白の少女①
────────夢を見ている。
映像は断片的で、情景は朧気にしか浮かんでこない。
白い化け物、見覚えのない景色、薄暗い灰色の部屋。
こんなもの、記憶にない。
けれど、この夢を見るのは初めてではない。
2年前から、何度も。
この夢を、見続けている。
脳裏に蘇る、意味不明な映像の羅列。
それについて考えようとして、ズキリと。
酷い、頭痛が襲い掛かり。
彼女は、目を覚ました。
「ん…………」
むくりと、少女は起き上がる。
それに伴って身体にかけられていた布団がずり落ち、彼女の肢体が露になる。
寝汗で肌に張り付いた最低限の薄着だけを纏った、とてもではないが他者に見せる事の出来ない姿。
自分の部屋である事を鑑みても冬季にする格好ではないのだが、彼女は気にする様子はない。
そこで、少女は玄関のチャイムが鳴っている事に気付く。
「おーい、樹里ちゃん。起きてるー?」
扉の外から、見知った声が聞こえる。
そういえば、迎えに来るよう頼んだんだっけ、と昨日の記憶を思い返し、少女は────────────────
(返事がないし、まだ寝てるかなー? 少し待って出て来ないなら、携帯にかけてみるか)
部屋の前の少年、佐鳥賢は少女の応答を待っていた。
彼女とは本日防衛任務で同じシフトに入っており、丁度良いと彼女の方から迎えに来るよう言われていたのだ。
こういった事はこれまでにも何度かあり、既に慣れっこだった佐鳥は特に断る理由もなかった為こうして迎えを引き受けているのだ。
何故自分に頼むのかと思った事もあるのだが、それを聞いても要領の得ない答えしか返って来ない為理由を知るのは諦めている。
そろそろ携帯にかけようか、と佐鳥が思い始めた矢先。
ガチャリと、ドアが開き部屋の主が姿を見せた。
「お、起きてんだったら返事を────────っ!? って、樹里ちゃんそんなカッコで出て来ちゃ駄目でしょっ!?」
ただし、上半身は薄いシャツ一枚、下はスパッツのみというあられもない恰好で。
シャツは寝て起きたばかりらしく盛大にはだけており、胸も半分近く露出している。
スパッツから伸びる生足は驚く程白くて艶めかしく、年頃の男子には目に毒だ。
元から容姿が整っている少女だけに、朝一で見るには刺激が強過ぎる。
佐鳥は全力で眼を背けながら、色々頓着しない少女に抗議する。
「…………なんで?」
「そりゃ、色々見え────────────────いや、とにかく着替えて来てっ! オレ、此処で待ってるからっ!」
「わかった」
パタン、と扉が閉まり、それを見てふぅ、と佐鳥はため息を吐いた。
心なしか、顔は赤い。
年頃の、それも美少女と言って良い相手の半裸を見たのだから、男子としては当然の反応と言える。
(もう、色々無防備過ぎるっしょ。最近はちゃんとしてたから油断したけど、こればっかりはどうにかして貰いたいんですがねー)
こういった事は
佐鳥はバクバクと鳴る心臓を抑えながら、少女の支度を待った。
「着替えた。入って」
「はいはいっと」
少女、樹里からの許可を貰い、佐鳥は室内へと足を踏み入れた。
尚、鍵はかかっていなかった。
どうやら今から着替えをするというのに、鍵をかけずにいたようだ。
あまりにも不用心が過ぎる為、佐鳥は再びため息を吐く。
「樹里ちゃん、着替えをするならちゃんと鍵かけないと駄目だよ。女の子相手ならともかく、男相手なんだから」
「…………? 鍵かけると、賢が入れないよ…………?」
「いや、だから着替え終わってから鍵開けなさいって事です」
「面倒。手間」
何処かズレた受け答えをする樹里に、佐鳥は何度目かも分からない溜め息を吐く。
天然気味のこの少女は、色々と無防備に過ぎる。
幸いなのはこうして彼女の部屋を訪ねるのが男子では自分くらいな事だが、だからといってこのままだと将来様々な危険が予想される。
「あのね。勘違いしてるかもだけど、男は狼なんですよ? 樹里ちゃんみたいな可愛い子があんな恰好見せたら、襲い掛かって来る相手だっているかもしれないんだから」
「でも、賢は何もしてないよ? 欲情、しなかった?」
「佐鳥には良識がありますから。何もしないのですよ」
「ふぅん」
何処か興味なさげに、樹里は生返事を返している。
そんな彼女に、佐鳥はなんとなしに視線を向けた。
顔は童顔だが整っており、背丈はそこまで低くはない。
手足は細く、真っ白な髪と相俟って妖精じみた儚さがある。
また、右目だけが青い
今は青色パーカーワンピースを着ており、スリットからちらちらと生足が見えていて少々目に毒である。
「なに?」
「いや、足それで寒くないの? 今日、割と風は冷たいよ?」
「じゃあ、履くから取って。そこの引き出しにあるから」
「いやいや、ちゃんと自分で取りなさいってば。佐鳥、これでも男なんですけどねえ」
「けち」
渋々といった感じで樹里は立ち上がり、部屋の隅にあるタンスの引き出しからタイツを無造作に取り出した。
そして佐鳥がいるのにも構わず、スカートを捲り上げてタイツを履き始めた。
しかし今度はそれを予測していた佐鳥が予め顔を背けていたので、先程のようなハプニングはない。
まあ、同年代の少女がすぐ傍で着替えているという状況に平静が乱れなかったかと問われれば黙秘を貫く他ないが、そこはそれ。
樹里がタイツを履き終えるのを待って、佐鳥は口を開いた。
「そういえば、朝食はどしたの?」
「まだ食べてない。けど、すぐに済む」
そう言うなり樹里は部屋の棚に手を突っ込み、そこから無造作に「フレッシュメイト」とパッケージに書かれたスティックタイプの栄養調整食品を取り出した。
すぐに封を開けてぱくりとそれを頬張り、それを食べ終えると冷蔵庫から取り出したパック入りの牛乳をチューチューと飲み、ゴミを屑籠に投げ捨てる。
その間、10数秒。
それだけで、樹里の朝食は終了した。
「樹里ちゃん、相変わらず朝はそれで済ませてるの? もっと普通の朝食とか食べない?」
「わたし、朝はあんまし食欲ないし。このくらいで丁度いい」
「うーん、まあ朝を食べるようになっただけマシか…………」
以前は平気で朝食を抜いていた樹里にそれではいけないと忠告したのは佐鳥なので、曲がりなりにも朝食を摂取している以上は文句は言い難い。
実際に学校に行ったり仕事をしたりすると分かるが、朝何も食べないというのは活動に必要なエネルギーが足りなくなる。
それを実体験で知っていたからこそ佐鳥は朝はなんでも良いから食べるよう進言したので、樹里はそれを実行しているだけだ。
男子と女子で色々と違う部分もあるだろうが、動く為にエネルギーが必要である事は男女共に変わらない。
ただでさえ樹里は細身なのだから、万が一栄養失調にでもなれば事だ。
だからそういう意味では朝を食べるようになって安心ではあるのだが、ご飯とみそ汁とは言わずともパンくらいは食べて欲しいものだが、現時点でその望みは薄いようだ。
幸い彼女はダイエットをしているワケではなくただ面倒臭がっているだけなので、改善の余地はないでもない。
根気強く付き合うしかないかな、と佐鳥は心の中で決意を新たにしたのだった。
「じゃあ、準備出来たなら行こうか。嵐山さん達を待たせるワケにはいかないからね」
「遅いです。時間にはもっと余裕を持って下さい」
「いやー、ごめんごめん。道が混んでてさ、ちょっと時間かかっちゃった。でも、遅刻はしてないでしょ?」
「10分前行動は基本ですよ。私達は広報部隊なんですから、その自覚を持って下さい」
ボーダー本部付近、警戒区域。
その一角で樹里と佐鳥を出迎えたのは、胸の前で腕を組んだ少女────────木虎だった。
佐鳥の言い訳を聞いた木虎はジロリ、とその隣に立つ樹里に目を向けた。
「木岐坂先輩も、迎えを頼むなら予め準備をしておくのが筋じゃないんですか? どうせ、貴方の準備が遅かったんでしょう? 確か、前の時も────────」
「まあまあ、佐鳥にも責任はあるんだしそのくらいで。そもそも、予め電話をかけなかった俺が悪いんだし」
樹里に追及をかけようとする木虎を、佐鳥が止めに入る。
以前の防衛任務で樹里が遅刻ギリギリの時間で来て以来、木虎は彼女に対して当たりが強い。
広報部隊として時間にルーズなのは許されないので彼女の怒りは最もなのだが、今回に限っては佐鳥が半裸の樹里に動揺して時間をロスしてしまったという経緯もあり、このまま木虎に叱られるのを見ているのも気が引ける。
「佐鳥先輩、貴方がそうやって庇うから彼女は」
「
「…………はあ。木岐坂先輩、次はもっと早く来るようにして下さい。それと、仕事はちゃんとして下さい。私達A級と違ってB級の給料は出来高なんですから、しっかりやらないと報酬はありませんよ」
佐鳥の要請に渋々応じた木虎は、最後に小言を残して踵を返した。
その様子を見てふぅ、と佐鳥はため息を吐く。
「ごめん。わたしのせい」
「いやいや、別に遅刻した訳じゃないし佐鳥にも責任あるっしょ。それに、寝過ごしたのは例の夢の所為でしょ」
「…………? なんでわかったの?」
「ノーコメントで。佐鳥にはお見通しなんですよっと」
正確には樹里の寝汗が酷かったからそう推察しただけなのだが、それが分かった理由というのが彼女のあられもない姿をバッチリ見てしまった為なので正直に話すのは躊躇われた。
不可抗力ではあったものの、寝汗が酷かったからなどと面と向かって言える程佐鳥はデリカシーがないワケではない。
普段は飄々としたお調子者を演じているが、彼はきちんと気配りが出来る人間なのだ。
だから、思わず思い出してしまった汗で服が肌に張りついている少女の姿に赤面しかけた事も、不可抗力だ。
久々に不意打ちを喰らった事もあり、佐鳥の脳内からピンク色のモヤが抜けるまで、しばしの時間がかかりそうだった。
『
それをビルの上から確認した樹里は手に携えていたトリガーを握り締め、告げる。
「トリガー
瞬間、樹里の身体が光に包まれその姿が立ち替わる。
近未来的な意匠の、身体にフィットしたボディスーツ。
中央に黒、それ以外が青でカラーリングされた。
とある部隊の隊服の、色違いに近い形状。
それを纏い、戦場に降り立った樹里はその手に大きなライフルを出現させる。
狙撃手トリガー、イーグレット。
そして。
「来た」
宙の黒い穴から現れる、無数の巨体。
白い、大きな化け物。
固有名称、バムスター。
異世界からの侵略者、
その尖兵たるトリオン兵、その一種である。
黒い穴から落下するように、バムスターが降下する。
その、刹那。
「────────ヒット」
銃撃、一閃。
正確無比な狙撃で撃ち放たれたイーグレットの弾丸が、トリオン兵の急所である口内のカメラを粉砕。
元々動きは緩慢であり空中で身動きが取れなかったバムスターにそれを防ぐ術はなく、巨体の侵略者は地に触れる前に沈黙した。
「…………やっぱり、彼女の狙撃は凄いですね。正確さもそうですけど、撃つまでのタイムラグが短過ぎます」
「まあ、フツーの狙撃手と違って
その光景を別の場所で見ていた木虎は素直に感嘆の息を漏らし、佐鳥もそれに追随する。
樹里の狙撃は、普通ではない。
通常、狙撃手は狙撃を実行する際にスコープを介して標的に照準し、引き金を引く。
しかし、樹里に照準を付ける工程は必要ない。
正しくは、
「確か、
「そうだよ。樹里ちゃんはとにかく
それは、トリオンの高い人間に稀に発現する
樹里のそれは、強化視覚。
文字通り、彼女はとにかく
その為器具に頼らずとも標的を視認可能であり、それ故に彼女の狙撃銃からはスコープが撤去されている。
トリガーの大幅な改造はA級特権でなければ出来ないが、ただパーツの一部を取り除くだけならばB級でも可能だ。
その代わりなのか、樹里の隊服には右目を覆うようにスコープのようなアクセサリーが取り付けられている。
とはいってもこれに視力の補正効果はなく、形の変わったサングラスと同じ意味しかない。
スコープを必要としない、早撃ちを得意とする狙撃手。
それが、木岐坂樹里。
たとえ気に食わない部分があったとしても、その実力は認めざるを得ない木虎であった。
「でも、あれだけの能力があってソロ隊員だなんて勿体ないですよね。彼女も隊に所属すれば、少しは勤務態度が変わると思うんですが」
それ故に、あれだけの実力を持ちながら隊を組まずに
年上に対しては「舐められたくない」というのが木虎の基本的なスタンスなので、高い実力を持ちながらそれを部隊で活かそうとしない樹里の事をどうにも認め難いのだ。
多くの部隊からの勧誘を悉く袖にしているのも、その認識に拍車をかけていた。
「まー、一応勧誘を受け続けてるトコはあるからね。どうやら幼馴染が隊長やってるらしいし、その縁らしいけど」
「そうなんですか? 彼女に幼馴染がいるなんて初耳ですが、何処の部隊ですか?」
しかし、多くの部隊の勧誘を蹴った彼女に、未だに誘いをかけ続けている部隊がある。
それは、彼女の幼馴染が隊長を務めるB級部隊。
「────────香取隊。香取ちゃんと染井さんが、樹里ちゃんの幼馴染らしいよ」
B級
前期で中位落ちしたばかりの部隊であり、その隊長は万能手の香取葉子。
彼女こそが樹里の幼馴染であり、今も勧誘を続けている張本人。
時は、12月の上旬。
木岐坂樹里が香取隊の狙撃手となる、数週間前の事だった。