(…………ホント、無様ねアタシ)
香取は荒っぽい足取りでボーダー本部の廊下を、俯きながら歩いていた。
正面をまともに見ていない為すぐに誰かにぶつかりそうに見えるが、彼女はそれを類稀な運動センスと優れた感覚を以て他人に衝突しないように歩行ルートを選出しながら進んでいた。
完全な無意識で行っており、それが当然の如く出来るという点で香取の素養の優秀さが良く分かる。
もっとも、そうでなくとも不穏な空気を纏っていた今の彼女に敢えて近付こうとする人間がいなかった、という事情もある。
先程の試合について知っている人間はそこそこいるし、そもそも香取が不機嫌に見える時は迂闊に近付くなというのが彼女を知る者達の共通認識だ。
事実、彼女が通るだけで大抵の人間はそそくさと距離を取って自然に道が空いている。
遠巻きに避けられるその様子にも気が回っていないあたり、今回の失態は相当彼女に堪えたようだ。
(…………樹里、アタシの事嫌いになっちゃったのかな? 良く考えればいなくなった三年の間探そうともしなかったし、薄情だって恨まれてたのかなぁ)
普段であれば攻撃的な性格により他者に非を求める香取だが、自分から持ち出した勝負で樹里に完敗した事で常の威勢の良さは鳴りを潜めている。
どころか、日頃の彼女であればまずやらない「自分に非がある可能性」についても考える始末。
傍目から見て分かるレベルで、香取の精神は落ち込んでいた。
「あいたっ!?」
「むっ」
そんな時。
香取は廊下を曲がった直後、背の低い誰かにぶつかった。
それまでは遠巻きにされていた事と無意識に他者を避けて歩いていた為に余所見をしていても衝突する事はなかった香取だが、今回は話が違った。
まず、双方が曲がり角を通る際に壁の至近にいた事。
香取と同じく、向こうも手元の携帯を見て注意が疎かになっていた事。
そして、双方が直前に気付いて避けようとした結果、一歩遅れて慌てた香取が向こうの人物と同じ方向に動いてしまった事。
それらが重なって、接触事故は起こってしまった。
とはいえ、さほど勢いが付いていたワケでもない。
加えて双方共に身体センスが高かった為に、どちらもすぐさま態勢を立て直して転倒まではしていなかった。
「すまない、避け切れなかった俺のミスだ。怪我はないか?」
「…………大丈夫、です」
香取は困惑もあって、おずおずとぶつかった相手────────────────風間蒼也にそう返答する。
風間はそんな香取の態度を咎めず、チラリと自分の携帯の画面をを垣間見た後で普段の元気がない彼女の姿に目を細めた。
「────────不注意の詫びだ。悩みがあるなら、俺で良ければ聞こう。時間はあるか?」
「え、いや、その…………」
「心配するな。菊地原と歌川は今日はいないし、隊室には三上がいるから二人きりにはならん。異性相手の相談が嫌なら加古あたりに交渉するし、必要ないならこのまま何も聞かなかった事にして構わない。どうする?」
風間の突然の提案と配慮に、香取は面食らっていた。
自分の不調を言い当てられたのは、まあ良い。
先程の試合は派手にやっていたからそこそこボーダー内に情報が広まっているし、彼がその事を知っていたとしても不思議ではない。
しかし、普段の香取の評判からしててっきり誰しもが遠巻きにしたがると思っていたのだが────────────────どうやら、目の前の子供にしか見えない隊長は相当に世話焼きで配慮も欠かさない紳士のようだ。
最初から下心があるとは思っていないが、そんな配慮までされて何も言わずに立ち去れる程彼女の心臓は図太くはない。
「お願い、します」
結果的に香取は頭を下げ、風間に自分の葛藤を聞いて貰う道を選んだのだった。
「成る程、話は分かった。 木岐坂にどう思われているかが不安なのと、先行きが見えないチームの現状に憂いている。お前の懸念は、このあたりか」
「う、えっと、はい。そう、です」
慣れない敬語を使いつつ、香取は頷く。
普段であれば目上相手でも乱暴な言葉遣いで話がちな彼女だが、今は精神的にボコボコに折れていた為妙にしおらしい。
そんな香取の様子に敢えて突っ込まず、風間は成る程な、と得心する。
「まず、お前が木岐坂に嫌われている、という可能性は皆無と言っておこう。そもそも、お前とそれ以外の部隊の勧誘に対しての木岐坂の反応を見れば一目瞭然だからな」
「え…………?」
「勧誘の時に木岐坂とまともに会話になっているのは、お前が声をかけた時だけだぞ? あいつは他の部隊からの勧誘は、無視か一言二言を告げて立ち去るかのどちらかに終始している。それだけで、木岐坂がお前を特別扱いしているのは分かるだろう」
そして、開口一番で香取の懸念を一蹴した。
香取は繰り返し袖にされている為実感していないのだが、そもそも樹里が勧誘に来た相手ときちんと会話をしているのは彼女が相手の場合のみだ。
それ以外は碌な応対すらせず無視に近い形で袖にするのが常であり、傍から見れば香取だけを特別扱いしているのは瞭然なのだ。
「で、でも、ならなんで樹里はアタシのチームに入ってくれないの…………?」
「流石にその理由を俺から告げるワケにはいかん。どうしても推測交じりにはなるし、俺はあいつの身内でもなんでもない。精々、多少事情を知っている程度の立場、というだけだからな」
「事情…………?」
そうだ、と風間は続ける。
「お前も、気になってはいた筈だ。大規模侵攻以降連絡が途絶えた木岐坂が、三年もの間
「…………っ!!」
香取が、目を見開く。
風間の、言う通りだった。
四年前の大規模侵攻を機に連絡が途絶え、一年前にひょっこり現れた樹里。
彼女がいなくなった、空白の三年間。
その間に彼女がどうしていたか、そして何故連絡が取れなかったのか。
それは、香取がずっと気になっていた事だったのだから。
「俺はちょっとした縁でその内容を多少知ってはいるが、詳細を語れる程詳しいワケでもないし口にする許可も持ち合わせていない。心苦しいが、聞かれても答えられないからそのつもりでいてくれ」
「なに、それ…………」
最早敬語にするのも忘れて、香取は風間を睨みつけた。
それはそうだろう。
樹里の空白の三年間に何があったのか、ようやくその糸口が見えたというのに。
彼は、それについては聞くなと言う。
気分としては釣り糸だけ垂らされて、目の前から餌だけ取り上げられた魚に等しい。
その先に
それを前にして落ち着いていられる程、香取は気が長くはないのだから。
「思わせぶりな事を言って申し訳ないが、この件について俺に出来る話は此処までが限度だ。重要なのは、木岐坂がお前の誘いを断り続けているのはお前への悪感情が原因ではない、という事だ」
「あ…………」
香取は、風間の言葉に目を見開く。
強引にでも詰問しようとしていた少女は、一つの事実を前に停止した。
樹里は、自分を嫌っているワケではない。
それを明言された事で、香取の不安の根本的な部分が和らいだのだから。
「詳細は語れんが、木岐坂は恐らくお前達が大切な相手であるが為に入隊の件を迷い続けている。だからこそ、お前だけは話を断りつつも完全な拒絶はしていないんだろう。お前との繋がりを求めているのは、あいつも同じというワケだ」
「そう、なのかな…………」
「これについては断言しても良い。何せ、佐鳥がそう言っていたからな。木岐坂の事情に一番詳しいのは、あいつだ」
「…………!」
ギリ、と香取は無視出来ない名前を出されて歯を噛み締める。
佐鳥賢。
樹里が三門に戻って来て以来、常日頃から一緒に行動する機会が多い人物。
あの樹里が、
加えて、先程の試合でこちらを敗北に追いやった大きな要因でもある。
「なんで、あいつが樹里の事情に詳しいのよっ!!??」
「そこまでは言えん。ただ、木岐坂に信頼されるに値する行動をした結果、とだけ言っておく」
「ぐぬぬ…………」
ただでさえ幼馴染の自分より樹里が優先している人物、というだけで腹正しいのに、更に彼女自身の事情にも詳しいのだという。
この時点で香取にとっては問答無用で
やっぱりあいつ嫌い! と、心の中で叫ぶ香取であった。
「調子が出て来たようだな。とにかく、木岐坂については心配するな。今すぐは難しいだろうが、そのうち入隊させるチャンスは来る筈だ。だからお前は、あいつをどう説得するかだけ考えれば良い」
「そう、よね。ええ、そうよねっ! 二週間は約束があるから出来ないけど、逆に言えばそれだけ準備期間があるって事だもん。今度こそ絶対、樹里をチームに入れてやる…………っ!」
最早完全に敬語どころか目の前に風間がいる事すら忘れ、香取は目を爛々と輝かせてそう意気込んだ。
思い込んだら一直線なのはこの少女の特性であり、美点でもある。
その純粋な眼を見て、風間はやれやれと苦笑した。
「あ、ご、すみません。アタシ…………」
「いや、良い。慣れない敬語を使おうとしていただけでも上出来だ。だが、社会に出れば目上に敬語を使う機会は多くなる。今のうちに慣れておく事だ」
はい、と観念したように香取は項垂れる。
幼く見える風間の姿からついつい敬語を忘れてしまいがちになるが、こう見えて彼は21歳。
自分よりも五歳年上の成人であり、相応の人生経験を積んだ先輩でもある。
纏う空気も同年代の面々と比べて落ち着いたものであり、学校の教師を思わせる雰囲気もある。
まあ、見た目からして教師というよりは教育実習生といった方が似合うのだが、
これで、問題の一つ目は解決とまではいかないまでも懸念は少なくなったと言える。
別の問題が噴出したが、そこは自分が努力するべき所だ。
根本的な問題である
「それから、もう一つの懸念はチームの状態についてか。一つ聞くが、お前がチームを率いて木岐坂と集団戦を行った理由は若村や三浦が関わっているのか?」
「…………ええ、そう、です。樹里が、あいつ等の事を馬鹿にしたから、それで…………」
「成る程、我慢出来ずに食って掛かった結果だと。仲間思いなんだな」
「…………っ! 別に。ただ、チームに入ってもいないのにあいつ等をこき下ろす樹里が許せなかっただけ」
風間の指摘に、香取はそう言って俯いた。
先程の敗北は、今も尚彼女の中で尾を引いている。
チームを率いたのに惨敗した、自分の情けなさ。
そして、大言に見合わずチームを敗北させてしまった自分の隊長としての能力のなさ。
そして、チームの現状をどう改善して良いのか分からなくなっている先の見えない不安感。
それが、彼女の中に渦巻いていた。
「今までは、アタシが好きに暴れればある程度はどうにかなってた。麓郎は色々文句を言ってるけど指揮がちゃんと出来るようには見えないから、雄太と一緒に適当にフォローに回って貰えば後はアタシがなんとかする。それで良いって思ってたし、それ以外どうしようもないって諦めてた」
けど、と香取は俯いた。
「このままじゃ、上には上がれないし樹里を見返す事も出来ない。でも、今更努力しろって言われたって、やり方なんて分かんないし────────」
「分からないなら、聞けば良いだろう。お前は、その為に此処に来たのではないのか?」
「…………!」
香取が、顔を上げる。
その、視線の先には、
穏やかな笑みを浮かべた、風間の姿があった。
「その手の相談であれば、俺も乗ってやれる。幸い、先程の試合は見ていたからお前達の問題点は理解出来た。遠征の準備もあるからずっと見てやれるワケじゃないが、少しレクチャーする程度なら可能だ」
だから、と風間は続けた。
「お前に、隊長の仕事というものを教えてやる。そこからどう進むかは、お前次第だがな」
「────────これで、お前の思い通りか?
『悪いね。付き合わせちゃって』
その後。
意気揚々と香取が退室したのを見送った風間は、電話で
迅悠一。
携帯の画面には、その名前が出ていた。
先程、風間が香取とぶつかったのはその直前に携帯に着信があってそちらに気を取られたからだ。
そして、その相手が未来視を使う迅と来れば。
あの邂逅に彼の意図が介入した、と推測するのは容易だった。
「いや、お前が必要だと思ったのならそうなのだろう。詳細まで聞いても答えんだろうから、一つだけ確認する」
ジロリと、目の前にいれば睨んだであろう眼光の鋭さを以て風間は尋ねる。
「お前の動きは、木岐坂や香取に不利益を齎すものではないと誓えるか?」
『────────ああ、誓えるよ。樹里ちゃんに関しては色々事情があるから確約までは出来ないけれど、可能な限り彼女達の望む未来へ辿り着けるよう支援は惜しまないつもりだ』
だから、と迅は続ける。
『樹里ちゃんは、ちゃんと香取隊に入れるよ。俺のサイドエフェクトがそう言ってる』
運命の歯車が、回りだすのは。
そう、遠い未来ではなさそうだった。