【完】転生したら倒産確定地方トレセン学園の経営者になってた件 作:ホッケ貝
理事長とは(大百科風)
馬好 心太郎 単語
まよし みたろう
6.4千文字の記事
■ 概要
元ホッカイドウシリーズのチート経営者、理事長。通称リジチョー。
愛称だけは知っていても本名は知らないランキングの常連である。
名前がちょっぴり難読漢字だからね、しょうがないね。
没後、勲一等旭日大綬章を贈られる
■ 生い立ちから死亡まで
1927年12月26日、大日本帝国統治領樺太庁豊原支庁豊原市(現ロシア連邦領サハリン州ユジノサハリンスク市)にて、兵庫県から転勤してきた国鉄職員の父正太郎と母吉田 心寿の間に末っ子として生まれる。(長男、長女、次女は全員兵庫生まれ)
末っ子という立場からか、両親と兄、二人のウマ娘の姉に可愛がられて育てられる。そうしてリジチョーは、明るく元気旺盛な少年として育っていくこととなった。
当時リジチョーが住んでいた住居は父の職場とほど近く、暇なときは職場の人と遊んでいたという。当時の様子を、駅員として働いていたコイワイ氏はこう語っている。
「かわいいお坊ちゃんでしたよ。休憩時間になるとどこからともなくひょっこり顔を出してきたものです。(中略)キャッチボールだとかして、みんなから"ショータロウの坊ちゃん"だとか言われてちやほやされてましたね」
また、当時の樺太は草レース含めてウマ娘のレースが盛んであり、周囲の人間関係と環境から必然的にリジチョーはウマ娘に興味を持つようになった。
この時、将来の夢はトレーナーか、国鉄職員かの二択で悩んでいたという。
かくして、リジチョーは平穏に幼少期を過ごしていたが、時世はそれを許さなかった。
1937年、盧溝橋事件から戦禍が発展して日中戦争が勃発する。
翌年、兵役を終えて間もない長男、正雄の元に
補充兵として陸軍に復帰し、中華戦線で戦った後、40年12月26日、奇しくもリジチョーの誕生日に長男は戦死する。これが原因で、生涯リジチョーは自分の誕生日を祝わなかったという。
1941年、ついに太平洋戦争が勃発する。
真珠湾攻撃、マレー作戦と破竹の勢いで戦禍が広がっていく最中、長女モミジと次女ミカサの元に
損耗率の激しい輜重部隊の穴埋めのため、姉妹は南方戦線に送られることとなる。
43年の夏ごろ、次女のミカサがマラリアに罹ってしまう。本土へ送られて治療を受けた後、わずかな間ながら実家に帰ることが許され、ミカサは実家に帰る。
そのときの様子を、リジチョーはこう表していた。
「ガリガリにやせ細っていた。戦争が始まる前の、可愛がってくれたときの艶のある肌に安心感のある笑み、さらさらとした灰色の毛並みは全部なくなっていた。骨は肌一杯に浮かび、情緒が不安定になって、不器用な笑みにバサバサな毛並みとなって、本当に灰になってしまったようだった。あのとき私は、変わり果てた姉を見てただ嘆くしかできなかった」
モミジは44年6月のビルマ戦線にて行方不明となる。
そして、45年1月、ミカサはフィリピンにて戦死する。
時は戻って1942年、父の正太郎は日本軍によって攻略されたマレー半島に派遣される。43年、ミンダナオ島への派遣のために船で移動している最中、米軍潜水艦に雷撃されて輸送船は沈没し、死亡する。
そして、リジチョーの元にも刻一刻と蒼ざめた馬が近づきつつあった。
1943年、遂にリジチョーの元に
徴兵されたリジチョーは、樺太混成旅団(後の第88師団)にてソ連の攻撃に備えていた。
割と平和な(戦地比)日々を過ごしていたある日、ソ連軍が越境し始める。いわゆるソ連対日参戦である。砲撃や空襲など、ソ連軍によるありとあらゆる攻撃に対して辛うじて耐えきったリジチョーは、部隊の生き残りと共に捕虜となった。
その時リジチョーは、「家に残された母は大丈夫なのだろうか。俺一人で頑張って母を支えないといけないんだ…」と考えていたという。
そんなリジチョーの淡い希望は裏切られることとなる。
1945年8月13日、避難列車に乗って大泊に向かっていた心寿は、突如飛来したソ連軍機(Il-2)の機銃掃射によって既に死亡していたのだ。
遺体の判別がつかないほどの損壊で身元の立証が困難だったため、書類上は行方不明扱いとなり、おそらくリジチョーは生涯母の死を知らなかったのではないかと言われている。
かくして自分以外の家族が全員亡くなったリジチョーは、戦友と共に日本へ……ではなく、なんとシベリア送りにされる。いわゆるシベリア抑留である。
シベリアに送られたリジチョーは、カムチャッカ半島で伐採事業に駆り出されていたという説が一番有力視されている。(磯野伍長証言)
1949年に日本に帰国したリジチョーは、小樽港の日雇い湾口労働者として働いている間、旧北海道地方トレーナー専門学校の夜間部に通い、1954年に地方トレーナー試験に合格して晴れて免許を取得している。
その後、リジチョーはなぜかトレーナーにはならず、ホッカイドウシリーズ(運営会社)に入社する。今すぐにでも安定した収益が欲しかったリジチョーにとって、歩合制のトレーナー職よりも年功序列で安定した給料の正社員の方が魅力的に映っていたのかもしれない。
この時リジチョーは27歳であった。
戦争によってスタートダッシュに失敗したリジチョーは、当時存在していたシベリア抑留帰還者に対する偏見と差別をものともせず、奪われた人生を取り戻すが如く破竹の勢いで出世を重ねていくことになる。
そして1985年、ホッカイドウシリーズ傘下の旭川トレセン学園の理事長に就任し、ここであのリジチョー伝説が始まるのであった。
1990年には改革の成果が認められて、ホッカイドウシリーズ理事長へ昇進…遂にトップに躍り出た。
ホッカイドウシリーズの理事長になったリジチョーは、勝負服改革やユーゴスラビア留学生問題、平成米騒動などで世論から激しく糾弾されつつも、最後の最後まで自身の信念と決断を貫き通すことで信頼と人気、そして結果を勝ち取っていた。
米を供給してくれた関係者に対する感謝の行脚をしていた1993年の夏ごろ、多忙ゆえの不健康な食と生活習慣により、リジチョーはスペシャルウィークの実家の牧場で突然気絶してしまう。
過労由来の高血圧による意識障害で気絶し、病院に運ばれたリジチョーは、この時すでに「もう先が長くない」と悟ったという。
それから爆速で退院したリジチョーは、自分がいきなり死んで会社の統制が混乱するリスクをなくすための行動をするようになった。
それらの行動の一環で、例のアレが作成されるに至ったのである。
そして、リジチョーの踏ん張りも虚しく遂に最後の時が訪れてしまった。
1994年2月7日、遅刻をしないリジチョーが珍しく遅刻(しかも無連絡)している状況を訝しんだ部下が家凸すると、布団の中で永眠しているリジチョーが発見された。
享年67歳。睡眠中に脳卒中を発症したことで、眠るように亡くなった。
■ 人物像
「物腰柔らかで、冷静で、記憶力がよくて、誰からも慕われる人物だった」
「善人だったね。彼は努力と協力ですべての困難を乗り越えた」
「右翼と左翼、絶対に相いれないもの同士が唯一共通して慕う人は、私の生涯でリジチョーしか見たことがない」
などと評されている。これらからわかるように、リジチョーの慕われっぷりは絶大だった。
また、取引を円滑に行うために人脈を広げに広げまくった結果、ウマ娘名家や大物政治家はもちろんのこと、なんと海外にまで及んでいたという。
結果、リジチョーの葬式では最終的に国内外から50万人が訪れ、中にはどこぞの国の国家元首まで訪れたという。
リジチョーの改革は、もはや未来を直視していると言われるほど先進的な改革が多かった。当然、そのような根底から覆すような改革をすると、多かれ少なかれ周りが反対してくるものだが、リジチョーの場合は徹底的な説明と、何よりも「騙されたと思ってやってみるのも悪くない」と思わしめる人望によって、改革を矢継ぎ早に成功させてきたという逸話がある。
また、人望でごり押せない場合はとにかく説明して乗り切るという手法を多用していた。
専門家の助言やデータの数値を引用し、徹底的に因果関係を紐解くことで最大限の説得力を持たせ、なおかつ逃げ道を無くすという戦法を取っていたという。
非常に質素な生活を送っており、死亡して世間にその暮らしぶりが知れ渡ると、冗談を疑う者まで出た。
現代日本の制度に大きな影響を与えているにもかかわらず、旭川トレセン学園理事長就任前はどのようなことをしてきたのかあまりわかっていないことでよく知られている。その原因の一つとして、リジチョー自身があまり過去を語らなかったこと、親族がいなかったこと、自伝を残さなかった事が挙げられる。偉人ならありがちな自伝出版が無いので、これは珍しいパターンだとよく評されている。
そのため、リジチョーにまつわる評判は旭川トレセン学園理事長就任から晩年までの期間が大半である。
2005年、リジチョーの過去を明らかにするために有志が集い、リジチョーの謎を解き明かす会が立ち上げられる。名前こそはっちゃけているが、活動内容はいたって真面目である。実際、リジチョーの出自や親戚の特定、そして母の遺骨発見など、案外活躍している。
■ 伝説
理事長とは……
・財政難気味だった旭川トレセン学園を健全化させるついでに全ホッカイドウシリーズ加盟校を健全化させる
・職員に対する福利厚生を拡充させ、やる気の向上と有能な人材を集めることに成功する
・新卒、中途問わず社員教育を惜しまず、景気回復時に誰よりも早く実力を発揮し、近年顕著になってきた中間管理職層不足を防ぐ
・旭川メソッドに則った教育カリキュラムによって(進学者を除いて)ほぼ100%に近い就職率を就職氷河期でも維持する
・質の高い卒業生もとい人材を輩出することに成功し、地方およびホッカイドウシリーズ卒業生に対する採用の際の評価を大幅に改善させる
・在校生に対する資格取得を推進し、諸々の支援策も相まってホッカイドウシリーズの生徒は卒業までに何らかの資格を取得している割合が他と比べてかなり高い
・人材メディア"ルクレール"のコーナーである「ここで働きたい企業!in北海道」で、トップ3の地位を1994年から現在まで保持する
・地元北海道の企業や行政と積極的に協力することで金の循環を作り出し、地域経済と雇用に多大な貢献をする
・リジチョーの企業滅私奉公精神は北海道の経営者に広く浸透し、郷土愛のある企業が北海道に多い原因を間接的に作る
・↑↑これらによって若年層の本土流出と就職難を緩和させ、北海道経済がいち早く立ち直る要因となる
・ホッカイドウシリーズ加盟校の坂路普及に尽力する。また、地方では最大規模となる1500m級の坂路(通称理事長坂)を旭川トレセンに作る。
・制服を改革し、生徒数を爆増させる
・母子家庭に対する支援を実施し、金銭的理由で才能が不発に終わることを防ごうとした(この制度を利用して学校に入った者の中には重賞を勝利した者もいる)
・自衛隊に対する偏見を払拭し、イメージアップに努める
・日本全国の地方トレセン学園との協力を強化し、惜しみなくマネジメント支援をしたりして財政健全化を支援した
・存命中、北海道では知事を知らなくてもリジチョーは知っているという人が多かった(要出典)
・海外との友好関係に尽力した結果、実は海外の知名度が高かったりする
・クロアチアでは【Pismo života(訳.命の手紙)】という題で伝説の人物として義務教育の教科書に載っている
・世界中の国の道徳の教科書にだいたい載ってる
・テンプレート勝負服を作り上げ、走者に選択の幅を増やすとともに勝負服の革命を起こす
・ばんえいレースの魅力を世間に広げたそれと同時に性癖を破壊された少年がたくさん出る
・米騒動を予見して米の備蓄を黙々と続け、世間が米の不足に苦しむ中ホッカイドウシリーズの食堂は平常運転で稼働していた
・タイ米に対する偏見を払拭しようと努力する。葬式の際にタイ首相から労われる
・企業の清潔さ、公正さを何よりも重視し、信頼こそが真の企業価値であると布教して周った
・北海道を基盤とした諸々の都市銀&地銀を統合した北海星銀行の創設に尽力する
・氷上レースを創設する
・死亡発表時に日経平均株価が下がる
・死後に残した改革案によってプチ好景気を起こす
・アンサイクロペディアに噓を書かせなかった
・ほとんどの政治や経営系の小説・ラノベでリジチョーをモチーフにしたキャラクターが出てくる
・インターネット社会の到来を予言した
・これからやるべきことリストを制作
……することができる人物である。
■ 評価
リジチョーの事を一言で表すとすれば、「北海道にめちゃくちゃ貢献した謎多き偉人」である。
やろうと思えば自社内で解決できる事でも積極的に地元企業と協力したことで、人口の流出とバブル崩壊で崩れ逝く中小企業を救ったとする見解が定説である。
しかし、そうした体質は莫大な支出を生み出すこととなってしまい、たびたび議論されている。
また、行政と民間の協力体制を作り上げたことで、お互いの意見と行動を取り入れた政策、経営方針を打ち出しやすくなり、北海道の景気回復と就職難の対策に大きな成果を上げた。
社会に貢献しつつ利益を出すという姿勢は理想的な経営者像として極めて高く評価されており、多くの経営者の見本となっている。
利益よりも社会貢献を優先気味だったためか、一部では「経営社会主義者」とも言われている。
未来を直視してると巷で言われている。
■ 理事長亡き後の北海道
理事長が亡くなった後、当時はまだ一般非公開だったやるべきことリストの複製が道庁関係者に配布される。
それに則って北海道全体で平成史上最大の街改革と称された大規模な公共事業が始まった。
点(都市)と点(都市)を線(インフラ)で繋ぐことを主眼に置いた北海道全体のコンパクトシティ計画である。
(コンパクトシティとは、ざっくり表すと都市の無計画な拡大を抑えて、集約化することで公共インフラを効率化しようぜというコンセプトである)
この場合、点とはコンパクトシティを指し、線は鉄道や都市間バス等のインフラを指している。
都市を集約化することで公共インフラの規模を抑えることで財政支出を抑え、余った分をさらなる都市開発や都市内交通に当て、集約化に伴う中心部の交通量増加を抑制するという算段である。
この計画はなんやかんやいろいろあって完遂し、鉄道による都市間旅客輸送を増加させることに成功する。また、交通網と都市計画の効率化によって徒歩と公共交通機関を駆使したライフスタイルを送ることが可能となり、免許返納に拍車をかけると共に北海道の車社会に一石を投じることに成功している。
これら以外にも、財政支出の軽減にも成功しているなど、改革のために莫大な支出がかかっているという点を除けばリジチョーの理想とする北海道像はおおむね成功していると言えるだろう。
■ 陰謀論・オカルト
=理事長未来人説=
・1985年のある日、階段ですっ転んで頭を打った日を境に、人格に妙な変化が現れ、積極的に改革を推し進めるようになった。
・改革の内容があまりにも先進的すぎる
・外部に絶対漏れていないはずの情報をピンポイントで当てられ、今から改善しないと将来とんでもないことになるぞと警告する(希望肉、植銀)
・「多分この時期になるとあれが起こるかもしれんね」と予言し、それが的中する(部下談)
・これからやるべきことリストを残す
・↑2020年までに起こる出来事の内容が細部まで的中していた(3.11警告など)
などの理由から、リジチョーは未来人なのではとまことしやかにささやかれていたが、"単にリジチョーが優秀すぎただけ"だからと、ただのジョークに過ぎないと思われていた。
しかし、2020年にリスト機密が解除され、一般の人々も閲覧が可能になると、この説の信憑性が高まったのであった。
=天国で経営改革している説=
2021年、新型コロナに罹って死の淵を彷徨っていたリジチョーの後任である新井氏が、三途の川でアンケート調査をするリジチョーを見たと一躍話題になった。22年8月19日、新井氏は老衰によって生涯を終えた。
ちなみに、唯一覚えているアンケート内容は『三途の川に公共交通機関は必要か否か』であったという。
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