この項目には、物語の今後や根幹に関わるネタバレが含まれます。
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カブラヤオー(1972年~2009年)とは、史上初めて無敗でクラシック三冠を達成し、さらには凱旋門賞でも好走するなどした、日本競馬が誇る怪物の一角。
出走したレース全てで狂気的なまでの超ハイラップを刻んでいることから、『狂気の逃げ馬』と称され、愛された。
また、種牡馬としても怪物を生みだした。
性別:牡
毛色:黒鹿毛
生年:1972年
没年:2009年(37歳)
父:ファラモンド 母:カブラヤ
生産国:日本
調教師:栗東・伊坂周二
主な勝ち鞍:クラシック三冠(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)、秋古馬三冠(天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念)、宝塚記念
表彰:年度代表馬(1975年、1976年)、最優秀3歳牡馬(1975年)、最優秀古馬牡馬(1976年、1977年)
【幼駒時代】
当歳馬時代のカブラヤオーは、非常に見栄えが悪く、その姿は馬主や調教師たちからは不評で、「とても買えない」と言われてしまうほどだった。
だが、そんなカブラヤオーを一瞥して購入を即決した馬主がいる。その人物こそ、当時は若年の馬主だったオーナーであった。
オーナーは「引き取り手がいないなら今すぐにでも買わせてくれ」と頭を下げ、その態度に生産者側は困惑しながらもカブラヤオーを売却。
こうして、牧場での育成を経て、カブラヤオーは伊坂周二厩舎に預託されるのだが、現時点では誰がこの見栄えの悪い馬が三冠馬になろうなどと予想できていただろうか。
【競走馬時代】
預託されて一目見たとき、調教師の伊坂周二は期待でいっぱいになったという。
オーナーから「化け物のような馬ですよ。……たぶん」と話されていたのもあるが、従順で人懐っこく、柔軟性もある。それらの要素を踏まえて、伊坂は「重賞のひとつやふたつは貰ったな」と確信する。
11月に東京競馬場で行われる新馬戦(芝1800m)に出走。鞍上に全戦に渡り手綱を取ることとなる倉田隆景を据え、デビュー戦を迎えた。
ここでは9頭中7番人気と、非常に低い評価だったのだが、それを嘲笑うように大逃げを打ち圧勝。着差は8馬身。当時、伊坂はこの結果はまあまあとコメントしていたが、一方で倉田は衝撃を受けたという。
「今でも思い出せるぐらい、凄まじい手応えで逃げてくれましたからね。なんなんですかね、あのカブちゃんは……」
勢いに乗り条件戦の葉牡丹賞(中山・芝2000m)も楽勝すると、いよいよ重賞制覇に乗り出す。
2月の共同通信杯(GⅢ・東京・芝1800m)。このレースに出走したカブラヤオーだが、運悪く昨年の2歳女王テスコガビーと当たってしまう。
しかしこれで怯む陣営ではない。13頭中11番人気という低評価を受けながらも、好スタートから大逃げに打って出る。
最終直線ではテスコガビーの猛追によりだいぶ差を縮められたが、のちの二冠牝馬相手に一馬身残して勝ち切る。
これが倉田にとっても、カブラヤオーにとっても、重賞初勝利となった。
そのあとも弥生賞(GⅡ・中山・芝2000m)を圧勝。皐月賞では本命と目され、1番人気に支持される。
ここからが、カブラヤオーの大逃げ伝説の幕開けとなった。
皐月賞(GⅠ・中山・芝2000m)では競りかけてくる他馬を意にも介さず、楽々と逃げ切り。
日本ダービー(GⅠ・東京・芝2400m)は距離不安を囁かれるが、それでも1番人気に。期待に応え、ここも圧勝で飾る。
休養を挟み、秋の神戸新聞杯(GⅡ・阪神・芝2400m)での勝利を叩きに、いよいよ菊花賞(GⅠ・京都・芝3000m)へ。
無敗での三冠が懸かった一戦。カブラヤオーはそれすらも逃げ切り勝ちで収め、史上初の無敗三冠を達成する。
セントライト、シンザンですら成し遂げられなかった無敗のままでの三冠。その偉業を、この馬は大逃げという玉砕的な走りで成し遂げたのだ。
3頭目の三冠馬となったカブラヤオーは、日本競馬の締め括りである有馬記念(GⅠ・中山・芝2500m)に出走。
カブラヤオーは有馬の大舞台で、伝説を創り上げた。
前半1000mをスプリントのようなタイムで通過すると、最終直線でも手応えは鈍らず、フジノパーシアらの差し脚を完封し圧勝。
無敗三冠馬が無敗のまま有馬記念を制覇。それを初めて成し遂げたのが、カブラヤオーだった。
4歳になってもカブラヤオーは止まらない。年明け初戦の大阪杯(GⅠ・阪神・芝2000m)でも他をちぎり捨て勝利。
宝塚記念(GⅠ・阪神・芝2200m)では故障から復活したテスコガビーが出走してきたが、これすらも退ける。
まさに止まるところ知らずの『狂気の逃げ馬』。カブラヤオーはまだまだ伝説を打ち立てる。
天皇賞(秋)(GⅠ・東京・芝2000m)ではひとつ下の三強世代、TTGの一角であるトウショウボーイがカブラヤオーを打ち倒すために参戦。
しかしカブラヤオーには敵わなかった。カブラヤオーに逃げ切られ、トウショウボーイは返り討ちに遭う羽目に。
トウショウボーイを完封した勢いそのままに、カブラヤオーはジャパンカップ(GⅠ・東京・芝2400m)にも出走。
雨により重くなった芝をものともせず、海外馬すら蹴散らし圧勝。
まさに無双といえるカブラヤオーなのだが、次走の有馬記念は少し危うい辛勝となってしまった。
同じく伊坂厩舎所属であり、TTGの一角であるグリーングラスに最終直線で並びかけられてしまう。
これには流石の倉田も大慌て。
「あのときばかりは、負けたかと思いましたね。だけど、なぜか伸びてくれたんですよ」
そう、カブラヤオーは土壇場で二の脚を発揮。叩き合った末に、グリーングラスになんとか辛勝。
無敗のまま有馬記念連覇という大記録を打ち立てたところで、カブラヤオー陣営は凱旋門賞(仏GⅠ・パリロンシャン・芝2400m)を最終目標に、渡仏するローテーションを発表。
そのための前哨戦として大阪杯に出走したが、もはや蹂躙といえるような逃げっぷりで他を圧倒。トウショウボーイを再びちぎり捨てた。
そうして6月。遂にカブラヤオーはフランスへ渡り、現地の大レース、サンクルー大賞典(仏GⅠ・サンクルー・芝2400m)に出走。
生涯の相棒、倉田隆景と共に、海外馬相手に見事な逃げ切りを見せつける。
フォワ賞(仏GⅡ・パリロンシャン・芝2400m)でも力を見せつけると、いよいよ凱旋門賞に挑戦。
しかし、結果はアタマ差抜け出されての2着。勝ち馬はアレッジドという、アイルランド所属馬だった。
生涯初めてにして、唯一の敗戦。この瞬間を以て、カブラヤオーの無敗記録は途切れてしまう。
帰国後、カブラヤオーは有馬記念に出走予定だったという。
しかし、ロンシャンでのダメージが余程大きかったのか、歩様に乱れが見られ、出走を断念。
5歳ということもあって、引退と相成った。
【種牡馬時代(※ネタバレ注意)】
引退後は種牡馬入りし、初年度種付け料が1500万円という超高額価格で設定されるが、内国産馬というのが災いし、あまり種付け依頼は来なかった。
だが父父のシカンブルに注目し、オーナーはシーバードを父に持つアレフランスという牝馬にカブラヤオーを種付けさせた。
すると初年度産駒から、いきなり三冠牝馬を輩出。
しかし初年度でGⅠ勝ち馬はその産駒だけだったため、他の生産者からの種付け依頼はそこそこ増える程度に留まる。
その状況を狙ったのか真偽は不明瞭なままだが、1979年の年末にフランスから10億円でカブラヤオーの購入を打診される。
しかしオーナーはそれを拒絶。こうしてカブラヤオーは日本に留まったが……種牡馬引退時、カブラヤオーの最終的な種付け料は950万円であった。
カブラヤオーは27歳まで種牡馬を続け、28歳に種牡馬引退。功労馬として繋養される。
【功労馬として(※ネタバレ注意)】
種牡馬引退後も、カブラヤオーは功労馬として牧場を支え続けた。
カブラヤオー目的で訪れるファンだったり、カブラヤオーの主戦騎手だった倉田がたまにやってきたり、様々な人間と関わるのだが、どの人間相手でも大人しかったという。
特に子供相手には優しく、自ら鼻を差し出して撫でさせたこともあったようだ。
『狂気の逃げ馬』という物騒な異名からは想像もできないくらい、穏やかに余生を送っていたのだが……。
【最期】
2009年、10月。カブラヤオーを馬房から出した直後、嘶いたかと思えば、急に倒れ込んでしまった。
すぐさまオーナーが駆けつけると、カブラヤオーは一鳴きしたあと、静かに目を瞑ったという。
享年37歳。異名からは程遠い、安らかな眠りであった。
ご長寿カブラヤオー概念……。