転生したらウイポ馬主だった件   作:佐月檀

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 さては涙腺がチケゾーだな、この馬主。


狂気すらも通り越して

 菊花賞を経て、もうひとつの大勝負が始まる。

 GⅠ天皇賞(秋)――東京の芝2000mで行われる八大競走の一角には、秋の盾を求めて、やはり強豪馬たちが集結。

 昨年度の覇者フジノパーシア、今年の天皇賞(春)を制したエリモジョージなど――しかし、さらに注目を集めていた馬が二頭。

 

 昨年に無敗で三冠を達成し、未だに無敗記録を伸ばし続ける古馬王者カブラヤオー。

 全戦で騎乗している倉田隆景さんを鞍上に、府中の直線を難なく逃げ切るのか。

 逃げ切りを願われて、一番人気である。

 

 片や今年の皐月賞でテンポイント、グリーングラスら同世代を退けた『天馬』トウショウボーイ。

 毎日王冠では『魔術師』と称される島広彦さんに乗り換わり勝利。ここでも強豪古馬らを押し退け台頭するか。

 天性のスピードを期待され、二番人気である。

 

 観衆の視線の先は、ほとんどこの二頭のみ。

 完全なる一騎打ち。観客や競馬新聞などのメディアからしても、そのような予想がされていた。

 カブラヤオーとトウショウボーイの実力は、それほどに抜けているのだから。

 

 だがこのレースは俺からすれば、夢のような一大決戦だった。

 目から雫が滴ると、あとは決壊したかのように流れ出てくるばかり。

 東京競馬場全体は晴れ晴れとしていて良馬場だが、俺が座っている場所だけは天候不良のようだ。

 史実では実現しなかった『狂気の逃げ馬』と『天馬』の対決。

 どうやら、お天道さまは俺の顔だけに雨を降らせ、このレースを見れなくしようとしているに違いない。

 

 ハンカチで荒々しく顔を拭いまくって、ようやく雫が止まる。

 この晴れ舞台を、目を逸らさずに見ておかねばなるまい。カブラヤオーの馬主として、そして一競馬ファンとして。

 

 馬主として願うことは勝利と無事。

 競馬ファンとして願うことは胸が熱くなるような激闘。

 我ながら欲張りだ――と自嘲せざるを得ない。

 だがそれでも願いたい。何度だって、何度だって。

 

 ゲート前では、十六頭の競走馬たちが各々に鞍上を乗せ、巡回している。

 観衆も関係者も、息を呑んで見守る。その様子はまさに嵐の前の静けさだった。

 ――『狂気の逃げ馬』か、はたまた『天馬』か。

 決戦の開幕を合図するようなファンファーレが東京競馬場に鳴り響いた。

 

 やがてファンファーレが鳴り終わると、また一頭、また一頭とゲートに収められていく。

 トウショウボーイが入った枠は、十番。

 一方でカブラヤオーが入った枠は、十六番。

 

 馬主席からゲートを覗いてみると、カブラヤオー鞍上の倉田さんが笑みを浮かべているように見えた。

 まるでこの緊張感、静寂を楽しむように。そして最高の馬の背を味わうように。

 倉田さんが手綱を握って――

 

 ガシャン、という音が響き渡った。

 ゲートが開いた途端、トウショウボーイが見計らったかのように飛び出す。

 だが――

 

『スタートしましたっ! トウショウボーイが好スタートを切りました。しかしカブラヤオーがさらにいいスタートを決めてくれた。やはりカブラヤオーだ、ここでも大逃げを打つようだ。

 エリモジョージがトウショウボーイに競りかけていったが、トウショウボーイは行かせました。二番手はエリモジョージ、春の天皇賞馬であります。三番手に控えた、島広彦とトウショウボーイ。今日も末脚を炸裂させるかトウショウボーイ。島広彦がその瞬間まで手綱を抑えております。

 さあ、カブラヤオーが先頭だ。二番手エリモジョージとは既に三馬身の差がついている。まだまだ飛ばすようだカブラヤオー。このペースで保つのか。

 エリモジョージが追走。エリモジョージがカブラヤオーを捉えようとしているぞ。だが離されている。

 トウショウボーイはじっと三番手待機。仕掛け時を見計らっているか、あるいは超ハイペースを考慮してか。

 

 前半1000mを通過しました――っ!? なんと55秒台! あり得ないほどのペースだ! ここまでするのかカブラヤオーは!? あまりにも狂気的すぎる!

 これは大丈夫か、カブラヤオー! これは大丈夫か、カブラヤオー! しかし倉田隆景は手綱を持ったまま! 冷静であります!』

 

 耳を疑うような通過タイムが掲示板に表示される。

 心臓がドクン、ドクンと鳴るのがわかる。

 だが信じるしかない、カブラヤオーと倉田さんを。

 

『残り600m! 後方待機のフジノパーシアに鞭が入ったが、動く気配がない! フジノパーシアの手応えがあまりにも悪い!

 カブラヤオー、カブラヤオー、カブラヤオーがぐんぐん伸びる! あまりにも脚色が良すぎる! エリモジョージに必死の鞭が入ったが、カブラヤオーがさらに突き放す!

 だがここでトウショウボーイが一気に来た! 直線勝負だ! 残り400mで直線勝負に持ち込んだ!

 しかしカブラヤオーとの差はまだ七馬身ほど! もうこれはカブラヤオーの独走か!? トウショウボーイが必死に追いかけるが――カブラヤオーとの差は縮まない! まったく縮む様子がない!

 カブラヤオー圧勝! 三冠馬がまた無敗記録を伸ばした! トウショウボーイは届かない!

 残り200mでもなお、カブラヤオー、倉田隆景は持ったまま! 『天馬』相手にも余裕の逃げ切りとは恐れ入った! この馬に勝てる馬はいるのか!?

 

 カブラヤオーが見事な圧勝劇を演じ、今ゴールイン! あまりにも非情な強さで、他馬を捻じ伏せましたァッ!』

 

 

 

 ウィナーズサークルに出向くと、そこには厩務員に引かれ、レース後とは思えないほどに軽い足取りで歩くカブラヤオーがいた。

 もはや言葉が出てこなかった。あんな超ハイペースで走っておいて、これなのだから。

 

「いやぁ、驚きましたよ、カブちゃんには。伊坂先生とお話して、いつもより行かせてみたらあんなことになっちゃうんですから」

 

 十六番のゼッケンを掲げた倉田さんが苦笑する。

 苦笑どころのレベルではないのだが……今日は勝ってくれたし、無事だから良しとしよう。

 

 天皇賞(秋)の優勝レイを背に提げたカブラヤオーを撫でると、気持ちよさそうに目を瞑る。

 夢を見ているようだった。

 カブラヤオーが天皇賞の優勝レイを背に提げている――それは、史実では叶わなかった光景だから。

 改めて、思わせられる。

 

 ――カブラヤオーのファンでよかった、と。

 

 

 

 

【1976年天皇賞(秋) 結果

 

 一着 カブラヤオー 1:56:3

 二着 トウショウボーイ 七馬身

 三着 エリモジョージ 四馬身】




 僕にとってカブラヤオーという馬は、『超えるべき理想』。いつか必ず、あの馬を超えるような速さを持つ馬と出会いたい。

 ――倉田隆景

 確かにカブラヤオーは逃げ馬で、俺も逃げを得意とする騎手。
 でも自分だとあの馬で逃げ切れる気がしない。乗りやすさはありそうだけれど、あの馬を三冠馬にしてくれなんて頼まれたら、なら俺を降ろしてくれと懇願しちゃうね。

 ――逃げを得意とするミスター・ローカル

 カブラヤオーは最強馬の一角だよ、間違いなく。テスコガビーに乗って共同通信杯を負けた時、一頭だけ手応えが恐ろしくあったんだ。それがカブラヤオーだったんだよ。
 ……悔しくはあるけど、騎手の性としては一度だけでもいいから乗ってみたかった。

 ――テスコガビーの主戦騎手を務めた名手

 日本でレース映像を視聴する機会があったのだが、カブラヤオーの日本ダービーを見て思わず『アンビリーバボー!』と叫んじゃったね。
 ペースメーカーでカブラヤオーに競りかけろなんて言われたら、首を横に振るしかできないね。

 ――イタリア出身の名手

 乗れるものなら乗ってみたいですね。どういう馬だったのか、とても気にはなっています。
 特に天皇賞(秋)で乗ってみたいです。父が乗っていたトウショウボーイに一泡吹かせたいので。

 ――日本が誇るレジェンドジョッキー
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