真っ白な空間が、二人の視界へと広がっていく。
空へと遠く伸びていく、黒い宇宙のような空間。地には白く、地面が組み敷かれていく。
疲弊した二人の意識と体。フラリと立ち上がって、視界を上げる。
黒と白。視線の先の、地平線の狭間。
その先にポツリと、ホログラムのような輪郭で見えるのは、……あの姿。
「……っ!!」
入り込めた……。
いや、入り込まれた……? ……どっちでもいい、か。
目の前にあるのは、またしても無機質に白い世界。……第2ラウンド、そう言わんばかりに。
先程までの苛烈な殺し合いに摩耗した精神、叩き起こして、残された右腕で電子の刃を握って、引きずっていく。
そういえば、ポッドの姿が見当たらない。確か私と一緒にハッキングした筈で……。
……いや、それも関係ないか。
そう思い直して、近づいてくる姿へ、真っ白な電子の刃を振り上げる。
___決着は、私の手で。
切っ先を振り下ろす、ふと一瞬。
……そこで間近にある姿の、違和感に気付く。
ボヤケたような霞みに、黒い姿と肌色が、チカチカと交互しているように見えた。
___関係、ない。
振り下ろした刃が、遂に交差する___。
___その瞬間、交差した点から何かが弾け飛んだ。
「「!?」」
それは酷く音のない、ノイズの爆風。
その衝撃に、互いに端まで吹き飛ばされていく。
「……なに、が」
転がった体には、まだビリビリとした電撃が張り巡っている。その内、つんざくノイズになって、耳鳴りのように、煩く鳴って意識に突き刺さってくる。
「……はや、く」
早く立ち上がろうと、顔を上げると、目の前の地面に、電子の剣が突き刺さっていた。
剣もまた電撃に軋んでいて、手を伸ばす前にさえ、……ボロリと崩れて、壊れてしまう。
「……ッ」
素手でも何でもいい、早く。
と、地に伏したままの姿勢を、……
「___え?」
そう、左手。
押し上げてから気付いた。さっき使い物にならなくされた筈の左腕が、ここにあった。
それも、今の手じゃない。……あの時の手だ。
……あのグローブをつけた、私の掌。
「これは……ッ」
まさかと思い、体の方も見回す。
「なんで……」
……思っていた通り、左腕だけでなく、全身もがあの時に戻っていた。
黒い服がキレイに整って、……巻き戻っている。
あの時を過ごした、……あの二号の姿に。
「……っ? ……ここは?」
何かが、おかしい。ここはいつものハッキング空間じゃない。
一体、何が起きている? と、キョロキョロと空間を見回す。
暗く、遠い空。見上げてみると、そこには記憶のモニターが、あちらこちらに点々として浮かんでいた。
辺り一帯の方では、白いキューブが大小様々に、崩れたようにして散らかっている。あるいは、地面へと食い込んでさえいる。
そんな乱雑で、不自然な地形。……更によくよく見てみれば、この大地そのものが、切り離された孤島のように、ポツンと空間に浮かんでいた。
そして、私達二人を分けるちょうど真ん中で、食い込むような跡の亀裂を伸ばしている。
亀裂から辿るように視線を伸ばして、再び、あの先にいる彼女を見つめる。
彼女もまた同じように、キョロキョロと自分を、そして周囲と亀裂を見回して……。
……辿った視線が、此方と合っていた。ゴーグルさえもつけた、あの私の顔で。
あれは……、私……?
__そこで二人の脳裏に、まさか。といった可能性がよぎった。
遠く記憶に浮かんでくるのは、ヨルハ機体としての在り方。
ヨルハ機体は基本的に、同型モデルが同時に任務に当たる事はなかった。
それは何かあった時に、回収された同型同士の自我データが混乱する事を防ぐ為である。
……だと、すれば。
そんな、事が。
と、二号の朧気な思考が、だが、その曖昧な意識こそが、確信を生む。
あぁ、分からない。
そういえば、私はどっちだ?
そう、二号達が相互に仕掛けたハッキングは、まさかコンマ数秒のズレさえなく、全く同じタイミングで発動されていた。
その結果、互いへ進入しようと真っ向から衝突した二人の自我データは、弾かれる事なく、むしろ互いに食い入って、混濁を引き起こしていた。
異物たるポッド達の自我を弾き飛ばし、二号が、二号だけが、同時にこの場へ存在してしまっている。
「……あ」
ただ呆然と、あの顔を見つめていたこの顔。……そこで左手が、もしやと思い、この顔に張り付いていた物に触れる。
……ある。あのゴーグルが、この顔にある。
布のような、滑らかで柔らかい、……物を偽る、心地の良い質感が。
もう一度この姿を、あの姿を見回す。
データ状の世界、ホログラム質の体。……仮初めの姿は、ここに置いてのみ万全に戻っていた。
それは記憶の中に未だある、在りし日の姿。
周囲に映る記憶が、知らない筈の記憶が、だんだんと、知っているように感じられる。
司令官 ローズ隊長 6O 十六号 アネモネ リリィ 二十一号 21O 9S、四号。
記憶の中の名前に、知らない懐かしさが入り混じる。
遠くある鏡、そこにゴーグルを付けた姿が映っている。
あの鏡が、あの顔が、自分を曖昧にしていく。
あの姿だ。酷く懐かしいあの姿が、ここにある。
混ざり合って、曖昧な私達の自我。グラリと、フワリと、体や、視界や、思考が揺らぐ。
「私、は」
ゆっくりと、遠い姿へ手を伸ばしていく。
「私は……」
指先が、今にも遠い輪郭へ触れそうになる。
「私は」
あの姿。私の名前。
私の、名前は__。
「__……違う」
曖昧な距離の、私達を隔てる隙間。そこにポツリと浮かんで、消え入った言葉。
……伸ばした手を、引き戻す。
「私は……っ」
その手はゴーグルを握り締めて、……スルリと引き剥いだ。
「私はっ……!」
拳の中に、確かに握った、私のゴーグル。
「私はッ……!!」
___握り潰して、振りかざして、捨てた。
曖昧な自我。有耶無耶な記憶。この手に掴めない、自分の名前。
……顕になった、全く同じ瞳の顔。
それでも、分かっている。
だって、このゴーグルは。
コレはもう、捨てた物だからッ
コレはもう、失くした物だからッ
両手が、拳の形を作り上げる。
双脚が、白い大地を駆け抜ける。
あの顔を、目掛けて。
私は、あの二号を___!!
___向かい合った瞳の中に、自分の拳が映った。
突き出された拳が、頬へ沈んでいく。
突き出した拳が、あの顔を遠ざけていく。
データの筈の体に、ゆっくりと、痛みが食い入って、流れ込んできた。
あの記憶が、雪崩のように過ぎ去っていく。
◇◇◆
どう_して、四_。__止めてっ、私__は。
まっ_て、行かない_で、ナイン__ッ
◆◇◆
「ッ……ァあ!!」
記憶の濁流に押し流されて、退いた体。 溺れるような息苦しさから、過呼吸に息を継ぐ。
ユラリと顔を上げて、嫌な記憶を睨み上げる。
その先で、その瞳が、此方を睨みつけてきていた。
知りたくなんて無かった。A2の、そんな痛み。
知りたくも無かった。2Eの、こんな痛み。
だから、この痛みにふらつく体を押し留めて、クルリと立て直し、回し蹴りを放つ。
双脚が交差して、ビシリと打ち合った。
「……ッッ!!」
痺れるような振動が痛みとなって、ヒールの先にまで響き渡っていく。ジリジリと押し合うが、交差したまま動かない。
打ち合った二の足の先から、その顔が此方を覗いている。
__その顔が、嫌いだ。
殴り合う拳が、互いに交差する。入り組んだ連撃が、互いの拳を殴りつける。
鏡へ向かうように。あの顔に、殴りつけようとする。
__お前が嫌いだッ。
突き出した拳が、拳の先にぶち当たる。殴りつける拳の一つ一つが、その拳の一つ一つと交差して、防御して弾かれる。
__皆死んだのに、のうのうと生きてるお前が嫌いだッ。
拳が入れ違って、身体中に殴りつける。蹴りが入り組んで、身体中にヒールの先を突きつける。
__あぁ、今殴っているのは、どっちだろう?
殴る度に、触れるたびに、身体が何度も、何度も入れ替わっているような気がする。突き付けた痛みが、突き付けただけ体に返ってきている。
全身に打ちつけられた、ヒリヒリとした痛み。次第にそれはボヤけたノイズとなっていって、無作為に体にまぶされていく。
視界はまるで腫れたかのようにして、靄に圧迫され始める。データの体がグラグラと霞んで、遂に前のめりに倒れかけた。
……そこで、何かが額に当たった。
冷たい地面には倒れ伏す事なく、前屈気味になって、何かへ額を突き付けている。……何かが、支えになっている。
真っ平らな質感ではなく、どこか温かい……、いや、熱いような感じ。
瞳が、力なく目の前を見上げる。
……私の額に、私の額が突き付いていた。
この瞳に、前髪から覗く左目が向かい合っている。檻の様な、髪先の隙間から覗く瞳孔が、奥から覗いてきている。
細い鼻先に、鼻先が触れている。向こうの吐息が、私の胸元に当たっている。
目の前に、薄っすらとして、あの顔がある。
あれは、A2? それとも、2E?
私は、2 ? ……A、とE? ……B?
「私、あ」
振るおうとした拳が震えて、指先を閉じていられなくなる。
「私、はっ……」
行方を探す手の平が、互いの手の平を掴んで、抑え込む。
「私の、名前……っ」
分からない。私は、誰だっけ?
私の、名前は?
「……」
「……ふ」
馬鹿だな、と。そんな吐息が聞こえてきた。
だって見上げてみれば 視線の先に、あの くす ん 濁 っだ 色は、そこにある。
どっちでもいいか。どっちも、二号なんだから。
掌は、行く先を見つけて、ゆっくりと向かっていく。
力強く睨み上げて、……その胸倉を掴んだ。
私は。あの二号を……。
……あの、二号に。
__あの二号に、勝つんだッ!!
その顔を引き寄せて、あの顔に向かって、額に額が激突した。
互いの脳天へ、互いの記憶が蜷局のように貫いていく。
◆◆ ◇
__ナイン 苦しい__ 助けて
待って __ 四号
痛い __ 寂しい __
また一人__ __行かないで_
◇ ◇◆
記憶が、悪夢が、混ざって、訳の分からない記憶になっていく。
「……ッぁ」
グチャグチャで、ツギハギで、何も分からない、有耶無耶の、あの記憶。
「……っあ……!」
だけど今、二号の、この記憶。 あの、記憶に。
あの中に見えた、光った、何か。
この、光。が、
「私の、記憶」
二号の、私の記憶。 そうだ、記憶の中に、あの名前が、あった筈。
あの、光。
君の、名前っ。
君の名前はッッ。
「____ないン、ズッ!!」
「___よんっ、号ッ!!」
_____その名前を、この手に固く握りしめて。
最後の拳が、最後にあの顔を。
真っ向から、殴りつけた。
ボロリと、二号の拳が崩れて消える。
バラリと、二号の体から黒色が剥がれて消える。
拳に押された体が、仰向けに倒れていく。
拳を押し出した体が、前のめりに倒れていく。
二人が倒れると同時に、データの世界もまた、崩れていく。
ボロボロと、白い世界が崩れて散っていく。遠い黒の空が溢れて、流砂のように落ちていく。
地面にザラザラと満ちていって、やがて何処かに流れ落ち始めて、また白い地面を顕にしていく。
周囲のモニターが崩れて、集まって、溢れて、分かれて。渦巻いて……。
……全てが在るべき場所へと、洗い流されて、還っていく。
二人の記憶。二人の名前。二人の、光。
違う記憶と、違う旅路の、二人の二号。
日の光が差し込んでくる。
遠く青空が覗いてくる。
……そして、その光を反射するかのように、やがて白い髪先が、ピクリと動いた。
その手で体を押し上げて。
「……うッ」
掌に刺さった、白い刃を引き抜いて。
「
ゆっくりと見上げた瞳は、青空に気付いた。
「…………私、は」
濁った色の碧が、空色を一際明るく映し出す。
「……勝っ、た」
二号が、勝った。