今日の府中のターフは、いつもより湿気っているようだ。
競馬新聞を片手に、顎に手を置く。
天候は生憎の曇り空。青空など欠片も見えやしない。
馬場状態は稍重といったところだろうか。
前日に突如降り注いだ雨がここに来てやはり響いてきた。
GⅠジャパンカップ――ダービーと同じ舞台で行われるは、海外から実力馬が招かれる国際的な大レース。
本来の歴史ならば、この年にジャパンカップなどまだ創設されていない。
だがどういうわけか、この世界だとジャパンカップは昨年から創設され、海外馬を招聘して開催している。
その第一回ジャパンカップなのだが、結果を明かせば――予想はしていたものの、想像を遥かに超えるレベルで日本馬が蹂躙され、海外馬に掲示板を独占されていた。
日本の馬産を鑑みれば、まだまだ海外には及ばない。
そう認識され始めたのが、昨年のジャパンカップだ。
そう――史実より早くにジャパンカップが創設されたがために、この年からジャパンカップを勝利しようという動きが強まっている。
日本競馬のレベルを世界へ近づけるため、そしてやがては世界の頂を奪取するため。
日本のホースマンは、世界へと歩み寄ろうとしていた。
その想いを胸に、今日が訪れた。
俺の想いも、伊坂先生の想いも、日本のホースマンの想いも背負って、三冠馬が出陣する。
来訪してきた海外馬を討ち果たさんがために、その走りを見せつける。
残念ながらTTGはいない――トウショウボーイとテンポイントは激戦の疲労が抜けず、無念の回避となったようだ。
グリーングラスは有馬記念一本に絞る。まだまだ本格化前であり、世界と戦うのはそれからだ。
故に――未だ無敗街道を突っ走る三冠馬が打って出た。
三冠馬カブラヤオーの狂気的な大逃げはどこまで通用するのだろうか。
ダービーと同様の大舞台で、世界に立ち向かう。
海外馬が六頭も訪れたが、その中でも注目すべきは仏国のサガロ、米国のイントレピッドヒーローだろう。
特にこの稍重となった府中のターフは、欧州馬であるサガロにやや有利に働く。
サガロの末脚から、カブラヤオーが逃げ切るか。
カブラヤオーが一番人気、サガロ、イントレピッドヒーローがそれに続いている。
ここで世界への扉を開いてみせる。
返し馬として駆けていったカブラヤオーと倉田さんの背を遠目に、祈るように両手を合わせる。
ファンファーレが鳴り終わり、ゲート入りの時。
十六番――その馬番のゲートにカブラヤオーはすんなりと収まる。
このレースは十六頭立てであるから、つまりカブラヤオーは大外ということだ。
だがそれでも祈る。いや、信じている。
カブラヤオーの逃げ切りを、日本から世界への扉を開くことを――。
――ガシャン、という音が鳴り響く。
『スタートしましたっ! 各馬、揃ったスタートのようです。しかし三冠馬カブラヤオーがスッと前につけました。前走と同じように逃げ切りを図るか? 二番手とのリードは三、四、五馬身……と軽快に飛ばしていきます』
鞍上の倉田さんは前傾姿勢でカブラヤオーの手綱を握る。
ここでも大逃げ――やはり倉田さんは超ハイペースの消耗戦を仕掛けるようだ。
だが東京競馬場の芝2400mを逃げ切るというのは容易ではない……といいたいところだが、カブラヤオーの場合は別だ。
むしろもっと飛ばせとも思えてしまう。
『さあさあカブラヤオーが逃げた! カブラヤオー、倉田隆景が人馬一体となって逃げていったぞ! 海外の強豪たちはこれにどう対応するか!? 逃げているのは日本が誇る三冠馬だ!』
600mを通過した辺りでも、カブラヤオーの逃げ脚は衰えない。
それどころか、さらにリードを広げていた。
『1000mの通過タイムは……56秒3! またまた恐ろしいタイムだ! 『狂気の逃げ馬』は伊達ではない! サガロが六番手にやや位置を押し上げたがこれはどうだ!?』
通過タイムのアナウンスが聞こえただけで、場内に大歓声が響き渡る。
本当に世界に勝てるのか――日本競馬の期待が一気に膨らんでいく。
『残り600mを切って、コーナーに入った! 先頭はカブラヤオー、カブラヤオーだ! 消耗戦だ! 消耗戦となった! フジノパーシアが一気に脚を伸ばしてきた! 次いでサガロが仕掛けていった!
さあ、最終直線だ! 日本の意地が、世界に通用するのか!?
カブラヤオーが先頭、倉田隆景が手綱を押して押して押しまくっている! フジノパーシアがやってきている! フジノパーシアがやってきているが、カブラヤオーが再び突き放す! なんということだ! 世界に勝てそうだ!
想いは三冠馬に託されたぞ! 逃げ切れ、頑張れカブラヤオー! サガロがフジノパーシアをあっという間に躱した! イントレピッドヒーローは伸びが苦しい!
残り200m! サガロが必死に追うが……カブラヤオー突き放した! カブラヤオー突き放した! もう届かない! これはもう届かない! 世界よ、刮目せよ! これが日本の三冠馬カブラヤオーの凱旋だ! これこそが日本の競馬だ!
カブラヤオーが今ゴールイン! 独走でした! カブラヤオーが世界相手に圧勝劇を繰り広げました!
右腕を突き上げた! 鞍上、倉田隆景! 思わずガッツポーズ!』
こうして第二回にして、ジャパンカップは日本馬が逃げ切り、世界を圧倒してみせた。
日本でも世界に通用する――そのような希望をもたらしてくれた。
ジャパンカップの優勝レイで着飾ったカブラヤオーと対面すると、スッと頭を差し出してきた。
「ははは、こやつめ」
少々荒々しく撫で回すも、カブラヤオーは一切嫌な顔せず、むしろ心地よさそうにさらに頭を委ねてきてくれた。
それを微笑ましく、伊坂先生と倉田さんは見つめていた。
世界への扉は開かれた――ならば、あとは世界に乗り込むまでだ。
【1976年ジャパンカップ 結果
一着 カブラヤオー 2:22:1
二着 サガロ 七馬身
三着 フジノパーシア 三馬身】
カツラギエースしゅき。