み伏せられてしまう。
幸いなことに、資金にはかなりの余裕があったため、大人しくその欲望に従うことにした。
馬を買うとするなら、今年に産まれた当歳馬を買いたい。身体が頑丈な仔馬ならばもっとウェルカムだ。
まだ見ぬ馬を求め、再び未開の領域へ渡る。そこで出会う馬に、想いを馳せながら。
米国から戻ると、牧野さんが呆れ返った様子で仁王立ちしていた。
なにがなんだか状況がさっぱりわからない中、開口一番に放たれた言葉は、矢のように俺の胸に突き刺さった。
「また無断で買ってきたんですか!? オーナー!?」
もはや言い訳のしようもない。だがこれに関しては、反省するつもりはない。
困惑しているような様子で、やや黒みがかった芦毛の仔馬がこちらに視線を注ぐ。
牧野さんはその仔馬に気づくと、我に返り、深く息を吸う。
「……すみません、大声をあげてしまって」
申し訳なさそうに頭を下げる牧野さんに、どうしても胸の内に気まずさが募っていく。
どんよりとした息詰まる空気が漂い始めてきたため、今回ばかりは反省するとしよう。
「いえ、こちらもすみませんでした。無断で仔馬を買ってきてしまって。次からは知らせてから買ってきます」
振りかぶるように頭を深く下げる。こうでもしないと、この気まずすぎる空気は打ち消せないからだ。
牧野さんは面を上げて、苦笑いを浮かべる。
「……今回はお互いさま、ですかね」
「そうしましょうか」
空気が和らいだところで、俺は血統書を取り出し、牧野さんに差し出す。
それを受け取ると、牧野さんは唸るような声をあげながら、目を通していく。
一、二度頷くと、納得したのか血統書を返してくれた。
牧野さんは仔馬の方を一瞥すると、不安そうに一言。
「……本当に走りますか? この馬は……?」
「ええ、走りますよ。
芦毛の仔馬の方に目を向け、自信満々に即答する。
背中が痒くなってきたのか、あるいは先ほどの空気から逃れるための逃避なのかは不明だが、背中を擦るように寝転がる仔馬がいる。
しばらく見つめていると、こちらに気がついたと思われる仔馬が元気よく駆け寄ってくる。
すると、仔馬の頭上に『☆スペクタキュラービッド』という馬名が表示される。
そう、黒みがかった芦毛の彼は、いずれスペクタキュラービッドとなる存在だ。
米国における芦毛のアイドルホースといえば、真っ先といっていいほどに名が挙がる馬。それこそがスペクタキュラービッドという名馬である。
史実ではアイドルホースとしても名を馳せていたが、強さも別格といえるような名馬だった。
その強さを強調する話こそが、他がスペクタキュラービッドを恐れたが故に回避した結果、スペクタキュラービッドの単走となってしまったレースだろう。
そんな名馬となり得る仔馬を米国から購入できたという点は、自画自賛していきたいぐらいだ。
スペクタキュラービッドといちいち呼ぶのは長すぎて舌を噛みそうになるため、俺はスペちゃん、もしくはスペと呼んでしまっているが。
こちらの自信に満ち溢れた表情で諦めがついたのか、あるいは信じようとしたのか、俺からはわからないが、牧野さんは頬を緩ませる。
「わかりました。オーナーがそこまで言うのであれば、信じてみましょう」
「ありがとうございます、牧野さん。というわけですから、ジョンヘンリーの面倒もお願いします」
「ちょっと用事を思い出しました。すみません、ちょっと事務所に」
「なんでですか!? ジョンも可愛いじゃないですか!」
「あの馬は殺気が凄まじくて怖いのですよ!」
「そんなセントサイモンみたいな言い方しないでくださいよ!」
「あれは我が牧場のセントサイモンですよ! オーナーに対する接し方が特殊なだけで!」
そうこう言い争いをしていると、またいつの間にかスペは俺たちとの距離を取り、寝転がり始めていた。
人間でいうなら、胃を痛めつつある状態なのだろう。原因は俺たちなのだが。
牧野さんとの言い争いは事務所に持ち込むようにするしかあるまい。心の中で、そう決意して。
スペ(クタキュラービッド)ちゃんしゅき。