転生したらウイポ馬主だった件   作:佐月檀

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 レースシーンがムズい定期。


最優、それを証明

 誰もが焦がれるその刹那。

 そこで瞬きなど厳禁。刮目せねばならない一時。

 府中の最終直線を駆け抜け、栄冠を手にすることができる者は、ただ一頭。

 日本競馬においてこれ以上ないといえるほどに重んじられる、世代代表を決める戦い。

 それこそが、東京優駿、日本ダービーである。

 

 牡馬クラシックにはそれぞれ格言がある。一冠目の皐月賞では最速が勝ち、三冠目の菊花賞では最強が勝つ。ならばこの日本ダービーでは、何が最も優れていればいいのだろうか。

 ダービーにおいて最も必要とされるものは、枠順や展開といった運である。

 運次第で枠順が決まり、それによって位置取りやペースなどの展開も変動してくる。

 当然、有力馬だとしても展開についていけなくなれば沈んでいくし、絶好のポジションに着けても切れ味を発揮する間もないまま溜め殺しなんて事態もあり得る。

 

 逆にいえば、変動の波を乗りこなした馬こそが勝利を手にし、ダービー馬に輝ける。

 そう、要はあらゆる展開に臨機応変に対応でき、他を置き去りにするほどの能力があったら勝てるということだ。それができたら苦労しないのだが。

 

 だけれど、俺の中では自信がある。絶対的ともいえるほどに。

 涼しくも仄かに温かい空気が肌を撫で上げる。今年も日本にダービーの春が訪れていた。

 春風に彩られた栄冠。俺としてはここでぜひとも勝ち取ってほしい。

 

 この大舞台の、この一瞬のために、カブラヤオーは勝ち上がってきたのかもしれない。

 皐月賞とは異なる、胸を圧迫させるような張り詰めた空気感が、そうだと思わせてくる。

 ダービーは一生に一度。残酷でもあるが、それだけに、ダービーの頂に登り詰めたい。日本のホースマンの誰もが憧れ、挑んできた。

 

 俺たちが目指すは、その頂。最速を証明したなら、最優の座にも着いてほしい。

 二冠を戴けば、残すは最強の証明。カブラヤオーを菊の大舞台へ、未知の領域へ誘うだけだ。

 そうなると、この大舞台は落とせない。もちろん、カブラヤオーが無事な前提でこそあるが。

 

 ふとパドックを見渡し、厩務員に引かれているカブラヤオーに目を向けると、小刻みに首を揺らして力強く脚を進めていた。

 見たところだが、脚の動かし方は柔らかく、周囲を気にする様子も窺えない。

 まさに絶好調。これ以上ない仕上がりといっても過言ではなかった。

 伊坂先生にも感謝せねばなるまい。わざわざ牧場を訪れてくれたうえ、カブラヤオーの預託も引き受けてくれたのだから。そしてカブラヤオーに期待してくれて、皐月賞を勝たせてもらい、このダービーに出走させてくれた。

 

 カブラヤオーがこの大舞台に立てる理由は恐らくひとつだろう。陣営がカブラヤオーを勝たせようと一致団結したからだ。

 俺は馬主として、伊坂先生は調教師として、倉田さんは騎手として。みながみな、ひとつの想いを秘めたからこそ、ここまで来れた。

 あとは勝つだけ。そのために準備してきたのだから。

 

 倉田さんがカブラヤオーに駆け寄り、鞍に騎乗する。カブラヤオーの首元を二度優しく叩くと、手綱を握りしめる。

 ゴーグル越しから、倉田さんの表情が窺える。その表情は今まで見たことがないほどに決意を固めた、真剣なものだった。

 カブラヤオーにゴーサインを発して、駆け出す。それだけでも、人馬一体という言葉を無意識に想起してしまう。

 もはや祈ることすら忘れ、ただただ呆然と疾走する様子を眺めてしまうほどに。それぐらい、彼らが一体化しているように思えた。

 

 次々と返し馬として駆け出していく馬たち。彼らはみな、勝利を求め争う。

 もうすぐファンファーレが響き渡る。そう、世代最優を決める戦いの合図が。

 両手を合わせて祈る。手は情けなく震えていたが、そんなことは気にもならなかった。

 カブラヤオーの無事と――勝利を願って。俺が今、馬主としてできることはそれぐらいだろうから、せめて願う。それが伝わるかもしれないのだから。

 

 

 

 カブラヤオーが内枠の三番に収まり、他馬も次々と収まっていく。

 大外枠の十八番がゲートインすると、東京競馬場は静まり返る。

 

 そう、間もなくだ。間もなく――その時は訪れる。

 十秒とも、一分とも思えてしまうような一瞬だった。

 

『スタートしましたっ――!』

 

 ガシャン、という音と共に、生涯一度の大舞台はスタートを告げた。

 スタートと同時にポンと黒い影が飛び出していった。

 カブラヤオーが好スタートでそのまま先頭を掻っ攫っていったのだ。

 倉田さんが手綱を押して押して押しまくる。すんなりハナを切り、早くも後続に差をつけ始める。

 

『カブラヤオーがスーッと前に持ち出しました。鞍上の倉田隆景はまだ引き離すつもりです。二番手との差は現在四馬身ほどであります。ここで振り返って手綱を持った倉田隆景。カブラヤオーが先頭で、リードは四、五馬身ほどでしょうか』

 

 やはりカブラヤオーは先頭を突っ走る。

 逃げて、逃げて、逃げまくる。それこそがカブラヤオーの競馬であり、本能である。

 後続はここではまだ仕掛けない。たとえ仕掛けたとしても、カブラヤオーの餌食になるだけという判断なのだろう。

 十二ハロン――2400mはスタミナと脚の両方が必要な距離だ。下手に脚を使わず、カブラヤオーを差し切るつもりだろうか。

 

 競りかけていく馬はなく、己が本能のままに駆け抜けていく。

 つまり、今のカブラヤオーは完全にフリーな状態だ。

 下手にマークしようものなら、ペースが速くなるばかり。しかもカブラヤオーは粘れるほどの体力を持っているというおまけつき。

 史実でとある名手が『ルドルフでも厳しい戦いになる』と話すだけある。名馬というのは規格外である。

 

『残り1000mを切りましたが、カブラヤオー、カブラヤオーが未だに先頭であります。逃げ切るかカブラヤオー、この2400mを、ダービーを本当に逃げ切るのかカブラヤオー。倉田隆景は落ち着いたまま手綱を持っております』

 

 2400mを逃げ切るには、とてつもないスタミナとスピード、馬自身の根性が必要となる。ましてダービーならばなおさらだ。

 しかもカブラヤオーは一番人気。本来、一番人気の逃げ馬というのには何頭か競りかけてくるものだ。

 しかし、カブラヤオーの場合は逆に競りかけてきた馬を超ハイペースに巻き込み、沈ませる。

 狂気的なペースで逃げ、勝ってしまうことから『狂気の逃げ馬』と呼ばれていた。

 ――その本懐が今、鋭い牙を剥こうとしていた。

 

『間もなく最終直線! カブラヤオーが最内を通って逃げる! 最内を通って逃げる逃げる! 二番手はエリモジョージ! しかし脚色が悪いか! 残り400mを切ってもなお、カブラヤオーです! カブラヤオーでありますッ! 無敗の皐月賞馬が、カブラヤオーが二冠に向けて逃げ切り態勢に入りました! 後続との差は現在、六馬身ほどあります! 残り200m! 差が広がる広がる! 二番手エリモジョージ、これは粘ることが精一杯か! カブラヤオーが逃げて差した、カブラヤオーがまたまた逃げて差したァッ!

 

 カブラヤオーが今、一着でゴールイン! カブラヤオーです! カブラヤオーと倉田隆景、見事捻じ伏せ、逃げ切りました! 二着はエリモジョージ! しかしカブラヤオーとの差は七馬身ほどありました! カブラヤオー、頑張った! ダービーを逃げ切りました! 無敗の二冠馬の誕生でありますッ!』

 

 東京競馬場の掲示板。その一着の欄にカブラヤオーの馬番である三番が表示される。

 勝ってほしかった。まさか、その願望が本当に叶うなんて、まったく実感がなかった。

 放心していたが我に戻り、慌ててウィナーズサークルに駆け込む。

 

 その場には既にカブラヤオーのゼッケンを掲げた倉田さん、伊坂先生、カブラヤオー陣営が揃い踏みしていた。

 

「やりました……やりましたよ……! オーナー……!」

 

 伊坂先生が歓喜に震えながら腕で目元を何度も拭う。かくいう俺も目頭の熱さにもう耐えられそうにないのだが。

 涙を流している大の男たちが抱き合う光景は普段なら異常なのだが、この場では関係ない。伊坂先生への感謝も込めて、力強く抱擁させていただく。

 少々苦笑いしていた倉田さんの姿が見えたのは気のせいだと思いたいが。

 

 抱き合うのを止め、ダービーの優勝レイを背にかけられたカブラヤオーの頭を強く擦るように撫でまくる。

 カブラヤオーは一瞬目を見開くが、すぐさま頭を俺に委ねる。やはり馬の気持ち良さげな表情は見ていて癒されるものだ。

 だが、まずはこの言葉をカブラヤオーにかけてやらねばなるまい。

 

「おかえり、カブラヤオー」




 カブラヤオーしゅき。
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