6月もいよいよ終わりへ差しかかろうとする今日この頃。
阪神競馬場、上半期の日本競馬を締めくくらんとする春のグランプリ。
この大舞台で響くのは、熱狂か、どよめきか、喝采か。
いずれにしても、盛り上がることは間違いなし。グランプリと名がつくだけあって、出走馬も強豪揃い。俺たちグリーングラス陣営からしても相手にとって不足なし。
現在の時点では、春の天皇賞馬グリーングラスが1番人気。このグランプリで1番人気に支持されたとあれば、もちろん期待してしまう。
それでも無茶はしすぎない範囲で。せめて無理なく怪我をしない範囲で走り抜けてほしい。俺はそう願うばかりだ。
一方で2番人気は昨年の宝塚記念勝ち馬エリモジョージ。こちらを惑わすような逃げを打つか、それとも乾坤一擲のハイペースを刻むか。まったく作戦が見えてこないのが厄介なところ。
前走の天皇賞(春)でこそグリーングラスは勝てた。だが宝塚は2200m、1000mも距離が短縮されている。天皇賞とはわけが違う。
「伊坂先生、エリモジョージについてはどう思われますか?」
どうにも気にかかって、傍らに座る伊坂先生に尋ねる。
「私から見たらですが、状態はかなり良さげですね。ただこちらのグリーングラスと真っ向勝負するとは、あんまり思えませんね」
競り合い、または末脚勝負に持ち込めば、確実にグリーングラスが有利になる。あれもあれで能力は高いが、流石にグリーングラスと叩き合うというのは分が悪い。
ともあれ、エリモジョージがどういった作戦で打って出るか不明瞭な以上、警戒するに越したことはない。
「昨年と同じような敗北は、できれば避けたいですね」
「なるべくならそうですね。的田さんの騎乗にもかかっている部分がありますから」
騎乗合図と共に駆けだし、グリーングラスの鞍に跨る的田さんを遠目に、昨年の宝塚記念を振り返る。
TTGが揃い踏みしたグランプリではあったが、エリモジョージが逃げてスローペースに持ち込んだことで、一気に総崩れとなってしまった。
1着エリモジョージ、2着グリーングラス、3着クライムカイザー――。
どの陣営も唖然とした、いや、唖然とせざるを得なかった。こちらを幻惑するような逃げにしてやられたなんて、完全に想定外だったから。
だが、その雪辱は今日の宝塚記念で晴らさせてもらう。
ファンファーレが響き渡り、次々とゲートに収まっていく各馬。
グリーングラスは16頭中の4番、エリモジョージは13番。
双方ともゲート入りを済ませてあとはスタートを待ち侘びるだけ。
阪神競馬場が静まり返る、緊張の一瞬。
『今年も強豪集った春の仁川! 上半期のグランプリ、GⅠ宝塚記念! 制するのは果たして!?
――スタートしましたっ! ポンとエリモジョージが飛び出した! グリーングラスも好スタートを切って、人気馬はそれぞれ上々の立ち上がり! さて先頭を行きますのは、13番エリモジョージ! やはりハナを主張したエリモジョージ! 手綱を押してエリモジョージが先頭へ!
その外目から、スーッと機を窺うグリーングラスと的田弘。今年こそ悲願のグランプリ制覇なるか! 観衆の期待を一身に背負ったグリーングラス! 春の天皇賞に続いてここも制覇なるでしょうか!』
グリーングラスが好スタートを切ってくれたことに内心で胸を撫で下ろす。
発馬直後になにかしらのアクシデントがあったとなれば、目も当てられない。
この大舞台を完走してくれるだけでもいい。それだけでも満足だ。
『先頭、先頭はエリモジョージ! エリモジョージが先頭! そのすぐ真後ろにグリーングラスがつけている。エリモジョージをがっちりと捉えている。今回は逃がさないとばかりにエリモジョージを狙っているぞ! その差はなかなか開かない!
1000mを通過して、タイムは1:04:3、やや平均的なペースに持ち込まれました。先頭は依然エリモジョージです。エリモジョージが先頭だ。グリーングラスも依然エリモジョージをマークしたまま、残り800mを切りました!』
ここから、ここからだ。決着をつけるための舞台は、もうすでに整ってある。
ならばこそ、あとは――駆け抜けるだけだ。
『残り600m! さあさあグリーングラスだ! 緑の武者が外に持ち出して、先頭を撫で切らんとしているぞ! エリモジョージは最内、最内につけて粘ろうとしているが果たして!? 先頭は、まだ、エリモジョージだ!
グリーングラス、来ている! 的田弘が押して押してグリーングラスがやってきている! だが、だが先頭エリモジョージ! 残り400mでもなお、エリモジョージが先頭だ!
グリーングラスは伸びている! グリーングラスは確かに伸びているが、やや苦しい! エリモジョージが粘り切ってしまう! エリモジョージが再び逃げ切ってしまうぞ! 並びかけてはいるがなかなか躱せない! アタマ差抜けてまだ、まだエリモジョージ!
グリーングラスはもはや万事休す! ここはエリモジョージの根性勝ちか! この宝塚でも再び春を巻き起こすかエリモジョージ!
グリーングラスとエリモジョージが、並んでゴールイン! 僅かに、僅かに! エリモジョージが体勢有利か!』
地下馬道でグリーングラスと的田さんを出迎える。彼らは茫然自失としていて、特に的田さんは顔から血が抜けたみたいになっている。
彼らは全力を以て挑んでくれた。負けこそしたが労わってやりたい。
「的田さん、いい騎乗でしたよ」
「…………」
「……的田さん?」
声をかけても、的田さんは見向きこそするが声を発さない。
流石に不安になってしまう。どうしたものか。
と、不安に思っていた矢先、的田さんの目元から雫が流れ落ちていく。必死に目を伏せてはいるが、それでも隠し切れていない。
的田さんはグリーングラスから降りると、鞍を取り外し始める。ただ淡々と、目元を拭いながら。
「まさかエリモジョージがあんな勝負根性を発揮するなんて……」
伊坂先生が的田さんの心情を代弁するように呟く。そう、最終直線。残り400m以降で仕掛けてもまったく躱せなかった。普通なら躱せるはずなのに。
あの展開でエリモジョージが粘り切ってしまうなんて……失礼ではあるが完全に想定外だった。
「あれが気まぐれジョージの本領か……」
そう呟いて、俺はただただ、立ち竦むしかなかった。
だが、今は的田さんのメンタルが心配だ。あの場面、あの展開で取りこぼしたことに、かなり自責の念を感じてしまっているかもしれない。
これからもグリーングラスに騎乗し続けてほしいが……どうなるか。
今回の敗北は、まさに痛手となってしまった。ここから、どう巻き返すか……。
【1978年宝塚記念 結果
1着 エリモジョージ 2:13:8
2着 グリーングラス クビ
3着 ホクトボーイ 5馬身】