【完】転生したら倒産確定地方トレセン学園の経営者になってた件 作:ホッケ貝
ウマ娘を養うというのは、本当に大変なことだ。
体力的なこともそうだが、なによりも食費という金銭的な面が、大きな足かせになっている。
よちよち歩きの赤ちゃんの時こそ普通の人間と大差ないが、幼稚園児になる頃にはブラックホールを思わせる亜空間胃袋の片鱗を見せ始め、小学生になった時には大人並みに食べる……。
といった具合に、成長していくにつれてとんでもない量を食べるのである。
こうした大食いは、家庭の財布を蝕んでいくのだ。
こうした莫大な食費などによって、ウマ娘の母子家庭が、ヒトミミの家庭に比べて何倍にも多いのである。
なんとまあ、悲しい現実なのだ。
これは全国家共通の社会問題であり、各国で様々な策が講じられているが、根本的な解決には至っていない。
ウマ娘の母子家庭には、政府から補助金が出るのだが、食費を辛うじて養う程度しか出ない。
元夫からの仕送りもあるとはいえ、一瞬の贅沢すらできない困窮した状況に置かれているのが、現状である。
そうした家庭状況は、本来咲くことができたはずの芽を潰していると、俺は思う。
そのような問題に阻まれて、ここトレセンに入りたくても入れないという子が、もしかしたらいるかもしれない。
その中には、オグリキャップのような将来の大物がいるかもしれない。
そのような可能性の芽が、咲かずに終わってしまうのはあまりに惜しいことだ。
せめてチャンスだけでも与えてあげたい……
なら、チャンスを与える制度を作ればいいのでは?
「こ、これだ…!」
何とかならないかと思案していると、今まで悩みが噓のようにポッと解決策が出てくる。
そこから粘土をコネコネするように、なんとなく形にしていく。
それで出来上がったものはずばり、"母子家庭及び極貧家庭対象の金銭的支援"である。
つまり"奨学金"ということだ。
一応国や地方自治体からも出てはいるが、もっと踏み込んだ内容にするつもりだ。
というわけで、この取り組みをできるだけ早く実行に移すべく、さっそく行動する。
まず、学園の重鎮や市、専門家らと相談して、より具体的に案をまとめる。
ここら辺のラインまでなら、そこまで経営に響かないぎりぎりのラインを、苦難の調整の末捻り出す。
ざっくり結果を表すと、世帯年収120万以下及び母子家庭を対象に、入学費や授業料、制服代や教科書代など諸々の費用と支援額でほぼ相殺する額の有償奨学金を支援する運びなった。
本当は200万とか、もっと上限を上げたかったのだが、理想は現実の問題と採算性的に妥協せざるをえなかったのである。
まぁ、当初の予定よりも規模が小さいとはいえ、実行できるだけ御の字と言ったところか。
ゆくゆくは規模を拡大させたいところだ。
最初こそ、この制度に懐疑的な意見が多かったが、この取り組みによってここの注目度や魅力が高まる他、就職支援改革によって職に就いて返済する可能性が高いことを証明したりなど、巡り巡って利益につながる事を、みっちりと説明して納得させたことで、次の新入生から制度の対象にすることが決まった。
ここ独自の奨学金を定めることに成功した俺は、さらなる改革を行う。
それはずばり、"労働状況の改善"である。
転生当初に取ったアンケートでは、"給料上げてくれ”や“設備が古臭い”というような、悲痛な要望が寄せられていた。
あの頃は金が少なく、雀の涙程度の昇給や自販機設置ぐらいしかできなかったが、改革が堅実に成功し、ついでに奨学支援を理由に市から補助金を取ることができた今は違うのだ。
そう、いまなら給料UPができるのである!
というわけで、さっそく月収を……と行きたいところだったのだが、より大きな問題があるので、いったん置いておく。
問題、それは…"残業代"である。
―教師はブラックだ―という話を、耳にしたことはないだろうか。
インターネットによって情報が極限まで可視化された現代、ありとあらゆる職業の実像が露わになり、ヤバい実情が世間一般に露出されるような時代になった。
これによって一部の職業が敬遠されることになるのだが、その中の一つに教員という職業がある。
教員の仕事がブラックだといわれる一番の要因は、残業がヤバいということだろう。
ブラックさを一から説明するとかなり話が脱線するので、申し訳ないが割愛させてもらう。
まぁヤバいということは知っているだろうし、伝わっただろう。
で、そのヤバい所を改善すれば、職員の士気が上がるのもそうだが、なによりも教育改革で第一線に立っている彼ら彼女らに対する、せめてもの労いになるはずだ。
そのためにどのような手段をとるのか?
やり方は実にシンプル、残業代を満額支払うようにするのである。
残業を無くすことは困難である。なら、ちゃんと金を払うことで不満を和らげるという算段だ。
残業ときたら次は休暇について!と、行きたかったのだが…またも苦難の壁にぶち当たる。
というのも、教員の場合休暇の個人差がまあまああるのである。
なんとなく予想がつくかもしれないが、部活の関係で祝日練習をしたり、遠征だったりと、完全週休二日制にするのが難しいのである。
ちょっとこればっかりは厳しいので、代わりと言わんばかりに、育児休暇が取りやすい環境を作る方針に切り替えるのであった。
「あの学校はいろんなことの面倒見てくれたんです。あの頃の楽しい思い出は、いつまで経っても色褪せることはありません。だから、あの学校に行けてよかった。私はそう思っています」
当時母子家庭であった氏は語る。
貧困家庭救済奨学金、残業代満額支払い、育児休暇推進……
理事長は当時において、かなり進歩的で挑戦的な制度を制定した。
これらをはじめとした制度は、今日にいたるまで教育現場における制度制定に多大な影響を及ぼしたのである。
―2022年、理事長亡き後に放映されたドキュメンタリー番組のフレーズより引用―
制度制度やりすぎてゲシュタルト崩壊起こしそう…
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