「あ、えと、その…………」
『状況は把握している。ただ見ているだけでは色々気を揉むと思ってな。丁度手が空いたから、連絡をさせて貰った。生憎、今の俺は戦力としては大した事は出来ないからな』
「そ、そうですか…………」
通信越しに聞こえるレイジの声に、千佳は何処かバツの悪そうな顔をする。
無理もないだろう。
たった今まで、彼女は修達の言いつけを無視して独断で戦線に参加しようとしていたのだから。
しかも、「自分が目立って囮になれば良い」という特に深い考えのない自己犠牲精神によって。
未だ己の心に正しく向き合ってはいない千佳であるが、自分が命令違反をやろうとしていたのは事実なので自然と声は堅くなる。
相手が自分の師であるレイジである事も、彼女の負い目に拍車をかけていた。
『────────黙って見ているだけなのは、辛いか?』
「え…………?」
だから、何処か心配そうに声をかけてきたレイジに目をぱちくりさせてしまった。
なまじ、その言葉が千佳の核心を突いていただけに、猶更である。
『自分では何も出来ず、ただ黙って見ているしかない、っていうのは誰しも辛いものだ。なまじ自分に力があると分かっていれば、猶更だ。俺も、それには覚えがある────────────────かつて、幾度も同じ経験をしたからな』
「あ…………」
そこで、気付く。
以前に伝え聞いた、レイジ達の境遇を。
彼女は、思い出したのだ。
レイジ達旧ボーダーは、5年前の時点では多くの隊員が在籍していた。
流石に現ボーダーの総数には及ばないが、非公式な民間組織としては充分な数の隊員が揃っていたのだ。
しかし、四年前の大規模侵攻の際は被害の多くを見過ごさざるを得ない程に戦力が減ってしまっていた。
その原因は、第一次大規模侵攻以前にあったという近界での戦争なのだという。
そこで、レイジ達旧ボーダーは多くの仲間を失った。
彼の語る「見ているしか出来なかった」という言葉は恐らく、その時に経験してしまった仲間の死に起因するものなのだろう。
なまじ戦う力があったにも関わらず仲間を救えなかったという面から見れば、今の千佳の葛藤に近いものはある。
今の千佳とレイジでは戦力的な差云々と様々な相違点はあるものの、本質は同じだ。
どちらも、戦う力を持ちながら何も出来なかった、という自己認識を持っている事に変わりはないのだから。
『だから、その気持ちは俺にも分かるつもりでいる。大切な友人が目の前で戦っているんだ。それを助けたい、と思うのは無理もないさ』
「あ、その、えと…………」
『取り繕わなくて良い。お前は修を助けたいと思っている。その事は、何ら恥じる事でも責められるべき事でもないからな』
図星を突かれてバツの悪そうな顔をする千佳に対し、まるでその様子が見えているかのようにレイジはそう告げる。
彼女を咎めるかのような、そういった感じではない。
その声色はとても優しく、慈愛に満ち溢れていた。
『だが、厳しい事を言うようだがお前が下手に動けば事態が悪化する可能性が非常に高い。お前と言うトリオン強者の存在を敵が認知すれば、これまで以上に攻勢が強まる事になる。そうなれば、修達は踏み留まれないどころか最悪の事態に至りかねない。だから、お前には耐えて欲しいんだ────────────────この戦闘が、終結するまでな』
「…………そう、ですか…………」
一転して厳しい声色で告げたレイジの警告の内容を聞き、千佳はあからさまに肩を落とした。
矢張り、自分などでは修の力になれはしないのか。
こんな自分が、守られてばかりの自分がのうのうと平穏を享受して良いのか。
そんな自問自答が、千佳の中で繰り返される。
手を伸ばせた筈の相手が何処かへ行ってしまう、というのは彼女の最大の
それと酷似した状況に置かれて冷静さを保てる程、千佳の精神は図太く出来ていない。
彼女の中でレイジの言葉は、「お前は役立たずだから何もするな」という意味合いに自己解釈され、千佳の心に影を落とす。
どうせ、自分などその程度の存在だ。
自分を守ってくれている相手だろうと、己の力不足を理由にして平気で見捨ててのうのうと生き延びる。
それが自分なのだと、千佳は改めて
そして、そのまま自分の殻に閉じ籠ろうとして。
『お前の役目は、この戦争を生き延びてその後の戦いで修達の力になる事だ。これは小南にも烏丸にも、勿論俺にも出来ない。お前と遊真だけが、修を助けてやれるんだからな』
「────────え…………?」
────────────────己の師の、厳しくも優しい
それが、自分を慰めるものや「お前は悪くない」と責を問わない類のものであれば千佳は聞き入れはしなかっただろう。
そういった言葉は、修に言われ慣れ過ぎている。
修は千佳の事を、麟児から預かった大切な庇護対象者であると認識している。
その為彼は決して千佳を責める事はないし、彼女の
それはきっと、彼なりの配慮なのだろう。
敬愛する先達から預かった妹分を、彼が戻って来るまで守り続ける為に。
修は千佳に何も求めず、ただ
千佳の頑なな自己犠牲精神は、そんな修の一方的な献身にも原因の一端があると言っても過言ではない。
彼女は確かに他者に責められる事を恐れているが、だからといって自分だけ何もせずに守られ続けているだけ、という状況に
故に、彼女に対し「大丈夫」「気にするな」という言葉は大体の場合逆効果になる。
そう言えば言う程、彼女は自分の情けなさを恥じて自らの殻に閉じ籠る。
だが。
レイジは千佳を励ますのではなく、明確な「目標」を掲げてみせた。
お前にはお前の役割があるのだから、自分を粗末にする事は許さないと。
彼女の師は、自分なりの言葉で千佳を激励したのだ。
その声、その言葉は。
頑なな千佳の心に、一つの鍵を差し入れたのだ。
『その為にも、お前はこの戦争を生き延びなければならない。生き延びて、この経験を糧にしろ。泥の味は苦いが、後で必ず役に立つ。お前は今、お前にしか出来ない事に全力を注げば良い。それが巡り巡って、修達の為にもなる』
それに、とレイジは続ける。
『A級を、遠征を目指したいと言ったのは、お前だ。そのお前が自分でチームから抜けるような真似をするのは、不義理だとは思わないか?』
「…………! それ、は…………!」
レイジの言葉は、千佳の心に対し
言われてみれば、その通りだ。
A級を、そして遠征部隊入りを目指したいと言ったのは、他ならぬ自分だ。
だというのに、自分はそれを忘れて一時の感情に走り、後先の無い自己犠牲に身を委ねようとした。
その行為こそ、最大の裏切りではないのか。
レイジの言葉で鍵が開きかけていた千佳の精神は、此処に来て明確な揺れを見せた。
責任を、追及される。
それは彼女が無意識に恐れていた事象、そのものなのだから。
正確に千佳の心の急所を射抜いたレイジの言葉選びは、決して間違ってはいなかったのである。
『今のお前の役割は、自分の存在を隠し続けて戦いを見守る事だ。お前が狙撃の一発でも撃てば、敵は確実にお前の
「はい…………!」
『なら良い。何かあれば、遠慮なく連絡してくれ。他の面子が余裕がない以上、お前の眼で見た情報は決して無駄にはならないだろうからな』
あくまでも優しく、諭すようにレイジは語り掛ける。
どうすれば巧く千佳を言い含められるのか、分かっている動きである。
無論、彼女への気遣いという一面もある。
文武両道、隙なしの万能選手が木崎レイジという男の特徴なのだから。
この程度の配慮は、朝飯前だ。
「わたし、頑張ります。頑張って耐えて、修くん達の為にも我慢します。きっと、それが今わたしに出来る最善なんだって分かったから」
『ああ、それで良い。頼んだぞ。雨取』
「というワケで、雨取はもう大丈夫です。あれなら、逸った行動をする事はないでしょう」
『そうか。わざわざ手間をかけさせてすまなかったな』
「いえ、必要な事でしたし問題ありません」
レイジは通信で東に千佳の「説得」は済んだと報告し、労いの言葉を受けた。
彼が千佳を心配していたのは勿論だが、ああして通信を繋いでまで話をしたのは東から彼女への釘刺しを頼まれたからだ。
万能超人のレイジではあるが、彼は長らく旧ボーダーとして戦場にいた所為で普通の心の弱い人間の機微に疎い所がある。
鉄火場に居続けた影響で最早常人的な感覚が鈍化しており、普通の人間が躓くポイントに気付き難い、という一面があるのだ。
もしも東からの連絡がなければ千佳の危険性を見過ごしていたかもしれない、と考えれば彼からの通信は天啓に等しいものだった。
感覚が麻痺していたとはいえ、気付く事さえ出来れば配慮自体は出来るレイジである。
可能な限り言葉を選び、千佳への説得に全力を尽くしたのは言うまでもない。
迅からの頼みであったとはいえ、今では千佳は彼の可愛い弟子である。
多少過保護気味に接するのも、無理からぬ事と言えた。
ちなみにであるが、千佳への説得は彼でなければ成功しなかっただろう。
修が行った場合は「気にするな」とか「お前の所為じゃない」等といったワードを必然使ってしまう為、基本的に巧くはいかない。
彼女への認識が未だに被庇護者である修では、どうしても千佳の精神を本当の意味で慮る事が出来ないのだ。
無論、彼の千佳への親愛の深さは本物ではあるが、麟児から任された、という事もあって少々意気込み過ぎている事は否定出来ない。
一見安全牌に見える修であるが、千佳への説得、となれば実は不向きなのだ。
ちなみに遊真は感性が常人とは異なる部分があるので説得そのものが不得手であるし、多少関わりのある迅は自分自身に対する評価の著しい低さによってそういった事を頼む場合はまず彼本人を説得する必要がある。
宇佐美は説得自体は可能であろうが、レイジ程素早く彼女を納得させる事は出来なかった筈だ。
あらゆる意味で、今回の千佳への説得はレイジが適任であったのだ。
彼女がもう少し交友関係を広げれば選択肢も増えたかもしれないが、現段階ではこれがベストだったのである。
(手伝いに行けないのが歯痒いな。こちらも重要な仕事とはいえ、これでは千佳に偉そうな事は言えないか)
レイジは現状を憂い、思わずため息を吐く。
現在、彼は玉狛支部の中にいる。
捕虜となったヒュースを護送し、此処まで連れて来た為だ。
彼が捕虜となった経緯を聞く限り無いとは思うが、ヒュースを奪還すべく敵の兵が差し向けられる可能性がある以上レイジがこの場を離れるワケにはいかなかった。
護送場所に玉狛支部を選んだのは後々の事を考えてであるが、位置的な意味合いも強かった。
レイジが烏丸からヒュースの護送を請け負った場所からだと、本部基地よりも玉狛支部が近かった。
元々烏丸も玉狛支部へ護送するつもりだったのだから当然だが、どちらにせよ本部まで連れて行く、という選択肢はなかっただろう。
何故なら、本部へ最短距離で向かう為には主戦場を横切らなければならなかったからだ。
捕虜を連れている状態ではまともな戦闘は望めない以上、黒トリガー二枚という過剰戦力が暴れている場所へ近付くのは愚策と言えた。
状況からして見捨てられたと思しきヒュースであるが、わざわざこの世界への遠征を利用してまで置き去りにしようとしたのだ。
万全を期して、彼を始末しておこうと考える可能性はゼロではない。
ミラという「回収役」がいるにも関わらず、敗退したヒュースを放置したのは向こうが最初からそのつもりであったと考える他ない。
「…………」
それはどうやらヒュース自身も理解出来た様子で、今は視界の先のソファーに俯いたまま腰かけている。
既にトリガーは没収してあるが、何処となく気力が抜け落ちているように思える。
余程、自分が見捨てられたのがショックだったのだろう。
仲間と思っていた相手に手酷く裏切られたのだから、無理もないと言える。
同情出来る境遇なのは事実だが、今は彼の心情にまで寄り添っている余裕はない。
戦いはまだ続いており、情勢は好転の兆しを見せているとはいえ予断は許されない状況なのは変わらないのだから。
「だんまりを続けるつもりか? お前が見捨てられたのは明らかだと思うが、それでも何も喋るつもりはないか」
「当然だ。仲間にどう扱われたとしても、俺が祖国を売る理由にはならない。それとこれとは、別の話だ」
「その祖国の方針によって、お前の仲間がお前を切り捨てたとしてもか?」
「これは損得の話ではない。誇りの話だ。何を言われようと、俺が本国の不利になる情報を漏らす事はない」
先程からヒュースの口から何か情報を引き出せないか試みているレイジであるが、彼は頑なに口を割ろうとはしなかった。
自分が裏切られた事は理解しているようだが、「それとこれとは話は別」とばかりに強硬に情報開示を拒否していたのだ。
たとえばエネドラあたりに明確に「お前は邪魔だから置き去りにされたんだ」と面と向かって言われればまた態度も違ったものになったかもしれないが、今現在ヒュースが見捨てられたというのは状況証拠に依る推測でしかない。
十中八九間違いはないだろうが、何らかの理由で回収が出来なかっただけ、という可能性に縋っている部分もあるだろう。
しかし、彼にとって大切なのはその場の損得ではなく己の主に対して誇れる在り方を貫けるかどうかである。
故に彼は決して口を開かないし、何をされてもその信念を堅持するだろう。
その姿勢は感嘆に値するし、好感も持てる。
無論、このような状況でなければであるが。
少しでも戦いに有利な情報が欲しいレイジ側にとっては、ヒュースの頑なさは少々もどかしくはあった。
「…………だが、一つだけ教えてやる。ハイレイン隊長が不覚を取る事はまずないだろうし、ヴィザ翁を倒すなどといった夢物語は成し得ると思う事すら不遜だ。あの二人は、ヴィザ翁は、文字通り格の違う人間なのだから」
だが、そんなヒュースでも仲間への戦力評価だけは口にした。
彼にとっては裏切った張本人達であるが、ハイレインはともかくヴィザの事を語る時の声色には誇りすら滲み出ている。
裏切られた今以て尚、ヴィザは彼の崇敬の対象なのだろう。
そんな彼等を称賛する言葉は、祖国を裏切る情報開示には当たらないと判断したワケだ。
「そうか。だが、必要ならやるだけだ。それが、ボーダーの役割だからな」
「…………!」
ヒュースは、眼を見開く。
レイジは何も、気休めや虚勢でそれを言ったワケではない事が。
彼の眼を見た瞬間、理解出来てしまったからだ。
「敵の首魁と最大戦力の老剣士が厄介なのは、充分以上に分かっている。だが、彼等を打倒しなければ未来を切り開けないというのであればやる以外の選択肢は有り得ない。それをしなければならないのがボーダーで、それを遂行する為に集まったのが俺達だ」
そう言って、レイジはニヤリと彼らしからぬ不敵な笑みを浮かべてみせた。
「俺達は、強いぞ。個の力ではなく、群の力で戦うのが俺達のやり方だ。この言葉がハッタリかどうかは、結果を以て知る事になるだろう」
虚勢でも、ハッタリでもなく。
ただの純然たる事実として、レイジはそう告げて見せた。
眼を見開くヒュースを他所に、レイジは願う。
彼等が、無事に困難を突破する事を。
不可抗力で戦線を離脱した完璧万能手は、一人仲間の勝利を願うのだった。