「貴方は三千世界を見通して何を見たのです?」
「欲に蝕まれた諸行無常の世界だな」
「ありふれた日常を見たと?」
「三千世界と言えど人の行いは変わらぬようだ」
「天道と宿命は変えられないのですね」
「世界の器に差異はあれ、人の業は揺らがぬ定理らしくてな。似たりよったりと思うところはあった」
「シャカよ、業欲があっての人の形ではないですか」
「より良い業欲の求め方を否定したりはせぬ」
「私たち聖闘士も庇護欲の塊と言えますし、全ては女神アテナに捧げる献身でしょう」
「アテナを中軸とした忠義の歪さに思うところはあるがな──」
「黄金聖闘士とて人の子にあるのですから、感情に押し流されるのも正しくある形でしょうに」
「人の気性ゆえに過失を招くのは仕方ないが、我等が窮地過ぎての挽回する流れには異質さを感じることもしばしばあった」
「結末が仕組まれていると?」
「ムウよ、我等だけが観測者ではあるまいよ」
深淵を覗くものは、深淵からも覗かれている。
観測者は上位者からの監察対象であり動向を捕捉されてもいる。代行者を挟むことで矛先を反らせれば、私の神通力が異世界で通用する証明になる。
此度の元凶は『創造神』という上位存在らしい。
相手は旧世界の神々か、或いは新世界の神々なのか判別がつかぬ。私の血統に眠りしソーマの力を目覚めさせるかは今後の展開次第になるやもしれぬ。
女神アテナよ。刻が来れば、自らに課した戒律を棄てることを赦してほしい。
■2-1.エリス教徒の定義
エリスとは、幸運を司る女神である。
エリスとは、ベルゼルグ王国の国教である。
エリスとは、ベルゼルグ王国の通貨単位である。
戦勝を誓い生還を願うために運気をバフる女神を国を挙げて奨励するのは、至極当然の流れだろう。運が良ければ敵からの攻撃が外れたり、運が良ければ敵への攻撃が倍増したり、運が良ければアイテム入手の確率が上がったり、運が良ければ大金が転がり込んだり、運が良ければ婚期に恵まれたりなどなど。
とにもかくにもエリス教徒の日課は、女神エリスに運気のバフを強張る黙祷から始まっている。
ベルゼルグ国民は、エリス愛が昂り過ぎて拗らせた結果か女神エリスの名を国中に浸透させている惨状だ。
女神の力は、女神を崇拝する信仰力で決まる。
女神からの恩恵は信者全てに等しく分配されるので、信者が少ないほど強力で、信者が多いほど恩恵が薄まるのは知られざる事実にあった。
一見信者数が多ければ多いほど女神力が強まるように見えるが、戦闘力に比例して信仰力も高まるので一般人が数百万単位で集まろうとも、たった一人の聖人を超える信仰力になることは叶わない。選りすぐりの狂信者に格別の庇護を与えて信徒にする方が得策なのだ。彼等は女神直属の使徒であり、迸りて滾る狂愛に身を焦がしながら女神に御心を捧げるために仕えている。
国教でありながら、国のため人のためという題目は通用しない。王国民は女神エリスが喜ばしいと思われる行動を供物として捧げているのだ。
エリス教徒がアクシズ教徒に虐げられている状況に甘んじているのも、女神エリスが女神アクアに腰が低い構図を真似ているゆえに寛大なのだ。
真の信徒とは、女神の恥部さえも愛おしい。女神エリス像が本人よりも胸囲が盛られていることは女神エリスの慎ましさの現れだと黙認しているほどに。
これはアクシズ教徒が、女神アクアの奔放さに感銘を受けて無責任自由主義に狂わせていることと同義であるのだろう。
聖闘士も女神アテナのように凛々しく清廉であるようにと、他者に優しく自分に厳しくある者は多い。
ここで最初に「信者」と「信徒」の違いを軽く説明しておこう。
信者とは「信仰の種火」にあたり、単一では最低火力にしかならないが集まり重ねると大きく燃え盛る。何々の信者というのは、個人で拝む末端レベルの段階。
信徒とは「信仰の道標」にあたり、女神を通して信者の信仰力を導き束ねて一集団として機能させる。導き手となる宣教師や神官などが該当することだろう。
役職付になれば更なる信仰力が強固補正されて、より多くの権限を任され聖人としての高みへと至れる。聖職者の序列は、助祭・司祭・司教・聖人の位階で研鑽と徳を積むことで、やがて『教皇』へと至れる。
これはあくまでも教団運営が正しく機能していた場合に限る話であり、アクシズ教団では役職付は司祭までしか確認されていない。
信徒を更に分別すると、聖騎士や神殿騎士に悪魔祓いといった教団所属の防衛者が配備されている。もしも聖闘士に席があるなら、此方に分類されるのだろう。
聖騎士は、クルセイダーと読む。
神の征伐者であり、攻撃主体の騎士である。
聖剣を携えて「悪魔狩り」で派遣される。
ダクネスは剣を扱えないので、仮聖騎士扱い。
神殿騎士は、テンプラーと読む。
神の防衛者であり、防御主体の騎士にある。
冒険者ギルドの転職には存在しない。
各教団に所属する騎士で構成される騎士団か。おそらく遠征十字軍が由来だと思われる。
悪魔祓いは、エクソシストと読む。
神の審判者であり、異端審問官を兼ねている。
冒険者ギルドの転職には存在せず独立しており、役職付に限定された職種なので相応の権威を伴う。
信徒は薄まった加護を手厚くしてもらうためにと、女神からの信任を得るべく行動した。悪魔嫌いの女神エリスのために誰しもが悪魔嫌いに染まる。エリス教徒は、悪魔根絶の聖印を掲げては悪魔狩りに狂喜乱舞した。
悪魔を処すためなら人格破綻者さえも聖人指定となるのがエリス教団の怖さにある。爵位持ちの悪魔を倒す者はもれなく聖人指定になり、女神エリスの寵愛を受けるとされている。
信奉する女神の手癖に染まるのは信者の鑑と言えば聞こえはいいが、悪魔全てを憎むのは人として如何なものかと思わなくもない。善悪を無視した衝動には、聖闘士としては躊躇せざるを得ない。大義名分あって処理するのは理解に及ぶが、獣じみた思考で無抵抗に悪魔を屠るのは畜生のする行いである。
悪魔は、個体名や種族では無く属性による概念的な存在の総称に過ぎない。呼称に「魔」が付く対象は全てが悪魔と認識される。悪魔とは風貌に悪印象がある者や、悪意に染まりし者だったり、魔性を帯びた者だったりと多岐に渡る。中には元人間だった者も含まれるので、彼等は嬉々として同族殺しを行っていることになる。
女神エリスが好むのは概念悪魔などでは無く、純然たる魔界産純血種の悪魔族のみに限定される。不倶戴天の敵として遺伝子的に嫌悪する対象が極上の獲物なのは、この世界の常識に改変されているのではないか。
「悪魔を倒すべし」
「悪魔に正義の鉄槌を!」
「不浄なる死者に、神の祝福を!」
聖職者として正しい在り方に見えている狂信者らしい振る舞いは、正義に洗脳されている聖闘士のようだ。自由意思なき正義は果たして正義たりえるのだろうか?
盲目的に追従三唱するエリス教徒を横目で見るも、かつての白銀聖闘士を見るようで憐れだった。彼等を見て自己を顧みるための反面教師として見ていこう。
エリス教徒の朝は物騒極まる教義三唱から始まり、その後は女神エリスに黙祷を捧げた。黙祷を捧げた後は、エリス教徒としての教団運営による報告会議だった。この辺りは一般的な教会運営との差異はない。信者とのミサたる懇談会もあったし。アクシズ教徒からの嫌がらせもあった。一通り体験したので、帰るときに行動規律をしたためた「聖書」を渡された。この中味を熟読して模範行動を体得せよということか。
「全てに倣えるのは聖人様くらいですので、出来る範囲でいいのです。初日に誰もが戸惑うのは当然の流れなので、理解してから行動に反映させましょう」
「───顔に出ていたか?」
「模範行動は可能ならの範疇なので守らなくてもいいのですよ」
「ならどうして、このような聖書を?」
「それは聖人様の行動体験記なので、聖書じゃありませんよ」
「はぁ?」
どう見ても聖書である。分厚い冊子で十字架の装飾にエリス教団の聖印が押印されてる。まごうことなき聖書の形をしているはずだが、これは聖書ではないのか。
「ただの読物です。とは言え、聖人様を真似れば高みへと至れるというひとつの例えではありますので」
「では、悪魔を倒せも聖人の体験記なのか?」
「それはエリス教徒としての戒律ですので、悪魔を見つけたら駆逐してください」
「───なるたけ善処しよう」
エリス教徒の外面の見た目は普通の聖職者だ。
朝は、苛烈な教義三唱。
昼は、教団運営の拡張という名の奉仕活動。
夕は、アクシズ教団からの被害報告会議。
夜は、人知れず「悪魔狩り」に勤しむ。
心休まる時間帯は昼だけだった。信徒としての活動は控えた方がいいだろう。ほぼ丸一日拘束とか冒険者としては付き合ってられない奉仕活動だった。時間労働を捧げる代わりに、寄附金を多めに納めれば教団側は丸く収まることだろう。
悪魔を駆逐と容易く言うが、悪魔は頻繁に遭遇できるような雑魚対象には無い。はぐれ悪魔か野良悪魔になら稀に遭遇する可能性があるだけだ。魔王軍に魔物は数多く配属しているが、悪魔は別枠だと思われる。原作でも、魔王軍に居た悪魔は『バニル』のみなはずだが。
原作設定通りには行かない可能性はあるのか?
本来なら私は存在していないので、シャカ様が介入したことで分岐した世界軸となりうるのか。
原作設定はあくまでも知識として見立てるだけにしておくべきだろう。あの流れは無介入で成立したもの。異物が入り込んだ場合は、神の初期設定が台無しになったので確変しているのだろうか。そもそも、この考察が全くの無駄である可能性はある。訝しく推察しようと一通り体験した後でなければ意味を為さないか。
女神エリス(クリス)を仲間に迎えた時点で、原作で用意された流れを変えてしまったのだ。原作に沿わない流れになるのが明白なので、軌道修正自体が烏滸がましいのかもしれないが。
女神エリスは、女神アクエリアスの半身で陰性の部分を支配している。言わば女神の内面であり殺伐とした裏の部分を受け持つ。極度の悪魔嫌いも女神アクエリアスの苛烈さを受け継いでいると考えられるか。神である以上は、不倶戴天の敵認定には一切の慈悲が無いのは上司からの刷り込み的な洗脳と言える。間違いを正すのは従者の努めとは言うが、神の在り方を是正するのが可能なのかは未知数だと思われる。分割された女神たちが、女神アクエリアスの理想像になれるかは私次第なのだから頑張るしかないが。
冒険者クリスとは、週二回の割合でパーティーを組むことにしている。クリスとしての都合があるのだ。神の行動を妨害してはならない。此方に不都合なら介入するつもりだが、佐藤和真の暴挙を何処まで許容できるかに因るだろう。女神の下着を剥くのは、聖闘士として断固許容が出来ないので矛先を変える予定だ。大事なのは、佐藤和真が「スティール」を覚えればよいので犠牲者がクリスである必要性は無い。
「スティール」は運が高いなら効果抜群だが対象が物理に限定される。狙った対象が盗めるのではなく、目先の視線対象をランダム単一の指定なので効率が悪い。強制的に何でも指定結合する「結合」と比較すると、使い勝手が悪いと言える。この特典チートスキル「結合&解除」スキルが割合消費魔力量という代償を考慮しなければの話だ。万能であるが多用は出来ない状態なので、やはりスティールに軍配が上がるかもしれない。
魔力回復ポーションや高品質マナタイトがあれば無限使用が解禁されるが、結合を多用しない戦略を持つべきだろう。聖衣を再現すると、戦闘時に毎回では無く1日戦闘での着脱で消費魔力量を抑えていくしかない。聖衣の良さは質実剛健の攻防一体なところだが、その装備形状が一際目立つといった派手さも備えている。
派手さは隠密行動を阻害する。クリスと親密になって神器回収活動をするときに聖衣は使えないかも知れないな。そのときは何か対策を考えればいいか。先のことは、その頃の自分に丸投げで解決するに違いない。
エリス教徒は、アクセルの街に五割程度はいる。
アクシズ教徒が数えるしか居ないので、エリス教団の支配地扱いになっている。変態騎士ダクネスを除けば、比較的まともな教徒ばかりだろう。其処に悪魔さえ絡まなければの話に尽きるが。
エリス教団の登録をした冒険者という肩書なので、曲がりなりにもエリス教徒にはなっている。冒険者カードには、エリス教団所属が反映した。冒険者カードは冒険者行動を数値化するだけでなく、ある程度の生活ステータスもリストに反映してるらしい。
生物や魔物の殺害数をカウントしてるので、悪いことをすれば増えてはいけない対象がカウントされることが宜しくない。このカウント機能は厄介だ。今は相手にしないので問題にならないが、ゆくゆくは勇者狩りを敢行する予定なので対策を考えたい。
このアクセルの街は、とても平凡で辺鄙で穏やかな街なのだが性的サービスのある歓楽街がある。如何なる時代にも娼館があるのは正しい状態で、日本の転生者が多いので当然のことに性産業あるあるだ。幾つかの店があるなかで、冒険者がひた隠しにしてきた聖地があった。原作を知る者だけが知っている「サキュバス幻夢館」のことだ。
この店は、実はバニル支配領域の直轄地だったりする。淫夢を魅せることに長ける弱小種族が経営しており冒険者と合理的に共生関係にあった。
淫魔は、直接的に奉仕活動に励み。
夢魔は、間接的に夢の中で奉仕活動を体感させていた。彼女たちは店で研鑽を積み上げ、外の世界に羽ばたいていくのだ。
アクセルの街は、遥かなる昔から魔族に性的支配されていた。其処の冒険者ギルドにクリスが在籍しているのは偶然だったのだろうか。私は創造神が初期設定した対抗措置に見えている。転生者の展開次第では、悪魔を根絶させるシナリオが用意されていたと考えるのは考え過ぎではないだろう。
それを男気を滾らせて一致団結してまで絶対防衛戦を構築してきた漢の執念には凄味を感じた。夢の中と言う免罪符を掲げて虚悪を忍ばせて来たのには、人の可能性を体現しているのかもしれない。彼等の熱意を魔王討伐に向けられないのは、夢魔との共生関係が破綻してしまう畏れから勇者行動を失念させたのだろう。
原作だと、女神アクアや女神エリスにバレようとも男性冒険者と佐藤和真の必死の抵抗で断念したとある。これには、悪魔の店が潰れないように隠し補正がされてるのが濃厚だ。
■2-2.この素晴らしき世界の考察
原作『この素晴らしい世界に祝福を!』は、あらゆる世界のルーチン(漂流物)が混在する流域だった。この世界は、創造神が再生した二次世界以降を増産する幾星霜もの類似世界の語源や原典のルーツを濾過して製造された世界である。
一応に、創造神なのだが。この創造神は、ゼロから創造する神ではなく素材の再利用という二次創作の造成神という機能性なので正しくは『二次創造神』と仮定する。再生工場の管理者であり、漂流物を生素材として利用するのではなく裁断して縫合する狂科学者地味ていた。フランケンシュタインの製造を地で逝ったので、キメラ生物やキメラ化合物を精製しまくっていた。
オリジナル臭はするが、決してオリジナルにはなり得ないパチモンの群像が次々と産出された。この造詣が日本人転生者には効果覿面だった。魔改造される一歩手前だったのもある。半端な造詣に一手間を加えて、より理想の偶像を作製することに長けている日本人が着手しない訳がなかった。強い想いが願いとなり不安定な概念をリライトするという結果には、創造神の思惑を超えた補正となってしまったのだ。
女神アクアは現地救済を願いながらも結果的には魔族側にも貢献してしまった。日本人転生者には何が神に補正するか知らないし、また何が悪魔に補正するかも知らない。彼等を駆り立てるモノにこそ興味はあれど、それ以外は眼中になかったので責任は一切無配慮だった。日本人転生者は、誰しもが勇者候補だったので全ての行動が勇者行動として発揮されてしまう悪循環を生んでいた。今後の展開は女神アクアの連鎖を断ちきれるかに因るのかもしれない。
原作通りの補正があるなら、女神アクアが佐藤和真に連れられて現地降臨すれば連鎖的被害が止まる可能性はありえる。最初の選択で考慮したのは、女神アクアに因る間接的被害の断絶があった。女神アクアは、女神アクエリアスの陽性と外面を受け持つので因果の坩堝といった干渉地帯を有する。彼女自体が特異点と言ってもいいだろう。私はそれを抑えることこそ最良なのを理解していた。
その他に、佐藤和真にも因果はある。勇者サトウの末裔という裏設定も女神アクアを簒奪する一因だったのだと見ている。佐藤和真が異世界転生者となったのも、一重に創造神が用意したルートのひとつだったのではないだろうか。
とんでも世界観で世界創造をした結果は人類にとっては悲惨な末路である。救済者不足によるアンバランス過ぎる荒廃した世界で運営することになった。用意された現地勇者では対処しきれなかったので、より強い因子を持つ対象をキメラ合成した。漂流物から、神族や神の眷族を精製する。これにより人類側の勝機が振り切れてしまい人類は活路を開き暴走した。
魔導大国ノイズの栄華はひとりの日本人転生者の天災で瓦解してるので、女神アクアの不運による連鎖は呪われていると言っても過言ではないだろう。女神アクア当人に問題があったにせよ、創造神の悪意が透けて見えてくるのは原作を解読した結果と言える。
強い想いを反映しつつも何処かおかしい気がする既視感がそこかしこに発揮されてしまうのは、日本人転生者の因果が引き起こした結果にある。女神アクアが日本人の勇者候補を大量に送り込んだ結果として、日本の風物詩を色濃く反映するユニーク設定が随所に散りばめられている。冬将軍や走り鷹鳶など、言葉じりを起源とする魔物や精霊がリライトされている事実は原作を読破した存在なら理解できよう。
それは神族や魔族にも同じことが起きている。天界の頂点に座しているのは「創造神」だが、本当の創造神ではない。
あまたの類似世界のひとつを管理している創造神であり、本体の分霊のような式神という感覚の創造神が各世界に配置されている。その式神の創造神が、各世界の平行世界を立案運営している。このすば世界の神情報が薄味なのも「深く考えるな」といった意識の現れだろうと踏んでいる。
シャカ様は、原作小説「このすば」を資料として渡してきたときに『創造神』に深く関わるなと忠告された。元の世界軸だと「創造神=大地母神ガイア」に匹敵すると揶揄されていた。元の世界軸よりは下位の世界のはずだが、本当に下位なのかは疑わしい。今居る世界が虚数のひとつの管理世界なら、女神の根源が流れ着いた『最初の世界』を探すことが最終地点になるのだろう。
最初から正しいルートが見つからないのは、当然のお約束という展開を聖闘士なら誰もが痛く理解している。今は初めての体験を楽しむ時間なのだ。流れに身を任す特権に委ねて面倒事は明日の自分に丸投げとした。新事実が既視感で埋め尽くされてからが、本当の始まりになるのだろう。
下位の世界の事象をメディア登記しているのが、元の世界軸の事象にある。シャカ様の視点で、元の世界軸は三千世界の中核程度に位地しているらしい。
シャカ様は三千世界と言っていらしたが、根源世界が三十あり其処から分岐した世界が百ほどあるのが実像とのこと。私が渡る世界が『このすば系列』の百ある分岐した世界のひとつになっている。
シャカ様が仰るには、力関係は根源世界が「9」で分岐した世界が「1」の強さらしい。分岐した百世界の強さで「1」なので、絶対的格差を女神の欠片を収集して活路を見出だせという。途方もない苦行だが、聖闘士なら毎度の展開だと思えば乗り越えられる試練なのか。
ここに来て漸く「彼の青銅聖闘士たち」と同じ条件に並び立ったことに気付かされる。彼等を底上げしていた境地とは、この様な無理難題が積み重なった極致をひとつずつ攻略しつつも、様々な因果を接収していたのかもしれない。特に星矢は、女神に懇意にされ過ぎな展開には疑問符だらけだったのだ。星矢は類い稀なる女神ハーレムの設定なのかを疑ったが、死地にて紡がれた縁の果ての結果論なれば、彼の苦悩に理解が出来るのやもしれない。
■2-3.私の師匠は神イズム!
シャカ様は、神にもっとも近い黄金聖闘士である。シャカ様は、神の領域に片足を置いている黄金聖闘士だと私は見立てている。もしくは、人に擬態化した神そのものという予測も考えられるのではなかろうか。
青銅聖闘士である「アンドロメダ座の瞬」は、冥界神ハーデスの肉体として選定されていた。彼の因果は神に連なるモノとして認識されていたことになる。遥かなる前世において、彼は神であったかもしれない。
私たち聖闘士は、途方もない時代から起因してきた前世の行いによって再編されている輪廻転生者だ。それを覚醒してきた者だけが高みに至れる設定世界なのだと推測される。弟子としてシャカ様を見通し続け、深き瞑想によりたどり着いた私なりの解釈である。何故だかシャカ様を見ていると如何に私が小さき存在であるのかが沸き上がる。まるで仏陀の掌に躍る孫悟空の様な感覚に陥ることさえあった。
シャカ様が、大日如来の化身というのは私の思い過ごしなのかもしれない。私の師匠は全く底が見えない上に隔絶された異能力者なのだろう。聖闘士である前に、人の器を超越した存在なのではと思うことは間違いではないだろう。
シャカ様は、他の黄金聖闘士の誰よりも強すぎていたからだ。人の感覚器を全て自在に遮断することとは、人の感覚器であるチャクラを操作できると言うことに他ならない。それは神の諸行だ。
万能に、強い。
出鱈目に、強い。
無茶苦茶に、強い。
およそ存在してることこそがインチキだというような存在がシャカ様なのである。全てを万全にこなしているかに見えるがシャカ様でも儘ならないことがあった。それと言うのは、シャカ様が神過ぎて弟子の心を理解なさらないことにある。
超絶無敵な師匠を持つと、弟子の師匠への憧れは希望から絶望へと移り変わる。私の高弟が虎の威を借る狐だったように、師匠の威厳を頼りに威張り散らす愚物へと変貌してしまった。
私の高弟は「不死鳥座の一輝」によって葬り去られていた。シャカ様は、一輝への試練と併せて弟子への制裁も行っていたのかもしれない。神の神業とは一の諸行で複数の結果をもたらしてくる。一輝の成長を見込みつつも、度しがたい弟子の凶状に彼等の命を以て改心するかを見定めたのだろう。
私はその過程を見て反面教師としたのだ。シャカ様の意向には裏があり、一の諸行で複数の意図を隠されている裁定に幾通りものルートを見越させている。
シャカ様が瞑想に耽っているのは、弟子に瞑想の奥深さを伝えるためだろう。即ち、物事の深読みに至れ!
浅慮であるよりは、確実に延命できる。
生き延びることこそが最優先という絶対的極地を暗喩されたのだろう。聖闘士は目的のためなら、一時的な裏切り行為を辞さない覚悟が必要なのだから。
サガたちがハーデスに降ったように見せ掛けていたのには、女神アテナにアテナの聖衣を身に付けさせるという目的があったこそである。そのためにシャカ様は、サガたちにアテナに禁止されてい影の闘法である「アテナエクスラメーション」を撃たせてもいた。
師の死に様に思うところはあったが、シャカ様は女神アテナと共に蘇生を果たしている。目的のための自己犠牲と見せ掛けた暗躍ルートを実行なさっていたのだ。シャカ様の軌跡を真似ることは、私の行動原理の礎となっている。先を見通す力があれば、ある程度の想定ルートを見出だせるというシャカ様直伝の模範解答なのだ。
私はシャカ様の故郷を尋ねて、インドの山奥にそびえる須弥山にて山籠りの修行を一年ほど修養している。僅か一年でしかないが、師の故郷にて師の通った軌跡の聖地行脚をするのも弟子としての行動理念だろう。
ヒンドゥー語やサンスクリット文字はシャカ様の母国語なので必死に独学をして覚えたのが懐かしい。聖闘士は日本語が共通語のように見えているが、女神アテナが日本語育ちだからこそ日本語に見えている錯覚なのだ。女神の神業で、日本語を各国共通語に変換してるのかもだが一介の聖闘士に女神の恩寵が与えられやしない。
ギリシャ語にギリシャ文字が解るのは大前提で、異国語を数ヵ国は修得しなければ遠征できなかった。そもそも修行先の現地語が解らないのは死活問題である。
山籠りとは言え、ずっと山奥に座して滝に打たれたり瞑想している訳ではない。中世時代ならサバイバル生活をさせられていたが、現代では山郷でも最低限の施設はある。食糧販売店や古本屋に公園などの憩の広場があった。特に古本屋にはヒンドゥー語で記載された蔵書が数多く納品されていた。インドは日本に比べて物価が安く、二束三文にしかならない古文書のごとき怪しいモノが多かった。其処でシャカ様のルーツであるインド神話に触れたのだ。
最古のヴェーダ文献である『リグ・ヴェーダ(聖伝)』には、デーヴァ神族とアスラ神族との戦いが語られている。ギリシア神話よりも更に旧き時代の神々の黙示録。
十二羅帝や八部衆の因縁の戦いには、聖闘士同士の戦いを彷彿させるものがある。白熱した戦いの渦中で、汗と涙と友情との駆け引きによる揺さぶりは聖闘士の戦いでの弁舌交渉だったりする。魂に語りかけて正義の在り方を想い起こすとか、まさしくも聖闘士らしさに溢れているだろう。
「みなぎるソーマを闇にぶつけろぉ!」
「ヴェーダに祈りを、オン・シュラ・ソワカァァ!」
私は聖伝に没頭して黙々と読み耽っていた。内容は、元はひとつ部族が仲違いをして神々を交えた代理戦争を続けたという長編ドラマ小説である。この話の中に出てくる神将たちが戦いにて身に纏う「神甲冑」が聖衣に似ている気がするのも親和性が高まってくる。
この聖伝は、原版の解読者による思想が入り雑じってあるので伝記物として意味をなさない。差し詰め、大河ドラマ小説のような二次創作モノだろう。
元々が口伝だったので、それを文献化したときには既に風化していた。人伝に継承されれば何かしら脚色されているので原型には程遠くなる。
キリスト教の「聖書」がラノベ扱いされるのも、原型がない形骸化した内容を利己的に編纂したからだと言われている。正しい伝記物とは、上位世界の観測者のみが知っていると言うことだろう。私が起こす軌跡も誰かしらの観測者がまとめた戦記やもしれない。
【用語解説コーナー】
■シャカの血統
シャカの血統は、そのティターン神族よりも遥か昔の神々である『デーヴァ神族』の設定にした。神に最も近い設定なら、いっそ神々の末裔にしておこうと。インド神話が由来の『デーヴァ神族』の話には、天空戦記シュラトの設定を拝借しての登場予定。
■ソーマ(楚真)
大地母神ガイアが、天空神ウラヌスを倒すためにティターン神族に与えた武具。
■ソーマ(光流)
とある世界の物質を維持する不可視のエネルギーの総称にある。生体エナジーでありマナポイントでもある。攻撃以外にも作用しており、治癒や物質造詣が可能。
■神甲冑(シャクティ)
神将が身に纏う甲冑。ヒヒイロカネ以上の硬度があるが羽のように軽く、無数の装備を身に付けても重くならない。覚醒すると一時的に白銀や黄金に変色する。掌サイズに小型化したり、獣座状態の背に人を載せて疾走する高速飛行形態などがある。
■武具の強さ
聖衣<刻衣<神衣<楚真<神甲冑
神甲冑が、原型オリジナル。
楚真が、神甲冑のレプリカで小型化のみを再現。
神衣は、楚真の模倣で特殊形態を機能削除した。
刻衣は、楚真の量産型で小型化は可能。
聖衣は、神衣のレプリカ。