『さあ、淀の坂を経て最終直線! 先頭はまだ、まだ粘っているエリモジョージ! だがすぐ後ろからグリーングラスが一気にねじ伏せるか! グリーングラスか!? エリモジョージか!? どっちだ、どっちだ!? 粘ろうとするエリモジョージ、先頭を窺うグリーングラス! グリーングラスが猛追する! グリーングラスが猛追する!
ここでグリーングラスが抜け出した! 緑のメンコ、グリーングラスが先頭に躍り出た! エリモジョージは追い縋るが届きそうにない! 叩き合い、競り合いは、グリーングラスが制した!
ならばあとはゴール板のみ! 今、一気に、それをくぐり抜けました!
今年も制した春の盾! 京都の、淀の桜を緑に染めたグリーングラス! 昨年はテンポイントを、今年はエリモジョージを破り、見事な天皇賞(春)連覇を達成しました!』
京都競馬場のスタンドに渦巻くのは、拍手喝采の波。
天皇賞(春)。芝3200mという長丁場を要する、春の古馬GⅠであり、例外なく数多の強豪が集いし激戦区。
伝統あるこの春の盾を連覇というのは、並大抵の馬ができるものではない。
グリーングラスが名ステイヤーだったからこそ、成し遂げれた。
鞍上が淀に強い的田さんだからこそ、導いてくれた。
調教師である伊坂先生にも、重ね重ね御礼を申し上げねばなるまい。
陣営が一致し、挑んだからこその結果だ。
「グリーングラスも的田さんも、よくやってくれましたね。伊坂先生の調整もよく活きたようです、本当にありがとうございます」
「そうお声がけしてくださると、報われた気がしますね。とにもかくにも、的田くんがよくやってくれました。グリーングラスの天皇賞(春)連覇、おめでとうございます」
笑って、伊坂先生がこちらに頭を下げる。
この連覇は、俺たちにとっての喜び。
そしてグリーングラスの強さの証明でもある。
馬主席からウィナーズサークルに向かえば、そこには既にグリーングラスと的田さんが待ってくれていた。
的田さんはグリーングラスの首元を二度優しく叩いて、笑顔を見せる。
彼にとって、グリーングラスというのはかけがえのない馬になっているのだろうか。
まだ若手だからないだろうが、そのうち、「僕がいなくてもやっていける」と言い張って降りそうなのが怖いところ。
実際、史実で実例があるのだし。
「的田くん、どうや? グリーングラスの乗り心地は?」
「最高に決まっていますよ。僕なんかにはもったいないぐらい」
このお方、いつかはやらかすな。
俺がそう確信したのは、的田さんが伊坂先生に対して発した言葉からだった。
できればそのまま乗っていてほしい。なんならグリーングラスの鞍上に縛りつけてやろうか。
と、まあ、冗談はここまでにしておいて。
的田さんも心底、この勝利を嬉しがっているようだった。
天皇賞(春)からの次走は、伊坂先生との相談の末に決定した宝塚記念。
昨年のリベンジを果たしたいところなのだが……。
今年もどうやら、一筋縄ではいかないようだ。
現段階で出走を表明している陣営がいる。その陣営こそ、昨年度の覇者エリモジョージ。
『気まぐれジョージ』と名高き癖馬が今年も出走するというのだから。宝塚記念はペースを警戒しながらのレースとなろう。
昨年と同じようにしてやられるわけにはいかない。天皇賞(春)を勝利したのだし、余力があれば宝塚記念も勝ってほしい。
その前に、ジョンヘンリーが出走するダービーも開催される。こちらにも注目しておかねば。
皐月賞馬サクラショウリか、それとも外国産馬ジョンヘンリーか、あるいは伏兵か。ダービーは混戦と見られている。
日本ダービー、宝塚記念、どちらも非常に心が躍る。開催はまだまだ後日だというのに、高揚感が全身を駆け巡る。
ジョンヘンリーは山南さんに、グリーングラスは的田さんに手綱を委ねる。彼ら騎手が馬と心を通わせ、勝利へと結びつけてくれる。
他にも楽しみはある。スペクタキュラービッドがそろそろ入厩間近となっているのだ。七月の始めには入厩するのではないだろうか。
預託先は栗東に厩舎を構える馴染みの伊坂先生となる。預けたら早速誰を乗せるか決めておきたいところ。
「牧野さん、ちょっといいですか?」
一枚の手紙を机の上に置き、牧野さんを呼び出す。
「はい、どうかされました?」
そう返してくれたので、早速用件を切り出す。
「ちょっとカブラヤオーに会わせたい人というか、騎手の方がいましてね」
おおよそ見当がついたように牧野さんは頷く。
「わかりました」
それから一時間ほど経ると、ひとりの人物がこの牧場に顔を出す。
若々しい男性、そう、騎手の倉田隆景さん。その人がわざわざ北海道にまで出向いて、カブラヤオーに会いに来てくれた。
「いきなりですみません、オーナー。今日はよろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
カブラヤオーの馬房がある厩舎に入り、見回していると。
倉田さんは迷うことなく一目散にカブラヤオーのもとに歩み寄る。
「なんでわかったんです?」
ちょっと気になったために尋ねると、
「なんとなく、匂いというか雰囲気というか、カブちゃんだなってすぐにわかったんです」
そのような答えが返ってきた。
……馬に脳を焼かれるのは、案外、恐ろしいことなのかもしれない。
するとカブラヤオーも倉田さん気配を察したのか、馬房から顔を覗かせ、鼻先をぎゅっと倉田さんの肩に当てる。
倉田さんは嬉々としてカブラヤオーの首元をそっと撫でる。どこか気持ちよさそうに目を瞑るカブラヤオーは愛らしい。
「……元気そうですね、カブちゃん」
「とても元気いっぱいですよ。種付け後も甘えん坊なままで」
「カブちゃんらしいや」
笑んで、倉田さんはハープを奏でるかのような手つきでカブラヤオーに触れる。
「……僕にはね、夢があるんですよ」
カブラヤオーに視線を注ぎ、倉田さんが口を開く。
「カブちゃんの子供に乗って、少しでも恩返しがしたいんです」
言葉を紡いで、想いを告げる。
「カブちゃんにはたくさん貰いましたから、今度は僕がやる番なんです」
覚悟を決めたように、カブラヤオーからそっと手を離す。
「オーナー、どうかお願いします。もしカブちゃんの子を所有するのでしたら、よければ僕を乗せてください」
大きく頭を下げて、倉田さんは願い出る。
懇願するように、縋るように。
……ああ、この人はカブラヤオーに脳を焼かれている。いや、焼かれすぎている。
「テスコガビーとアレフランスにつけましたから、所有したらぜひ乗ってください」
「……っ、ありがとうございます!」
カブラヤオーも罪な馬だ。彼ほどの人物をここまで染め上げてしまうとは。
恐らく、この人はもう止まらない。たぶん、カブラヤオーを追い続けるようになろう。
……まあ、無敗三冠馬だから無理もないのだが。
短距離馬たちが黙ってなさそうなんですが……。