暮れの中山は昨年と比べて、さらに大勢の観客が押し寄せていた。
その中には、十代から二十代ほどの若い客や家族連れなんかも見受けられる。
ハイセイコーが出走してくるのか、と思えてしまうぐらいには。
あのアイドルホースが出走するのならば無理はない。だってアイドルホースといわれるほどに日本競馬を盛り上げたもの。
だが競馬新聞を一読してみてもハイセイコーの名は載ってすらいない。
ならばなぜ? と疑問がもっと膨らむ。
自分自身が何かしたつもりはない。ジャパンカップか、それとも天皇賞(秋)でカブラヤオーが圧勝劇を演じたことが起因するのだろうか。
もしくはTTGのクラシック分け合いという相互的なライバル関係だろうか。
これはないとは思うが……カブラヤオーの競走生活を辿った番組が放送されたからなのか。
ふと思い返してみる。
カブラヤオーの競走生活を辿るといっても、普段から行っている調教や昨年の有馬記念まで。
尺の都合もあるのだろうが、今年のレースっぷりは残念ながら放送されず。
ただ番組内では当時のレース映像を使用していたり、大方は事実で構成されているため、個人的には満足ではあったが……。
まさかその影響もあるというのか。
改めて思い知らされる。
メディアの発信力とは恐ろしい、と。
さて、大勢の観客でぎゅうぎゅう詰めとなった中山競馬場だが、ちらほらと緑色の頭巾を巻いている人も見受けられる。
座っている場所もやや固まっている傾向にあるため、どうしても三国志における黄巾党に似た集団に見えて仕方ない。
……あれはいったいなになのか、あとで伊坂先生辺りにでも聞いてみることにしよう。
現実逃避するようにパドックを覗く。
出走頭数は――たったの八頭。
だがこういう状況にも関わらずこれほどの盛況を見せているというと、日本競馬の盛り上がりを再認識せざるを得ない。
パドックを巡回している所有馬は二頭。
倉田隆景さんが手繰る三冠馬カブラヤオーと、的田弘さんが操るダービー馬グリーングラスだ。
カブラヤオーは八番、グリーングラスは三番である。
この有馬記念は、カブラヤオーにとっては負けられない一戦。
二年間無敗記録と秋古馬三冠、そして海外遠征が懸かっているからだ。
グリーングラスにも勝ってほしいが、カブラヤオーの大偉業もこの目で目の当たりにしたい。
ジレンマとはまさにこういうことである。
他の主な出走馬は一番のトウショウボーイ、二番のテンポイント、四番のクライムカイザー、七番のエリモジョージ、五番のフジノパーシア、六番のテイタニヤといったところ。
正しく夢のグランプリである。
間もなくして騎乗合図が発せられ、各々の鞍上が駆け寄り騎乗していく。
そののち、駆けだす。
各馬の騎手が手綱を取り、それに呼応して走り抜ける。
俺にとっての夢はもうすぐ。もうすぐ始まる。
係員に引かれて、次々とゲート入りを済ませていく各馬。
トラブルもなく、順調なゲート入りだったが、それはまるで嵐の前の静けさのようでもあった。
最後にカブラヤオーがゲート入りを済ませて――
――遂に夢のグランプリが発走した。
『スタートしましたっ! カブラヤオーがいいスタートを切って、トウショウボーイも上手く出ました! 出遅れは一頭もありません! 各馬、順調な出だしであります!
やはりいったカブラヤオー! 倉田隆景が手綱を押してハナを奪います! エリモジョージがスーッとカブラヤオーに競りかけていく! トウショウボーイもついていきます! テンポイントは四番手で待機か! グリーングラスが外から上がっていく! テイタニヤ、フジノパーシアは後方に控えている! クライムカイザーは最後方追走!
正面スタンド前を通過して、真っ先に西陽を浴びたカブラヤオー、それからエリモジョージにトウショウボーイ。かなり飛ばしているようなペースでしょうか。
テンポイントは内につけて、グリーングラスはやや外を回っている。
フジノパーシアがややポジションを押し上げて、テイタニヤ、クライムカイザーと続いています。
馬群は縦長、縦長に伸びております。追い込み馬、後方勢にはとても厳しい展開であります。
前半の1000mは57秒2! 超ハイペース! やはりカブラヤオー、カブラヤオーの大逃げが炸裂した! 二番手には二、三馬身ほど離されてエリモジョージ。エリモジョージ、大丈夫か! やや後退し始めている! エリモジョージは後退! エリモジョージは後退!
二番手トウショウボーイ、三番手に上ってきたのはテンポイントではありません。外から上がってきましたグリーングラスです。テンポイントは四番手であります。
三冠馬か、天馬か、貴公子か、ダービー馬か。誰が勝つかまったくわからないまま、最終コーナーに入りました!
カブラヤオーが先頭! カブラヤオー持ったまま先頭! だが! だがグリーングラスが外から一気に上がってくるか!? まだ最終コーナー! しかしグリーングラスには鞭が入った! トウショウボーイ、テンポイントも手綱が動き始めて最終直線!
カブラヤオー、先頭! カブラヤオーが先頭だ! ここから伸びてくるかカブラヤオー! だがグリーングラスがジリジリと差を詰めてきている! グリーングラスが……なんと並んだ! 並んだ! あのカブラヤオーに並んだ! トウショウボーイは伸びない! テンポイントは追走が精一杯!
グリーングラスとカブラヤオー、互いに鞭が入っております! 壮絶な叩き合いであります! 一騎打ちであります!
残り200mで、グリーングラスがアタマ差抜けた! グリーングラスが抜けております! カブラヤオーは内で二番手! 万事休すか!? 三冠馬が敗れるか!?
しかしもう一度カブラヤオーが追い上げる! カブラヤオーがグリーングラスとの差を縮める! もう一度カブラヤオーか!? グリーングラスが制するか!?
どちらだ!? どちらだ!? テンポイントが三番手に突っ込んできているがもう届きそうにない!
カブラヤオーか!? グリーングラスか!? もつれ合ったままゴールイン!
大激戦、大接戦でゴール! これは写真判定であります!』
慌ててウィナーズサークルに顔を出すと――そこにはやはり伊坂先生がいた。
それから、彼らも。
「……私の厩舎、そしてオーナーの所有馬のワンツーですね。まさか有馬でワンツーを飾るとは」
「そうですね。俺としてはとても嬉しいですけどね」
あれほどの熱戦を見せつけられて、興奮できないわけがない。
「いやぁ、負けるかと思いましたが……彼が予想以上に頑張ってくれましたね」
騎手――倉田隆景さんが、黒鹿毛の馬の頭部を撫で回す。
――そう、この有馬記念の勝者は。
【1976年有馬記念 結果
一着 カブラヤオー 2:29:9
二着 グリーングラス ハナ差
三着 テンポイント 二馬身】
緑色の頭巾の集団……鏑矢党のこと。カブラヤオーの応援団で、カブラヤオーのメンコと同じ緑色の頭巾を身に着けているのが目印。