転生したら、Vtuberのダミーヘッドマイクだったんだけど質問ある? 作:折本装置
励みになります。
プロローグ 生前の彼
その日も、私は残業を抱えていた。
それ自体は、もういい。
とっくの昔になれたことだ。
色々あって、まともに就職活動ができずにたどり着いたのがこのブラック企業だ。
この不況で、恵まれたホワイトな労働環境など望むべくもないかもしれないが……それでもここまでひどいのは珍しいのではないかと思う。
何しろ、アナログによる就業データの改ざんが横行しているような状況だ。
膨大な残業時間をゼロにされ、社長の鶴の一声で規則も給金も変動しうる。
大抵の人は見限って転職するか、あるいは心と体を壊してやめる。
あいにく、私はまだ壊れるところまで行っていないし、転職の予定もない。
これといって特殊な能力や、役に立つ資格があるわけでもない。
実態はさておき、ごくごく普通の大学生活を過ごしてきたはずだが、逆に言えばこれと言って誇れるものを何一つ身に着けてこなかった。
頼れる人などいない。
それもまた、自分のかつての行動の結果である。
だから、仕方がない。
今日は、諸々の事情で帰る必要があったのだが、現状を考えるとそうもいかない。
日付が変わる前には退勤できるだろうか。
どのみち、もう予定は完遂できないだろう。
「あの、ちょっといいですか?」
そう思っていたとき、落ち着いた男性の声がした。
声につられて視界を上に向けると、一人の男性がいた。
これと言って特徴のない風貌と、自信のなさそうななよっとした表情。
黒いスーツを少しばかり着崩しているのは、彼もまたこの過重労働に被害を受けているからに違いない。
もしかすると、彼は先日自宅に帰れなかったのではないだろうか。
そんな彼と私がどういう関係かと言えば、彼は実質的な私の上司である。
前の上司が体を壊したか何かでやめてしまったので、彼が実質的に私の上司である。
さて、上司がわざわざ声をかけてくるというのは、あまり嬉しくない。
一般的に、上司に声をかけられるということは、厄介ごとだと相場が決まっているものだ。
まあ彼は少し特殊ではあるのだけれど。
少し警戒しながら、口を開く。
「なんでしょうか?」
「あなた、焦っていませんか?」
「……えっ?」
どうして、という言葉は出なかった。驚愕と疑問と、畏怖が頭を占めるあまり何も言えなかった。
彼の感情を見せない瞳に映る私の顔は、まるで怪獣でも見るかのようで。
しかしそれは、彼がわけのわからないことを言いだしたからではない。
彼が、私が内心焦っていることをぴたりと当てたからだ。
そんな私の動揺に気付かないのか、あるいは気づいているのか彼は申し訳なさそうな表情を崩さずに言葉をつづけた。
「何かしら、大事な予定があるのではないですか?少なくとも仕事をほっぽり出して帰りたくなるような用事が」
「…………」
この人は、時々こうだ。
口にも、態度にも出ていない人の心情をくみ取ることができる。
だからなのか、部署間や取引先相手の調停役に抜擢されることが多々あった。
ある種頼られているはずの彼は、終始どうでもよさそうだった。
「今日はもう、帰ってもいいですよ」
「え、でも……」
「大丈夫ですよ。上司には私の方からうまく言っておきますから。残った仕事も、対応しておきます」
嘘だ。うまくなんて言えるはずがない。
この人の直属の上司である、部長は感情の権化だ。
毎日、どこでストレスをためてくるのか常に誰かを見つけて怒鳴り散らす。
部下が何かミスをしたから怒鳴るのではなく、怒鳴りたいからミスを探すのだ。
時折、自分のミスを部下がやったことにして怒鳴ることすらある。
そしてその怒りを引き受けているのは、ほぼすべて彼だ。
うまく言う、先ほど言ったが実際はただ怒鳴られるだけだろう。
そうして、疲弊し続ける。
とはいえ、今日は本当に大事な用事があるのもまた確か。
「……ありがとうございます」
「ええ、お疲れさまです」
「お疲れさまです」
私は、席を立ち、彼や周囲に礼をしながら会社を出た。
こうして、彼に庇ってもらうことは初めてではない。
ただ、それは私が特別だからではない。
聞けば、冠婚葬祭など、どうしても外せない予定があるときに限って彼の方から様々な社員に声をかけるのだとか。
別に、事情を聴いていたわけでもないのに。
なので、彼を気味悪がる人もいるし、逆に貧乏くじを引いてくれてありがたいと都合よく利用する人もいる。
私もどちらかと言えば、後者に当たるのだろう。
何しろ、彼に謝りこそすれ、彼の仕事を引き受けたことなどない。
そもそも私がこなせるようなものではないというのもあるが。
いつか。
彼に何かしらのお礼をしよう。
何をもらってあの人が喜ぶのか知らないけど。
まあ、万人受けするとなるとクッキーか、タオルかな。
いやタオルでも少し重いかもしれない。
素直にクッキーでも渡しておくのが無難か。
そう思った帰り道、電車を待つ間にコンビニで買い物ができることに気付いた。
クッキーを買い、忘れないようにカバンに詰め込んだ。
明日、頭を下げて日ごろの感謝を伝えておこう。
部長や社長から、多くを守る防波堤になっていることに対して。
そして、私の直属の上司をやってくれていることに対して。
そんな風に思っていた。
翌日の朝、職場で。
その日の夜に、彼が死んだと聞かされた。
手に持っていたクッキーの箱が、カランカランと落ちる音がした。
第二章「Collaboration」
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