グリーングラスが栄光のダービーロードを駆け抜けて、ひと月が経った。
二年前に最初の所有馬であるカブラヤオーがデビュー戦を逃げ切ったことから、俺の馬主業は本格的に始動し、そして――今。
ダービーを連覇した馬主となり、さらには無敗の三冠馬まで所有している――前世の俺、いや、一年前の俺にこの現状を伝えようとしても、恐らく信じてくれないだろう。
確かにカブラヤオーでダービーを夢見て、グリーングラスであの死闘を熱望していた。
だがまさか、本当に叶うとは夢にも思わなかった。
カブラヤオーは理想を遥かに凌ぐほどのダービーでの逃げ切り勝ちを見せてくれたし、グリーングラスはダービーという大舞台でトウショウボーイとテンポイントを破り、果てにはクライムカイザーとの手に汗握る一騎打ちを勝ってくれた。
彼らに期待していた理想はほとんど叶えてくれたといっていい。
それでも、まだ止まるつもりはない。
我ながらなんという欲深さだと自嘲せざるを得ないが、俺は未到のロマンへと辿り着きたいのだ。
人馬が至れなかった、IFのその先。
たとえば、あの馬にあの騎手が乗れていたら。あの馬が無事だったなら。あの馬があのレースに出れていたなら。あの馬が日本馬だったら――。
自己満足かもしれないが、そんな理想を叶えるために俺は奔走する。
競馬にたらればは禁句というが、叶えたいものは叶えたいのだ。それが人の欲望の恐ろしさというもの。
だからこそ、今目の前で起きている出来事には、興奮するしかなかった。
阪神競馬場。返し馬を終え、各馬がゲート前で円を描くように周回していたこの場には、なんとも形容しがたい緊張感が漂っていた。
それもそうだろう。だって夢のようなレースをまた目にすることができるのだから。
――宝塚記念。春のグランプリとされ、六月に開催されるこのGⅠレースには数多の有力馬が集結したが、その中でもある二頭が群を抜いていると評されている。
無敗の三冠馬カブラヤオー。前走の休養明け初戦を大差で圧勝し、三冠馬は健在であることを示した。
二冠牝馬テスコガビー。桜花賞とオークスをぶっちぎった快速馬であり、また、昨年の共同通信杯ではカブラヤオーと激突している。
無敗の三冠馬と快速の二冠牝馬の再対決。このレースで最大といえるほどに注目されている点は、やはりこれだろう。
共同通信杯のときのようにカブラヤオーが捻じ伏せるか、あるいはテスコガビーが速さにものをいわせぶっちぎるか。
それから、この二頭にはある共通項がある。
そう、互いにハナを切ってそのまま逃げ切ることが得意――つまり、逃げ馬ということである。
どちらが先手を打ち、逃げ切るか。または敢えて控えて差し切るのか。
言葉では表せられない熱気が観衆の期待を物語っていた。
やがて四番枠に緑色のメンコを被った黒鹿毛の馬――カブラヤオーが収まる。
それに続くように桃色のメンコを装着した馬――テスコガビーは六番枠へ。
プライドを懸けた、この大一番。
勝ち馬は果たして――。
――遂に火蓋が切られた。
『スタートしましたっ! 四番カブラヤオー、好スタート! 六番のテスコガビーもいいスタートを切りました!
さあ、逃げ馬の先行争いか!? それとも早くも隊列が決まるか!? カブラヤオーがスッと先頭に躍り出ました、カブラヤオー、カブラヤオーが先頭であります。おっとテスコガビーもいった! 並びかけにいったぞ! どうするんだどうするんだ!?
晴れ空に照らされたターフの上で先頭で駆けていくは二頭であります。カブラヤオーとテスコガビーが並走するように駆けていっております。激しすぎる先行争いとなったぞ! これは超ハイペースは免れないか! 後続がなんとかついていっております!
早速縦長といった隊列になりました、追い込み馬はだいぶ厳しい展開! 三番フジノパーシアが外目を突いてやや上がっていきました。先団には今年の春の盾の覇者、一番エリモジョージが着けております。
ここでカブラヤオーが再び先頭です! テスコガビーが二番手に控えた! 二番手テスコガビーと三番手エリモジョージの差は五馬身。先頭のカブラヤオーとテスコガビーの差は二、三馬身と広がってきております。
1000mを通過して、通過タイムは……56.9! 狂気的なハイペースであります! やはり逃げ馬二頭が怖かった! 予想以上の超ハイペース!
ついてこれるかとばかりに、カブラヤオーは先頭を突っ走っております! カブラヤオー、カブラヤオーがいっております!
残り800m! おっとここでフジノパーシアがいった! フジノパーシアが仕掛けたぞ! まくっていったまくっていった! しかしテスコガビー抜かせない! テスコガビー抜かせない!
残り600m、コーナーを回って最終直線です! やはりカブラヤオーだ! カブラヤオー圧勝! 二番手テスコガビーが再び追ってくるがもはや届かない! じりじりと差を詰めるのが精一杯! ここでエリモジョージが突っ込んできた! 内ラチを走るかのようにエリモジョージが突貫してきた!
しかし残り200m! やっぱりカブラヤオーだ! もう何も来れない! 春のグランプリは、三冠馬の手に渡ったァッ!
カブラヤオーが独走状態のままゴールイン! 場内がどよめきいっぱいに包まれております!』
「伊坂先生」
「オーナー、どうされました?」
「もうなんとも言えませんね、カブラヤオーの強さには……」
「ははは、何を今さら。無敗で三冠を勝った時点でもう何も言えませんよ」
「それから、テスコガビーは三着でしたか」
「ええ、カブラヤオーの超ハイペースにやられたようですね。仕方ないといえばそれまでですが……」
「テスコガビーが二着以内には入ってくると思ってましたが、まさかエリモジョージがいきなり突っ込んできて二着とは……」
「あの馬は読めませんね。一応注意しておきたいですね」
「ですね……」
【1976年宝塚記念 結果
一着 カブラヤオー 2:09:9
二着 エリモジョージ 六馬身
三着 テスコガビー 一馬身】
シャフリヤールしゅき。