「あー疲れたー」
「はは、いきなりだね」
「だってこころがまた突飛なことするからー」
「とか言いつつ楽しそうだね」
「ん、まぁ……退屈はしないかもね」
「そういえば、本当に俺の家でいいの?」
「なんでよー」
「行きたい場所とかないの?」
「いいの! ここで!」
「そっか」
目の前にいるのは、美咲の小学校の時からの幼馴染であり……恋人である
「あっ、そうだ。砂糖とか……うわっ! ど、ど、ど、どうした……?」
「ははっ、テンパリすぎでしょ」
「そりゃ……いきなり後ろから、抱きつかれれば、驚くだろ……」
隼が、お湯をカップに注ぎ終えて、砂糖とミルクの用意をし始めたタイミングで、美咲は仕掛ける。狼狽える隼の様子が、いつもの落ち着き払った姿とのギャップを感じさせる。これが、美咲の
「今日は、いっぱい甘えさせて」
美咲は隼の耳元で、聞こえるか聞こえないかのギリギリの声で、そう囁き、ふぅっと息を吹きかける。
「ちょ……くすぐったいってぇ……」
弱い耳元に不意打ちを食らわされた隼は、思わず気の抜けた声で、美咲に抗議する。美咲は、そんなことお構い無しと、さらにぎゅっと彼を抱きしめる。
「……砂糖とか、ミルク入れる?」
「そうだなぁ……どっちもよろしく」
「ミルクどれくらい?」
「少し」
「……角砂糖は?」
「一個」
彼は、狼狽えながらもテキパキと作業を進める。しかし……。
「離れませんか美咲さん」
「いーやー」
「俺の精神衛生上宜しくないんだけど」
「私に抱きつかれるの、嫌?」
「その聞き方はずるいよなぁ……」
やはり恥ずかしがっているようだ。美咲は、より一層しっかり抱きついた。
「このままじゃ動けないんですけど……」
「もう……もうちょっとだけ……」
美咲にそう言われると、隼はそれ以上、何も言わなかった。美咲の匂いにクラクラするわ、色々当たっているわで、精神衛生上宜しくない。けれど、それ以上に美咲が甘えてくるのが嬉しいのだ。最近部活が忙しく、美咲に会えていなかったために、隼は寂しく感じていた。美咲も寂しく思っていたからこうしているとも考えたら、尚更振りほどけない。
「スーッ」
「あの美咲さん」
「どうしたの?」
「なぜ匂いを嗅いでるんですか……」
「落ち着くから」
「は、はぁ」
「ふふふっ」
ただ、なぜか匂いを嗅ぎ始めた美咲に、隼はさらに動揺して顔を赤く染めた。美咲は、それに楽しさを見出すだけでなく、優越感を感じていた。決して隼が他人には見せない、この表情を独り占めしている。その事実も、美咲が隼にイタズラをする理由であった。
「充電完了」
美咲はここで一旦開放してあげることにした。彼は顔を真っ赤にしたまま、台所から二人分の紅茶をいそいそと運んで行った。その後を美咲も追う。先に彼はソファーに腰掛けていた。その横に美咲も腰掛ける。
「あー……な、何か観る?」
隼はテレビの方向を向いて、そう言った。美咲の顔を見て聞かないのは、恥ずかしいからだろう。平静を保とうとしているのだろうが、声は上ずっていて、とりあえず話の繋ぎとして聞いたのは明確だった。
「うーん……あ、なら、リモコン貸して」
……なら、この状況も利用してやろう。そう思って美咲は、慣れた手付きでリモコンを操作する。
「……あ、あった。これ」
「これかぁ……そういえば気になってたけど観てなかったな」
美咲がサブスクの中から探し示したのは、数年前に人気を博した恋愛ものの映画だった。
「ならこれね」
隼は、どうやらこの映画をまだ観ていないようだ。なら、おあつらえ向きだ。そう確信した美咲はボタンを押して、映画を再生し始めた。
しばらく、二人は静かに観賞していた。表面上では、だが。美咲の予想通り、映画を観ている隼の表情は、コロコロと目まぐるしく変わっていく。目を覆いたくなるような嫌なシーンは、すごく苦々しい顔をしている。逆に、見ているこちらが恥ずかしくなるようなお熱いシーンは顔を赤くして、瞬きを忙しなくしている。美咲に感情の機微を悟られたくなくて、何も話さずそんなことになっているが、バレバレであった。美咲はこの映画を観たことがあるから、映画を観るより、専らそういう隼の表情を観察していた。隼の見せる表情は、どれも面白く……そして、愛おしい。
そろそろ、ラストシーンが近づいてきた。ここで美咲は、隼の手に触れる。気づいた隼がこちらを向いた。さらに、手を絡ませ、いわゆる恋人繋ぎにする。隼の表情がみるみる変わっていくのを見て楽しみつつ、ラストシーンを待っていた。
画面の中の二人が愛を誓いあって、距離を詰めていく。美咲もそれに合わせて、さらに隼の方に擦り寄っていく。
後、少し。そこで、顔を真っ赤にしていた隼の方が動いた。彼の顔が至近距離にある。
「……ぁ」
解放されると、映画はエンドロールに突入していた。
「ラストシーン……見れなかったじゃん」
唇に乗った柔らかい感覚に呆気にとられた美咲が言えたのは、その言葉だけだった。
「映画、ほとんど見てなかっただろ」
完全に自分のペースに持ち込めていたと思っていた美咲は、隼のその言葉に驚いた。
「さっきからの仕返しさ……」
顔を真っ赤にして、消え入るような小声で何とかそう言った隼は、恥ずかしさのあまりか、美咲から顔を背けてソファの座面に顔を埋めた。一方、美咲は固まってしまっていた。今までは美咲がペースを握って、隼に唇を重ねさせるパターンだった。隼は、求めてきたり、奪いに来たりするのが、得意では無いから。けれど、それを見破られて、唇を奪われたことに、美咲は少し悔しさを感じた。だが、それ以上に、隼が勇気を出して、唇を奪いに来たことが嬉しかった。
「ふふふっ」
嬉しくも恥ずかしいような、そんな気持ちに襲われて、美咲も隼と同じように、ソファのクッションに顔を埋めるのだった。