パリロンシャン競馬場。長い歴史を持つフランスのその競馬場の関係者席に、俺たち――カブラヤオー陣営はいた。
本来の史実ならばパリロンシャン競馬場ではなく改修前のロンシャン競馬場なのだが、そこは1975年に改修を終え、今俺たちがいるパリロンシャン競馬場になったのだという。
あんまりにも時代が進みすぎている気がしなくもないが、おかげで2020年代レベルで深くて柔らかい欧州の芝となっている。
これならば、攻略法が見いだせる。欧州血統のカブラヤオーであればこの馬場をものともしないはず。
と、言いたかったところだが……。
先ほどからシャワーのようにきめ細かい雨が降り続けている。それも三日前ほどからだという。
この調子だと、間違いなく凱旋門賞があるロンシャンの芝は重馬場であろう。
しかも相手も悪いかもしれない。伊坂先生から手渡された出走馬表に目を移す。
今年の凱旋門賞には十六頭が出走。カブラヤオーの馬番はまたもや運悪く大外の十六番。
有力馬は十五番のフランス所属馬エクセラー、三番のアイルランド所属馬であり英ダービー馬ザミンストレル、そして七番のアイルランド所属馬であり史実勝ち馬であるアレッジド。
いくらカブラヤオーといえど、一筋縄ではいかない強豪が集結してしまった。
特に警戒すべきなのは、いや、有力馬全てを警戒しないといけない。隙を見せたが最後、有力馬のどれかに差される。
幸いなのがカブラヤオーは前走のフォワ賞(GⅡ・芝2400m)でロンシャンを経験済みだということ。
だがそれも決定的なアドバンテージにはならない。降雨のせいで芝が湿ってしまっているのだから。
「オーナー、どうされましたか? そんなに気難しそうな顔をされて」
見かねたのか、俺の隣にいた伊坂先生が話しかけてくれる。
「日本馬には不利なデータが揃いすぎててですね、もしかしたら、と思ってしまって……」
「ははは、確かに、これほど雨が降るとなるとカブラヤオーも未経験の重馬場になるでしょうしね。前走のフォワ賞、前々走のサンクルー大賞典ではあまり強い馬が出てきませんでしたからね。不安になるのも仕方ありません」
「まあ……そうですね。すみません、怖気づいてました」
自分でも気づかないうちにだいぶ怖気づいてしまっていたようだ。俺も堂々としてなければ。でなければカブラヤオーに申し訳ない。
「ああ、伊坂先生。そういえばシアトルスルーのほうは?」
「はい、夏のケンタッキーダービーと呼ばれるトラヴァーズステークス(GⅠ・ダート2000m)も制して米四冠。現在は大目標のBCクラシック(GⅠ・ダート2000m)に向けて調整中ですね」
「あれは白鳥というより、不死鳥ですからね……もう誰にも止められませんよ」
シアトルスルーのほうはあまりにも順調すぎる。米三冠後にしばらく休養を経ても調子を崩さず、四冠目も圧勝。
このままいければ、グランドスラムも夢ではないのかもしれないが……今はカブラヤオーのほうに集中だ。
遠目からしか見えないが、カブラヤオーと倉田さんは落ち着いた様子で返し馬を行っている。
ここまで無敗。だとすれば、この凱旋門賞も手にしてほしいところ。
日本馬として最初にこの頂に登り詰めるのは、カブラヤオーであることを信じる。
ゲート前がだんだんと騒々しくなってくる。それはまるで十六頭の返し馬が終わったという合図のようだった。
係員が現れ、一頭、また一頭とゲートに収めていく。そのたびに騒々しさが静けさへと変わっていく。
やがて最後の馬が収まる番となる。倉田さんを鞍上に、カブラヤオーが十六番ゲートに入っていく。
『スピードシンボリ、メジロムサシ、日本の強豪が敗れ去ったこの凱旋門賞で、遂に夢は叶うのか!? 三冠馬カブラヤオーが世界に挑みます!
スタートしました! カブラヤオー、好スタート、好ダッシュでいきなり飛び出ていった! 三冠馬が歓声と共に飛び出ていきました! これはどうなる!?
先頭、ハナを切ったのは、やはりカブラヤオー! 日本が誇る無敗の三冠馬です! 早速リードを広げていきます!
二番手アレッジド、アイルランド調教馬。これはカブラヤオーに追走していく様子。その一馬身ほど後ろ、ザミンストレルが追走。最後方に怖い怖いエクセラーが構えております。
各馬、一コーナーに差しかかります。先頭はカブラヤオー、倉田隆景。二番手アレッジドとの距離は三馬身! これは大逃げ態勢か! 三冠馬の大逃げが、世界にも炸裂する!』
カブラヤオーが二番手以下の後続を早速引き離していく。
やはり世界に勝つにはこれしかない。そう、大逃げである。
カブラヤオーの持ち味を活かしつつ、決してスローペースに持ち込ませない戦法。ここでも狂気的な大逃げが役立つとは。
『1000mを通過しました。通過タイムは、スプリントのようなタイム! なんと凱旋門賞、重馬場のロンシャンであり得ないタイムを叩き出している! これが三冠馬、狂気の逃げ馬の真髄か!
カブラヤオーは二番手アレッジドから四馬身のリードを保っている! 頑張れカブラヤオー! もうすぐ偽りの直線、フォルスストレートだ!
いや、しかし! ここで、ここに来て、なんとびっくりエクセラーが仕掛け始めた! 一気にペースが乱れる!
エクセラーが大外から一気に四番手! 四番手でザミンストレルを躱そうとしている! 残り800mを切りました!』
頼む、いってくれ。日本の夢を、無念を、呪縛を、ここで晴らしてくれ。
『残り600m! エクセラーが、エクセラーが三番手! 二番手アレッジド! カブラヤオーをマークしている! しかし先頭のカブラヤオー、未だリードを譲らない!
残り400m! さあ、最終直線! カブラヤオーにポーンポーンと鞭が三つ入りました! カブラヤオー、頑張れ! 日本の悲願はもう少し! あと一伸び! あと一伸び! なんとか伸びてくれ!
カブラヤオー伸びる! カブラヤオー伸びる! 頑張れカブラヤオー!
エクセラーはやや伸びが悪い! いっぱいになっている!
残り200m! カブラヤオーがこのまま逃げ切るか! このまま逃げ切ってくれカブラヤオー!
ああ! しかしここに来て外からアレッジド! アレッジドが、この時を待っていたようにじりじりと差を詰めてくる!
粘るカブラヤオー! 迫るアレッジド! どちらだ!? どちらだ!?
アレッジドが、並びかけてくる! 残り100mで、並びかけてくる! そして躱した! 躱した! カブラヤオーを差し切った!
そのままゴールイン! 躱したところ、躱されたところが、無情にもゴール板直前!
無敗の三冠馬カブラヤオー、ここで敗れた! ここで、この大舞台で、敗れてしまった!』
ああ――開きかけていた頂への扉が、再び閉じられる。
まさかアレッジドがあのような末脚を使ってくるとは……まさに頂への扉を守護する門番のようだ。
鞍上の倉田さんは、呆然とした様子で雨天を眺めている。
かくいう俺も、呆然とするしかなかった。
【1977年凱旋門賞 結果
一着 アレッジド 2:22:9
二着 カブラヤオー アタマ差
三着 エクセラー 四馬身】
○カブラヤオー
牡 父ファラモンド 母カブラヤ 1972年生
スピード:77(79が最上限)
適性距離 1600m~3000m
馬場適性 芝◎ 洋芝◎ ダート○
脚質 大逃げ、逃げ
成長型 早め・持続
瞬発力:A
勝負根性:S+
健康:S
精神力:B+
賢さ:B+
柔軟性:S+
パワー:S