晴天となったサンタアニタ競馬場。アメリカのブリーダーズカップデーの開催日となったそこに到着し、何時間を経ただろうか。
ブリーダーズカップが間もなくクライマックスに差しかかり、観客席のボルテージは最高潮に達しつつある。関係者席とはいえその中にいると、まるで競馬場そのものと一体になっているような気分になる。
観客、馬主、実況、そして人馬が白熱し、この競馬場を盛り上げている。
競馬はエンターテイメントである――どこかで聞いた言葉だが、この壮観な景色を見ていると、それもひとつの形なのだろうと頷ける。
自身の所有馬が出走するのはブリーダーズカップ・クラシック(GⅠ・ダート2000m)という、アメリカ競馬の最高峰のひとつに数えられるほどの大レースだ。
このブリーダーズカップ自体も最高峰なのだが、その中でもBCクラシックは群を抜いているといえる。
理由としてはまず賞金額。ブリーダーズカップデーで開催される大レースの中では、破格すぎる高額賞金を誇る。……詳細な額は忘れてしまったが。
次点は距離。ダートの十ハロン――2000mという距離はケンタッキーダービーと同距離であり、アメリカ競馬にとっては王道的だろう。ファンを熱狂させるには十分だ。
これらの要素もあるからこそ、BCクラシックは最高峰と見られ、例年のように有力馬が多数出走するかのように思われたが……。
今年はたったの三頭。そう、三頭だけだ。これには俺も目を丸くしてしまう。
あんまりにも強すぎる馬が出走していたりするとこうなる。というか、これがもし日本競馬だったら競走不成立だ。
「クラシック、少なすぎませんかね……」
「仕方ありませんよ、メンバーがメンバーですから」
ちょっとした不満を口にすると、伊坂先生が諦めたような表情で返答してくれる。
たった三頭で行われるアメリカ競馬最高峰のクライマックス。今思い返せば、その三頭が最強馬であるため、こうなるのは必然だったのかもしれない。
やがて時が訪れた。BCクラシック、三頭の最強馬による狂宴が。
芦毛の誘導馬に導かれて、三頭は本馬場入りを果たす。
一番、豪脚一閃、ウッドウォードステークス(GⅠ・ダート1800m)四連覇の名騸馬フォアゴー。
ニ番、その快速に並ぶ者なし、日本からの挑戦者である無敗のトリプルクラウンホース、シアトルスルー。
三番、名騸馬はもう一頭、西海岸のアイアンホース、エンシェントタイトル。
最強馬三頭が集結し、この場で覇を競い合う。正しく最強馬決定戦。
三頭がゲート前で周回する。もうすぐだ、もうすぐ開幕する。ドリームレースと呼んでも過言ではない狂宴が。
「……いよいよですね」
「ですね。あとはシアトルと小田部騎手に託しましょう」
係員に引かれ、ゲート入りが始まった。
『今年は僅か三頭。しかしその三頭はどれも最強馬。我らが日本のシアトルスルー、小田部信夫はニ番に入っております。ウッドウォードステークス四連覇を達成したフォアゴーは一番、三番にエンシェントタイトルが今係員に引かれて入ります。
トリプルクラウンホース、シアトルスルー、ここでも夢を積み重ねるか!? 日本競馬の夢背負って、今駆け抜けます!
スタートしました! シアトルスルー、エンシェントタイトルが飛び出ていきました! フォアゴーは下がって後方待機のようです! 飛び出ていったニ頭、シアトルスルー、エンシェントタイトルは先頭争い! これは競り合っています!
フォアゴーはニ頭には付き合わず控える態勢。シアトルスルーが僅かに前か。しかしエンシェントタイトルは逃しません。外から馬体を併せ、徹底的にマークしています』
冷や汗が背筋を伝う。ハンカチで何度額を拭いても流れ落ちてくる。
所有馬のシアトルスルーが外から馬体を併せられて最内に閉じ込められている。初っ端から非常に厳しい展開だ。
シアトルスルーが僅差で前に出ているが、このまま競り合っていれば伸び脚を欠き、フォアゴーに差されてお終いだろう。
小田部さんはどう動く。この展開、他馬に対して。
『シアトルスルーが最内からするりと抜けていきますが、エンシェントタイトルも追走していきます。ニ番手エンシェントタイトルと三番手フォアゴーとの差は二馬身ほど。シアトルスルーの半馬身後ろからエンシェントタイトルがプレッシャーをかけにいきます。シアトルスルーはどうする、シアトルスルーはどうする。後方にも恐ろしい馬が控えているぞ。
1000mを通過しましたが……56秒2! 非常に早い! 非常に早すぎる! 超ハイペースとなっております! それでも先頭のシアトルスルー、脚は保つのか!? 小田部信夫は何を考えている!?』
場内が徐々にどよめきに染まっていく。
一番人気のフォアゴーは未だ後方、ニ番人気のシアトルスルーはこの超ハイペースで保つのか、三番人気のエンシェントタイトルはシアトルスルーを躱せるか。
どよめきには、そんな不安も混じっているようだった。
『残り600mを切りました! さあ、間もなく勝負どころ! シアトルスルー先頭! シアトルスルーがまだ先頭! しかしエンシェントタイトルがじりじりと迫ってきている! これはどうなるか!? これはどうなるか!?
残り400m! 最終コーナーで、遂にエンシェントタイトルに鞭が入った! シアトルスルーはまだ入れていない! だが抜かせない! シアトルスルーとエンシェントタイトルが並んだまま、最終直線だ!
シアトルスルーが先頭! エンシェントタイトルは二番手! しかしシアトルスルーには引き離されつつある! ここでやってきた! 満を持して、豪脚を伸ばしてきたのはフォアゴー! シアトルスルーとの差が一気に縮まっていく!
だがまだ先頭はシアトルスルー! この脚色はやや厳しそうだ! フォアゴーが並びかけてきそうだが、なかなか前に出られない! シアトルスルーが驚異の粘りを見せている! しかしフォアゴーが差し切った! フォアゴーが差し切った!
いや、最内から、なんと最内からシアトルスルーが差し返す! シアトルスルーが差し返した! もはやニ頭の一騎打ち!
シアトルスルー! シアトルスルー頑張ってくれ! シアトルスルーがもう一度先頭! フォアゴーが再び伸びようとしている! 頑張れシアトルスルー! ゴール板はもうすぐだ!
シアトルスルーが伸びる! これは奇跡のもうひと伸び! シアトルスルーが、ここでド根性を見せつけた!
シアトルスルーが今ゴールイン! 先頭! 日本馬が今、アメリカ最高峰の舞台を、先頭で完走しました! 小田部やった! 小田部はよくぞやってくれました!
二着には1/2馬身差でフォアゴー、三着には五馬身離れてエンシェントタイトルです!
日本馬が、米最強馬に輝きました! 小田部信夫が腕で目元を拭っております!』
「い、い、い、伊坂先生! み、見ましたか!? シアトルスルー、シアトルスルーが!」
「はい、はい! 見ましたとも! ……ええ、ええ!」
伊坂先生と抱き合い、互いに狂喜する。
世界最高峰の大舞台、BCクラシック。それをシアトルスルーがとてつもない勝ち方で勝ってくれたのだから。
「オーナー! 表彰式に行きましょう! 小田部騎手もきっと! きっと我々並か、それ以上に喜んでいるはずです!」
アメリカ競馬の一大イベント、ブリーダーズカップデー。その日、日本馬がBCクラシックを手にし、史上初の日本馬によるブリーダーズカップ制覇が成し遂げられた。
【1977年ブリーダーズカップ・クラシック GⅠ・ダート2000m・サンタアニタ・良馬場 結果
一着 シアトルスルー(日) 1:57:4
二着 フォアゴー(米) 1/2
三着 エンシェントタイトル(米) 五馬身】
「シアトルか、もしくは……」
「小田部さん、本を書いてみない? 競馬関連で」
「じゃあタイトルは『シアトルの背』で」
「えぇ……」