史実馬の馬名と知識がわかるのは相当なチートだと思います。
プロローグ 馬名看破
真夏の猛暑が肌を焼き焦がす。直視したら目を痛めそうな陽射しが、槍の穂先となって頬を貫く。
じっとりとした感覚が口いっぱいに広がる。お湯のような、お湯とも言い難いような唾液が口内を循環する。
それをゴクリと飲み込むと、面を上げ、向き直る。
向き直った方には、ひとつの黒い毛の塊が身を震わせていた。
一頭の、仔馬だった。脚は細く、馬体はみすぼらしく、覇気も垣間見えない、酷い言いようでしか表せられないぐらいに、弱々しい存在だった。
だけれど、俺にはひとつの確信がある。間違いなく、この馬は走る。だって――
『☆カブラヤオー』
彼が後世にまで伝わる名馬だということが、俺にはわかるのだから。
1972年、北海道――襟裳。
牧場に敷き詰められた芝生が風でなびく度、どこか青っぽいすっきりした匂いが鼻腔を通り抜けていく。芝生の独特の香りなのだろう。
風が冷気を運んできてくれるため、その気持ちよさで今にも芝生の上で寝転びたいぐらいだ。それに今日は特段機嫌がいいのもある。
二度目の人生で初めて、馬を購入したからだ。
前世では絶対になし得ないであろう幻想を、この手で掴んでしまったのだ。
二度目の生を授かり、二十三年は経ただろうか。少し前に襟裳に自身の牧場を開設し、そして三日ほど前に当歳馬を一頭購入したなんて、前世の俺どころか今世の十代の俺でも信じないだろう。
この牧場の風景を前世の俺に見せて、あっと驚かせてやりたいところだ。
さらにいえば、この当歳馬の血統と生年も見せてやりたい。前世の俺ならびっくりして痙攣し動かなくなる自信がある。
改めて、黒鹿毛の仔馬の方を見やる。
すると、仔馬の頭上に『☆カブラヤオー』という表示が出現する。
そう、俺にはわかる。将来、この仔馬が『狂気の逃げ馬』と呼ばれるようになることが。
転生してからだ。俺にのちの名馬となり得る馬がわかるようになったのは。前世ではそんな特殊能力じみた能力は何ひとつ有していない。
だが、その能力のおかげでこうしてのちのカブラヤオーを購入できている。
史実のように狂気的な大逃げで皐月賞、日本ダービーを勝ってくれれば御の字だが、まず史実通りにはならないだろうという確信がある。
なぜなら、カブラヤオーの馬主が史実と違って俺だからだ。史実のカブラヤオーと同じ厩舎、同じ騎手であればなんとかなりそうだったが、そのような伝手もない。はっきり言って不安で仕方ない。
そして何より、史実の1970年代とは違い、なんとこの時代から2022年なら存在するはずのレースがある。恐らくであるが、この世界は『ウイニングポスト9 2022』の世界なのだろう。でなければ、この時代に高松宮記念や秋華賞、ましてやGⅠといったグレード制があるわけない。
不安要素だらけだ。カブラヤオーの厩舎、鞍上はどうなるか。また、中央競馬なら、厩舎は美浦か栗東なのだが、この選択次第でカブラヤオーのクラシックでの勝敗は決定するかもしれない。
とてもではないと言えないほどの不安が、脳を覆い尽くすばかりだった。
「この先、どうなることやら……」
願うような、嘆息交じりの呟きが風で掻き消される。
カブラヤオーを購入した理由は、実力馬であることはもちろん、賞金稼ぎも目当てだ。特に勝ってほしいのは、やはり日本ダービー。ここを早めに勝っておかないと二度と勝てなくなる気がした。
だけれど、カブラヤオーには無理せず走ってほしい。史実と同じ結末を辿ったら、目も当てられなくなるだろう。
祈るように手を合わせる。カブラヤオーの無事完走と、牧場の繁栄を願って。
少しでもお楽しみいただけたなら幸いです。読んでくださってありがとうございます……!