【完】転生したら倒産確定地方トレセン学園の経営者になってた件 作:ホッケ貝
『ホッカイドウシリーズ、再来年度より勝負服着用レース拡大へ』
終わってみれば、案外なんとかなるもんだったな。と、新聞を読みながら、俺は感慨にふける。
かつて世間を烈火の如く熱く賑わせた勝負服論争は、最終的な決定を下したことで鎮静化へ向かい、ゆっくりと元の平穏さを取り戻している。
そして、今や民衆の話題は"新しくなったレースはどんな感じになるのだろうか?"というのが中心になっており、ひとまず山場を乗り越えた――と、言ったところだろうか。
「なんとかなった……」
本当に、この一言に尽きる。
オグリキャップブームに乗じて加熱した民衆の欲望は、遂に危険な領域へ突入する――
という冗談はさておき、他の結論次第では、とんでもないバッシングが起きていたかもしれないし、逆にもっと歓迎されたかもしれない。
とにかく、結果論ではあるが、無数にある選択肢の中から"部分的勝負服化"と"パターンレンタル勝負服"を選んだ事が、今のところ一番最適だったように思える。
そう考えると、肩の荷が下りる。
そうなるのは俺だけではなく、最終的な改革案を共に纏めた役員達もそうだ。
役員や世間の意見、そして勝負服仕立て屋業界を取り巻く現実を鑑みて、この難事業を皆で円滑に団結し、上手いこと形にできたので、感謝しても感謝しきれない。
なんせ、誰もが誰かのために精一杯、本当に精一杯働いた結果導きだされたハッピーエンドだからだ。
俺だけじゃない、彼ら彼女らのような普段スポットライトが当たらない立場の者が頑張ってくれたお陰であるという事実を、俺は忘れない。
ひとまず一件落着、嵐は過ぎ去った――とは言え、ここで呑気に休憩をしていたら、ウサギと亀の童話で言うところのウサギになってしまうのが競争の世界と言うもの。
休むなんて悠長な事はせず、改革を成功させたからには矢継ぎ早に新たなる改革を打ち出して、改革案を推し通しやすくなっている成功の勢いを維持しなければならないのである。
一勝以上勝負服化がもたらした膨大な勝負服需要は、レース界隈を大きく揺るがした。
その中で最も影響を受けたところは、誰から見ても仕立て屋業界だろう。
改革以前の勝負服業界は、大手や名家お抱えの工房が牛耳っており、全国に存在する中小規模の仕立て屋は、好景気の恩恵を受ける事なく苦境に立たされていた。
そもそも勝負服を着るG1の数自体が少なく、需要が他の業種と比べてかなり限られていたという事が大きな要因だろう。
そのため、中小の仕立て屋は本業の勝負服で稼ぐ事が難しく、やむを得ず普通の服を作ったりして副業をしなければならなかった。
対して、大手は安定した需要を手に入れていた。
これは所謂、URAと大手が裏で結託して、安定した需要と供給を維持しようと努めていた事が原因である。
これには大きな理由があった。
従来の勝負服はオーダーメイド方式であるがゆえ、納期やデザイン力にバラつきが見られていた。
そうした問題を解決するため、両者は影で手を取り合い、ブロック経済圏を作り上げていたのである。
地方の中小仕立て屋は副業で稼いでなんとか食い繋いでいる間、URAと結託して余裕がある大手は勝負服供給に集中でき、安定して高品質な勝負服を製造する……。
質の差は、徐々に開いていくばかりであった。
しかし、そのような関係は1990年の秋に終わりを迎えた。
そう、ホッカイドウシリーズが実施した"勝負服着用レース拡大"である。
G1に出られるウマ娘の数は1%程であるが、一勝以上する数は35%程であり、ざっと需要が35倍に上がる計算である。
この発表に、レースに関連する界隈は震え上がった。
あるものは起死回生の策と喜び、またあるものは既得利権の崩壊を嘆く……千差万別の有り様を呈していた。
とにかく、需要増大による参入口の拡大は、間違いなく今までの関係を崩すものであった。
しかし、あまりにも多すぎる需要の拡大は、利益の空白地帯を生み出す事となった。
全国の中小、そして大手や名門お抱えの工房がこぞってフロンティアへ乗り出した事によって、勝負服戦国時代が幕を開けたのである。
理事長が実施した勝負服改革は、現行のオーダーメイド方式ではなく、パターンオーダーやテンプレートオーダーと呼ばれる、勝負服においては今までにない特殊な方式であった。
また、数週間に一度激しい使用をする従来から、一日も経たずに何度も激しく使用する超短期間超高頻度使用は前代未聞であり、今までにない使用方法は損耗が予想以上に激しかった。
そのため、従来型を大きく上回る耐久性が要求される事となる。
これにより、全国すべての仕立て屋は、優れた耐久性と、組み合わせても違和感のない汎用性の高いデザインという難関をクリアする必要が生まれたのである。
このままだと、資金や体力のある大手がまた力を握ってしまう――そんな危機に、あの理事長が鶴の一声を上げた。
いや、厳密には、頼まれて進言した――と、言った方が近いかもしれない。
何度も重ねて述べているが、中小の体力は貧弱であり、並大抵の事で大手に勝つなどあり得ない。このままでは、各個撃破されてしまう……。
――ならば、弱いもの同士で団結して固まれば、大手に対抗できるのでは?――
このようなアイディアのもと、"仕立て屋の企業連合体"を作る支援をしてほしいと、一部の地元中小仕立て屋の社長らが、ありとあらゆる仕立て屋にコネをもつ理事長に頼んだのである。
将来訪れる不景気を乗り切る為には、かつての大英帝国やフランスがそうであったように、北海道独自のブロック経済圏を作る事が攻略の鍵なのではないか?という考えを当時理事長は持っており、理事長は社長らの"企業連合構想"という頼みを快く聞き入れた。
そして、理事長の獅子奮迅の奮闘によって、北海道中の仕立て屋がまとめ上げられていった。
これが所謂"北海道ウマ娘勝負服仕立て屋協会"の始まりである。
かくして、北海道限定ながらも中小企業は団結し、お互いの知恵と工夫を取り入れあって、膨大な需要と大手に対抗するのであった。
影響を受けた業界は、仕立て屋界隈だけではなかった。
使用後に洗濯する代行クリーニング屋や、勝負服用装飾屋、さらには大量のレンタル勝負服を輸送する運送業など、隙間産業とも称される業界もまた、恩恵を受ける事となった。
例えば、代行クリーニング屋はプロ野球のユニフォーム洗濯のノウハウを全面に推して契約を勝ち取り、縁の下で高頻度使用を支える。そして、規模拡大に伴い新たな雇用が生まれる事となった。
業界自体がそもそも小さく、装飾品を作る技術を活かしてそれまでご当地お土産の生産も兼業することが多かった地方の勝負服用装飾屋は、これにより莫大な富を得ることができた。
また、流れに乗ってブランド化に成功する装飾屋も現れたりなど、急激に規模を拡大する事となる。
運送業も以前からあったが、今回の件によって需要が急激に高まる。
レースに使われて汚れた勝負服を集め、代行クリーニング屋へ輸送し、洗濯終了後はできるだけ短時間でレース場まで輸送する事は勿論のこと、レース場間や学園間の勝負服輸送を支え、代行クリーニングに並んで無くてはならない存在にまで上り詰める。
余談だが、その重要さから"勝負服輸送手当て"なる特別手当てが(ほんの僅かな額であるが)出る運送会社があったりもする。
他にも、ウイニングライブ用の衣装や、パドックで着るジャージのスポンサーなど、小さなところで様々な金の動きが見られたのであった。
では最後に、中央とルドルフはどうだったのか?
ざっくり言うと、「ちょっとヤベーかも」――そんな具合である。
言葉通り過ぎてかえって説明が難しい。
つまり、精一杯噛み砕いて説明するとしたら、"危機感があまりない"という状態だろう。
はっきり言って、中央の"一部は"慢心していた。
「たかが一地方が動いたところで、我々の居城はびくともしない」と。
中央は極めて保守的な体質であった。
最近起きた代表的な例としては、シンボリルドルフが提案した制服改革が最たる例だろう。
実のところ、当初の制服改革案は、旭川トレセン学園を模したブレザータイプだったのである。
しかしながら、学園とURA上層部は既得利権が崩れる事を妬み嫌い、あれほどURAと学園に貢献してきたルドルフからの提案だったとしても、すべて断り続けた。
文字通り、すべてである。大事な事なので二回述べた。
結局ルドルフの制服改革案は、従来型の配色と色を明るい感じに変える――という、こじんまりとした案まで妥協して、やっと認可が降りたのである。
学園の生徒は制服が可愛くなった事を喜び、改革の主導者であるルドルフを褒め称え、持ち上げた。
だが、当のルドルフは全くもって満足していなかった。
当初の思い通りにならず、結局自分自身は新しい制服を着る事なく卒業してしまい、ルドルフは無念の想いを抱えながら学園を去っていった。
そしてルドルフは、失敗の中から学べる事が大きく分けて二つある事に気が付いていた。
一つは、"すべてのウマ娘を幸せに"という理想は、他人の意思次第で簡単に崩れること。
もう一つは、"URAはもうだめだ"という事だった。
そんな有り様なので、卒業後にURAからお誘いが来た時、ルドルフは気品溢れる言葉で断った。その時は、少しばかり世間が話題になったものである。
長かった1990年は終わり、バブル崩壊が加速し始める91年に突入しました
勝負服改革の次は、いよいよ本格的に経済対策をしたいところです
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