(成る程。聞いてはいたが、かなりの規格外とやり合っていたようだな。小南は)
忍田は目の前に立つ老剣士を見据え、その途轍もなさに戦慄する。
枯れ木のような老人に見えるが、とんでもない。
あれは、戦場を潜り抜けた戦士が辿り着く境地の果てに至る阿修羅そのものだ。
泰然とした佇まいは積み重ねた年月がそのまま彼の実力に直結している事を嫌でも分からせて来るし、悠然とした立ち振る舞いには一切の隙がない。
穏やかな笑みを浮かべてこちらの動きを伺っているように見えるが、忍田は気付いていた。
あの翁が飼っている、内なる修羅に。
穏やかに見えるのは、あくまで外見のみ。
その実彼の翁の中には、凄絶なる羅刹が巣食っている。
しかもそれに振り回されるのではなく完璧に制御し、その衝動すら己のものとしている。
断言しよう。
この身を以てしても、単独であの翁を超える事は不可能であると。
永く戦場を渡り歩いた戦士としての直感が、冷徹にそう判断を下していた。
「忍田さん。来てくれたんだ」
「遅くなってすまない。もう大丈夫だ、とは言えないが全力を尽くす事を誓おう」
「ううん、忍田さんが来てくれたんなら百人力よ。これまでの分、きっちりお返ししてあげられるわ」
小南は確かな信頼と共に、迷いなくその言葉を口にする。
旧ボーダーの一員として共に戦って来た小南は、忍田の強さを充分以上に知っている。
多くの仲間を失う事になった五年前の戦争、アリステラ防衛戦という死地に於いてもそれを潜り抜ける事が出来たという事実がその実力を物語っている。
あの地獄のような戦場の中で命を拾う事が出来ただけでも、相当なものなのだのだから。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、どうやら一筋縄ではいかない相手らしい。私達だけでどうにかするのは、正直厳しいかもしれないな」
忍田には特別な才覚も、特異な能力もない。
彼の強さはただ、愚直に積み上げた鍛錬の果てに身に着けた努力の結晶だ。
重ねた時間は、決して嘘をつかない。
その体現者である忍田だからこそ、己より遥かに多くの戦場を潜り抜けて来たであろう翁の形をした修羅を侮る事など決して出来よう筈もなかった。
「ええ、分かってるわ。あれが尋常な相手じゃない事くらい、嫌って程ね」
「それなら良い。とはいえ、此処まで戦って来たお前相手には釈迦に説法だったか」
「太刀川なら、坊主に説教とか言いそうね」
「…………あいつのそういう所には頭を痛めているから、あまり言わないで欲しいな」
とはいえ、既にそれは二人にとっての共通認識。
己を奮起させる為に強気な発言こそしたが、あの翁を軽んじる事など出来る筈もない。
だからこそこうやって軽口を言い合い、適度に緊張を緩和しているのだ。
張り詰めていた神経をほぐし、更なる戦いに備える為に。
二人の戦士は、自然に己の精神を戦いに向けて最適化させていった。
「ほっほ。どうやら、中々の使い手の様子。名前を、お聞かせ願えますかな」
「界境防衛機関ボーダー本部長、忍田真史。見ての通り、剣士の末席に名を連ねる者だ」
「これはご丁寧に。では、返礼をせねばなりませんな」
忍田の返事を聞いたヴィザは好々爺のような笑みを浮かべ、その瞳の奥に獰猛な闘志を滲ませた。
温厚な翁の仮面を被った修羅が、その本性を覗かせる。
空気が張り詰め、精神に緊張が張り巡らされる。
思わず息を呑んだ忍田を前に、ヴィザはゆっくりと口を開いた。
「────────私は、ヴィザ。アフトクラトルに於いては、国宝
空気が凍る。
精神が、悲鳴をあげる。
ただの名乗りの筈が、ヴィザという阿修羅が行う事で自然と敵対者に対する威圧と化す。
ボーダーの中でも屈指の実力を誇る忍田達でさえ、事前に気を張っていなければ呑まれてしまっていただろう。
それだけの重圧、それだけの闘気がその言葉には込められていた。
ヴィザにとっては、真実ただの返礼なのだろう。
それは己が相対するに相応しい強者に対し、相応の力を以て対応すると言う宣誓に他ならない。
彼は自分の方が格上である事を理解しているが、だからといって油断をするなどといった事柄からは縁遠いのがヴィザという剣聖である。
永く戦場を渡り歩いた彼だからこそ、一瞬の油断が招く
故に、隙を晒すような真似はしない。
獅子博兎の言葉通り、如何なる相手であっても全力でその生存の可能性を刈り取り尽くす。
それがヴィザという翁の在り方であり、変わる事なき修羅の生き様であった。
「────────」
忍田は、自然刀を握る己の手に力を籠める。
此処からは、一瞬の油断も許されない。
真実死闘に突入するという事を、理解したが故に。
「────────」
小南も、それに続く。
常の彼女にはない冷淡な戦意を瞳に宿し、過去の記憶を想起するかのように精神を修羅との戦いに向けて最適化させる。
彼女も、分かっている。
此処から先は、修羅の領域。
生半可な覚悟では息をする事すら許されない、絶対の死地であると。
成る程、忍田が来た事である程度戦況は好転するかもしれない。
だがそれは、決して楽に勝てるなどといった楽観が通用するような状況とイコールしない。
ハッキリ言って、忍田が来た事で何とか戦いになるレベルになっただけに過ぎない。
彼という援軍は確かに小南側の戦力を一気に底上げしたが、その代償と言うべきであるかのようにヴィザから感じる重圧が増した。
忍田という強者の参戦は、彼の翁の闘志に火を点けるのに十分な着火剤となってしまったからだ。
少なくとも、先程までと同じと考えていては小南とてすぐさま首を落とされるであろう事は、嫌でも分かる。
故に、彼女は己の中のギアを一段階引き上げた。
この修羅同士の戦いに、介入出来るように。
かつての
「旋空弧月」
狼煙を挙げたのは、忍田。
彼の放った拡張斬撃が、死闘の火蓋を切って落としたのだった。
「わ、凄いね。なんかとんでもない事になってる」
「チッ、強ぇとは知ってたがあれ程だったとはな。忍田のオッサンが戦ってるトコは初めてみたが、やべぇなありゃ」
その戦いを目撃する事になった北添や影浦は、その光景に圧倒されながらも己の役割を遂行していた。
雑談に興じているように見えて北添の銃撃は止まっておらず正確に生物弾を撃ち落とし続けているし、影浦もそれは同様だ。
一度A級に上がった実力は、伊達でもなんでもない。
彼等は影浦の引き起こしてしまった事件の
同じく降格した二宮隊同様、A級への実質的な登竜門と化している一角を担う彼等の強さは正隊員であれば誰もが知っている。
しかし、その彼等からしてみても向こうで繰り広げられている戦いは異次元のそれであった。
小南が強いのは知っているし、忍田もあの太刀川の師匠であるというだけでその強さを伺い知る事は出来た。
だが実際に本気の戦闘を行っている彼女達を見て、その認識が甘かった事を否が応でも理解せざるを得なかった。
小南は常にはない冷徹な眼光を宿して淡々と敵の攻撃を処理しているし、忍田も旋空弧月の連打を以て斬り合うという意味の分からない真似を繰り返している。
弧月使いが身内にいない彼等ではあるが、それでも旋空弧月を使いこなすのが難しい事は知っている。
彼等の知る一級の旋空の使い手といえば生駒や太刀川であるが、それらと比較しても忍田の旋空使いは別格だった。
旋空は瞬間的にブレードそのものを拡張し、刀身を伸ばす事で攻撃範囲を増大させるトリガーだ。
当然伸ばした分だけ重量は上がり、自在に扱う事は難しくなる。
タイミング良く起動しなければ狙ったところに当てる事は不可能であるし、最大威力を誇る先端を正確に標的にぶつける事は更に難しい。
だが、忍田はそれを己の手足の延長の如く自在に振るっている。
敵の攻撃に対し、逐次旋空で迎撃し、更にそれを連打する事で攻撃にさえ切り替える。
その流れを自然に行っているのだから、如何にその技量が変態的かは言うまでもない。
剣士のしての、一つの到達点。
それに至っていると言っても過言ではないのが、あの忍田であった。
また、それに付いて行っている小南も只者ではない。
忍田のように派手な動きこそないが、随所で的確に双月を振るい、時には必要最小限の動きで回避を行う事によって、剣の修羅同士の戦いに介入する事を許されている。
強い、という事は知っていたがこれ程までとは思わなかったというのが本音である。
彼女の絶大な自信は、この確かな実力から来るものである事を嫌でも認識せざるを得なかった。
その二人を以てしても崩れないヴィザの力が隔絶しているのは、言うまでもない。
自分達であっても、容易には介入出来ない修羅道。
そこに至っている者達の戦は、戦場の中にあって綺羅星の如く輝いて見えた。
「小南先輩、強いっていうのは知ってたけど…………」
「ええ、まさかあそこまでだなんてね」
一方、その戦いに目を奪われていたのは影浦達だけではなかった。
修や照屋もまた、良く知る少女の戦いぶりに度胆を抜かれていた。
同じ支部で過ごし、少なくない交流を重ねた修は小南が実際に戦っている様子を見た事がある。
遊真との模擬戦をしている小南の姿を見ていたが故に、その実力がトップランクである事は疑いようもなかった。
照屋は対照的に、戦闘員としての小南の姿は知らないものの、その実力が如何なるものかは噂として知っていた。
同じ星輪女学院に通う者の一人として、小南とはある程度親しくさせて貰ってはいたが、普段の彼女の人懐っこい姿から噂がどの程度的を射ているかは計りかねていたのが正直な所であった。
だが、その認識もあの戦いを見て崩れ去った。
ヴィザと忍田という修羅同士の戦いの中にあって、決して端役では終わらない働きを見せている。
眼光に宿す冷徹な闘志の凄絶さもあって、まるで普段の彼女とは別人のような有り様に照屋は息を呑んでいた。
知っていた筈の学友の、まるで別人のような一面。
それを目にしたが故のギャップが動揺となって、彼女の表情に現れていた。
(あんなに強い二人を相手にしてまだ崩れないなんて、相手の実力もとんでもないな。けれど)
チラリと、修は視線をハイレインに向ける。
これまでと同じく憮然とした表情を見せているハイレインこそ、あの戦いに於ける不安因子と言って差し支えなかった。
(また、さっきみたいにあいつが邪魔をしたら小南先輩達だって危ないかもしれない。またあの見えない攻撃が飛んで来たら、今度こそやばいぞ)
これまでに二度、ハイレインは小南達の戦いに介入していた。
そして、二度目の介入こそ忍田の参戦で難を逃れたが、一度目の介入の所為でこちらが甚大な被害を負ったのは記憶に新しい。
また同じような事があれば危険なのでは、と思うのは修としては当然の事であった。
『小南達の戦いは、あまり気を回さなくて良い。だが生物弾の使い手の介入は警戒しているし、むしろお前達はそちらに意識を向けて貰いたい』
そんな修の内心を見通したかのように、東がそう伝えて来る。
考えて見れば、それもそうだ。
向こうの戦いに介入出来る余地がない以上、自分達がやるべき事は決まっている。
即ち、あの生物弾の使い手である敵首魁────────────────ハイレインへの、対策だ。
こちらも影浦隊という戦力が追加されたとはいえ、防戦一方である事は事実。
此処からあの男に辿り着くのは、容易な事ではない。
それは援軍に来た影浦達も同一の認識であり、今は防戦は出来ても反抗までは手が回らないのが現状であった。
『お前達の懸念に関しては、問題ないと言っておこう────────────────丁度、
「え…………?」
しかし、そんな事はお見通しとばかりに東は力強くそう話す。
そして。
「おーおー、凄ぇ事になってんな。太刀川さん、これ見たら新型狩り切り上げてこっちに来ちゃいそうだな」
「でしょうね。それが分かってるから声かけなかったんでしょうし」
その言葉を証明するかのように、二人の少年が姿を見せた。
二人共、修にとっては既知の人間であった。
一人は、王子の紹介で軽く話した程度ではある。
しかしもう一人は、彼にとって良く知る人物であった。
「出水先輩、烏丸先輩…………!」
「おう、救援に来たぜメガネくん」
「丁度良く合流出来たから、一緒に来たぞ。修」
太刀川隊射手、出水公平。
玉狛第一万能手、烏丸京介。
旧太刀川隊という繋がりのある二人が、新たに援軍として馳せ参じたのであった。