────────香取葉子がこの役目を担う事になったのは、位置的な要因も勿論あった。
東はヴィザ打倒の作戦を組み上げる際、主戦場に駆け付けられる位置にいる隊員の中でも「想定した役割を果たせる」と判断した者全員に声をかけている。
その中でも隠岐のように長距離からの狙撃であれば届く遠方ではなく、直接この場に駆け付けられる場所に香取隊はいたのである。
香取は遊撃兼陽動の役目を仰せつかった若村と三浦をこの近くに下ろすと、自身はバッグワームを着込み合図が出るまで近辺で潜んでいたのだ。
彼女は彼等のようにカメレオンを装備していなかった為、同じ役割には適さなかったという理由も勿論ある。
加えて、香取は素行の影響もあって総合力ではそこまで評価は高くないものの、こと爆発力という一点では高い評価を得ていた。
それこそ、小南と共に突撃するに相応しい資格を有すると判断されるだけのものを彼女は持っている。
無論、これはあの樹里との戦いを経ての評価である。
もしもあの戦いを経験していなければ、香取はこの最終局面でこのような重要な役目を任される事はなかっただろう。
加えて、ヒュースという敵国の精鋭を自部隊のみで撃破したという実績もある。
この特攻役を任されるに相応しい経歴は、既に得ていたというワケだ。
(麓郎達がやられた分は、キッチリケジメ付けてあげるわ…………!)
また、仲間がやられた分を返すという義憤もあった。
常日頃から口ではボロクソに言いながらも、その実誰よりも仲間意識の強い香取である。
若村と三浦がやられた事に対して、何も思わないワケではないのだ。
確かに、
だからどうした。
そんな理屈などではなく、誰だって
それが、情深い香取であれば尚の事。
最初から若村達が陽動────────────────即ち犠牲を前提とした役割に使用された事に対しては、特に反発は無い。
これが無為に特攻させられるならともかく、次へ繋げる為の一助となるのであれば否は無い。
香取が守りたいのは若村達の尊厳であって、一時の勝ち負けではないのだから。
それはそれとして、やられた事はやり返すのが香取流である。
如何に若村達が承知の上で捨て駒になったのだとしても、斬った相手を看過する理由は何も無い。
ぶっちゃけるのならば、「斬った以上斬られる覚悟はあるんでしょうね」という話だ。
仮にヴィザにこの想いをぶちまければ満面の笑みで肯定されるだろうとは露知らず、香取は仲間二人の仇を取るべくこの日最高潮の集中力を以てヴィザに相対していた。
香取は、この場に集う誰よりも弱い事を理解している。
太刀川や忍田といった最早雲の上に等しい強者は当然として、向こうで射手の護衛をしている影浦などもまともに勝てた試しの無い相手だ。
自分には出水のような恵まれたトリオンもないし、影浦のような
昔から要領は良い方だったが、それが井の中の蛙に過ぎなかった事はボーダーに入ってすぐに思い知った。
上には上がいる。
そんな当然の事を理解していなかった当時の自分は、風間や太刀川にボロ負けした時には相当に荒れたものだった。
A級だけならまだしも、B級にすら生駒や弓場といった正面からやり合えば厳しい強者達がひしめき合っている。
B級詐欺と名高い二宮隊と影浦隊は、最早言うまでもない。
そんな怪物達の前では、多少要領が良いだけの自分などただの雑魚でしかなかった。
それを認められずに言い訳を喚きながら停滞し、樹里との仲も拗れに拗れていたのだから今思うと当時の自分が情けなくてしょうがない。
樹里は若村達が足を引っ張っていると以前言ったが、何の事はない。
非は、何も彼等だけにあるワケではないのだ。
香取にもまた、現実から目を背けて足踏みを続けていた責がある。
それを無意識に分かっていたからこそ、あの時ああまで樹里に反発したのだ。
悪いのは麓郎達だけじゃない、と素直に言えるような性根でなかった為に、あそこまで拗れたのは最早呆れる他ないのだが。
ともあれ、そんな経緯もあって香取は若村や三浦には負い目がある。
決して、決して口に出しはしないが、内心では悪い事をしたと思っているのだ。
何が何でも口には出さないが、代わりに日頃の態度が優しくなった事を彼女は自覚していない。
それが若村にどのような意識の変革を齎しているのはさておいて、重要な事はただ一つ。
(────────────────仲間を斬った奴は、絶対にアタシ達がブチのめす。それだけよ)
仲間の想いは、無駄にしない。
やられたから、やり返す。
今必要なのはそれだけで、他は何も必要ない。
逸る事はしない。
そんな事をしても、ただの自己満足で終わってしまう。
想いだけで勝てる程、勝負の世界は甘くはない。
ましてやそれが本物の戦場であれば、猶更である。
故に、香取は熱い激情を内に秘めながら氷のような冷徹さを以て任務に臨んでいる。
全ては、あの憎たらしい敵をぶちのめす為に。
少女は、一振りの刃となった。
自分に指揮能力が足りない事など、承知の上。
故に、遥か天上の指揮力を持つ東に従う事に否は無い。
東の指揮の
今の東隊の指揮は小荒井と奥寺が相談して行っているらしいが、教育をした当人の影響というものは否応なく受けるものだ。
事実、彼の教導を受けた者達の戦術には何処かしら東に共通するいやらしさ────────────────即ち、的確にこちらの穴を突く巧みさがある。
彼の模倣をしている奥寺達でさえ、あそこまでの立ち回りを見せるのだ。
東本人の指揮ともなれば、その精度が段違いに上がっている事は言うまでもない。
真に驚嘆すべきはそんな東の戦術でさえ、戦略で凌駕し続けているヴィザの方であろう。
通常、綿密な戦術の前にその場限りの戦略だけで勝てる事は早々ない。
二宮や太刀川といった特記戦力による蹂躙であっても、多勢でかかればいつか処理能力の限界が来る。
故に、如何に一騎当千の兵といえどたった一人のエースだけで膨大な数の差が覆る事は余程の事がなければ有り得ない。
敵が通常のトリオン兵のような雑魚だけならばともかく、B級中位以上の正隊員クラスの能力を持っているならば数の差は戦局を決定しかねない力を持つ。
だが、ヴィザにはその常識が通用しない。
正しい意味での、
それを成し遂げている化け物には、真実数の差など意味を成さない。
如何に数を集めたところで、一定以上の実力がなければそもそも戦力としてカウントすら出来ないのだ。
しかもその最低基準が異様な程高く、ボーダーのトップメンバークラスでもなければまずその資格は得られないと来たものだ。
近界に対し唯一勝っているトリガー使いの数と言う武器も、あの翁の前には何の意味もない。
文字通り幾千の軍勢で挑んだとしても、無策で戦えばそれらが全て骸となるだけだ。
先程まで散々苦しめられたハイレインの
それが形になったのがヴィザという名の剣鬼であり、今自分達が相対している怪物だ。
この存在の前では如何に完璧に見える戦術でも砂上の城が如く崩壊し、食い破られる。
だからこそ、何重にも渡って策を仕込んでおくのは当然。
たった一度の失敗で瓦解する作戦など、この怪物の前では何の意味もないのだから。
小南の双月と、香取のスコーピオンが同時に振るわれる。
烏丸は、爆発的に強化した機動力を以ての正面突破を狙って敗北した。
ならば、今度は二面攻撃。
片方がたとえ迎撃されたとしても、残った一人の攻撃がこの剣士を食い破る。
「────────」
────────────────瞬間、時が凍った。
否、そうとしか思えない殺気が二人の全身に襲い掛かった。
その形を伴った殺意は、少女達に己が首が落ちたかの如き幻視を錯覚させる。
刹那、ぴくり、と小南の右足が反応する。
それは小南の身をこれまで守り続けていたもの────────────────即ち、死地における反射的な防衛反応である。
彼女はこれまで幾重もの死線を潜り抜けて来た事で、自身の危機を察知すると自動的に身体が反応する領域にまで生存本能が昇華されている。
たった今、ヴィザの強烈に過ぎる殺気を浴びた事でそれが反応したのだ。
少女の身体は本人の意思に関係なく、己を死地から逃がそうと動く。
ヴィザはそんな彼女の性質を既に理解していた為、小南の反射行動を利用したのだ。
彼は長年に渡る戦場巡りの末に、自在に殺気を飛ばす術を獲得している。
本物と見分けが付かないそれは、いわばハッタリのようなもの。
しかし、今この場ではその
生存本能に根差した反射行動は、制御出来るものではない。
これまでそれが小南の身を危険から守っていたのは確かであるし、彼女の最大の強みとも言える。
だが、ヴィザはそんな戦士の本能すら戦いの為に利用する。
小南の身体は、本能的な反射行動によって逃げを選択する。
その隙に香取を迎撃し、一度距離が離れた小南はその後で処理をすれば良い。
それが、ヴィザの思惑であった。
戦士の本能を利用した、悪辣とも言える策。
されど、戦場で卑怯などという言葉は存在しない。
如何なる手段を用いようとも負けた方が悪であり、勝った方が正義なのだ。
綺麗事を言って手段を選んで負ける事ほど、愚かな事はない。
無論守るべき一線は存在するが、逆に言えばそれさえ遵守していれば厳密なルールなど戦場には存在しない。
生きる為の足掻きに、善悪など関係する余地はないのだから。
「────────!」
だからこそ。
小南が、己が身体の防衛反応を
抑えつけるのではなく、生まれた隙を潰すのではなく。
反射的に動こうとした右足を無視する形で、左足で思い切り地を蹴りヴィザへと肉薄した。
無論、双方の足で真逆の行動を行おうとした直後の動きだ。
この後の回避など望めないし、たとえ攻撃が成功しても甚大なダメージを負うだろう。
だが、問題は無い。
此処で下がって
小南は、烏丸の奮戦をその眼で見ていた。
彼が全霊を尽くし、そしてあえなく斬られるところまで。
全て、その眼で見ていたのだ。
本音を言えば、すぐにでも飛び出したかった。
大切な支部の仲間が、己が身を死地に置いているのである。
情深い彼女が、心配しなかった筈がない。
だが、小南は戦士だ。
一時の感情に任せた行動で戦局を台無しにするような愚行は、彼女には犯せなかった。
だからこそ、彼の頑張りを無駄にする事だけは出来ない。
否、彼だけではない。
此処に至るまで、様々な隊員が彼女達に繋げるべく奮闘して来た。
それは一つたりとも欠けていれば現在の状況には至れておらず、自分達は彼等が築いた道の上に立っているのだ。
ならば、終わった後にやられる程度の危機で尻込みするなど愚の骨頂。
本能はうるさいくらい警鐘を鳴らしているが、小南はそれを無視して突き進む。
全ては、皆に代わりこの翁を倒す為に。
少女は、
「────────残念、ですな」
────────────────されど。
その歩みは、剣の羅刹によって阻まれた。
突如として上空から振り下ろされたサークルブレードの一撃により、小南の右腕が双月ごと両断。
同時に香取も右半身を両断され、致命傷を負った。
突然の視界の外からの攻撃に、少女二人は眼を見開いて驚愕する。
無理もない。
香取は真上という死角からの攻撃であった為反応出来ず、小南は己が本能の警鐘を強引に無視していた為にそれに対応出来なかった。
殺気を飛ばしたのは、あくまでも
それで下がるのならば良し、そうでなくともこの本命の一撃を隠す為の囮に成り得る。
何も、二の矢を装填していたのはボーダー側だけではない。
ヴィザもまた、当然のように次に繋がる策を用意していただけの話。
彼は絶大且つ凄絶な力を持っているが、その無敗とも言える戦歴に反して自分が無敵の存在だとは思っていなかった。
ハイレインと異なり負傷を回復する手段などないし、
故に隙を突かれれば当然のように負傷するし、致命打を負う場合だって考えられる。
何より、今の彼はククロセアトロ戦という
件の最悪の記憶は、翁の警戒心をより強めさせた。
だからこそ、ヴィザは油断をしない。
如何なる弱者であろうとも、時と場合によっては己を食い破る牙を備えている事を彼は知っている。
獅子博兎の言葉通り、彼は誰が相手でも侮り手を抜く事はしない。
それこそが、彼を強者たらしめて来た在り方であり。
剣鬼ヴィザを支える、強さの根幹である。
少女達の想いは、剣の羅刹の生き様の前に消え失せる。
その奮闘は、無為に帰した。
「トリガー、
────────否だ。
そう叫ぶかの如く、彼は。
風間は、主戦場から遠く離れた地で己が換装を解除する。
そして。
その右手に黒い棺が如き武具を携え、その銘を告げる。
「風刃、起動…………っ!!」
そのトリガーの名は、風刃。
迅の使用していた黒トリガーであり、この大規模侵攻にあたり本部より彼に貸与されていた切り札。
風間のその一声と共に、彼の右手に弧月に酷似した刀が顕現。
その刀身から6本の光の帯が現出し、彼の覚悟と共に風の音を嘶かせた。