文が飛び出した霧の湖で私はベール状の雲から姿を現した。
「うまくいくもんね」
離散する雲と同化して逃げたと文は考えてるかもしれない。
そんな芸当は私には無理だ。
だから私は身体が周囲の雲と霧と同化するように雲を操作して身体を薄くさせ、霧に紛れたに過ぎない。
此処は夜でも霧が立ち込める場所だからこそ文相手に成功したのだ。
「タネに気付いた射命丸が戻る前に退散っと」
私は身体をベール状の雲に包み、姿を隠しながら幻想郷の夜を歩く。
夜が明けるまで読書でもっと考えていたけど、今日は一日中文と追いかけっこだ。
だから私は急いで霧の湖を離れ、何処か安全な場所は無いかと夜の幻想郷を走った。
▽ ▽ ▽
無計画に走り続け、誰かの気配を感じればベール状の雲で姿を隠す。
すると突風が降り立ち、
「あやや、此処にも居ませんね。このまま進むと魔法の森が近いですか」
文は正に嵐の如く立ち去って行く。
危ない危ない。少しの油断で見つかるところだった。
ふと、我に帰る。
私は如何して逃げてるんだ?
妖怪の血が暴走して人間を、誰かを傷付けないためだ。
だけど文は千年も生きる鴉天狗。彼女ならいざという時は安全なのではないか?
「記事のネタにされるのは癪かな、それに……」
そうだ。この幻想郷で誰かに頼って妖気と精神を安定させようとするなんて甘えだ。
そもそも未熟だからこそ思考と精神が人間か妖怪のどちらかに傾いてしまう。
慧音先生や森近のように不安定な精神を安定させ、変化にぶれないようにしなければならない。
「先は長そう」
私は歩みを再開させ、魔法の森とは逆の方向に走り出す。
無縁塚辺りならあまり誰も寄り付かないけど、半妖の私にとっても厳しい場所だ。
そもそもあそこに向かうには魔法の森を抜ける必要が有るし、アリスや魔理沙に姿を見られる恐れも有るな。
結局は特に宛ても浮かばず適当に歩き出す。
「見つかりませんね」
上空から文の声が聴こえた。
もう魔法の森に行って戻ってきたのね。
流石は幻想郷最速は伊達じゃないわ。
私が文の速さに感心と尊敬を抱くと、
「困りましたね。このまま逃げられては鴉天狗の名折れ、かと言って本気を出すのも大人気ない」
困った様子でそんな事を言ってるけど、全然困ってるようにも見えない。
此処から一刻も早く離れたいけどいま動けば足音が鳴る。
「仕方ないありません」
諦める? 諦めてくれるのか? いいよ、諦めちゃいなよ。
諦めてくれれば私は荷物から本を取り出して優雅な読書タイムを送れるというもの。
そんな期待は文が団扇を取り出したことで打ち砕かれた。
「風で無理矢理炙り出して差し上げましょう! もちろん手加減してね!」
文が格下相手に手加減に拘る性格で良かったわ。
私がそんな事を内心で思うと、文は団扇を振った。
繰り出された突風が草木を吹き飛ばす。
ついでに地面が抉れ、私は慌ててその場から離れた。
手加減とは?
▽ ▽ ▽
アレで手加減とは全く恐ろしい妖怪だ。
「はぁ〜、満月の過ごし方を少し改める必要が有るかな?」
霊夢に相談すべきか。それとも阿求に匿ってもらう方が安全かな?
いや、それじゃあ阿求が危険か。
「……夜明けまで時間がまだ有るなぁ」
幻想郷を宛ても無く歩き続け、時折襲来する文をやり過ごす。
そんないつもと違って長く感じる夜に、私の心は踊っていた。
いつも雲で姿を隠しながら読書やちょっとした修行で時間を潰していたけど、これはこれで刺激が有って楽しいものだ。
現に文は私の上空を通り過ぎて、また戻って来る。
これで何度目の繰り返しだろうか? もう数えるのも億劫になるほど文は私の近くを的確に通る。
もしかして既に私の居場所はある程度特定されてるのではないか?
いや、気付いているけどわざとやってる?
万が一私が姿を現せば、文の思う壺なのかもしれない。
まだ文はこちらの発見に至ってはないけど、適当に飛び回ることで既に場所を特定していると思わせる行動かもしれないな。
「あやや、本当に居ませんね。絢音は妖怪の山には絶対に立ち入らない。なら彼女は何処で潜伏してるのでしょうか?」
文はあれこれ考え込んでは、
「もしや地底か冥界に居るのでしょうか? いえ、あそこは空を飛ばない限り到着は無理でしたね」
独り言を語り出す。
私は満月に視線を向けた。既に月は夜明けに近付き、西の空がわずかに明るくなっていた。
このまま時間切れまで保てばいいけど、その前に文が移動してくれないかな?
「困りましたね。絢音の狭い移動範囲からこの辺りに居ると推測したのですが、これも外れでしたか?」
地上に降りて歩き出す文に、私はその場でじっと身を潜める。
文は私の周辺を探り続け、空が明るんできた頃。
「……そろそろ夜明けですか」
ため息混じりに翼を広げた。
同時に私の姿も人間に変化していき、身体を隠していた雲が晴れる。
あぁ、人間に戻る時が来たわ。これで少しは文が驚愕してくれれば今晩は意義が有ったってもんよ。
▽ ▽ ▽
人間に戻ると私は目の前に居た文とばったり目が有って、
「おはようになるかな、文さん?」
「えっ? えぇ、おはようございます。えっ? は? 目の前に居たんですか!?」
「まあ、そうなるかなぁ?」
あちこち移動してたけど、文さんは私の行く所に辿り着いちゃって上手く撒けなかったなぁ。
そんな事を思っていると文さんが私の両肩を掴んで、
「まさか目の前に居たなんて。つまり随分と惜しい所まで行ったということですね!」
「うん、正直いつ発見されてもおかしくはなかったかな」
「なるほど。あぁ、何故これまで発見できなかったのか合点が行きましたよ」
「えっ、気づいちゃった?」
「えぇ。朧の妖怪なんて非常に珍しいですし、私もその存在を正しく理解してる訳ではありませんが……あなたは雲を自在に操り身体を隠すことができるのでしょう?」
バレてしまったかぁ。
それに文さんに両肩を掴まれてるから逃げられそうにないなぁ。
「如何かなぁ? 萃香さんみたいに霧に成れるかもよ?」
「えぇ、私も最初はそう考えましたよ。霧の湖で雲のように離散したと……ですが、よくよく考えれば萃香様のように身体を霧に変化させるのには密を操る必要があります。それはあなたには到底できないことでしょう」
そんな芸当ができるのは萃香さんと後は入道雲の雲山さんが当てはまるのかな?
「うん。でも私の口から答えは言えないよ、ほら弱小なりに一本の武器は必要でしょう?」
「弱小とは随分な過小評価ですね。私から逃げ切った事実は紛れもない実力ですよ」
微笑む文さんに私も少しは認められたのかな? そうなら良いなって思ったら自然に笑っていた。
「ありがとう。でも次は見つかっちゃいそうだね」
「えぇ、次は確実に見付けて差し上げますとも。……ですがあなたの妖怪時の姿を公開するのも惜しいと思い始めましたよ」
「それはまた如何して?」
「情報の独占も我々天狗の武器になるからです。あなたに限ってはその情報が身の危険に及びそうですしね」
夜の私は能力で隠れるから何とかやり過ごしてるけど、半妖を狙う妖怪もそれなりに居る。
もしも情報が開示されれば……あっ、だから阿求は夜の私を公開しなかったんだ。
……あれ? もしかして私は逃げ損なんじゃあ。
「もしかして私が逃げ切った意味って」
「これでも私は新聞に載せるべきネタは弁えてるつもりですからね。特に裏付けも取れない確証が持てないネタはね」
そう言って笑った文さんは朝日に照らされる秋の幻想郷の空に翔んだ。
「では絢音さん! またいつか取材させて頂きますよ!」
そう言い残すと文さんは妖怪の山に向かって羽ばたく。
鴉の羽と紅葉が舞う朝日に私は小さく笑った。
こんな朝日もたまには良いかもしれないと。