「────────旋空弧月」
忍田の旋空が、ヴィザに向かって放たれる。
失った右腕の代わりに左腕で撃つそれは、平時のものとは異なり自在な連撃は成し得ない。
精々安定して撃てるのは二連撃が限度であり、無理をすれば三連撃を成し得るが隙が生まれる確率が大きい、といった有り様だ。
無論、ヴィザ相手に隙を晒すというのは死と同義である為実質的に使えるのは二連撃のみ、と言っても過言ではないだろう。
故に、今の忍田は普段使っている三連撃以上の旋空が使えない状態に等しい。
先程まではその手数の多さでヴィザに対抗していただけに、それが使えない状況となると苦しいものがある。
「旋空弧月」
────────それが、彼一人であったならば、の話であるが。
今この場には、彼の失った手数を補える者が存在する。
太刀川慶。
忍田の直弟子であり、二刀の弧月を用いる双剣士。
彼の二刀旋空が、失われた忍田の手数を補完する。
二つの刃より同時に放たれる拡張斬撃が、忍田のそれに追随するようにヴィザに迫る。
ヴィザはそれらを見えない斬撃で難なく弾き返すが、二人の目的は最初から彼に防御行動を取らせる事自体にある。
東から命じられたのは、時間稼ぎ。
準備が整うまでの貴重な時間を稼ぐ、膠着こそが彼等の目的。
故に、これで問題はない。
凌がれる前提の攻撃を防がれた程度で、彼等の芯は揺るぎはしない。
太刀川は当たり前のように攻撃を弾いたヴィザを見て、二本の弧月を構えて再度旋空の発射体勢に移る。
意外に思うかもしれないが、太刀川は二刀を携えているとはいえそれらを同時に使う事はあまり多くはない。
何故なら、それは
決して無防備になる事とイコールではないが、いざという時シールドを張れない状態は、危険極まりない。
故に彼が二刀同時使用を解禁するのは、敵の位置が全て割れていて尚且つ不意打ちの可能性がない時や、リスクを被ってでも攻めに行く時に限られる。
しかし、今の太刀川は常時二刀で立ち回っている。
その理由は、
残っている敵戦力は、ヴィザを除けば三機のラービットのみ。
無論雑兵のトリオン兵は未だ数多く存在するが、今の状況では彼の脅威にはなり得ない。
そして、ヴィザ相手にシールドなどというものは無意味だ。
確実に弧月以上の切れ味を誇るヴィザの斬撃の前では、シールドなど紙切れ以上の意味は存在しない。
彼の斬撃に対抗するには、ノーマルトリガーの中でも屈指の強度を持つ弧月を用いるしかないのだ。
故に、太刀川は防御と攻撃の兼用として二刀弧月を解禁しているのである。
この場に於ける、最適解として。
太刀川は、二刀の弧月を振るっていたのだ。
ヴィザを相手に、生半可な防御の手など愚の骨頂。
大抵の防備など突破する剣鬼を相手に、それは悪手でしかないからだ。
だからこそ。攻撃こそを最大の防御として対抗しているのである。
そもそも、不可視の斬撃に対抗出来ているのはあくまでも身体に染み付いた反射行動を利用しているだけに過ぎない。
戦闘者としての直感とセンス頼りに、何とか反応している状態に等しい。
無論そんな真似が長続きする筈もない為、攻撃を続け相手に防御を強要する方が、消耗としてはマシなのだ。
「「旋空弧月」」
剣士として直感的に最適解を導き出した師弟は、再び旋空を撃ち放つ。
特に打ち合わせもなく始まった二人の剣士の攻めは、ある程度本気になったヴィザを押し留める事に成功していた。
「流石、太刀川さんですね。忍田さん共々、あの老剣士を抑えられてる」
「太刀川さんは、戦闘だけは一流だかんな。これくらい、なんて事ねーよ」
「チッ…………」
その戦いぶりを見ていた旧太刀川隊の烏丸と現太刀川隊の出水、そして影浦は三者三様の反応を示していた。
烏丸は素直な称賛を、出水は当たり前といった反応を、そして影浦はまざまざと見せつけられた太刀川の
自分のような
自身のサイドエフェクトの事は疎ましく思っている影浦であるが、戦闘に於いてこれに助けられている面があるのは否定出来ない。
使えるものなら使っとく方が便利だろ、くらいに割り切らなければこんな拷問のような
故に、影浦は戦闘に於いてサイドエフェクトを使う事に躊躇いはない。
というよりも、オンオフが出来ないのだから使うしかない、と言った方が正しい。
来ると分かっている攻撃を避けないなど、出来る筈もないのだから。
故に基本的にオンオフは出来ず、常時発動しっぱなしのものが基本だ。
菊地原は少しでも雑音を抑える為に髪を長くして耳を隠したりしているが、それは気休め以外の効果は存在しない。
影浦がマスクをしているのと同様、
逆に言えばそうでもしないとまともではいられない事の証左でもあり、自身の
一見メリットだらけに見える能力を持つ村上でさえ、「他人の努力を盗んでしまう」という負い目から荒船に叱咤される前は自身を能力を疎んでいたのだ。
更に極めつけの代表例である未来視という
だからこそ、そんな能力などなくても此処までの戦いぶりを見せる太刀川の評価が影浦の中で上がっていくのは避けられない。
素直にそれを認めるのは癪極まりないので舌打ちという態度だが、そこで腐るのではなく上を目指していつかは牙を届かせる、と内心で奮起出来るあたり性根の真面目ぶりとストイックな性質が目に見える。
そんな影浦であるが、何故彼が二人の傍に────────────────正確には前に立っているのかという理由は、単純に彼等を敵の刃から守る為だ。
今は太刀川達が何とか抑え込んでいるヴィザだが、此処までのあの翁の無双ぶりを目にしておいて再び攻撃が飛んで来ないだろうと楽観出来る者はこの場にはいない。
故に影浦は密着に近い位置で二人の前に立つ事で、攻撃が来ればすぐさま感知出来るように構えていたのだ。
東から、敵の攻撃の正体がリング状のブレードを複数用いるものであるだろうという推測は聞かされている。
それを聞いて、影浦は納得していた。
こちらの立ち位置に関係なく後方にいた北添が直接狙われたのも、単にそのリングの軌道上に影浦がいなかった、という事なのだろうと理解したからだ。
これまでの攻撃から鑑みてまともな形状の刃ではないだろうと思ってはいたが、まさかそんなカラクリだったとは思わなかった。
それを見破ったのが太刀川だとも聞いているし、まず間違いないだろうと思ってはいる。
太刀川は駄目人間ぶりで有名だが、こと戦闘に限れば優秀極まりないのは不本意ながら誰もが認めるところだ。
その彼が看破した内容であれば、戦闘関連に限り信頼に値する。
それは太刀川の実力を知る者達からすれば共通認識であり、あの二宮でさえ決して口には出さないが同意見であるあたり、その信頼性に揺るぎがないのが分かる。
無論、リアルタイムでそれを聞かされていた二宮が舌打ちしたのは言うまでもない。
彼からしてみれば人間性も学力も大学生として不相応極まりないのに当然のように大学生活を謳歌し、総合順位も自分より上な太刀川が活躍しているのが────────────────というよりも敬愛する東に頼りにされているのが、面白くないのだろう。
二宮の東シンパぶりは尋常ではなく、本人は隠しているつもりでも彼を知る者からすれば露骨にも程がある。
もしも何らかの状況で他部隊から仲間を選ぶ事があれば、彼は他者からの評判など一切気にせず東を反射的に取るであろう事が瞭然であるくらいには二宮の東好きぶりは半端ない。
その敬愛する東から太刀川が評価されている現状を面白く思うワケはないが、同時に私情で判断を曇らせる事がない理性的な面も彼は兼ね備えている。
この場で私情で動けば誰もが不利益を被ると分かっている状況で私怨に走る程、二宮は考え無しではない。
だからこそ機嫌は絶賛下降中であり、それを宥める犬飼は苦労しているが影浦からしてみれば知った事ではない。
犬飼を苦手としている影浦ではあるが、その能力自体は認めている。
このくらい彼ならばやれるだろう、という無言の信頼がそこにはあった。
当然それを口にすれば揶揄されているのが見えているので、思うだけだが。
犬飼の、影浦に対して本音だけを口にするというスタンスは評価しないでもないが、それでも性格的に合わないのも事実なのだ。
人間の本音と強制的に向かい合わせられ続けて来た影浦は、成人していない身であるにも関わらず人間関係に疲れ切っていた。
その彼からして「一緒にいても苦ではない」と判断した者達のみが集まっているのが影浦隊であり、他にその分類にしてあるのは荒船や村上といった友人達くらいである。
犬飼は相対して話しているだけでイラつくタイプであり、正直あまり一緒にいたい相手ではない。
それが分かっているし直接伝えてもいる為犬飼の方から近付いて来る事は殆どないが、何かの拍子で一緒の空間に入った時にはピリピリした空気になるのは避けられない。
それでも以前は完全に無視に近い対応をしていただけに、犬飼がそんな影浦の意思を尊重して本音だけで話すようになって以降は関係性としては前進の部類になる。
そういった面倒くさい関係だからこそ、相手を厭うてはいても実力は認めている事もまた確かなのだ。
だからこそ、「犬飼ならば問題なくやれるだろう」という確信が影浦にはあったのだ。
また、特に悪く思っていない出水や烏丸に対して当たる程考え無しにもなれない不器用さが、此処にいない犬飼に悪態をつく程度で済ませていた理由でもあった。
「…………援護は、しねーのか?」
「東さんからも、今はまだ待機、って言われてますからね。トリオンもそこまで余裕があるワケでもないし、此処は従う一択ですね」
「そうか」
また、そんな出水達は現在待機命令が下されていた。
今、ヴィザと拮抗出来ているのは太刀川と忍田の師弟の連携があってこそだ。
太刀川だけならば幾らでも連携可能だし、即席で忍田と連携する事すらも自信を持って「やれる」と断言出来る出水ではあるが、あの二人の連携は文字通り師弟としての阿吽の呼吸が軸にある。
たとえボーダー随一のサポーターである出水の援護であったとしても、何の準備もなしに介入すればそれは不協和音になりかねない。
これは理屈ではなく、感覚の話だからだ。
それでもその方が有益である、と判断すれば介入に迷いは無い出水ではあったが、彼はここまでハイレインとの撃ち合いによって結構な量のトリオンを消費していた。
幾らトリオン強者である出水とはいえ、あの膨大な数の生物弾と撃ち合うには相応の消耗を強いられたワケだ。
何せ、黒トリガーの出力に対抗出来るだけの弾数を常時用意していたのである。
それがどれ程の負担になっていたかは、言うまでもない。
無論今すぐにトリオン切れの心配があるワケではないが、今度の相手はあの規格外の老剣士だ。
膠着状態を維持するだけに使うよりは、ここぞという時に使い切った方がリソースは有用に使えるものだ。
加えて、待機が東の指示である以上出水に否はない。
彼の判断の正しさを良く知るからこそ、反発など生じようもないのである。
影浦にしてみても東の指示に疑問を覚える事はなかった為、特に追及する事はなかった。
隊長でありながら指揮官ではなくエースである事を割り切っている影浦にしてみれば、自分より高い指揮能力を持つ者に従う事に否は無い。
自身に対し殺気を消して攻撃可能な東の事を「あれで攻撃手ならな」と惜しむくらいには認めている影浦は彼の判断力に対しても一定の信頼を置いていた。
その彼が、
何かしらの準備を進めている事に疑いようはなく、それがそう長くかかるものではない事もまた、察していた。
(準備が終わるまで、こいつ等に危害は加えさせねぇ。いい加減、やり返しても良い頃だ。これ以上、戦力を削られてたまっかよ)
今は堪えて、あの師弟の奮闘を前提に有事に備える事こそ肝要。
それを本能で理解していた者達は、警戒を強めながら二人の戦いの行く末を見守っていた