酷く音を失った、一瞬の空白。
……だが、やがて淡々と、静かな音をして、地面へ血の色が滴り落ちていく。
真っ白な刀身は、遂にA2の体を貫いていた。
「 っ あっ ッぅ 」
押し込んで、更に根本まで突き刺し通す。ジワリと滲み溢れてくるA2の血が、柄を握る手袋に染まっていく。
だが、A2は限りまで意識を手放そうとせず、この手を掴んで、逆に押して私を引き離そうとする。
「……ッ!!」
まだ抵抗するA2へ、更に押し込んでいく。
「2、とぅ い 」
痛みに苦しそうな顔をして、……それとも、何かに哀しそうな顔をして。A2は必死になって、私の体を押し出そうとする。
憎んでいる筈の心に、手放した筈の心に、痛みが締め付けてくる。
……いや、この痛みは心からくる物じゃない。単純に、物理的な痛み。
とっくに分かっている。……あの太刀とは、刺し違えていた。
A2と同じようにして、この体を黒い太刀が貫いている。
突貫した勢いは、もうA2さえ仕留められればそれで良かった。……壊れ尽きて征くだけの体に、相討ちなんて気にする事ではないのだから。
……、それなのに、どうして貴方がそんな顔をする? ……どうして、私の心配なんかをする?
A2は、自分に刺さった刃ではなく、……私に突き刺してしまった太刀を抜くために、私を押し出そうとしていた。
けれど、もう力の残っていないA2の体は、その意思に反比例して、一歩一歩が退いていく。
「 ご め 」
貫かれたA2の喉元から、その言葉は流暢に出ない。代わりに、滲む血だけが傷口から溢れ出てきている。
「ごえ ん な さ」
掠れたA2の呼吸が、嗚咽している。喉笛を貫かれたその時さえ、そんな声は出さなかったのに。
「とぅ、 」
熱気帯びていた体が、冷たくなっていく。
滲んだ瞳が、薄く閉ざされていく。吐息がか細く、潰えていく。
「 ない え 」
私の手を、スルリと離して。
血に滲んだ白色の柄が、私の手からスルリと抜けていくと。
……A2はゆっくりと、倒れていった。
「…………勝っ、た?」
ぐったりと横になって、動かなくなったその姿。……呆然と、ただ見つめる。
視界の殆どにノイズがかかってよく見えないが、……死んだ。あの私の顔が死んでいる。真っ赤な水面が溢れて、私から広がっている。
殺した。遂に、私を殺した。
死んだ。ようやく死んだ。ようやく、二号が死んだ。
疲れ果てたように、突き刺さった刀身の重みからガックリと座り込む。
勝った? 私は勝った?
「……私、は」
咳き込んだ真っ赤な飛沫が、ゴボリと落ちる。
それを掬って、呆然と、見つめる。
この手に滲み付いた、どちらかの赤色。
……けれど、感覚の薄れたその手には、殺した実感らしいものを何も感じ取れない。
手放した五感はとっくに鈍くなって、酷く私を無感情にしていた。
記憶も自我も、殆どの領域がボロボロになって、ここにいた理由を思い出せない。
分からない。私は、私を殺して、何がしたかった?
この気持ちには、今、何がある? 本当は、ここに何がある筈だった?
ようやく二号が裁かれた達成感? 失った物を取り返した優越感? それとも、ただ虚しさと、……罪悪感?
分からない。求めていた筈で、でも手放したかった筈で、それは、私の望み? ……それも、もう分からない。
「……ッあ」
「あっ、う……」
確かに感じるのは、腹部にある異物感だけ。
二号の持っていた太刀が、この体を貫いている。
ノイズだらけの視界に見える黒い柄。引き抜こうとして、震えた手で握る。
___その手に薄く、遠く、記憶が流れてきた。
君の声、君の言葉。そうだ、あの太刀だ。
空っぽになっていく自我に、君の記憶が流れて、過ぎ去っていく。
あの日々。あの日見た物。あの時の言葉、あの時の、私の姿。
遠くて、懐かしい思い出。輝いて、温かい。私の、光。
引き抜こうとした手の力が、フッと消える。そのままグラリと、あの私のように横たわっていく。
そうだ、これは、君の武器。……終わるのなら、これがいい。
……だけど。
「……いた……い」
温かな記憶は、名残り惜しい寂しさを思い出させる。無性に暖かくて、それがとても、……哀しい。
痛い。
痛い、痛い、痛い。痛い。
失くなった筈の五感が、この痛みを顕にしていく。
赤い色の抜け落ちていく瞳に、失った筈の何かが滲んでくる。
「…あ…いたい、よ……」
いつも、こんなに痛かったの?
いつも、こんなに寂しかったの?
いつも、こんなに哀しかったの?
「ない、ん……え 」
何でもいいから、……何か答えて、ナイ ン_____
「…………」
意識が遠く、薄くなっていく。
真っ白な視界が、辺りを覆っていく。
[システムに致命的なエラー発生]
[メモリリークを確認。修復不可能]
[残存する記憶の緊急退避を開始]
ポッドが必死に、何かを喋っている。修復、退避……?
もういい。もういいよ。そんな必要なんて、私には無い。
……もう、終わらせて。
視界が白く濁っていく。
意識が薄くなっていく。
自我と記憶が、曖昧になって零れていく。
遠くて、真っ白で、音のない世界。
ここは、何処だろう。私は、誰だろう。
零れていく記憶を辿って、少しでも自分を思いだそうと、自分の名前を言おうとする。
私は……
私は……。
私の名前は……。
私の名前は、……2B。
…………。
……いいや。
……ヨルハ二号モデル、E型。
2E、だ。
『初めまして、2Bさんですね。僕は9Sです』
零れ落ちていく記憶の一つが、光景となって流れてくる。
あぁ、これは。君と初めて……、……いや、初めに会ったときの言葉だ。
監視対象9S。
ヨルハ九号、S型モデル。
『誰かと一緒に行動できるのって、楽しいんです』
……なんだか、よく喋るな。と、最初に思った。
スキャナーモデルは好奇心が強くて、それが危険なのだと司令部から言われた。
だから。
『感情を持つことは、禁止されている』
特に仲間の機体を処刑する私には、……それは一段と必要な事だった。
敵も味方も殺すだけの兵器には、感情という物は不必要な痛みだった。
名前を偽るその前から、様々な機体を殺してきた。ある時は汚染機体に、脱走兵だったり。
理由がどうであれ、敵となった仲間を殺すのが私の任務。それが私の、存在意義。
……9Sというこの機体もまた、いずれ違反を侵すらしい。殆ど予測の範囲だが、これは処刑が必要な存在なんだ。
せめて楽に殺してあげた。あるいは、裏切ったのだから、当然の制裁だった。
殺すと分かっているのだから、そう考えようとした。
……だけど。君と過ごす内に、禁止していた感情には、暖かな色が付き始めてしまった。
君は他の誰よりも感情豊かだった。色んな物に興味を向けて、笑ったり、顔をしかめたり、言葉に出したりする。
それは時に冷たかったり、時には、暖かったり。
君の感情には、痛みだけとは違う、豊かな物があった。
とても輝かしくて、暖かくて、……ほのかな色をしていた。
私には欠けた物。私が封じたもの。いつも隣には、そんな光り輝くものがあった。
この汚れた手の中には届かない物だけど、一番近い場所から、私を照らしてくれた。
君と過ごした日々は、私にかけがえのない物を沢山残して、あっという間に過ぎ去っていった。
記憶が次々と流れていく、淡い色の、光。
だけど、その先にある物を……、私は最後まで消せなかった。
光の先に、いつもたどり着くのは、……処刑の記憶。
『さよなら、2B』
思い出してしまう。初めて君を殺した時の記憶。
怖がらせたくなくて、何も知らないままに、一瞬で殺してあげたかった。
……感情が持つこの痛みを、知らないまま。
でも、結局上手く行かなかった。君はとっくに、私の正体に気付いていた。
いつになく真剣で、ハッキングで抵抗されたのをよく覚えている。……だけど、私の内部に仕掛けられた罠。
何重にも張り巡らされていた嘘に騙されて、結局、君の自我はすり潰されていった。……私の中で、殺した。
最後に、何を思ったのだろう。裏切られた痛みを、本当に感じなかったのだろうか。
……せめてポツリと、私を恨まなかったのだろうか?
『さよなら、2B』
だけど、その声色から、……君は最期に抵抗しなかったんだろう。
『楽しかった、から』
ノイズとは違う滲みをした記憶が、瞳に浮かんでくる。
『一緒にいてくれてありがとう、……2B』
そうだ、2Bだ。君はいつもお別れの言葉を言う時は、私をその名前で呼ぶ。
例え本当の名前を知っていたとしても、……最期に君は、私をそう呼んでいた。
2B。私の、偽りの名前。
だけど、君が私に笑いかけてくれた名前。
偽物で、作り物だとしても……。
怒って、悲しんで、憎んで。笑って。
時に冷たくて、時に、暖かくて。
君に微笑んだ、あの顔。
私の、……
記憶領域の破壊が広がっていく。
記憶が、自我が、だんだん無くなっていく。
思い出も、想いも、ポロポロと消えていく。
白く、雪が積もっていくように。……でも、きっと、これでいい。
……それに。
『また会えるんだから……僕達は』
……だけど、少し冷たくて、怖い。
私達の魂は……消えてしまうのだろうか?
視界の中に、ふと黒い霧が見えた。
霧はゆっくりと、踊るように揺らめいて、やがて人の形になっていく。
あの赤い少女だった。
赤い少女達は、ゆっくりと話始める。
この『塔』は、月面サーバを破壊するために作られた砲台であること。
そしてアンドロイド達の拠り所を奪うのが、目的だった。
そう。と答える。
今となっては、塔も人類も、……私が考えた所でどうしようもない。
そんな表情を見ると、少女達は静かに首を振った。
『君たちアンドロイドや、アダムとイヴ』
『記録し、回収した様々な機械生命体のデータを、改めて見直してみたよ』
なんだか、穏やかな顔をしているように見えた。何故? と、問う。
それに答えるように、少女達の姿が一斉に増えて広がった。
膨大な数の少女達の中に、A2とポッド153が見える。
映像記録だった。塔で繰り広げられていた、もう一つの死闘の記録。
絶え間なく数を増やしていく少女に、どんどんと囲まれていくA2とポッド153。その内二人は言い争いを始めて、少女への攻撃を止めてしまう。
こんな状態で、どうやって勝ったのだろう? ……自己進化の促進?
と、流れていく顛末を眺めていく内に、あれだけ増えていた少女たちの姿が、突然一斉に消えてしまった。
意見の食い違いから、内部崩壊にまでなってしまったらしい。……なるほど。153には、A2よりも少女たちの方が連携が下手そうに見えたんだろう。
……153も、A2も。なんだか、まるで9Sみたいだな。ハッキングだけじゃなく、ああいう頭脳戦も君の得意分野だった。いつも助けられていた。
どうやら少女たちは、二人の作戦に敢え無く敗北したらしい。……いや、これだと敗北とさえ言えない。
___自滅したんだ。
と、何となく呟くと、少女たちは私へではなく、互いを睨みつけた。……そういう所だと思う。
……なんだか、あんなに必死になって殺し合ってきたのに、今の少女たちの事は静かに眺めていられた。
アンドロイドも、機械生命体も、本当は私達に憎みあう理由なんて、何も無かったのかも知れない。
少女たちも憎みあう顔を止めて、再び視線をこちらに向ける。
どうやら塔には各地の回収ユニットから、機械生命体の記憶や自我も回収して、何処かに保存する機能があったらしい。
つまり、この塔で死んだ少女達の自我もまた、例外なく塔の機能に回収されていた。
そうして、少女たちは再び……。
……いや。
……今度は、二人に戻っていたのだ。
『……この散々たる結末を受けて』
『我々は対話を行い、そして考えを変えるに至った』
『『この塔が打ち出すのは、方舟だ』』
『機械生命体達の記録を乗せて、この世界とは別の場所を目指す』
『愚かだった記憶を封じ込め、我々は新たな未来へ向かう!』
一人は心底反省したような顔をして、……もう一人は、またあの笑みを作り上げる。
どうやら、思想に違いこそあれど、少女達は同じ結論に至ったらしい。
この世界で起きた争いの記憶。愚かだった全てを封じ込めて、別の何処かでゼロからやり直す。
それは永遠と虚空を彷徨う結果になるかも知れない。……けれど、少女たちは構わないようだった。
……時間は無限にあるのだから。
『ただの記録の寄せ集め。所詮は一枚の葉っぱにしかならないが』
『我々は君も歓迎するよ、二号』
薄くなっていく少女たちの姿。だけど最後に、あの笑みとは違った微笑む顔。同じ顔をして、私を見ていた。
遠くに、アダムの姿が見える。
眠ったイヴを、微笑んで抱きかかえている。
一緒にくるか。と、アダムが問いかけてくる。
もう、その表情に憎しみの色は無かった。
方舟へと伸びる、光の柱。
あの先には、何がある?
ここよりも、素晴らしい所だろうか?
もっと遠い所には、二つ並んだ赤い髪の影も見えた。
……いいな、二人は仲が良さそうで。
私も……、本当は……。
光の柱。輝かしさに惹かれて、そっと手を伸ばす。
「私は……」
無くなっていくだけの記憶。思い出せない自我。
もう封じ込める記憶も無いのならば、新たな場所に向かうのも……。
……だけど。
「……」
「私は、行けない」
「……ここに残る」
そうか。と言って、アダムは去っていく。
なんだか、悲しそうな顔をしていた。
私もそこに行ければ、良かったんだけど……。
だけど、私には……_______
全てが、遠くなっていく。
白く埋もれて、空っぽになっていく。
思い出せない想いと記憶。でも、これだけは分かる。
私達ヨルハが、この世界に愛される資格なんて無い。本当は、ここに残る理由なんて無かった。
……。
……だけど、この世界に、私は残りたかった。
だって私は、この世界で、君と_____
__約束、したから」
まだ見えぬ最果てを目指して、方舟が送り出されていく。
役目を終えた塔が、崩れていく。
塔に居た物、そこで潰えた物。全てを包みこんで、奥底へ仕舞っていく。
そうデザインされていたように、全てが滅んでいく。
定められた通り、……全てが消えていく。
崩壊の迫る塔の頂は、まだ遥か高く、……されど青空には届かない。
ポツリと残されて、横たわった彼女の姿。
……けれど。
「……あ」
無くなった筈の視界に、何かを見つける。
「そこに……」
失われた筈の、あの顔で語りかける。
「……また、あえた……」
口許が、穏やかな微笑みを作って。
「ない…… ん 」
……彼女も、壊れた。
微かな記憶と、淡い色の想い。
ポツリと潰えた光を、この世界に残して……。
or not to [BE]
[私は」
「私は、この結末を容認できない」
最後に誰かが、そう言った。
→ [TO] [BE] continued?