【完】転生したら倒産確定地方トレセン学園の経営者になってた件 作:ホッケ貝
ザーーー!!!
「ゲホッゲホッ!すごいスコールだぁ…」
熱い気候の東南アジアは、短期間で突発的な豪雨が起きるスコールがよく発生する。
せっかく旅行に来て晴れ気分だと言うのに、唐突に雨が降って台無しになってしまう……なんて経験、東南アジア旅行者なら、一度はあるのではないのだろうか?
そんな先を思いやられる気分に、たった今直面している。
着陸が不安になるほどの豪雨が、タイの国際空港であるドンムアン空港の屋根をこれでもかと叩く。そして、俺らホッカイドウシリーズ代表団は、日帰り向けの装備を持って空港の中を歩いていた。
「日本ノ皆サン!コンニチハ!」
指定された場所まで練り歩くと、ほんのり日焼けしたいかにも東南アジア人といった顔つきの老練な男が壁に寄り掛かっており、俺らの姿を目視するなり、軽く手を振りながらこちらに近づいてくる。
「ああ!プリチャップさん、久しぶりですね!かれこれ……2ヶ月ぶり程ですかね」
そんな男に対して、俺も軽く会釈しながらお互いに近づく。
実は、国際根回し作戦の一環で、タイの首都バンコクにある二つのレース場併設トレセン学園のうち一つ、"ロイヤルバンコクスポーツクラブトレセン学園"の理事長と既に面識があるのだ。
なお、もう一つの学園はロイヤルターフトレセン学園という名前で、スポーツクラブの方は民営だが、ターフの方はなんと軍が経営している。
タイは特に軍が厳しいと言われている国なので、そのような軍の傘下にあるトレセン学園の生徒らは大丈夫なのだろうか?と、切に思う。
ちなみに、レース開催はお互いのレース場で交互に行われているそうだ。
「皆サン、今カラ車デ行キマスカラ、付イテキテクダサイ」
タイの理事長の言葉に対して、俺ら代表団は各々が「はい」と答える。
いよいよ国際取引が始まる――そう思うと、俺は思わず固唾を飲んだ。
・・・
「――では、HS=TRA協定締結のために、代表者はサインを…」
比較的質素な会議室に集う両国の重鎮らは、やや戸惑いの雰囲気を隠せないでいた。
それもそうだ。
何せ、ものの数十分で会議は終わってしまったからだ。
ちなみに、協定の内容は、スウェーデンで結んだ時と全く同じ"生徒とトレーナーの交換留学""指定招待レース整備"である。
「ゲホッ!ゲホッ!ペンは…っと」
持ってきた鞄の中から、学園理事長の頃から愛用している万年筆を取り出し、なんでもないただの白紙に一本線を書いてインクの具合を確かめるなり、協定宣言書に俺の名前とホッカイドウシリーズの名を書く。
「デハ、私ノ番…」
タイの理事長がそう言いつつ紙を受けとるなり、万年筆で書き入れる。
「本当に、こんなにも早く……」
タイの理事長が書いている間、俺の隣に座る部下の役員が口を漏らす。
それに対して俺は、こう答える。
「たくさん根回ししてきたからね」
と。これに尽きる。
国際取引というものは、言語という障壁によって、本来であれば普通に進むものでも、意思疏通に時間が掛かってしまい、スローペースになってしまう事が少なくない。
また、言葉によっては解釈に差が出てしまい、思わぬ誤解を生む可能性だってあり得る。
そういった問題をできるだけ低減するべく、北海道をPRして投資を呼び込みつつ、国際的な根回しをしているのである。
コネこそ正義、はっきりわかんだね。
今回もまた、スウェーデンの時のように根回しが最大限の効力を発揮した結果となった。
「ふぅ、成功してよかった……」
もしかしたら何度も往復するハメになるかも……
そんな不安を他所に、見事に成功して、文字通り俺は胸を撫で下ろす。
ともかく、これで目的は果たした。
その後、タイの学園側が用意した案内人の案内のもと、俺ら代表団はロイヤルバンコクスポーツクラブトレセン学園を視察した後、スケジュールよりやや早く空港に到着して、予約していた便を待っていた。
タイの本部に着く頃にはすっかりスコールは止み、いまや太陽は地平線すれすれにまで下がっていた。
――あぁ、これで旅は終わっちゃうんだな――と、一般旅行者は旅路に想い耽るだろう。
しかし、シャトルかな?と言いたくなるほど日本と海外を行き来しているので、そういう感傷的な気持ちにはあまりならず、「終わったぜやった」と呑気な事を思いながら、ご当地料理を食べていたのであった。
そんな行動が、後にとんでもない事に繋がるのであった。
「これ……"タイ米"だ!」
唐突に導きだされる前世の記憶――ずばり、"平成の米騒動"である。
記憶が間違っていなければ、1993年に冷害が起きて全国の米の収穫量が激減し、価格が高騰……結果、政府がタイ米など輸入して急場を凌ごうとする……というような流れが、確かあった筈だと思い出したのだ。
今は1991年、冷害が起きるのはあと二年……
――あぶねぇ!早く思い出してよかった!――
と、俺は心のなかで叫ぶ。
ウマ娘という生き物は、一言に言えば"すごい大食い"な生き物なのである。
全員が全員オグリキャップほどという訳ではないものの、それでも人間と比べたら数倍も消費するのだ。
「今ならまだ間に合うか……」
じっと時計を睨む。
俺らの業界は、価格高騰の影響をモロに受けるところだ。
今のうちから対策しておかないと、とんでもない事になるだろう。
・・・
という訳で、至急行動に移る。
実は、対策方法自体は案外簡単なものである。
ずばり、"玄米備蓄"である。
将来めちゃ高くなるのなら、安い今のうちに買っておいた方がいいよね、というごく一般的なやり方である。
対策方法自体は簡単だが、ここで問題になるのが予算と保管場所である。
予算はわりとすんなり行った。
「これは将来起きる冷害や災害が起きたときのためなんだ」と説得したことによって、将来の安全のために必要な経費だと思わせる事にしたためだ。
もう一つ、これがなかなか厄介だった。
――倉庫がねぇ!――
あまりの苦難の行軍っぷりに、思わず心のなかで叫ぶ。
玄米の保管と言うものは、なにもそのままドン!で済む話ではないのだ。
緊急玄米備蓄作戦にあたって、地元の農協のプロから助言を貰ったのだが、年単位で長期保存をするのなら、どうやら最大でも15℃ぐらいらしく、それ以上の気温だと、虫が発生してえらい事になってしまうとのことだ。
ということはつまり、15℃以下の温度を保てる倉庫が必要になるワケであるのだが、ここに立ち塞がるのが膨大な備蓄量である。
年単位で冷害を乗り切るため、おそろしいことに、ウマ娘を支えるためには今のところ最低でも数十トンは必要になるのだ。
そんな大量の米を適温で保存できるレンタル倉庫を確保するのに、かなり苦労したのである。
もちろん、レンタル倉庫だけではなく、学園にある食糧倉庫にもギリギリまで詰め込む。
しかしながら、それでも足りないのである。
もうヤバい!なら、使えるものは何だって使うべし!の精神を発動させ、学園のひんやりとした地下室や、農協に頭を下げて一部倉庫を貸してもらったり、本州の方にも出向いて、何とかしてスペースを捻出しようと艱難辛苦する。
海外遠征、バブル崩壊対策呼び掛け、玄米備蓄スペース確保etc……ありとあらゆる事が唐突に押し寄せてきて、もうそろそろ限界になりそうになる。
だが、ここで挫けたら、二度と立ち上がれなくなるほど深刻な打撃を受ける事になることを俺は知っている。
休む暇もなく、24時間ほぼぶっ続けで全国を動き回り、必死に仕事をこなしていく……そんな日々を送るのであった。
理事長は積極的な行動派だった
何かしらの問題があればすぐに現場に飛び、時には他社の喧嘩の仲裁に入り、コネと人望を生かして丸く収める事もあった
「一勝よりも一生を」のスローガンを支えるために、とてつもない負荷が理事長に掛かっていたのであった
そうした積極的な姿勢は人々から信頼を集め、物事を円滑に進められるようになるとともに、徐々に理事長の老体を蝕むのでした……
―2022年、理事長亡き後に放映されたドキュメンタリー番組のフレーズより引用―
タイの競馬の資料集めが厳しかったです
もしかしたら軍営の下りが間違ってるかも……
大変嬉しい事に、当作品にインスパイアを受けた作品があるそうです
こちら、また君と、今度はずっと 〜If you can Cross to tomorrow〜のウマ娘編#7だそうです
経営改革の下りに、自分は思わず「おぉ!すご!」と思いました
よろしければ、こちらも読んでいただけると幸いです
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